かゆちゃんの部隊が、敵の外郭の方に向かい出した。馬の背に立つと、散った兵が集まり出した場所がある。どうやらかゆちゃんはそこを蹴散らす心算みたい。
かゆちゃんの悪い癖が出たよ。戦果を欲張るような戦いじゃないんだ。兎に角雨たちも移動する。いつでもかゆちゃんを援護できる位置に。
そして始まったかゆちゃんと敵の一騎打ち。馬の体重まで掛けるかゆちゃんの一撃。それを正面から打ち返す敵。
「うっひゃ~、やっる~」
中原にも大したのがいるもんだ。かゆちゃんのあの一撃、重さだけなら相当なもんなのに。
さて、一騎打ちに水を挿すのも悪いとは思うけどどうしたもんかな。そんなに長く戦う必要はないだろうけど。
そう考えながら周りを見渡してみれば、周りの敵の外で僅かに土煙が舞い始めていた。遠くてよく見えないから部下の騎兵の肩に乗って見渡す。混乱している軍勢の外で黒一色の鎧の軍勢が展開し始めているのが見えた。
囲む気か?味方ごと。いや、流石にそれはないか。でも回り込まれたら逃げるのが辛いかな。これは刺した方がいいかな?水じゃなくて矢だけど。
自分の馬の背に跳び乗り、右手に矢を三本、指と指に挟んで持つ。狙うはかゆちゃんと一騎打ちしてる大刀使い。かゆちゃんの背中越しに、狙うは頭。一撃必中なんて格好はつけない。外しても二発目、三発目が待っている。
雨の速射からは逃げられない。
矢を添えた弦を引き絞り、放とうという時、それが見えた。かゆちゃんの一騎打ちを邪魔しないように、離れて動いていた騎馬隊。いつの間にか紛れ込んでいたのか黒い外套の女が、騎馬隊を馬ごと引きずり倒している。
そして騎馬隊の中で暴れながら移動。その位置はちょうどかゆちゃんからすれば死角になる。そして黒外套の手には刃物の光。騎兵の一人の肩を踏み台に、彼女は舞った。
彼女に矢を向けたのは、多分本能というやつだ。空中で体全体を使って暗器の投擲をしようとしていたらしいそいつに狙いを変えて一撃。大きく振り回すように動かしていた右肩に突き刺さる。それでそいつの体制は崩れたが、そいつの動きそのものは止まらなかった。
振られた手から放たれたヒョウ。大刀使いと打ち合っているかゆちゃんの背に刺さり、大きな隙が生まれた。かゆちゃんの動きが止まり、だけど同時に大刀使いの動きも止まる。身を屈めながらもかゆちゃんは馬首を返す。
幸いというべきか、多分武人肌の相手だったようだ。追撃がないのは幸運だ。それより早くかゆちゃんを回収だ。かゆちゃんに傷を付けてくれやがったやつはいつの間にか見えなくなってた。逃げ足の速い。
黒外套の女は止めを刺しておきたかったけど仕方ない。
今怖いのはこの一騎打ちで敵の気勢がまた起き上がること。ここで息を吹き返されると、雨たちが出てきた意味がなくなる。だから雨はかゆちゃんを見逃してもらった恩を、仇で返させてもらう。
「悪いね、出来れば死んじゃって」
もう一本矢を取り出し、狙いをつける。同時に馬の腹を蹴り、より確実に狙える距離まで詰める。同時に大刀使いもこちらに気付いたようで、顔をこちらに向けてきた。でもこっちも準備は整ってる。雨の三本の矢からは逃げられないよ。
大刀使いの頭を狙って一撃目、相手は刀身で頭を庇う。その上で上手く視界を確保してる。やる。
一発目が当たる前に次。今度は脇腹、これにも柄を動かして対応してくる。お見事。でもこれで詰みだ。
本命の三発目を引き絞る。同時に一発目が刀身で弾かれる。これで動きは固定した。二発目に対応した事でがら空きになった旨に狙いをつける。柄に二発目が当たればそれで終わりだよ。
「捉えた」
底冷えする声だった。同時に鐙を踏む左足を掴まれる感触。引っ張られ、体勢を崩したせいで矢は狙いを逸れて飛んでいく。
「何が!?」
掴まれている左足に目を向けると、雨のすぐ横を並走している馬の腹の下から手が伸びていた。その手の主は、間違いなくかゆちゃんを傷付けた黒外套だった。
ちょっ!?怖いよこいつ!
人間離れした握力で掴まれた脚を振りほどこうとしてもびくともしない。それに気付いた騎兵は、自分の馬の腹にへばりつく敵に剣を突きたてようとして、反対側に引きずり落とされてった。
こいつ、両足だけで馬の腹にくっ付いてんの!?おかしいだろ色々と!
落ちてった兵士の心配してる余裕もなく、雨もじりじりと引きずられていく。なんて馬鹿力だよこいつ。
「放せってんだ!」
このまま落ちる訳にもいかない。雨は矢を構えて黒外套に狙いをつける。途端に黒外套の力がさらに強くなる。その握りつぶさんが如くの力で雨は一気に引きずり落とされる。
体が完全に馬から離れる。地面に落ちるのは確実。そしたらただじゃすまないに決まってる。でもこいつの力は振り解けるもんじゃない。
どんどん引き降ろされていく体。こいつの手から逃げるのは無理。そう判断して矢を手に取り、自分から馬の背を滑り降りる。そしてその勢いで黒外套の首目掛けて矢を突き立て・・・
星視点
袁紹の陣から戻り、自軍の主だった者たちが集まっている天幕に入る。
「あ、星。どうだった?」
その報告が届いたのは、昼の衝突を終え、展開した軍を纏めている時だった。
黒羽が負傷し意識を失ったと。愛紗が共にいてまさか、という思いもあったが、誤報でないことは戻ってきた愛紗の様子が物語っていた。
「軍医の見立てでは命に別状はないそうです。首に浅い傷があるそうですがそちらは後が残るか否かだそうで。一応大事をとって休まされていたが、本人は政務に復帰したがっていました」
頭を打って少しの間、意識を失っていたそうだが会って見た様子では問題はなさそうだった。
報告はそういったことで終わり、特に軍師二人が露骨に安著の表情を見せていた。その二人程でないが、黒羽と会話を交わした人間も、一人を除き皆同様に安著した。
そして夜もいい頃合となり、各々の天幕に戻る段になって、私は唯一の例外の元へ赴いた。
「邪魔するぞ、愛紗」
戦働きを終えた得物の手入れをしていたらしい愛紗は、こちらの声に反応して視線を寄越す。
「どうした、星。こんな時間に」
馬鹿みたいに重い偃月刀を軽々と扱い、得物の状態を確かめていたのを止め、愛紗は体を私に向ける。
「いや、怪我をした黒羽を回収したのは愛紗だろう?黒羽の友人として、個人的に礼が言いたくてな」
「礼を言われるような事ではないだろう」
どことなく素っ気無い反応を返す愛紗。ふむ……
「成る程、黒羽とは合わないか」
呟くように私の口から漏れ出た言葉。だが言葉にしてみると、それは妙に納得がいった。ああ、そうだ。愛紗は黒羽を好かない。
「む、それはどういう意味だ、星」
私の言葉に不服なのか、いい反応を返してくる。
「言葉の通りだ。愛紗は生真面目だからな」
黒羽は真面目な時と装でない時に落差がある。更に言えば、武人肌に突っ走った感のある愛紗とは見るもの全てが違いそうだ。弄る分には二人とも似ている部分はあるが、黒羽の場合逃げたりもするからな。
「それに一騎打ちに割って入られたそうだな。戦場の礼に則った正式なものではなかったようだから悪いという事はないが、それでも愛紗は嫌だろう?」
ばつの悪そうに顔を顰める愛紗。まあ、この身も武人の端くれだ。その気持ちが理解できないではない。武を誇りに、戦を活きるのが武人というものだ。
対して黒羽の在り方は寧ろ謀臣である。暗殺者としての技能を兼ね備えいているが、それとて目的をなす為の道具としか見ない。友人とするには良い人物だが、そこだけは惜しいと思えてしまう。尤もこれは私も武人であるが故に、友人に理想を押し付けているだけなのだろうが。
「あれは本質から我らとは違う部分がある。我等が軍師たち程の智謀はないだろうが、それが団体の益となると判断すれば、どんなえげつない事も平気でやるだろうな」
逆に、そういったものが絡まない分には、充分善人と言える訳でもあるが。
「お前の言う張郃の人物像は朱里と雛里の言うのと隔たりがあるよな」
「あれは美化しすぎなんだ。あれは二人が言う程人格者ではない。実力は兎も角な」
北海で一月ほど床を共にした私が言うのだ。友達甲斐がない訳でないが、義よりも、利や理を重んじる人間だ。目の前で困っている人間がいれば、気の毒に思う程度には思うだろうが、面倒事の気配があれば自分から近づきはしない。必要がある、もしくは利になると考えない限り。
その代わり、身内にはこれでもかと言う程に甘やかしかねないが。私の時なども、ついつい色々と、な。
「それに当然悪い所もある。あれは切れると見境がなくなる。理性が振り切れるというか、な」
まあ、沸点は低い訳ではないが、いや、偶に物凄く低くなるか。
「それに、話は戻すが愛紗が相手取ったのは涼州人に違いなかったのだろう?だったら、そいつは袁家の将にとっては不倶戴天の仇だ。押さえろと言うのも中々に酷だと思うぞ」
まあ、その理屈も、愛紗は理解しているだろう。私は近しい人間を誰かのせいで失ったことがない。戦や飢饉といった事象で、というのならあるが。そしてそれは恐らく愛紗も同様だと思う。だから今の袁家の人間の心中は想像することしかできない。
「なあ、星」
「ん?」
不意に愛紗の方から声を掛けられる。
「お前は儁乂のことが好きなのか」
「ああ、良い友人だ」
そう、そこに疑う余地はない。寝食を共にしたこともあり、戦場を共にしたこともある朋友だ。
「だったらその友人を守りきれなかった事を恨まないのか?」
ふむ、そう言うことか。
「恨むも何も、愛紗を推薦したのは他ならない私だ。黒羽からの注文を加味したとは言え、愛紗なら最良の結果を出すだろうと考えてな。そしてその結果が黒羽の負傷なら、それで済んだ事が最良の結果だったのだろう」
そう、今の時点で我らの陣営で、恐らく最良の将が愛紗に他ならない。だからか、やはり愛紗に悪い感情が湧かないのだ。
私は気にしていない。同様に袁家の方でもこれといった反応は見せていなかった。更に付け加えるなら桃香様や主が特に問題視していないのだ。咎められるべき理由はないのだ。
まあ、人一倍生真面目な愛紗である。失敗があると自分を責める部分がある。
「陰鬱になる話題ならもうういいだろう。それよりも愛紗、そろそろ汜水関の向こう、虎牢関を攻めることを考えた方がいいそうだぞ」
私の言葉に、意味が分からないという表情を返してくる。
「黒羽の見舞いに行った時に、その妹の…どっちだったかな?まあ、兎に角黒羽の妹に声を掛けられてな」
その時に底冷えするような殺気じみた怒気と共に言われたのだ。
黒羽の役に立つ気が有るのなら、虎牢関の攻め方を考えておいた方がいい。敵は二、三日もしない内に汜水関を引き払うだろう、と。
まあ、言葉の方はかなり刺々しいものだったが、それはここでいう必要はないだろう。黒羽の妹がどこかが普通でないのも垣間見えたが。
「黒羽が怪我をしたことに挽回が必要だというのなら、すればいい。黒羽に水を挿されたことが許せないのなら、見返せばいい。どちらにしろうじうじしている愛紗は、らしくなくて見ていられない」
私は立ち上がり、天幕の出入り口から外を覗く。その方向には宵闇に佇む汜水関。この日異様に多い篝火が煌々と灯りを点していた。
「まるで夜襲でも準備しているようだ」
あの灯りならこちらの動きは良く見えるだろう。元より城攻めに夜襲は向かないのに、あれでは僅かな隙も見出せんだろう。逆に隙を見せればこちらを強襲して来るかも知れない。袁家は警戒している様子はないし、軍師たちも夜襲はないと言っていたが。
そうやって汜水関に目を向けていると、天幕の中から名を呼ばれる。私はそれに声だけで応える。
「私はな、まだ儁乂殿を好きにはなれそうにない」
律儀にそう言ってきた愛紗に、私は思わず苦笑いを浮かべた。
後書き
暑くてクーラーが欠かせない今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか?どうも、郭尭です。
この作品に於いては本当に久しぶりの更新となりました。戦闘シーンでの不調、他作品への浮気、そして執筆時間そのものが取れないなど色々ありましたが、余りに長くお待たせした事をお詫びします。
本来色々と裏話やら書くべきだと思いますが、今回はこのまま投稿させていただきます。
それでは皆様、また次回お会いしましょう。