「いい加減びゅんびゅんうるさいっての!」
立て掛けられた盾の影に身を隠しながら、雨は悪態をついた。
城壁と並ぶほどの高さの攻城櫓の上から放たれる矢の数は、確かに悪態の一つも吐きたくなる。
「ったくさっ!やってってもいないことで!恨まれるって!」
斉射の合間、矢が途絶えた瞬間を縫って放たれた雨の一撃。放たれた矢は攻城櫓の敵兵の頭を性格に射抜いていく。
「仕方あるまい。兎に角、詠たちが月を救い出すまで耐えるしかないだろう」
雨と同じく立て掛けた盾に身を潜め、隙を見て弓を射掛ける。やがて乗っている兵士が減ったせいか、幾つかの攻城櫓が後退していく。これで多少は楽になるか。だが暫くすればまた兵を満載して戻ってくる事になるだろうが。
だが、今この時が楽になったことは間違いない。攻撃が多少穏やかになった場所の兵が女墻まで駆け寄り、城壁に攻め込んでくる敵兵に矢を射掛けていく。
「それに時間を眺めに稼げれば!敵が勝手に崩れると詠も言っていた!」
「とは言ってもこれまでの進展の無さを考えるとさ!雨たちがもたないと思うんだよねっ、っと!」
喋りながらも手は動かし続け、尚且つ兵の動向を把握し続ける。時折指示を出して、兵の動きを采配する。
「確かに、汜水関の兵がここまで使えんとは思わなかったがな!」
この戦、汜水関の常駐部隊を中心に展開する心算だったが、攻城兵器が投入されてから見て分かり易いほど動揺が広がった。地理的な要因で攻城兵器を使われた経験がなかったことを後になって聞いたが、所詮は関胡坐をかいた弱兵だったか。
さて、ここでどれだけ相手を足止めできるか。時間を作れるか。
「獲られる事も織り込み済みというのが救いか」
文遠と公明との交代まで、まだ時間があるか。
加奈視点
「七番井欄!交代は迅速に!城壁の敵が左翼に移動しています!右翼に隙が!」
汜水関攻めの一軍の指揮を任され、より一層の栄達の機会を得たのは確かに喜ばしい事だ。だが、それが張儁乂の人事だというのが気に入らない。
女というだけで侮られ、踏みつけられてきた。それが黄巾の乱などの混乱を機にここまで登り詰めた。本初様という潔癖症のお嬢様に取り入り今日までの栄達を手に入れた。だがその先に行こうとするとどうしても邪魔者が目に付く。
張儁乂。
今まではただ目障りなだけだった。文官上がりで戦を知らない、実地の伴わない理屈倒れ。如何な人脈があろうとも、何れは戦場から外されるだろう、あんな不条理な行動をする奴は。
だがこの一戦でその考えは消えた。儁乂が用意した攻城兵器のお陰もあるだろう。数の優位があるとは言え、難攻不落を謳われる汜水関攻めを我々が優位に立っているのだから。
確信か、偶然か、兎に角儁乂の軍は役に立った。文官としては幾つかの政策で大きな成果を出し、その上戦場でも。
認めなければいけないのかも知れない。あの飄々とした、いけ好かないデカ乳女が私の出世の邪魔になりうる人間だと。
漸く、認められたんだ。あんな恵まれた環境で、ぬくぬく育ってきた奴なんかに負けるものか。
田豊老という最高の師を持ち、使用人に囲まれて生きてきた奴なんかに。
私はもっと上に行くんだ。恵まれた奴らを踏み台にして、もっとのし上ってやるんだ。
そして私を育て、学問を修めさせてくれた郷里に・・・
「許攸様、第四陣の準備が完了したとのことです」
「次は顔良ですね。前線の部隊に順次後退するよう伝えてください!次陣と素早く交代を果たしてください!長居すればそれだけ危険ですよ!」
段取通りの時間に、段取通りに交替する。言葉にすれば簡単だが、万に至る軍勢だとそうでもない。これ程の規模の軍勢を直接指揮するのは初めてのこともあり、どうにも軍勢の動きが遅く感じて仕方がない。
それにしても敵の動きも鈍い気がする。部隊の後退時は被害が出やすいものだ。いくら敵が汜水関に篭っているからといってこれ程に被害が少ないというのは不自然だ。
敵の一部に涼州兵や并州兵がいるのは確実だろう。騎兵を軸とした戦に力を発揮するこれらの兵が城砦防衛に不慣れなのは予想の範囲だが、中には長年汜水関を守ってきた常駐部隊もいる筈なのだが。
兎に角、大した被害もなく交替を完了。私は戦況の報告の為に本陣まで戻ってきた。
その際目に付くのは、ぼろぼろの装備の、そこらの賊より多少ましな程度の装備の軍勢。平原の相、劉玄徳の軍勢か。
数も少なく、その上で自分たちの食も賄えないお荷物。兵の錬度も然して高いようにも見えない。この戦の前だったら、こんな足手纏いを抱え込んで、と問いただすのだが・・・
「厄介なもの」
競争相手は強大か。
そんなことを考えながら本陣の大天幕に入る。
「許攸、ただいま戻り・・・」
「戻るなんて言わないでくれ!貴女にいて欲しい!貴女が必要なんだ!」
訴えかけるような表情で公孫伯珪の腕を掴んでいる張儁乂。
・・・これは噂に聴く修羅場という奴でしょうか?
「・・・あの、他人の色恋沙汰に口出しする気はありませんが、その・・・場所と時は弁えてください」
いや、女同士の恋愛というのも聞いたことはあるから、その、偏見はないつもりだけど・・・見せ付けられても困る。
「「いや、すごい誤解された気がするぞ!」」
息もぴったりだ。
黒羽視点
唐突に入ってきた許攸に酷い誤解を受けた。
「いや、許攸、貴女の誤解は後にします。丁度いいので貴女もいてください。伯珪さんも理由、お聞かせ下さい」
こっちの執務中急にやってきて、幽州に戻らなければいけないかも知れないと言ってきた。この状況で伯珪さんに抜けられると、正直政治的に不味すぎる。有象無象連中が暴走する可能性だって小さくない。幽州を永年守り続けてきた騎馬集団がこちらの陣営にいるということは、それなりに効果があるのだ。
それに、(この連合に限るが)こっちの派閥から離脱者を出すという事実そのものも不味い。こっちが内部崩壊しかけていると判断して、馬鹿な行動に出る奴がいないとも限らない。
「いや、私がいないうちに冀州の方で大事になりそうなんだ」
伯珪さんの事情を纏めると、幽州の厄介なごたごたに関わる。
伯珪さんのこの時点での役職は、幽州傘下の琢(本来は三水)郡太守である。本来彼女の管轄はその琢郡のみ。だが幽州随一の軍才を誇る彼女は、その能力故に州全体の対異民族戦に参戦していたという実情がある。
ここ数年は鮮卑族の略奪が比較的活発で、幽州の治安や経済は大打撃を受け続けている。武将である伯珪さんが如何に優秀であろうと、その権限では対処療法しか出来ず、根本的な解決は不可能だった。
それをどうにかできないかと、具体的な行動に出ようとした人物がいた。幽州牧、劉虞伯安である。
演義に於いて劉備の人格面でのモデルとなったとまで言われるほどの、徹頭徹尾のお人好し。自称の劉備と違い、正真正銘の皇族。その徳望は遠く異民族まで照らし、皆彼に頭を垂れた・・・て、正史の記述を思い返せばそんな人物だ。正史の反董卓連合の際には次の皇帝として担ぎ出されそうになった(本人辞退)くらいだから、人徳はあったんだろう。
で、この御仁がやろうとしたのは異民族の懐柔である。まあ、色々と手管使って和平を結んでもいいんじゃね?的な空気を、異民族側に作らせることに成功した。後はこっちが、という段階で面倒な事になる。
「こっちが血ぃ流してんのに、何断りもなく和睦とかふざけんな!」と誰かが言ったかどうかは知らないが、大体そんな反応が前線からあったそうな。
そう、この劉虞という御仁、味方への根回しと雰囲気作りを怠っていたようなのである。
結果州が真っ二つに別れ、劉虞中心の和睦派、伯珪さん中心の反和睦派に。尤も伯珪さんは気が付いたら担ぎ挙げられていて、あたふたしてるうちに降りるタイミングを見失ったそうな。
で、反和睦派は当然ながら前線を駆け回った武将たちが中心。彼らの言い分では和睦そのものが駄目なんじゃなく、こんな唐突に、且つ勝手に終わらされては兵も民も納得しない。今後、経済的な被害は減るかも知れないが、民衆の支持を失って統治が難しくなるぞ。ということだそうだ。
まあ、一理ある。
対して文官中心の和睦賛成派。いい加減戦の被害で民衆が疲弊してんだ。これ以上は民衆の生活が圧迫されて、民衆が黄巾残党とかと迎合して賊になるのが出てきそうなんだよ!と。
まあ、これも道理である。
要は被害をもろに受けてた前線エリアの意地と怨恨、直接的な被害の少ない後方エリアの利益と安全のぶつかり合いという事だ。それも、それぞれのエリアの官民双方が、上下一貫しての共通認識でもある。だから民の為、という大義名分が使えないのだ。
まあ民に限って言えば、家族や知人を殺されるなど、直接の被害にあった人間はどうしてもある程度以上の復讐心が芽生える。今のあたしらのように。ま、それは置いといて、そんな立場の人たちが、戦争終わらせるから全部なあなあで終わらせるよ、と言われて納得できる筈がない。
逆に直接被害に遭っていない人間にとっては、如何に被害を受けないようにするかが大切であり、被害にあった人間には同情したとしても結局は他人事の域を出ない。自分の命を含め、守りたいものがある人間にとって一番望ましいのは、戦争をしないことだからだ。
ここら辺の意思疎通をどうにかするのも政治の一環な訳なんだが、この部分が抜けてしまった訳だ。
「また、頭の痛くなりそうな事態ですね」
「実際に痛くなるのは胃なんだけどさ。それでも一応私が表に立って色々調整もしたりしてたんだけど・・・」
漢王朝の制度では同階級の文官と武官では文官がワンランク上の扱いとなるが、そんな事言ってられないのがこの時代。功績と言う意味で幽州では無視できない伯珪さんの存在、更には賊が多い不安定な時代。幽州では武官にも、実績に由来する発言力があった。
文官も、ストライキをちらつかせられれば強権発動はできない。
そんなギスギスした時期に董卓が都を占拠、反董卓連合立ち上げ、伯珪さん参加で主立った武将がこっちにいる、と言うのが今までの幽州の内部事情。
で、問題は反和睦派がこっちにいる今の内に、和睦がごり押しされそうになっていると言う事態だ。
どうにも一部の見識の浅い文官連中が劉虞の制御を離れて暴走しているのだろう。
仮にこんな方法で和睦を押し通したら幽州で内戦が起きかねないという事は想像できように。それに思いつかないような馬鹿が、異民族の懐柔に成功する筈もなし。故に劉虞、もしくはその周辺の人間の差し金ってことはないだろう。
「・・・厄介な」
割とマジで。こうも次々と、軍の外から厄介事が起こるかね?こりゃマジで連合の空中分解も有り得ちまうぞ。
「・・・お嬢様に一筆したためて頂くのはどうでしょう?こちらが袁家が仲裁に入れば、せめて戦が終わるまで時間を稼ぐ事が出来るかも知れません」
「・・・麗羽様に言ってみよう。多分快諾してくれると思う。申し訳ありません、伯珪さん。やはり今はまだ貴女が必要なんです」
許攸の言葉に賛同する。現状では、それが最良か。
「・・・その、済まないな、みんな大変なのに」
俯き具合に言う伯珪さん。うん、大変だよ。っつか地元のゴタゴタこっちに持ってくんな、と言いたい。八つ当たり以外のなにものでもないんだろうけど。
「いえ、大変なのは皆さんそうですし、こういうことを円滑にしていくのもあたしの仕事の内ですから」
社交辞令、というかこっちもある意味本音。八つ当たりの言葉も本音だけど。
さて、敵は董卓一派と味方と時間、か。どれも難敵で骨が折れるよ。
白蓮視点
「いえ、大変なのは皆さんそうですし、こういうことを円滑にしていくのもあたしの仕事の内ですから」
苦笑い交じりの返事は、どこか力がなかった。仕事の内と言っても、明らかにこの戦とは関わりのないことなのに。
儁乂は伝令を呼んで、麗羽に連絡を送る。出て行った伝令を見送り、儁乂は天幕の中央に掲げられている羊皮の地図の前に立つ。
「汜水関、後どれ位掛かりそうです?」
険しい表情で出された問いに、確か許攸だったか、麗羽の軍師兼指揮官が答える。
「極限まで粘られれば・・・想像もしたくないですね。騎兵で鳴らした涼州并州の兵、すぐにでも息を詰まらせて関を出てくると思っていたんですが・・・」
「ですよね~」
同じく険しい表情で答えた許攸に対し、儁乂は気の抜けた声で返した。
「ちと圧迫を強めた方がいいかね、こりゃ」
気だるげな表情の儁乂、険しい表情の許攸。私たちの都合で他にも多くの仲間たちに迷惑を掛けている事実が、何よりも情けなかった。
後書き
最近WTRPGに嵌り出した今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか?どうも、郭尭です。
やばい、戦争になってから戦局が殆ど動いてない。ここまで動きのない恋姫SSあっただろうか?と最近不安になってきました。城攻めの表現も難しいですし。速く進めて袁術、孫策サイドが書きたいものです。名前だけ出て登場させてあげられないでいる程普とか。
取り敢えず次回で動きがある筈!多分!できたらいいな~・・・と。
それでは今回はここまで。また次回、お会いしましょう。
PS.近いうちオリキャラの纏めとか書くべきかな?