我らが仕え、支えてきた漢王朝。その王朝を幾百年も守り続けてきた難攻不落の砦、汜水関。それが今私たちの目の前にあるのです。
漢を守り続けてきた要害を、今越えねばならないのですね。
汜水関にたなびく、董卓軍の旗を目に、拳に力が入るのが自覚できます。
後ろに並ぶ諸侯の軍気に押されるように、私は前に馬を進めます。
「麗羽、落ち着いていきなさい。敵の気に呑まれることはないように」
踏み出す瞬間、横に居た華琳さんがそんな事を言ってきました。私は小さく頷きました。
全軍の数歩分、前に出ます。後ろに控えていた斗詩さんが隣まで来ます。矢が飛んできても叩き落せるように。
「国賊董卓に組する者達に告げます!陛下より賜りし役目を忘れ、董卓の暴虐に手を貸すことは天道、人道に背く行為です!彼方方にまだ一欠けらの良心があるのなら今すぐ降伏なさい!今なら陛下に寛大な処置を願い出て差し上げますわ!」
剣を抜き、関から見下ろす敵兵たちに突きつけながら語ります。戦場の礼節に則っての言葉。期待は込めておりません。いえ、むしろ本心では・・・
兎も角、これで機会は与えました。それをどうするかは相手次第です。
やがて城壁の敵兵たちの中心にいた関の守将らしい人たちの中、小柄で両脇に髪を結った女の子が前に進み出ました。その手には一張りの弓。それに矢を番えると私の方向に向けてきました。
斗詩さんが私の前に進み出てきます。そして、
「・・・それが返答、ですか」
足元に射掛けられた矢、それに苛立ちと安著を同時に感じました。私は踵を返し、関に背を向けて軍の前に戻ります。斗詩さんは私の背後を守るために、後ろに陣取ってくださっています。
「華琳さん、まずは・・・」
「任せなさい。予定通り、軽く様子見をしてくるわ」
私の言葉に、華琳さんは余裕を含んだ笑みで応えてくれました。
「ええ、余計な心配だとは思いますが、くれぐれも無理はなさらずに」
「ふふ、言われるまでもないわ」
頼もしい声に頷き、私は後方に控えている自軍の下に向かいました。
華琳視点
麗羽が自分の軍勢に戻っていくのを見送り、私は自分の軍勢に向き合う。
「皆の者、これより我等は天下の難関、汜水関へと攻め入る!漢王朝四百年の歴史の中、ただの一度も破られる事のなかった要害である!その要害を打ち破る策の先陣を我らが務める!我が精鋭たちよ!この戦にて我らの精強を天下に示せ!」
使い慣れた得物である「絶」を振るう。そして我が軍勢の前進が始まる。決して乱れず、逸らず。
そも本格的な攻撃は敵がもっと疲弊してから。
まずは我らが適度に敵を締め上げ、数を活かした波状攻撃で敵を疲弊させていくというもの。誰の番で回ってくるかは分からないけど、正念場はまだ先。
「さて、敵の癖、観察しておかなければね」
味方の犠牲を減らすため、敵の守りがどのような思考で組み立てられているのか。私はゆっくり観察する事にした。
黒羽視点
遠くで怒号が響いてきた。どうやら戦端が開かれたみたいだな。
あたしは汜水関から離れた位置で、直属の二千で陣地の構築と攻城兵器の組み立ての指揮を執っていた。
あたしの部隊はもとより大した戦闘力を持っていない。それは結成されてから今までの、然して長くない訓練時間の少なくない割合を土木作業の訓練に費やしたのが大きな要因だったりする。
その代わり事土木作業に限っては、職人勢にもそうそうひけを取らないと言う自信がある。故にこの人数だけでローテーションで休む部隊用の宿営地の用意を担当している訳である。
裏亞と裏禍は現場指揮で動き回ってくれているため、近くにいない。うちの部隊の周りには猪々子の騎兵隊二千と馬軍が、ローテーションを外れて護衛についてくれている。尤もローテーションに加えたところで、攻城戦で騎兵が基本、役に立たないってのもあるからだが。
それでも伯珪さんの軍には、敵が撃って出てきた場合に備えてうちらと本隊の間の位置に待機してもらっている。
本隊と別働隊(動いてないけど)であるうち、どっちにも向かえる位置である。
改めて作業をしている兵士たちに目を向ける。皆戦場が気になるのか、目がチラホラそっちに向かっている。
「はいはい、皆、手を休めず話を聴いて!」
両手を叩き、出来る限り通り易い声を作って注目を集める。
「みんなはこう思ってると思う!何故自分たちは戦場におらず、後方で他人の寝床の準備と機械造りなんかしているのか!武功を立てられないじゃないかと!」
兵の多くは農民の次男三男とか、将来遺産を相続できない立場の人間だ。軍中での立身を考えている者も多い筈だろう。そういう者達にとってはここは手柄が立て辛い環境ではある。
「それでも今は耐えてもらいたい!皆のやっていることは、絶対に必要な事だ!」
この時代、後方支援に対する認識は軽い。兵隊は戦ってナンボという認識だ。
21世紀で言う所の近代化軍隊は、その半数以上が後方要員でないと充分に機能しないと言う。こと戦闘機などの大型機械兵器、は一つ動かすのに十人近い後方要員を必要とするとまで聞いた事がある。
対してこの時代の軍隊に於いてこういった任務は、重要度の低い(大抵の場合弱いと認識されている)部隊に押し付けるものである。手柄も立て辛いから受けがよろしくない。
「人間腹が減っても疲れても、戦えやしない!だからあたしらが他の奴らに安心して飯が食えて休める場所を作っている!」
軍事行動の七割は土木作業である、という言葉すらあったと思う。兎に角、皆意識の半分くらいをこっちにまわしているのが分かる。視線をこっちに向けて仕事仲間に叩かれてる奴もいた。
「それに城攻めには攻城兵器がないと犠牲が増えるのもわかるな?けれどここの地形を見れば分かるだろうがこの辺りはあんまり木が生えてないからな!そん為にわざわざこんな遠くまで材木運んできたわけだしな!」
汜水関が難攻不落であるのは、汜水関そのものの堅牢さも然ることながら、周辺の環境にも理由がある。それは周辺のかなりの範囲にわたって木が少ないことである。この時代の木材が、基本的に現地調達である。そのため汜水関への攻城兵器の投入は難しい。つまり適切な戦力が投入し辛い、という面での堅さもあるのだ。
「いいか!あたしらの任務は敵を殺すことじゃあない!味方を生かすことだ!死人を減らすことだ!」
後方支援なくして軍事行動の成功はあり得ない。
「反董卓連合二十余万、敵を殺す軍は数多だ!が!味方を救うための軍は我ら二千だけだ!誇れ!理解がなくとも!本当に見識のある者は必ずお前たちを評価する!誇れ!まずはあたしがお前たちを誇ろう!」
兎に角、ここでだらけられてはマジで困る。正直無駄金遣い言われてるからな、この部隊。だからこそこういう、設立目的に沿った部分で失敗は許されない。
取り敢えず、この演説にそれなりに感じ入るものがあったのか、皆さっきより集中して作業してくれている。
特に攻城櫓の類は高い位置での作業があるからな。あたしが直接作業を手伝って人心掌握を、とも考えられるけど、今じゃあたしは足手まといなんだよな。皆上手くなっちゃって。
そんな感じでもうじき正午って頃には前線に送るべき攻城兵器は相応の数が揃ってきた。うん、予定通り第二陣には間に合いそうだ。
「お姉様、張勲から遣いが来ました。と、裏亞は伝えます」
裏亞に連れられてやってきたの男は父上から叔父上を経て、義姉上へと渡った細作衆の人間だった。
あたしは義姉上からの荷物を受け取る。中身は文の書かれた羊皮が二枚、そして粉薬らしいものが入った小さな袋。片方は義姉上の書状だった。その内容は袋の中身の仔細と、もう片方の書状に記されている内容に関して一切の判断を委任するというもの。
そして、肝心のもう片方の書状に記されている内容に目を通す。
「・・・この内容、何時のものだ」
「張勲様の下へ三日、張勲様の下から六日、九日でございます」
十日近く経ってんのか。
「他の諸侯の方々には?」
「伝えておりません。張勲様からはくれぐれも儁乂殿にお伝えするよう言付かりましたので」
つまり、握りつぶそうと思えば出来るって事か。
取り敢えず、遣いの者に礼を言って戻ってもらう。そして再び書状に目を通す。
伝えるべきか、握りつぶすべきか。
「・・・裏亞、裏禍も呼んできてくれ。相談したい事がある」
そう伝え、あたしは会議用の大天幕に向かった。
貰ったもう片方のことは、さて置いて。
「現在、別行動中の公路様方からの情報で・・・」
先の義姉上からもたらされた情報について、一部の諸侯の方々に遣いを出して緊急会議を開く事になった。
汜水関攻めの第一陣を担当して、戻ってきたばかりの孟徳さんと文若さんをはじめ、劉備軍から朱里と星、馬軍からシスターっぽい令明さんに来てもらっている。情報の内容が内容なので、確実に腹芸が出来そうにないな、と思う方々にはご遠慮いただいた。
ちなみに麗羽様も、軍を斗詩と許攸に任せてこの場にきており、審配は既に任務を終えた輜重隊を率いて渤海に戻っている。
「・・・都にて我らとの呼応の準備を進めて下さっている方々の名は皆様覚えていらっしゃると思います。公路様方の手を借りるまで一時連絡が途絶えてしまったのは以前お話したとおりです・・・」
義姉上からの情報を知っているのは現時点であたしと義妹たち、そしてこの会議の前に簡単な説明をした麗羽様の四人である。
この情報に関する最終的な判断を麗羽様に委ねた訳だが、その結果が今の緊急会議なのだ。ちなみにこの四組だけなのは、内容が内容だけに、全軍に同様が広げないためである。ここにいる面子なら、軍の指揮には影響を与えまい、と考えた。
さて、義姉上からの情報を要約するとこうである。
現在あたしらの攻撃に合わせて蜂起を計画してくれている洛陽内の反董卓勢力だが、洛陽及び周辺の警備強化で連絡を経たれた期間があった。その時期に問題が起きたのだ。
あたしらが董卓を討つに当たって一つ問題がある。今更ではあるが、それは誰も董卓の顔を知らないという事だ。
本当に今更だが、一応理由はある。まず董卓は元は涼州刺史だった張奐という方の代理で、表に出ることもなかったそうだ。その張奐が洛陽で急死してはじめて真っ当な官位についたのである。
だが体が良くないのか、それとも他の理由があったのか、体外的な交渉事はもっぱら賈駆など側近に任せて自身は表に出ていないらしい。実際連絡を取れた反董卓勢に董卓の顔を知っている者はいないのだ。唯一情報らしい情報など、董卓が女らしいと言う事くらいか。
まあ、一応直接董卓と面識があったという人間は、二人いる。だが、そのうち一人である馬騰殿はこの場にいないし、もう一人面識のあったといわれる孫堅殿に至っては故人である。この場にいる孟起さんも、董卓配下の武将たちなら兎も角、董卓本人との面識はない。
その為、洛陽の勢力には董卓のことに関しても色々調べて貰っていた。
そんな中での連絡途絶である。一部の内応者を焦らせるのには充分だったらしい。
特に大きく動いたのが荀攸という人だった。何でも董卓の正体を探る話を、他の反董卓派、鄭泰という人物に持ちかけた。これ自体は上手く回り、二人は協力してことに当たっていた。だが数日後、荀攸宅での密会の際に両者取り押さえられたという。幸い命は奪われていないようで、現在は宮中の天牢(宮中で容疑者を拘束するための牢)に入れられていると言う。
そしてそれはうちで内応を約束している、王允の密告によるものだと書かれていた。
「・・・木蓮(ムーレン)が・・・そんな・・・」
孟徳さんと共に来ていた文若さんの顔色が悪い。声も震えている。木蓮とは荀攸の真名なのだろう。
兎に角気分がよろしくないなら休んでもらおうかと、孟徳さんに視線を向けた。事情が事情だし。だが、こちらの視線に気付いた孟徳さんは軽く首を振った。
「それで、その書状の出所はどこなのかしら?」
「一度義姉上を経由していますが、差出人は司馬孚という方になっています。孟徳さんたちと連絡を取っていた方でしたよね」
孟徳さんの質問に答える。あの義姉上経由というのが怪しいといえば怪しいが、こんな時に変な厄介事をでっち上げてメリットも、向こうにはない筈だ。
「・・・そう・・・」
特に文若さんを気遣っている様子はない。信頼している、ということなのか、多分。
「この件の発生自体は我々の合流より前の出来事でありますので、我々の情報が漏れていることは考えにくいと思いますが、皆さんはどう考えますか?」
兎に角話を進める事にしよう。
「・・・気にする必要はないわ。こちらの行動に変化は必要ない」
そう告げてきたのは文若さんだった。顔は伏せているけど、その言葉ははっきりしていた。
「ええ、まぁ、こちらでもその結論になりましたが・・・文若さんはよろしいので?」
「ええ」
取り敢えず他の人たちも見回してみる。取り敢えず得心してそうなのが、他に朱里くらいか。令明さんは疑問が表情に出ているし、星は表情で判断できない。
「あの、すみませんが、ご説明いただけますでしょうか?捕まってしまった方々の救助など、できないと言うのなら兎も角、必要ないというのは」
多分、言い方が気に入らなかったのもあるのだろう、令明さんが僅かに表情を顰めている。ついでに便乗しようと言うのか、星も聴く気満々のようだ。
「要はこれが私たち連合軍にとって都合がいいからよ」
答えたのは、やはり文若さんだった。
それに付け加えるように説明を引き継ぐ。
「まず、荀攸さんが捕まった事で洛陽内の警備にまわされる兵は増えるでしょう・・・」
洛陽の警備に(治安維持のためでなく、間諜の取り締まりのため、治安はかえって悪化するだろう)使う兵を大幅に増やす必要ができた。洛陽ほどの大都市である。平時でも執金吾五万の兵が警備と防衛を司っているのだ。少なくとも一万ほどの人員が追加で必要となるだろう。
更にこの功績により、董卓の王允に対する覚えもめでたくなるだろう。さすれば董卓のことも調べやすくなるかも知れない。
「これが向こうとの連絡が再開した後だったら怪しいですが、正直問題ないかと」
「・・・そう、ですか」
話を聴き終えて、思案顔の令明さん。だが、一応は納得したのか軽く頷いた。
華琳視点
「流石に、瑣事大事問わずに多いものね」
麗羽たちから持ちかけられた緊急会議。内容としてはむしろ報告会といったところだったけれど。
多くの勢力が同時に存在するこの軍勢、当然諸事の多さも比例すると考えていた。未だ経験する機会は来ていないが、麗羽や儁乂の様子を見ることは良い経験になっている。
いずれ私はこの中華全土を手中に治める。そのためにより強大な軍勢、より豊かな国を作る必要がある。当然質も量も兼ね備えたものを。
だが、それが手に入ったらどうなるか?その一例が目の前にある。
大量の軍勢の統括、戦場の外で起こる謀略と情勢の変化、非協力的な勢力への牽制。それに引っ掻き回されている張儁乂は目の前の戦に集中しきることが出来ずにいる。総大将である麗羽もその責務を全うするには、この多勢力の混沌は大きすぎるようだ。
今のこの連合、馬軍、公孫軍、そして我らといった、連合内の主力が麗羽に協力的だからこそ成立している。このうち一勢力とでも関係を拗らせれば、この連合は瓦解する。
河北随一の知恵者と名高い、田豊老と沮授がいればまた違っていたかも知れないが、この場にいない。この重大な状況で出てこなかったということは、恐らく二人とも長くないのだろう。田豊老はお年を召しているし、沮授の体のことはそれなりに知られている事だ。
案外麗羽たちも瀬戸際なのね。
そして私に必要なものはやはり、人、ね。
今の袁家はその規模に反して、圧倒的に人が足りていない。いや、本来袁家の人材そのものは決して少ない訳ではない。ただ、袁家は人材はあくまで一臣下としての豊富さなのだろう。上の人間が命令を出せば、そつなくこなされるだろう。
だが、国を創ることは出来ない。当然と言えば、当然。麗羽の理想と、私の理想、それは真逆の方向に向いているのだから。
「桂花、貴女の姪、荀攸と言ったわね」
「はっ」
洛陽に捉えられている桂花の年上の姪。王朝内でも重きを置かれてきた戦略家。多くの人材を輩出し、漢王朝の支柱の一つであり続けてきた荀家随一の兵家と名高い。
「手に入れるわ」
言うべきことはそれだけ。これは己の野望のための行為。誰にも感謝されるべきものではないのだから。
「はっ、必ず、華琳様の役に立つかと」
必要なのは、「国」を任せられる人材・・・
後書き
急速に冷えてきた今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか?どうも、郭尭です。
非常に長らくお待たせしてしまい、謝罪の言葉もありません。他に優先している事があるとは言え、時間を掛けすぎました。エンタメ向けの作品がようやくノリ始めたのもあって、殆ど放置してましたので。
一応、始めたからには、完結を目指しているのでやめる心算はありません。もっとも、以前の速度に戻せるかは未知数ですが。
内容に関してですが、漸く戦闘に入りましたが、本格的なぶつかり合いはまだです。敵方視点も次に予定しています。ご期待いただけると嬉しいです。
それでは今回はここまで、また次回お会いしましょう。出来るだけ早く・・・