汜水関。我々が今向かっている、この戦最初の難関である。
「それにしてもすごいな、やっぱり」
今、我々は行軍中である。十万を超える軍勢の真っ只中に我等はいる。黄巾賊など、敵として十万近い兵と対峙したことはあったが、この数の軍中にいるのは皆初めての事だ。故にこの軍勢に感嘆する主に対し、私も素直に共感できる。
「そうだね~、こんな数が多いとどんな相手でも負けない気がしてくるね」
桃香様の呑気な一言にも頷ける。確かにこれほどの軍勢、如何なる敵にも勝てると、そういう錯覚を覚えそうになる。
「だが黒羽も粋な事をする。これだけの軍勢だ。我らなど当てにされるとは思わなかったな」
「あれ?当てにされてたの?」
意外そうな反応を返してきたのは主だった。桃香様も同様に、疑問を顔に出している。
「ふむ・・・軍師殿方、説明は任せた」
「「はい!?」」
説明も面倒だから軍師殿たちに丸投げすることにした。
「あ・・・あ・・・えとですね。一応根拠としてはですね・・・その・・・」
「え・・・えと・・・取り敢えず軍勢の前後を比較して下さい・・・」
そう言われて、主たちだけでなく、偶然聞こえていたらしい愛紗たちも前後を見回す。
我々の軍勢は五千。軍勢の中央よりやや前方、ちょうど全軍の中央に位置する袁紹軍の前方に位置する。
行軍に適した縦列陣形で進む軍勢。軍の最前部には最精鋭と言って良い曹操軍。その後方、馬超軍と公孫賛軍が続く。その更に後ろに、我らを挟んで、軍勢の中核である袁紹軍が行進している。そしてその更に後方に存在するのは・・・
「・・・と、このように後方には弱兵が配置されています。恐らく役に立たないと判断して威嚇用として割り切っているのでしょう」
「それに、袁紹軍にも大きな弱点があります」
まず陣営の配置を朱里が解説し、それを雛里が引き継ぎ、今度は袁紹軍の弱点を説明していく。
袁家の最大の弱点とは即ち、その軍勢の規模からして、不自然なまでに大軍を率いる事のできる将が少ないと言う事である。
人材に事欠かないという印象のある袁家。主たちは意外そうな顔をする。
だが冷静に考えると、袁家の武将で名が知れているのは二枚看板を除けば黒羽だけだ。その理由に関しても、我が軍の優秀な軍師たちが説明していく。
要は渤海周辺が平和過ぎたのだ。無論それは本来良いことだ。それに渤海周辺が平和だったのも、袁紹軍が優秀な証でもある。だが、優秀であった故に初期の黄巾賊との戦しか大戦を経験できなかったことだ。結果論であるが、民を守る事に積極的であり過ぎた、と言ったところか。
無論、それを貶している心算はない。寧ろより多くの民を救ってきたやり方の結果なのだ。賞賛されて然るべき事なのだ。例えそれが一つの側面で不利益足り得ても、だ。
「成る程、意外だが、納得のいく欠点だ」
頷いたのは愛紗だった。軍、という物に関しては、桃香様や鈴々より詳しい。と言うより、他の二人が余りこの手の方向に頭を働かせるのが得意でないと言う印象が強い。
「た、ただ、逆に兵士の生存率も非常に高いので、実戦経験の多い兵士が非常に多いです。数と装備の充実具合もあって、その、中華有数の精鋭です」
確かに一つの側面だけなら、馬超軍や曹操軍など、袁紹軍を超える部分を持っている軍勢もいる。だが総合的に見れば、今現在の袁紹軍は間違いなく、最強の一角と言える。
我が軍が他の軍勢に負けないものは士気の高さくらいか。
「なので、多分、折を見て、一人武将を借りたいと言う要請が来ると思います。そして、もし袁家が誰かを指名するなら・・・」
「当然私であろうな」
雛里の言葉を引き継ぐ。この場合、能力が分からない人間よりは、何かしらの接点である程度知られている私が一番扱い易いだろうという判断だ。
「あ~、だが星、お前の態度は、向こうと問題起こすなよ?」
「失敬だな。私の態度のどこに問題があるのだ」
私ほど誰に対しても嘘偽りなく接することの出来る人間はいないと自負するぞ。
「星は問題を自覚した上で煽ることがあるから不安なのだ」
鈴々まで失敬な。煽っていいときと不味いときの区別くらい付く。
「まあいい。ただ、愛紗や鈴々も黄巾の乱で名が知れている。二人のどちらかが呼ばれる事も有り得る」
今の袁紹軍の中心が黒羽らしいが、だとしても彼女一人で何もかも決められるわけでなし。
それにしても、我が友とは差がついているな。今を後悔している訳ではないが、それでも偶に夢想することがある。
もし私が黒羽の誘いを受けていたら、それはそれで楽しい日々だったのだろうか。
後悔はしていない。断じて。
だがまあ、有り得たかも知れない今に対する未練は、或いは有るのかも知れない。
何故か必要以上にゆっくりと進む行軍の中、ふとそう考えた。
華琳視点
日が傾き、野営の準備が進んでいく。このまま順調に行けば明日には汜水関が見える筈。
今日も大天幕が敷かれ、明日の作戦の最終確認を、諸侯と行った。汜水関の攻略に関しては、敵の出方によって変える必要も出て来るだろうけど、大よその案は出来上がっている。詰めるところも殆ど終わっているので、本当に確認程度の物だった。
だが、この天幕での会話は面白い。出発前より数が減ったとは言え、大陸中の英傑が集まっているのだから。交わす言葉は多くないが、この場の空気は、中々に楽しい。
「それにしてもどういうことかしら?ここまで汜水関に動きがないなんて」
自陣の天幕に戻り、先の会議の内容を腹心たちに告げる。尤も、それを伝えるのは私でなく、会議に同席した桂花だけど。
「斥候は董卓の軍勢を発見しておりません。如何に涼州と并州の精鋭と言えど我らに気付かれる事もなく監視することは不可能でしょう」
秋蘭の言葉に頷く。馬超軍と公孫賛軍の騎馬隊を目にした時を思い出した。素晴らしいの一言だった。我が軍ではまだ到達できない高みにある。だがそれでも春蘭たちが鍛え上げた、我が軍の騎兵隊が影さえ追えないものではなかった。
「来るなら明朝?」
もし奇襲するなら、それが一番効果的か。少なくとも汜水関まで残された道程は遠いものではない。まあ、敵の方がそもおも斥候を出してきていないのなら奇襲はないのだろう。
奇襲には情報が必要。
斥候なくして奇襲の成功はない。林のような隠れる場所があるなら兎も角、この広大な、草原と荒原の中間のような地形で相手に全く悟られずに情報収集が可能なら、それはもはや神仙か妖魅の類だろう。
一応、対応できるよう用意だけはさせておくことにしよう。
「まあ、それはいいわ。真桜、頼んだ事、何か分かったかしら?」
「ああ、袁紹軍の例の資材は、なんやえろう簡単に見せてくれましたよ」
行軍を始める段階になって存在に気付いた、袁紹軍の木材を満載した牛車。この行軍をゆっくりとしたものにしている一因だった。
木材と言う事は、大方攻城兵器などに使うものだというのは想像が付く。だが、良く分からない違和感を感じた私は、この手の事に詳しい真桜に調べさせていた。
「さすがに教えてはもらえませんでしたけど、見るのは自由やったんで大凡の推測は出来ました」
独特の、方言交じりの言葉で、真桜は推測を述べる。
資材は既に形が整えられていたという。そして木材の部分部分で長方形に削られていたり、同じような穴が開けられたりしているらしい。
「多分細く切られた部分を穴に差し込むんかと。木材それぞれに番号も振られとったんで多分手順が決まっとるんかと。」
「・・・成る程、組み立ての時間短縮かしら。いや、手順まで完全に統一すれば構築方法の習得も早くなる・・・面白いかも知れないわね」
分かっていた事だけど、麗羽のところも随分と人材の層が厚いようね。こんなところまでてこ入れがされているのね。
「それだけやないです。そこまで詳しく見れた訳やないですから断言は出来ませんけど、あの木材かなりの部分が再利用されとるみたいです」
再利用してる?攻城兵器は構造の都合上、一度組み立てて解体した場合、再利用できる部分は少ない。特に攻城櫓のような巨大な物は、自身の重さで構造を破壊していってしまう。それを再利用・・・
真桜の話によれば、木材の疵やらでそう判断したと言う。本当に学べる物が多いわ。
「真桜、出来れば向こうの技術を学んできなさい」
この戦が終わったら麗羽のところに真桜を派遣しよう。大勢の利益になれば自分の利益に余り頓着しないのが麗羽の人となり。麗羽の配下に反対意見は出るだろうけど、やりようはある。
自身もこの手合いが好きな(些か過ぎる部分があるけど)真桜は声を上げて喜んだ。すぐに、横に控えていた凪に押さえられたけれど。
そう言えば凪は徒手空拳の使い手だった。麗羽のところの張郃も徒手空拳の使い手。しかも双方とも気功の業を会得している。彼女も理由を作って派遣しようかしら?となるといつも一緒の沙和も理由をつけて送った方がいいかしら。
既に始まっているに近い戦の最中だと言うのに、私は自分の愉悦を止められなかった。
黒羽視点
「明日・・・か」
明日、いよいよあたしらは汜水関を射程範囲に捉える。洛陽の東を守る、難攻不落の名を欲しい侭にする堅城。断崖絶壁を両脇を固めているため、攻める事のできるのは一面のみ。
「誘き出せればそれに越したことはないんだがな」
天幕の中で得物の手入れをしながら呟いた。
「つっても相等堅いんだろ?汜水関って。篭ってた方が楽なら出てこないんだろ?」
返したのはあたしの部屋に来ていた猪々子。何故かあたしの床の上で馬鹿でかい剣の手入れをしている。猪々子が剣の様子を見るために体勢を変えるたびに床がギシギシいってるんだが、どんだけ重いんだよ、そのデカブツ。
「ま、端から主導権を握ってんのは相手だからな。上手くやれればどうにかなるかもだが」
正直策らしい策はない。と言うより守ってる奴が馬鹿でなけりゃ、数の暴力くらいしかないように出来ているのが汜水関、そしてその後ろに控える虎牢関な訳だし。
「ま、そっちはいいや。麗羽様はどうした?」
虎牢関はうまくいけば無力化できる筈だが、どっちにしろ汜水関は正攻法でやるってことは決まってる。それより今気になるのは麗羽様だ。
「また劉備とお話してるよ。随分元気が戻ったようだけど」
猪々子は少し不貞腐れたように応える。
劉備と出会って以降、麗羽様はよく劉備と話すようになっていた。どうやらこの二人、結構相性が良かったのか、すぐに親友と言って言い感じの仲である。まあ、あたしたちと麗羽様ほどじゃないけどな。
公路様とお会いしてから、殊更沈んでいた麗羽様だが、劉備との交流が出来てからはそれがだいぶ和らいでいる。
麗羽様のことに関してはあたしらも気を揉んでいた。それがぽっと出の他人が、現在進行形で解決中ってのが面白くない、と言ったところか。斯く言うあたしも、正直に言えば気に食わない。
「けどまあ、麗羽様は楽しそうだしな」
相手が相手だけに、余り親しくなって欲しくないってのが本音だけど、そう言うのも忍びないんだよな。そういう事もあって、今日の会議で劉備軍には麗羽様の護衛を頼んだ。正直、数やら装備の充実さとか、当てにしたくないってのが本音だが、星たちがいるから遊ばせるには勿体無い。だからいっそこっちに組み込む形で使うことにした訳で。
「分かってるよ。だから空気読んで大人しくしてんじゃん」
「あたしに当たるな。面白くねえのはこっちもなんだ」
苛立ちが隠せない猪々子の態度にカチンときたが、気持ちも分かるので呑み込んだ。
「だってさ~、姫とはアタイらの方がずっと永いんだぜ?それなのに姫を支えられないってのは情けなさ過ぎるじゃんか」
「言うなよ、それも。切り替えろ。んな調子で、戦で死んでみろ?麗羽様はどうなる?」
そんなだっせぇの、ごめんだぜ?
「言われなくたって分かってるんだって。けどさ・・・」
「はいはい、姫に甘えられないのが気に入らないんなら、偶にはあたしに甘えろ。姉貴なんだろ?あたしゃお前の」
手入れを終えた武器を放り出して、床の猪々子の横に座る。ポンポンと頭を軽く叩いてやると、猪々子は不機嫌そうに唸りながらも、あたしの方に寄りかかってきた。
「・・・姫と斗詩と姉貴がいないとアタイ、『アタイ』でいられないんだよ。また『私』に戻っちゃうんだよ・・・」
「あたしは昔の猪々子も嫌いじゃないんだけどな。心配すんなって。あたしらの縁が切れんのは死ぬ時だ。そんでな、あたしは老衰以外で誰かを死なせる心算はない。だから後五十年はこの関係が続く予定だ。嫌でも逃がさんよ」
後ろから猪々子を抱き寄せる。胸元で猪々子の頭を抱えるようにして、頭を撫で回してやる。
「・・・なあ、姉貴・・・」
「な~に?」
猪々子の呟くような声に、お姉さん気分で応える。
「今日はさ・・・一緒に・・・寝てくれる?」
「斗詩も呼んで三人で寝よっか。そんで後から麗羽様に伝えて羨ましがらせちまえ」
「うん・・・姉貴・・・」
もう、可愛いなコンチクショ~。
おまけ
「なあ、愛華さんどうしたんだ?」
両手を地に着き、頭を垂れる愛華さんを遠目に、あたしは蒲公英に尋ねた。なんか「あれは違う・・・騙された・・・あんなのは偽者・・・」ってぶつぶつ言ってる。
「あ~、お姉様、劉備軍の天の御使いの噂は知ってるよね?」
あ?あ~、あの一時期噂になったやつか。
「なんかすっごい輝き具合で御使い見に行ったんだけど・・・戻ってきたらこんなんなってた」
え~と、よく分かんないけど・・・
「基督(キリスト)教関連?」
「多分」
あ~、なんて言うかさ・・・
「「宗教って大変だな(よね)」」
後書き
最近梅雨らしい天気になってきたと思う今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか?どうも、郭尭です。
いよいよ次回で汜水関戦です。今回、意図的に出番がなかった面子がいますが、忘れた訳ではありません。ちゃんと理由があります。
と言うわけで、愛華さんがorzりました。キリスト教的の御使いと現実(一刀)の差がショックだったのでしょう。
それでは今回はここまで、また次回お会いしましょう。