人間割かし下らない事でも、他人に殺意を覚える事がある。
現代社会でよく切れ易い若者がどうたらこうたら言われるが、あたしは自分は別にそのカテゴリーに入ると言う自覚はなかった。少なくとも人並みには忍耐力はある心算だった。だったんだが・・・
「・・・そも、董卓の横暴を止める事も出来ずに、おめおめと都を逃げ出した本初殿に、此度の軍の統率者に相応しくないと考えます」
有象無象を含め、結構人が揃ってきた反董卓連合。その盟主を決める会議で、厭味ったらしく演説ぶっこいてる鯰髭のどてっぱらに一発ぶちかましたやりたくて仕方なかった。
結局、この日の会議で盟主が決まる事はなかった。誰を盟主にするか、妥当な落としどころが見つからなかった。
この日の会議はこの反董卓連合が本格的に動き出すために、明確なトップを決める為のものだった。あたしとしてはこの時点で最も兵力が多い事、檄文を送りこの連合を興したこと、そして馬軍と孫軍の諍いを仲裁した実績を根拠に麗羽様を盟主に押し上げようと思っていた。
尚この会議には、各勢力の代表と、一人だけ供をつけることが許されている(天幕の面積と警備の限界から)。
これ自体は随分前から決まっていた方針だったので麗羽様も承知している。まあ、麗羽様自身は盟主である事に固執していないようだったが、軍の規模を考えると、何か諍いが起きた際に多少強引にでも素早くそれを沈められるのは自分が最適だと考えたようだ。
正直この時点で一番注意しなきゃならんのは公路様たちだと思っていた。麗羽様には公路様に対して負い目がある。妹様に強く出られたら対抗できないと思っていたし、今でも思っている。
だが向こうに何か思惑があるのか、盟主の座を欲する動きはなかった。やらかしてくれたのは全くのノーチェックの相手だった。孔融、朝廷内の麗羽様の政敵。他のビックネームに埋もれて(孔融も本来ビックネームなんだが)全く注意をしていなかった。正直に言えば公路様と孟徳さんくらいしか警戒してなかった。
伯珪さんはあのお人好し具合は寧ろこっちが不安になるくらいだし、孟起さんは孫軍と諍いを起こしたという瑕がある。伯符さんは更に立場が悪い。孟起さんと同様の瑕に、公路様の下に付けられているという事実。それに今彼女が、万が一にもこの連合の盟主になれば、この戦が終わって直ぐに孫家が滅びる事になる。それが読めない程度の人物ではないだろうし。
政治家が自分の政敵の行動を邪魔すると言う行為が読めなかった訳じゃない。同時に読み切れなかったのは孔融の能力でもない。儒の影響力の強さだった。
孔融がやった事は、宮中にいながら董卓の政権奪取を止められなかった、などの麗羽様の失点を幾つか指摘した事だった。ただそれだけ。何か代案があるかと言えばそうでもない。純粋に麗羽様の邪魔をしているだけのようだった。
そしてそれに異を唱えたのは孟起さんと伯珪さんの二人だけ。政治に聡いとは言い辛い人たちだけだった。
他の連中が孔融の言う事に反対し辛いのは分かる。あたしも内政に携わって痛いほど思い知らされた。儒者を無視して政治は難しい。何故なら都市と言える規模の場所の有力者はかなりの割合で儒者なのだ。故に何かしらの政策、特に地方の開発とかの場合、そいつらへの使者はある程度儒学を嗜んでいないと印象が悪くなる。学校の勉強と同じだ。殆どの人間は好きではないけど、やらざるを得ない。
心より儒学を好んでいる人間がどれだけいるか知らないが、兎に角儒が行政に無視できないレベルの影響力を持っているのは事実なのだ。
故に、会議に集まった有象無象は古の聖人の末裔、孔融の主張に異を唱える事ができない。血統を重んじる儒に於いて、儒の開祖の血統にいちゃもんつければ、今後の政に関わるからだ。少なくとも、あたしがそいつらの立場なら(追従はせずとも)対立は避ける。
今回、麗羽様の盟主就任に賛同を示してくれたのは孟起さんと伯珪さんの二勢力だけ。
この二勢力は勢力圏内の儒教勢力が弱い事もあり、余りそっちに気をまわす必要がないことが大きかったのだろう。・・・言っちゃ悪いけどあの二人がそういうことを計算積みで発言したとは想像し辛いんだよな。まあ、孟起さんは騒ぎを起こした負い目も有ったかもだけど。
対してもう騒ぎを起こしたもう片方の伯符さんたちが沈黙を保っていたのはまあ、予想の範囲内だった。いかな負い目があろうと、云わば雇い主みたいな立場にある公路様の後継争いの相手に味方は出来ないだろうし。
孟徳さんたちは終始沈黙していたが、それが返って不気味だった。麗羽様への態度を見る限り、敵対する行動はなさそうだが、相手が相手だから安心できない。
・・・あったま痛ぇ・・・
なので鯰髭の夕飯に一服盛って来ました。遅効性の下剤を。今宵は眠れぬ夜を過ごせ。胃腸が強ければ明日の朝には治まるだろう。
「あれ?姉貴、どっか行ってたの?」
ちょっと邪魔な味方の陣営からスニーキングを終えて戻ってきたところで猪々子と会った。
「ん、ちょっとこれからの仕事の下拵えって言うかね?」
「諜報か何か?」
「そんなとこ」
多分孔融は明日の会議には出れないだろう。腹を下して。それにしてもざるな警備だった。自陣の警護は各個に委任しているが、簡単に潜入できすぎて逆に不安になったぞ。
そのまま猪々子たちと夕食を摂りに行き、そのまま談笑(半分は仕事の愚痴)になる。こういう仕事では、食事の時間が安定しない事もあり、二人で一緒に食事したのは久しぶりだった。
その晩、公路様のところの義姉上から秘密裏に話したいことがあると言う旨の伝言を受け取った。伝えて来たのは元々父上の部下だった人物だったのを覚えていた。そう言えば父上の細作衆を継いだのは義姉上の御父上だったのを思い出した。
一応、万が一の事を考えて双子に公路様の陣営に行く事、何もなければ誰にも伝えないように言って、義姉上の元に向かった。
「失礼、お呼びですか?義姉上」
公路様の陣営にて、衛兵に案内された天幕に入る。
「はい、お姉ちゃんがお呼びですよ」
二人分の杯と小さな鼎が置かれた机の横で義姉上が椅子に座って待っていた。あたしが」用件を聞くと、まずは一杯といった感じで酒を勧めてくる。
まあ、断る理由もなかったので進められた席に座り、杯を受け取り、柄杓で酒をよそいでもらう。そして会釈してからそれを呑もうとし、口元まで近づけた杯を投げつけた。
「危ないですねぇ」
本気ではなかったにしろ、義姉上は一応は当てる心算で投げた杯を危なげなく避ける。
「どういうお心算ですか?義姉上」
人の酒に盛りやがった。酒自体は義姉上も同じものを飲んでいるから杯に仕込んだんだろう。それもガチで人が死ぬようなヤツだ。それにこの人・・・思っていたより体術が出来ている。今まで会った時に見せていた素人くさい足運びは擬態だった?
「ちょっとしたお茶目ですよ。本当に飲んでたら寧ろ私が困ってたんですよ?」
わざと匂いで分かり易いのを使いましたし、とムカつく笑顔を向けてくる。
「ちょっとした試験のようなものですよ。これに気付かなかったら手を組むのも嫌ですし」
手を組む、ね。
「では、本題に入って頂けますか?」
この人の前はイラつく。どうにも冷静でい辛い。毒を仕込まれたせいか、麗羽様の政敵だからか。多分両方。
「そうですね。儁乂ちゃん、確か洛陽の協力者と連絡がつかないって言ってましたよね」
義姉上は父上の育てた細作衆を引きついている。その力を使えば洛陽への潜入を果たし、協力者と連絡を付けることも可能ではないかと提案してきた。
「何の心算ですか?」
思わずそう尋ねていた。
「あれ?悪い話ではないと思いますけど?」
惚けるように首を傾げる義姉上。
「それで貴女に・・・もとい貴女たちにどんな利があると」
こっちにとっては願ってもないことだが、向こうからそれを提案してくる理由が見えない。貸しを作るにしても、こっちから頼みに来るのを待った方が効果がありそうなものを。
「儁乂ちゃん、忘れているみたいですけど、董卓さんは美羽様にとっても討つべき仇なんですよ?」
七乃視点
「分かりました。仔細は後日またお会いするとして、ご助力に感謝いたします」
この話し合いは、私の提案を儁乂ちゃんが受け入れる形で成立した、と言うことで良いでしょう。
「いえ、こちらにとっても意味のあることですから。尤も儁乂ちゃんは信用していないようですけど」
わざと煽った事もありますが、多分決まった部分に火を点けられると自分を押さえられない人ですね。表情は取り繕っていますが、ぎこちなさが目立ちます。儁乂ちゃんのお父さん、どうやら亡くなるのが早すぎたみたいですね。
「当然です。相手を信用するには、あたしたちの間には色々とあり過ぎます」
確かにそうですね。お互いの主、立場、色々と。
「兎に角、儁乂ちゃんたちは洛陽内との連絡手段が欲しい。私たちはそれを持っていますけど、洛陽内に協力者がいない。利害の一致は、信用できるものですよ」
少なくともそれがづれるまでは。
「信用しますよ。何時裏切られても構わない程度には」
正直ですね。相手を苛立たせるために貼り付けている表情が本物の苦笑いに変わるのが自覚できてしまいますよ。相手に乗せられると、思っていたより脆い部分もありますし。
「今回のことはここまでにしましょう。麗羽様たちにも報告しなくちゃいけませんので」
そう言って席を立つ儁乂ちゃん。
「出来れば口頭でもいいから、協力者を教えて欲しいんですけど。行動は早くて損をしませんから」
「必要ないでしょう?父上の手を離れてからの新入りですか?書簡を写す際は、細工がされていないかよく確認するように言った方が良いですよ、義姉上」
にっこりと、微塵も笑っていない笑顔を残して儁乂ちゃんは帰って行きました。
儁乂ちゃんが帰って、直ぐに一人の男性が天幕に入ってきました。
「交渉は纏まりましたか?」
「ええ、予定通りに」
入ってきたのは細作衆の一人。先々代、つまり儁乂ちゃんのお父さんの代の頃からの古参の一人です。優秀な人はその世代に集中しているんですけど、儁乂ちゃんのお父さんは一体どれほどすごい人だったんですかね。
「明日の会議で多分袁紹さんが盟主就任が決まると思います。一応ずれ込む可能性もあるので、結果が出てから洛陽に向かってください。鄭泰(テイタイ)さんに渡す資料、これも追加してくださいね」
私は懐に入れていた、内応者の表の写しを渡して、男性に戻ってもらいました。
美羽様の利害と袁紹さんの利害が一致する限り、私から袁紹さんを切る気はありませんけど、全部を教える理由もないんですよね。ちゃんといるんですよ。私たちにも協力者は。尤も、儁乂ちゃんの場合、薄々感ずいているかも知れませんが。
ただ、儁乂ちゃんの場合、今回の一件の黒幕の存在には気付いていないようですね。天運と呼ぶにしても董卓さんに都合の良すぎる事態の変遷。後ろで糸を引いているのは誰なのか。今の時点では分かりませんが、美羽様を泣かせた罪は重いですよ。
盟主の件も、袁紹さんが最良でしょうし、孔融さんの弁舌も、最終的に兵家の現実に勝てる訳がありませんし、曹操さんが動けば多分直ぐに決まりそうですしね。私たちは地元が儒家の巣窟みたいな場所ですから助けてあげられませんけど。
まあ、今回の交渉は、この戦に勝った際に安全に手に入る功績が確約された訳なので、満足して良いでしょう。袁家の最大の武器は名声ですからね。これは磨き上げておきませんと。
唯一つ困った事がありますが。
「この天幕、あくまで会談用の物ですからね」
自分の天幕は別にあるのですが・・・
「儁乂ちゃんの最後の笑顔は怖かったですね」
腰が抜けて自分の天幕に帰れません。そろそろ、美羽様が蜂蜜水を欲しがる時間でしょうし、本当に困りました。
黒羽視点
「やってくれやがる」
義姉上、何を企んでいる?表向きは良い事尽くめの交渉。それが返って苛立ちを増やす。狙いが何なのかは分からないが、少なくともほぼ向こうの思惑通りに決着したのは間違いないだろう。
「・・・仕方ない。孟徳さんたちにも伝えるべきか」
兎に角、推測するにも判断材料が足りない。いや、最終的な方向性は想像がつく。けどそれに辿り着くための絵はどんなだ?
いや、落ち着けよあたし。どちらにしても今の段階じゃ何も見えないんだ。今はあちら側の力をどう使うかだ。その為にもあの鯰髭を出し抜く必要がある。まあ、やってやるよあの鯰髭の土俵でよ。儒学はあたしだって嗜んでる。そっちで押し込んでやる。考やら忠やら、訴えられるものはあるんだ。
兎に角、麗羽様にはこの連合の盟主、こなしてもらわなきゃならん。
元皓様に言われた先を見据えた戦。あたしが目指すは袁本初が諸侯を率いて逆賊董卓を誅ったという形だ。あくまで麗羽様が中心になったという形に拘らなければいけない。袁家の最大の武器は代々築き上げてきた名声、これを磨き上げる事が、この戦のもう一つの目的だから。
後書き
相も変わらず気候の安定しない今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか?どうも、郭尭です。
という訳で久しぶりの更新です。お待ちしてくださった方にはお詫びの言葉もありません。どうももう一つのSSが筆がのってそっちにいってました。
今回は主に従姉妹同士の密談です。七乃はこのSSではこんなキャラになりましたがどうでしょうか?原作みたいな馬鹿は些か難しいです。思った以上有能なキャラになっちゃった気がします。
さて、群英会編もそろそろクライマックスです。皆様お待ち兼ねの劉備一行とち○この登場も迫っています。
それでは今回はここまで、また次回お会いしましょう。