鉄と鉄がぶつかり合う音、火花、衝撃。その全てが私の感情を昂ぶらせてくれる。例え全力を傾けた命のやり取りでなくとも、強き戦人との手合わせは心躍らせるものがある。
ぶつかる相手の得物は私と同じ大斧、だが私のものより巨大な諸刃の大斧である。私でも辛うじて扱えない事もない、と言う重量を目の前の女は片手で振り回している。それも片手に一本づつだ。
「・・・くっ、相変わらず馬鹿力なっ・・・」
片手でありながら、私の力を凌駕する一撃を捌きつつ反撃を試みる。だが両手に得物を持っているため隙が小さく、ほとんど攻め込むことができないでいる。本来は苛立ちと共に心地良い昂揚を与えてくれる筈のこの状況は、だが私は苛立ちだけしか感じなかった。何故なら・・・
「ひゃぁ・・・ひっ・・・きゃっ・・・」
「ええい!気が散る!もう少し真剣に戦えないのか!」
こうも見事な戦いを見せてくれている相手がこうも情けない声を出しているとこっちが情けなってくるぞ!
「そんなこと言われてもぅ、怖いんですからどうしようもないですよぅ」
二振りの大斧を振り回していた少女は涙目でそう反論した。
彼女の名は徐晃、字は公明。涼州刺史、張奐殿の秘蔵っ子であり、武人出身である張奐殿の愛弟子でもある。
私と同じほどの背格好で、腰まである栗毛の長髪を三つ編みにした少女だ。黒い服の上に白い布をあしらった独特な衣服を着込み、両手両足をぶ厚い鉄鋼の防具で守っている。顔立ちは私より年下に見え、若干雀斑がある。その容姿は雨が太鼓判を押しているから良い方なのかも知れない(私にも押されている分疑わしくも有る)。
正直彼女の武の才はまさに天賦のそれである。もし彼女が全力で攻めに転じれば、今の私では確実に負けるだろう。だからこそ、今の彼女に苛立ちを感じてしまう。こいつは臆病に過ぎる。それに気の抜けた悲鳴が余計に神経を逆撫でる。
「か~ゆちゃん、そこら辺にしときなよ。あんまり苛めるとじょこたん泣いちゃうよ?」
地面に座って私たちの組み打ちを見ていた雨が声を掛けてきた。
「そうは言ってもだな、これほどの才が目の前で無駄になっているんだぞ?武人としてこれほど口惜しいことはないぞ!」
「まあ、言いたいことは分るけどさ、結局他人のことだし無理強いは良くないって」
むう、そう言われるとその通りかも知れないが・・・
「えとぉ、すみません、でもどうしても怖くてぇ・・・」
徐晃は震えながら謝ってくる。ええい、そんな涙目をされたらまるで私が虐めていたみたいじゃないか。
「いや、興奮した私が悪かった。勿体無さ過ぎると思ってしまってな・・・」
些か身勝手ではあるが、彼女と全力で稽古が出来れば、我が武も大いに磨かれるだろうと思うとな。まあ、その場合「全力の稽古」でなく「本気の殺し合い」にならない保障はないのだが・・・
「かゆちゃんもじょこたんも充分だと思うけどね、そんだけ強けりゃ。それに・・・」
雨は立ち上がると素早く徐晃の胸に抱きついた
「ひゃあっ!」
「雨ちゃんとしちゃぁ、かゆちゃんに次ぐこの美乳が傷付かないか心配で。この、でか過ぎず、小さ過ぎずの程良い心地良さが・・・」
雨は自分の顔を徐晃の胸に擦り付ける。徐晃は驚きの声を挙げ、その際に両手の小野が放り捨てられってぬお!?放り捨てられた斧が顔を目掛けて飛んで来て、咄嗟に倒れ込む様にそれを避ける。
「危ないだろっ、雨!」
危うく頭をかち割られる所だった私は、後ろから雨の両肘辺りを掴んで徐晃から引き剥がす。
「お、おおう・・・」
そして上半身を雨の両腕を掴んだまま体ごと反転させ、私の背の下に雨の頭が来る体制になる。
「ちょっ、かゆちゃん!これは駄目だよ!この技、受身がとれ・・・!」
そして背中から倒れ込み、雨の顔面を地面に叩き付ける。私は起き上がると立ち上がって雨の体が痙攣して、立ち上がれない事を確認すると徐晃に向き直る。徐晃は両腕で胸を押さえて座り込んでしまっている。
「こっちも成長せんな、お前は。雨が近付いて来たら悪戯を警戒しろ」
徐晃も雨のこういう悪戯を受けるのは初めてではないと言うのに。彼女に手を貸して引き起こす。
「そうは言われましてもぅ、友達ですしぃ・・・」
全く、こいつのこの性情は端から見ていると一人にしたらどうなるかと、不安にもなる。どんな稚拙な嘘にも騙されそうに思う。
それから暫く、他愛のない会話を続けたが、その後張奐殿から使いが現れて来た。
私と徐晃が屋敷の評定の間に着き、そこには張奐殿と張済様、そして見知らぬ小柄な少女が二人いた。
「華雄、招聘に依って参上いたしました」
「えっと、お師匠様、何か御用でしょうか?」
私たちは張奐殿に挨拶をし、部屋に入る。
「うむ、急に伝えねばならん事ができてな。時に張繍はどうした。一緒でなかったのか?」
張奐殿は非常に高い身の丈で、隆々と膨らんだ筋肉が衣服の上からも見て取れる、白髪の偉丈夫である。私たちが生まれるよりも昔から、異民族等と戦い続けてきた歴戦の勇士である。今ではその顔や肌に多くの皺が刻まれているが、その一挙一動からは微塵の老いも見当たらない。
「いえ、今日はまだ雨を見ていません」
「ええ!?」
説明するのも面倒なので雨の事はしらを切ることにした。張済様はそれで逆に得心したようで、苦笑いを浮かべていた。
「ふむ・・・今日は侍女たちから苦情が来ておらんから、お前たちといると思って居ったが、珍しい事もあるものだ」
事情に気付いていない張奐殿は、まあ良いか、と呟くと改めて私たちに向き直った。
「実はちょいと急な所用が出来てな。洛陽に向かう事になった」
と言うことは徐晃も着いていくと言う事だろうか?いや、それにしても本当に急だな。
「もちろん公明、お前にも着いて来てもらう。明日には出るから今日中に仕度を終わらせろ」
「は、はいですっ」
徐晃の返事に頷く張奐殿。そして見知らぬ少女二人を前に出す。
「それで、俺が何時戻れるか分らないからな。俺がいない間の代理を彼女らに任せようと思ってな」
先ず前に立ったのは気の強そうな、眼鏡を掛けた緑の髪の少女だった。
「張奐殿から代理で軍政を預かる事になった賈駆よ。字は文和。よろしく頼むわ」
そして、その横にいた薄い紫の、気弱そうな少女が続く。
「政務で代理を務めさせていただく事になりました、董卓です。字は仲穎です」
ふむ、雨ではないが、彼女のようなのを俗にお嬢様と呼ぶのかな?ひらひらした衣服を纏っているが、それが良く似合っている。私や雨では単純に鬱陶しいとしか思えないだろうが。
「そう言う訳でね、暫くこの娘らが私たちのお上だ。覚えときな」
そう、張済様が話を締めた。復活した雨が現れたのは半日後だった。
「それにしても酷いよね、かゆちゃんは。儚げな美少女がいたんでしょ?気の強そうな眼鏡っ娘がいたんでしょ?どっちも美少女だったんでしょ?かゆちゃんのせいで堪能できなかったじゃ~ん」
次の日、事の顛末を張済様から聞いた雨はそう文句をたれた。寧ろいなくて良かったと思うぞ、その台詞を聞くと。どうやら私は結果的に彼女たちを救ったらしい。こいつの言う堪能なんて意味は一つしかないのだ。少なくとも私は二人の貞操を救った事になる。
「その言葉を聞くと自分のやった事に誇りが持てるな。それで、それだけ言うために来た訳ではないだろう?」
本来この時間、雨は騎兵の調練に参加している筈だ。それを他人に任せ、私のところに来ているということはそれなりの事情がある筈である。
「ん、いや・・・今回の代理の人たち、雨ちゃん会えなかったし、どんな人かなって」
以外だな、雨なら直接見に行くだろうと思ったが。
「流石に用もないとね。そこまで図々しくないよ」
どうやら雨なりに遠慮しているようだ。だがどうせそれも相手の姿を直接見ていないからだろう。あの二人のどちらかでも雨の好みだった場合、こんな遠慮はすぐに吹き飛ぶ。
「それとさ、結局張奐のおっさんの用も分ってないんでしょ?」
「そうだな。急ぎとしか・・・」
陽の内容までは知らされなかった事を伝えると、雨は何やらぶつぶつと呟き始めた。
「・・・と言うことは・・・政務より優先・・・多分私事じゃ・・・密指?・・・だったら首は・・・」
「どうした?何か気になることでも有ったか?」
よく聞こえなかったからそう聞いてみたら、雨は「多分かゆちゃんには難しすぎるから」と言われた。馬鹿にするな。
彼女が董卓と出会うのはこれから半月後の事だった。勿論それは私と張済様が会わせない様に仕組んでいた訳だった。
嵐視点
「そう・・・張奐が涼州を離れた・・・漸くねぇ・・・」
張奐、永く涼州を守り続けてきた英傑であり、同時に朝廷を盲信する老害。
能力は有る。人格者でもある。そして領民の生活を護り続けてきた実績もある。言葉にしてみれば領民の求める理想の官吏だ。だけど私から言わせればただの頑固爺だ。
今の漢王朝は腐り始めている。儒の思想を、私は理解出来ていない。だが、儒の思想として王朝や儒者が喧伝している部分は、弱者に苦しみを押し付けるものでしかない。
張奐は刺史としてそれなりに良くやっている。けれどそれだけだ。中央から送られてくる無能且つ強欲な官僚は増え、どれだけその不正を摘発しても湧いて出てくる。いい加減中央の意向など無視して涼州は自分たちの歩み方をが必要な時が来ている。異民族と、彼らと交わる私たち辺境の人間を蛮人としか認識しない中原の奴らに任せていては涼州が、いや、漢土全体が駄目になる。
無論張奐とて無能じゃない。涼州の為、手を打っている。けどその方法が頂けない。涼州に儒を広げる事で中原の思想の中での地位を上げる。異民族と交わる地を、異民族を蔑む教えで纏める事ができるとでも思っているのか?そりゃ、中央や自称識者の連中からの覚えは良くなるだろうが、領内にどれだけの異民族がいると思っているんだ。まあ、それが異民族と交わる事のなかった、軍人の限界なのかも知れない。
「確かなんだね?愛華」
この情報を持ってきたのは本来は範姉様の部下である愛華。異国の商人たちが持ち込んできた、耶蘇なる人物が説いたと言う教えの信徒である。その為、涼州内の異国人たちと多くの交流を持つ。涼州にいる異国人は通商人が多いため、その情報網を利用できることは戦略的に大きく、愛華はそれを利用できる稀有な人物なのだ。
「はい、お金が続く限りは信頼して良い相手からの情報です」
彼女は「大丈夫だ」と笑顔で示す。その無垢な表情の後ろでどれだけ計算高い思考があるのか。
「それにしても、貴女が姉様を裏切るなんて、誰も想像すらしないだろうねぇ」
「人聞きが悪いですね。敬虔なる神の使徒としての責務を優先しているだけです」
儒の普及は、漢人以外の民族を蛮人と蔑み、文化すら否定している。張奐の、儒の普及と言う方針に危機感を抱いている商人は少なくない。その為彼女のような人間等を通じてこの動きを妨害しようと動きもある。だがやはり張奐は大した人物だ。他の太守たちからの信頼も厚い。異民族との交流が乏しい郡の太守たちは張奐を支持し、その方針を用意に崩すことは叶わなかった。
結果、異国の商人たちは私たちと手を結ぶ事を選んだ。私たちのような、異民族との交流が盛んな地方では張奐の方針に異議を唱える者も少なくない。ある者は異民族との対立の深化を嫌い、ある者はその兵を不祥の器とする思想が軍の弱体化を招く事を嫌って、など。細かい理由に差こそあれ、私たちは領地を守るために儒を嫌った。
「それにしても、朝廷を嫌う嵐様が朝廷を利用するとは意外でした」
「使えるものなら使うだけさね。この件に出資してくれた商人たちに感謝していると伝えといておくれ」
今回、張奐が涼州を出た理由を、私は知っている。何せ私が仕組んだのだから。
朝廷内の連中が無為な権力闘争に明け暮れ、政務を鑑みていないことは市中の人間でも知っている事実。その方法には当然命の奪い合いも含まれている。だから皇帝の側に侍る宦官に、扱い易い刺客代わりになる人物を推薦してやった。
皇帝に程近いあいつ等は容易に密勅を偽造できる。ならば勅令に盲目的に尻尾を振る老犬は実に扱い易いだろうねぇ。齢も齢だから、急に「病死」したりしても不思議はないし。
その代わり、かなりの額の金をばら撒くことになってしまったけどね。商人連中の援助がなければ難しかったろうね。
「はい、彼らも喜ぶ事でしょう」
愛華は嬉しそうな笑顔を浮かべる。尤も、必要とあれば結構えげつない事を平気でやらかす彼女の性格を知っているこちらとしては、素直に綺麗だとは思えなかった。
「それでは、後はお任せいたしますが、本当に範様が朝廷に弓を引かせることができるのですか?」
やり方こそ違えど、範姉様も朝廷への忠義を重んじている。だから範姉様が自ら朝廷に弓引く事は確かに有り得ない。けれど別に範姉様に弓を引かせる必要はない。
「朝廷を動かせば良いのさ。本人の意思に関わらず、動かざるを得なくしてしまえば良い」
私たちが守り続けてきたこの西涼の地を中原の腐臭に塗れさせる訳にはいかない。範姉様が動きさえすれば涼州の風で大陸中の腐臭を払ってみせる。それだけの力がこの地に、この地に住まう我らにはある。
「見ていれば良いさ。もう朝廷の風は力を失っている。これからは力強い風を吹かせる我ら辺境の民の時代さ!」
さあ、もう一仕事終わらせれなくちゃねぇ。
後書き
北斗無双の発売が迫ってソワソワしている今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか?どうも、郭尭です。
と言う訳で久しぶりの華雄編です。まだ始動部分ですが、馬騰、韓遂の反乱へと向かっていきます。韓遂と鳳徳が暗躍し、愛されるべきおバカはどう動乱に巻き込まれていくか、お楽しみ頂ければ幸いです。
それでは今回はここまで、また次回お会いしましょう。