得物の戦斧を振り回す感触が、私は好きだ。屋敷の庭で愛用の長柄の戦斧、金剛爆斧の重さとその偏った重心による負荷を楽しみながら想像の中の戦場にて武を振るって行く。
「・・・ふっ!・・・はっ!」
自身の膂力と得物の重さによる勢いを強引に捻じ伏せてその軌道を変えていく。想像の中の敵を打ち倒していく理想の自分を思い描き、体をそれに追従させ、それに近づけていく。
「・・・っ!」
背後から唐突に突き付けられた殺気に反応して、振り向くと同時に眼前に戦斧の腹を構える。
強い衝撃と同時に金属同士の衝突音が響く。
「よっしゃ!かゆちゃん覚悟!」
後ろから射掛けられた矢を防ぐことには成功したが、その後に続く小さな影を防ぐことには失敗してしまった。
「くっ、やめろ雨(ユウ)!」
小さな影、それは私が上司の姪の雨だった。頭の両端で結った紺の髪は腰まで届き、幼い容貌が特徴的な人物である。私も人の事を言えないが、露出の多い衣服を好み、上などは端に羅紗をあしらった絹の反物を襷掛けの要領で斜めにした十の字になるように巻き付けただけである。この齢が十を超えた程度の容姿の彼女が、実は涼州に名を響かせる勇将、張繍その人であるとは誰に想像できようか。
「ぐぇへぅへぇ~、かゆちゃんの肌~」
「ひゃう!?」
私に跳びかかった雨は得物の弓を素早く腰に収めると同時に私の背後に回り込む。そして両腕で私の腰を拘束すると背中に頬擦りをし、思わず奇声を上げてしまった。
「え~、や~だよ~。もうちょっと触れ合おうぜ~。もういっそ邪魔なもん全部脱ぎ捨てちゃって、気持ちいい触れ合いしようぜ~」
私は、上下に別れ、それぞれ胸とへそ下に伸ばされた両手を掴んで止める。
「このっ、いい加減・・・にっ・・・」
雨の得意とする弓術で鍛え上げられた、その細腕からは想像もできない様な剛力を無理矢理に引き剥がしていく。
「・・・お、おう?」
彼女の両手首を掴んだまま万歳のような姿勢になる。その際、私のほうが大分背が高いため膝を折って腰を落とす。そして、
「しろぉぉぉ!」
両腕を離すと同時に、その開いた両腕で雨の頭を押さえてその顎を肩に固定する。同時に両足を投げ出して尻餅をつく形で、雨の顎に衝撃を伝える。
「ごぼぉっ!?」
顎を粉砕する勢いで与えられた衝撃は十二分に伝わったり、雨は後方に一回転して倒れる。
「・・・はぁ、はぁ・・・全く・・・どう言うつもりだ・・・ふぅ・・・」
乱れた息を整え、顎を押さえながらのた打ち回っている雨と距離をとる。
「ぬぉぉ・・・かゆちゃん・・・最近かゆちゃんの徒手空拳の技能が上がり過ぎてる気がするんだけど・・・」
「雨に何度羌族の技を使われていると思っているんだ。嫌でも覚えるさ」
この地、涼州をはじめとする辺境には異民族との交流と衝突がある。特に漢土にとって脅威となることも多い程の勢力のある民族を五胡と総称されている。この地はその中の羌族と胡族の交流が盛んであることもあり、雨は時折羌族の人間から彼らの技を学んできたりする。彼らの技は、と言うより五胡の徒手空拳は組み付く技が多く、それを駆使して私に対し・・・その・・・何と言うか・・・兎に角何度もいいように技を掛けられている内に、私もある程度覚えてきたと言うことだ。
「雨、いい加減お前のその性癖はどうにかならないのか?ここの侍女たちからも苦情が出てきているぞ」
雨は女に欲情する。まあ、それだけなら然程問題はない。他人に迷惑を掛けないのならば私もとやかく言わない。だが雨の場合、己の欲望を我慢すると言うことが滅多に無い。恐らく起きている時間の半分は本能のままに行動していると思う。さっきの様に女の肌に擦り寄ろうとしたり、胸や尻を触ろうとしたり、およそ色情魔としか呼べない人間だ。
「ん~、な~に~?もしかしてかゆちゃん焼きもち?だ~い丈夫だって、雨ちゃんの本気はかゆちゃんだけの物だって。他の人は遊びだから安心してってば」
多少は回復したらしく、立ち上がり服に付いた汚れを叩き落としている雨はそんな戯言をほざく。
「お~い、そこの仲の良いお二人さ~ん」
その時、掛けられた声は聞き慣れたものだった。
「張済殿」
「ち、これからあたし様とかゆちゃんの嬉し恥かし野外調教が始まるってのに。空気読めってこのババのぁ!」
現れたのは雨の叔母であり、私の上司である張済その人だった。
「誰がババアだ、チビスケ」
声を掛けられるより先に気付いていたらしい雨が文句を言う中、素早く近付いた張済殿が雨の顔面を片手で鷲掴んで持ち上げる。
「ぬわ~!顔が!割れる!凹む!放せ~!」
喚きながら雨は宙に浮いた両足をじたばたさせるが、それが彼女を助けることは無く、やがてぐったりと動かなくなった。張済殿は雨をそのまま担ぎ上げる。
「張奐様から使いが来た。北から胡族が入って来たらしい」
「分りました。兵たちを纏めてすぐに出立の準備をします」
張済殿は私と雨の保護者であると同時に上司でもある。張済殿は、涼州刺史である張奐殿の命で州内の城を転々としていた。
涼州は長らく異民族の脅威に晒されてきた。武威など、一部の重点的に守られている郡は馬騰や韓遂といった名の通った将帥が常駐しているが、他の郡は自衛するだけの能力を持った太守を持たない場合が多い。尤もその多くが太守の能力以上に、異民族たちが強いと言う事実があるが。そしてそういう郡を守るために危機に陥った城を回って戦うのが我ら張済軍なのである。
「ああ、頼むよ。さて、屋敷の荷物も纏めないとね。チビスケの部屋、頼めるかい」
「はい、雨の春画は全て処分しておきますので」
雨を担いで去っていく張済殿を見送り、私は先ずは自分の部屋の荷物を纏めることにした。
私の記憶は三年前から始まる。それより過去を持たず、自分が何者だったのかさえ知らない。
三年前、とある村が異民族の襲撃を受けて壊滅した。張済殿たちの部隊が村に辿り着いた時には既に村は焼かれ、動く影すらなかったと言う。
生存者の存在は絶望的と思っていたそうだが、勝手に村を探索していた雨が私を見つけたと言う。そして私の記憶は宿営する軍の天幕の床の上から始まった。
母上たちが私を助けたのは村を襲撃した異民族たちの情報を期待していたと言う。だが、自分の名前すら思い出せない私に寧ろ張済殿たちが困惑していたのを覚えている。
やがて張済殿の部下の一人が言った。私は実は村を襲った異民族の一味なのではないか、私の記憶のことはただの演技ではないのか、と。自身の素性すら分らないで、混乱している私はそれに反論するところまで気が回らなかった。記憶に関しては嘘はついていない。だが私が村を襲った異民族の一味であるという可能性は確かにあるのだ。
そんな中、それを否定したのは雨だった。根拠として挙げたのは倒れていた私が、見つけられていた時に手に握り締めていた得物だった。金剛爆斧。今でも使い続けている我が爪牙だ。異民族は馬上の戦を好む。そのせいか、斧のような重い武器を好まない。今思えば根拠にできるような理屈ではない。だが、私を拾ったのは雨だった。彼女なりに責任を感じてくれたのかも知れない。兎に角、彼女は私を助けてくれようとした。
結局私は雨の客人と言う扱いで、一時張済殿の軍に保護されることになった。
華雄という名もこの頃に見つけたものだ。金剛爆斧に銘と共に刻まれていたのを雨が見つけたもので、本当にこれが私の名前なのかは分らなかったが。
その後は紆余曲折あり、張済殿に軍の一員として迎え入れられて、やがて雨には真名を許された。だが私は彼女に真名を返していない。知らないのだから。張済殿には自分が親代わりとなって真名を着けようかと言われたが、断らせてもらった。私は記憶を探すことは半ば諦めている。手掛かりが有れば別だが、雨たちの側を離れたくなかった。私は自分の記憶が戻る事を待っている。
「おっ、見えて来た、見えて来た。思ってたより少ないな~。三千くらい?」
騎乗したまま駆ける私の両肩の上で、直立不動の姿勢で遠方を眺めている雨が、私の視界ではまだ捉えられない状況を口にした。私には辛うじて土煙しか分からないと言うのに。
雨は生まれつき目が常人離れして遠くまで見える。冗談なのか本気なのか自ら千里眼の生まれ変わりを自任している。それを生かす為によく斥候を務めることが多い。
「まだもちそうか?」
「ん、やっぱあいつら城攻め下手だね。それなりに余裕がありそうだ。あ、でも雨ちゃんたちだけで突っ込むの無しだからね。目で見れる分の情報はもう充分だと思うから戻って合流」
事前に釘を刺されてしまったか。
「無理はしない。何も奴らを蹴散らそうと思うほど無謀ではない。我が武と、ここにいる精鋭なら本隊が来るまで敵を撹乱することぐらいは・・・」
「充分無謀だって、かゆちゃん。雨ちゃん含めて十騎もいないんだから。それに情報は持って帰らないと」
雨は私の両肩に手を突いて一旦私の後ろに降りると、私たちに並走自分の馬の背に飛び移る。そして私の馬の手綱をひったくると馬の制御を奪っていった。こうなってしまえばもう兵は私の言う事を聞かん。先導されるがままに本隊へと向かって駆けていく。
本隊と合流し、漸く戻ってきた頃には敵は明らかに鈍いものだった。
「城攻めに慣れてないんだね、騎兵ばっかってのを差し引いても。多分漢土に出てきたばっかなんじゃない?」
異民族と長く戦っていると、城攻めでどれだけ部隊を疲弊させるかで、戦慣れしているか分ってくるらしい。初めて聞いた時、「異民族の目的は基本的に略奪だから、城を攻撃する場合は本腰入れずに脅迫するもんだ」と教えられた。正直そんなことせずに城門を破って略奪すれば手っ取り早いと言ったら何故か苦笑いが帰ってきたが。
「あの程度なら正面から突っ込んでも蹴散らせそうだな」
「んじゃ、かゆちゃん好みな感じにいく?」
戦い方は基本的に雨と張済殿が決める。私が何か言っても、何故か二人とも聞いてくれない。だが、話の流れからすれば私の好きな方向に行っているようだ。
「そうだな・・・お前ら二人で潰して来い。合わせて千で充分だろ」
「そうだね、あの程度の速さならそんなもんかな」
雨は馬の背に立ち上がって再度敵の動きを確認して頷く。
「んじゃ、かゆちゃん行こうか。こんだけ近付いても気付いてない相手だし、かゆちゃんには物足りないかもだけど」
「なに、私も曲がりなりにも武の頂を目指す者だ。駆け出しの賊徒に歯応えを感じるようでどうする」
そう、過去を失くした私にとって武に対する、この渇望だけが過去に繋がるものなのだ。
「先行する!」
馬の腹を蹴って駆け出す。その後に部下たちが付いてくる。一拍置いて雨たちも駆け始める。私たちは直進する。敵のど真ん中を突き抜けて敵を切断し、連携を断ち切り、そして薙ぎ払っていくのが私と言う将に求められているものだ。
漸く私たちの存在に気が付いた敵は焦りか、純粋に錬度が低いのか、とろとろと時間を掛けて軍の頭をこちらに向ける。そして真っ直ぐに私たちを呑み込まんと突進を駆けてくる。その早さは通常の漢人の毛兵のそれを軽く上回っている。馬が疲弊し始めているとは言え、騎手の騎乗技術、馬の資質、全てに置いて漢人のそれを上回っているだけはある。
だが奴らは失念していることがある。長く漢人と渡り合ったことのある奴らなら、絶対に忘れない事を。
「我が戦斧の剛撃!受けてみよ!」
敵の先頭の集団を薙ぎ払う。先駆けを失い集団全体が失速する。敵に驚愕が広がり、致命的な隙となる。突き進むままに戦斧を振るい、更に敵を薙ぎ払っていく。私の一振り一振りが正面から押し寄せる人馬の激流を断ち切り、道を創る。それを、私の後に続く精悍なる精鋭が広げてゆく。
広がっていた驚愕はやがて恐怖へと変質し、本来の動きを縛り付けてゆく。そして私たちにより大きな戦果を与えたる事になるのだ。
奴らが失念したこと。それはここが涼州であると言うことだ。確かに騎馬民族は強い。多くの場合、同数の異民族と漢人がぶつかり合えば漢人が負ける。だが!同時に、精強なる騎馬民族と戦い、生き残り、鍛え上げられ、漢人の限界を超え、騎馬民族の精鋭すら飲み込んでみせる兵が存在すると言う事を!
馬騰の軍勢然り、韓遂の軍勢然り、そして常に危急の戦場を巡り続けているこの張済殿の軍も然り。たがだか騎乗に優れているだけの匹夫共に梃子摺るような弱兵などいない!
「脆い!」
真正面を突き破り、反対側から突き抜けていく。敵は混乱しながらも、僅かに骨のある奴らが兵を纏めて会頭して追ってくる。その間に割り込むように、敵を迂回してきた雨の五百騎が駆けて来る。隊列の横腹を敵に晒す雨の部隊に、その柔らかい腹を食い破らんとする獣のように走り来る敵兵。だが彼らの爪牙が雨たちに届くことは無い。
雨の騎兵隊から無数の矢が放たれる。降り注ぐ矢の前に敵は完全に統率を失った。騎馬民族が馬で漢人に負けない要因の一つ、駆ける馬の背の上で矢を射る、この騎射という技能。漢人でも使える人間はいる。騎馬民族との度重なる戦の中で学び取ったこの技能。それも想定していなかったようだから本当に初犯なのだろう。だが、彼らの次の機会は与える積もりはない。雨たちが駆け去り、私たちは会頭し、再度敵の真っ只中を駆け巡る。もはや彼らには私たちに蹂躙される以外の結果など残ってなどいない。
後書き
恋姫の弓矢使い=年増のと言う流れに反逆してみた今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか。どうも、郭尭です。書きかけの時に4コマで秋蘭がそんな事を言っていたので吹いてしまいました。
オリキャラが考えてた通りのキャラになってくれません。司馬姉妹もそうですが書き始めると予定していたキャラと全然違う性格になるのは何ででしょう?
華雄メインの外伝ですが、本編のネタばれにならない程度に涼州の話を補填していく予定です。結構本編に無い複線とかもありますし。
取り敢えず今回はここまで、また次回。