麗羽様たちが・・・麗羽様たちだけが無事に渤海に帰還してからの二ヶ月間、あたしたちは慌しい時間を過ごしていた。
麗羽様たちは当時、何進と組んで宦官を排除する直前に何進を暗殺され、報復を口実に何進配下だった者を取り纏めてこれを攻撃。そこに曹操が加わっていなかった事を除いて大よそあたしの知る史実通りにことが進み、そしてそれは大よそあたしが知る通りの結果になった。
宦官との戦いで万が一連中が宮中の近衛を動かした場合の切り札として洛陽城外まで呼び出し、待機させていた董卓軍による政権掌握である。
史実の通りに幼い少帝を拉致して城外に逃げ出すことに成功した一部の宦官は、史実の通りに董卓軍と遭遇し、そして史実の通りに董卓軍に始末され、少帝は権勢を掌握する道具として利用された。
そう、史実の通りに。全てがあたしの知る史実の通りに。
権力を手に入れた董卓はその後少帝を排除し、その異母兄弟である陳留王劉協を帝位につけた。周囲にたいする一種の示威行為のようなものか、その真意は詳しくは分らないが連中が宮中の権力を完全に掌握したことだけは確かだった。
そして連中は次に軍事力の確保に乗り出した。移動距離による兵糧の問題などもあったのだろう、董卓の率いていた軍勢は当初さして大軍ではなかった。先ずは本来皇帝直属であるはずの近衛軍を宦官を処分した際に掌握。次いで執金吾である、元并州刺史丁原を暗殺しその軍勢五万を掌握。それも北方の異民族との戦いで鍛え上げられた并州の騎兵を含めた五万である。更に言えば呂布と張遼を含めた五万、と言えばその恐ろしさが想像できるだろう。
もののついでに何進の弟である何苗を殺して何進から引き付いた軍勢も手中に収め、洛陽の軍事力をもほぼ独占するに至った訳だそうだ。
無論麗羽様をはじめ、宮中の文武百官が何もしなかった訳ではない。だが皇帝を抑えられては無理矢理武力で対抗する訳にもいかず、政治的にも名目上は皇帝の勅令として出される董卓の命令に逆らうのも難しい。
そしてやはり史実の通り董卓支配下の軍による洛陽住民に対する略奪。流石にこれに関しては独自の兵力を持っている軍人が抵抗した。と言ってもその軍人たちの兵力もちゃんとした兵力ではない。町衆に武装させたりそういうのである。そんなので精強な董卓軍を止められる訳もなく、結果的に戦闘で民間人を含めた被害を増やすだけだっただろう。
兎に角そんな有様で洛陽城内の治安がどんな感じだったか想像できよう。そんな小競り合いが頻発する中、董卓軍の連中と町衆連中双方のフラストレーションが高まるのは想像に難くない。
被害が周陽様の元まで及んだのはある意味で当然の成り行きだったのだろう。
本来皇帝陛下のお膝元で兵を持つなんて不届き以外の何ものでもない。故に周陽様は自衛のための兵力すら持とうとしなかった。王朝の臣としては崇高かもしれないそのあり方は、だが貴族の屋敷に対してすら略奪の対象としか見ない連中には良く肥えた羊でしかなかった。
周陽様の屋敷が略奪に遭った知らせを受け、屋敷に直走った麗羽様が見たのは原形を留めぬ廃墟と、物言わぬお父上の亡骸だったそうだ。
その後、父親の仇と言う、董卓を殺そうとするこれ以上ない動機を手にしてしまった麗羽様は向こうに超危険人物として睨まれることになり、何とか知人の力を借りて洛陽を脱出したのだと言う。
麗羽様が戻って来てからは何とか持ち出すことが出来た周陽様のご遺体、その葬儀。それと並行して洛陽へ兵を動かす用意と諸侯に対し董卓討伐の檄文を送る。最初の返信が来たのは半月ちょっと。董卓の洛陽での暴虐が通商人を通じ、ある程度諸侯に伝わっているようである。
返信で董卓討伐に参加表明してくれた諸侯に集合地点などの連絡を行った。ただ涼州の馬騰からの返信で、やたら噂の真偽を確認する書状を寄越してきていたのに疑問を感じたが、それを余り気にしている余裕もなく自身の仕事に追われることになった。
今までの内容で察せられるかも知れないが、今回こう言った外交仕事にあたしも参加させられていた。どうにも最近あたしに任される仕事の内容が多彩すぎる気がする。幸いこっちに関してはあたしはスタッフの一人って扱いだし、軍の方は猪々子や斗詩たちが手伝ってくれているから何とかやれているが。
そして郡の守備に支障が出ない限りで集めた五万の兵で先に集合場所に指定した陳留の北(曹操の領地だがちゃんと許可を貰った)に宿営地を築いて諸侯の軍を待つ。この前後、あたしの部隊に漸く仕事らしい仕事を与えることが出来た。この設営作業に於いて群を抜いて高い作業効率を見せ、他の部隊の作業を手伝っていたりする。あたしとしては望んだ通りの感じに育っていると感じて多少の満足感を覚えている。尤もこれらの作業が注目されることは有り得ないから、彼らの有用性はまた別の部分で見せ付ける必要はあるが。
時にこの戦、未だ始まってはいない訳だがあたしの試練は始まっている。
麗羽様をはじめとした、あたしを含む袁紹軍遠征部隊の陣容は他に斗詩、猪々子、許攸、そしてプチスールたちである。本来纏め役である元皓様も沮授の兄さんもいない。そしてこの遠征軍に於いてあたしが与えられた役割は参軍。まあ、副官みたいなもんです。
正直、斗詩と猪々子、姉妹は良い。色々協力的だし。だが同様に頭の痛い問題もある。麗羽様はお父上を殺されて怒り心頭どころでないくらいお怒りだが、自身の立場を理解なさってくれている。人前では、以前と比べて感情を出すことが減っていたが、あたしや斗詩たちが暇を見つけては話をしたりしている。結構落ち着いているようだが、まだ他人がいない時に物に当たることがある。やはり相当ストレスが溜まってるな。けどこれは日に日に物に当たる頻度が減ってきているので麗羽様自身もある程度自分の中で折り合いをつけていっているのだろう。
次いで許攸。こいつが中々に小うるさい。どうにも色々と合わないのかも知れない。一応立場としてあたしが上だから従いはする。小言やら何やら付随するけど。優秀であるだけにこっちも文句が言い辛い。お陰で最近胃痛を感じることがありますよ。胃粘膜が削れてるようで。これが髪にいかないことだけを祈りますよ。一応今は女なんで。
唯一つ、他の諸侯の軍勢が来るまでは多少仕事に余裕があるということか。
・・・そう言えば劉備の軍勢は物資収集に手間取って遅めに着くらしい。まあ、平原だけでは集められる物資も兵もそれほど多くないだろう。
華琳視点
麗羽から董卓討伐の檄文を受け取って早二ヶ月近く。調練を増やし、軍備を充実させた軍勢を率いて合流地点に到着してみればそこには野営地と言うには整い過ぎた感のある陣容だった。奥には金糸仕立ての袁の字の牙門旗が見える。そして、少し離れた位置に調練を行っている部隊が見える。
「桂花、春蘭、麗羽に会いに行くわ、付いてきなさい。他の者はここで兵を休ませる。準備させなさい」
有能な腹心たちに指示を出し、私は数人の護衛を引き連れて麗羽の軍の野営地の入り口に向かう。そして野営地の出入り口まで差し掛かった所で見張り役であろう数人の兵を伴って、顔を隠した黒尽くめの奇妙な少女が現れた。
「裏亞は袁家が臣、張郃が義妹、司馬伯達という者です、と裏亞は自己紹介します。申し訳ありませんが、曹孟徳殿のご一行でよろしいでしょうか、と裏亞は確認します」
「ええ、私が曹孟徳よ。麗羽の元に案内して貰えるかしら」
「では、ご案内いたしますので馬をお預かりします、と裏亞は下馬を促します」
そう言って兵に指示を出す。ただその行動にはまるで相手に興味がないかのような、形だけの礼を取り繕っているだけに見え、且つ本人もそれを隠そうとしていないように見えた。ただ、相手を不快にさせるものを感じはしたが、表向きには極普通の対応だったのでそれを表に出すことはしなかった。
「ちょっと、貴女華琳様に無礼じゃない!」
「やめなさい、桂花。ここは麗羽の陣地よ。それに私たちがここに何をしに来たのを忘れないで」
司馬伯達と名乗った少女の行動の底に潜むそれを感じ取ったのか、それとも純粋に顔を晒さないことが気に障ったのか、声を荒げる我が軍師に自重を促し、馬を下りる。桂花と季衣の馬を含め全てを麗羽の兵に任せ、私たちは伯達に案内され麗羽の元に向かう。
「なあ、所でさっきは何が無礼だったのだ?」
「はあ?貴女本気で言ってるの?曲がりなりにも主の客人の前で顔を晒さないなんて」
「いや、単に顔に傷か何かで隠しているだけじゃないか?」
どうやら二人はこの少女の態度に気付かなかったようね。彼女は私たちを案内している間、私たちが引き連れてきた軍の人数や兵糧等の情報を聞いてきた。隠し立てする必要も感じなかったから正確に答えた。伯達はそれを竹簡に刻み込んでいく。今後の作戦の部隊の配置などを決める際の参考にでもするつもりのようね。
それにしても随分と装備を充実させているわね。兵の錬度は兎も角、その点では我が軍を超えている。それに麗羽が引き連れてきた軍勢は、見た所四万を超えている。たった一郡の領地しか持っていない麗羽にこれほどの軍勢を出せるだけの人口と生産力があるとはね。
民屯、予想以上の効果のようね。兗州でも軍屯は行わせているけれど、民屯は莫大な投資を必要とするため、今の私たちでは悔しいけどまだ実行できない。麗羽がこれを実行できたのは袁家本家からの潤沢な資金援助が有ったと言う側面もあるが、それを考案、実行できる部下を麗羽は手に入れているということ。・・・今私の元にいたとしても活かせないと言うのが癪ではあるけれど。
「それにしても・・・麗羽は領内ではさぞ慕われているのでしょうね」
「そうですね。地力の強化が目的でしょうが、袁紹が結果として私財を投じて民の生活を潤わせたと言うことでもありますから」
私の呟きに桂花がそう反してきた。その横では春蘭が「おお!」と何かに納得したような顔をしていた。
少し歩き、一際大きな天幕の前に着いた。金糸の袁の牙門旗が掲げられ、その周囲に同じく金糸仕立ての旗が立っている。文、顔、張の三つ、どれも心当たりが有った。黄巾の乱やそれ以前の異民族との戦いで名を馳せ、袁家の二枚看板と呼ばれた猛将、文醜と顔良。そして武名では二人に劣るものの、改良された屯田制度の発案人にして実行人、文武両道の賢臣として伝えられている張郃。
「本初さんは中です。こちらへ、と裏亞は促します」
促されて天幕に入る。腰掛に座り、地図を眺める旧友の姿がそこに有った。
「お久しぶりですわ、華琳さん」
「ええ、久しぶり。麗羽」
久方振りの麗羽の姿は記憶より僅かにやつれて見えた。
「周陽公のことは残念だったわね」
麗羽のやつれは父親を奪われたことが少なからず影響しているのだろう。お互い朝廷から官位を授かる頃には交流が少なくなっていたけれど、私も幼い頃は周陽公に多くのものを学んだ。尊敬に値する方だった。
周陽公の娘である麗羽は私の幼い頃の友人の中で比較的優秀な人物だ。ものを学ぶ早さはお世辞にも早いとは言えなかったが、彼女は努力をした。昨日は出来なかった事を、時には色々な人の教えを請いながらそれらを出来るようになっていった。そのあり方を好ましいと思った。だから・・・
「周陽公の仇、私も協力するわ」
それだけではない。この戦は私にとってこの乱れた天下を征する為の一歩である。だが、彼女の父の敵討ちに協力してあげたいと言う気持ちに嘘偽りはなかった。
「華琳さん、私たちの目的は洛陽の解放であり、漢王朝の救済ですわ」
そう、彼女が反してきたことに、私は彼女らしさを感じた。常に漢王朝の藩屏たらんと在り続けてきた彼女らしいと。
「でも、その気持ちがない訳ではないのでしょう?」
「・・・ええ・・・否定はしませんわ・・・」
返ってきた応えは力無く、僅かな自嘲が混ざっていた。
沮授視点
「不安か?」
「当然でしょう」
僕はここ暫く体調を崩して寝込んでいました。周陽様の凶報を知り、軍が動くと聞いた時には元皓さんが参軍として付いていくものだと思っていましたが、それを儁乂さんに押し付けて自分は後方に留まっていました。
「儁乂さんにはまだ早いと思いますよ。あの面子を纏め上げるには些か経験不足ではないですか?」
元皓さんがここに残った目的は分ります。だから心配になってしまうんです。
「それに今の儁乂さん自身も・・・」
「あれはまだ冷静じゃよ。周陽殿とは付き合いが左程濃いものではなかったのが幸いだったの。これで亡くなったのが本初殿やらだった場合、今頃一人で洛陽に潜り込んでおっただろうよ」
あ~、やりかねませんね、彼女なら。鄴での戦では単身黄巾の大軍に潜入するということまでやらかしたそうですし。しかも成功しちゃう姿が想像出来てしまいますし。
「性質が悪いのはあれなら成功させかねんということじゃな。生きて帰る事を考えねば、ではあるが」
そうですね。そういう意味では、周陽様と儁乂さんがそれほど会ったりすることが少なかったのは幸いだったのかもしれませんね。儁乂さんはまだ失うには早すぎる、少なくともお嬢様には必要な人ですし。
「・・・勝てると思いますか、今回の戦」
これが最重要。僕が思う分には負けは薄いと思うのですが。
「さあの。どの道ここで負ければ先は無いんじゃ。そろそろ儂らなしでも進んでもらわんとな」
或いは確かにその通りなのかも知れない。僕にも、元皓さんにも、残された時間は決して多くない。
「お主、労咳を患ったそうだな」
「ええ、最近医師にそう言われました」
診断されたのはお嬢様たちが出立した後、政務の最中に久しぶりに血を吐いてしまったんですよね。
「もう時間が無いのだ。儂らがあの子たちに教えを残す時間などな。既に無理矢理にでも自分の翼で飛ばさせるしかないのじゃ」
そうですね。もう本当に時間がなくなってしまったんですよね。あと十年は持つと思ってたんですけどね、よりにもよって労咳ですからねぇ。祈るより他にない現状が腹立たしく思えてなりません。
後書き
話題の映画、アバターのストーリーが意外と酷いと言う噂を聞いた今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか。どうも、郭尭です。
フェイト エクストラの発売が延期して微妙に凹んでいますが、まあエキプロの新作を楽しみに発売を待とうかと思います。
取り敢えず本編では華琳さんをはじめ、魏のキャラの一部が登場し出しました。でも今後続々と登場する面子を考えるとリアルに頭痛がします。人が多すぎだよ!取り敢えず汜水関まで結構時間が掛かりそうです。
本作では麗羽様がおバカでないので華琳さんとはこんな関係になりましたがどうでしょうか?原作に無いことが色々起きているので人間関係とか結構変わります。それを捌けるかが不安ではありますが、同時に一番書いてて楽しい部分でもあります。
それでは今回はここまで、また次回。