人間、仕事とかで偉くなりたいと思う人はどれだけいるだろうか?偉くなれば成る程、相応な責任と時間を代価に、金と所属する組織内での権力が手に入る。そのどちらも人間社会で生きていくに、大いに有用であり、特に金は常に一定以上持っていないと真っ当な生活も不可能である。故に、人はそれらを手に入れるために、時として罪を犯すことさえ厭わない場合もある。
だが忘れていけないのは、原則として金と権力は責任と時間と言う対価が必要だということである。まあ、相応の対価なしでも可能ではあるが、厭くまで真っ当な手段ではそれらの対価を払う必要があるのだ。
だが前世に於いてあたしは殊更出世したいと言う欲求はなかった。稼ぎが多くなることは嬉しいが、そのためにプライベートの時間を削る積もりにはなれず、生活と趣味に困らない程度の稼ぎで満足だった。故に・・・
「・・・沮授さんと猪々子を付けますから黒羽さん、南皮の相を任せますわ。期待しておりますわよ」
唐突に告げられた言葉に思わず口の中の蕎麦やら汁やらを噴出してしまっても、それは全てあたしの責任、と言う訳ではないと思いたい。
「ああ!目がっ!目が~!」
ついでに言えば麗羽様が両目を押さえて叫び続けているのもあたしの責任ではない、と思いたい。
「唐突ですね。それに何でまたあたしなんですか?」
何とか呼吸を整え、口元を拭いて問いかける。麗羽様の前でこんな醜態を晒してしまうほど不可解な、先の言葉の真意を聞く必要がある。
「何じゃ、出世の機ではないか。何が不満じゃ?」
「いえ、そう言う訳でなく、もっと適任がいる気がするんですが」
麗羽様の隣に座っている元皓様が問いかけ、それに答える。正直街などの経営に携わるのだからその道に詳しい人に任せるべきだろう。武将上がりの人間であるあたしには余り向いているとは思えない。
「何、公路殿との後継争いに於いての、これくらいのことは出来る若いのが必要になるじゃろうからの。それに、お主以上の適任もおるまいて」
元皓様の意図が分らず、思わず左右に侍っている妹二人の顔を見るが、素顔でもその感情を読み取れないあたしが、そのベール越しに彼女達の意思を読み取ることができる訳もなかった。兎に角、他の連中を推薦すべきだろう。沮授の兄さんとか審配とか、後ちょっと面倒そうだけど許攸とか。
「お主の認識には根本で間違いがある。儂や沮授の事を言っておるのだろうがの、儂らは本初殿の臣ではない。お父上である周陽殿の臣じゃ。この後継問題、周陽殿のお心一つで敵にも回りうる立場なのじゃぞ。儂らは厭くまで周陽殿の命でここにおるのだからな」
うわ、今の今まで気付いてなかった最悪な事実を認識させられた。そしたらその弟子であるあたしの立場ってどうあるべきなんだろう。正直麗羽様の敵に回って、猪々子たちと戦っている自分が想像できない。
「・・・何やら考えとるようじゃが、お主は儂の弟子ではあるが、本初殿の願いで受け入れたものである事を忘れるな。お主は儂の部下でもなければ周陽殿の臣でもないわ」
あ、そういう微妙な扱いだったんですね、あたし。あ、でも元皓様たちを敵に回すってのもな~。
「貴方たち、何時までも私のこと放置している気ですか!」
ここであたしのグリーンミスト(緑じゃないけど)から麗羽様が復帰。いえ、正直蕎麦汁にのた打ち回る主は見るに耐えないのです。まあ、犯人あたしですが。
「兎に角、そういう事情で南皮をお任せしたいのです。私の直臣で条件に見合うのが黒羽さんぐらいなのですわ」
どうやらあたしが選ばれたのには、消去法と言う側面があるようだ。猪々子と斗詩は余り政治の仕事には向かないことは本人たちも自覚していることである。そして能力的に向いている筈の許攸と審配だが、この二人が群臣の上に立つには些か新参が過ぎる、と言う訳である。正直自分が評価されているのか、微妙な感じで素直に喜べなかった。
「まあ、教育役として沮授を付けるのじゃ。そうそう問題も起こらんじゃろうし、お主なら仕事を覚えるまで左程時間を掛けんじゃろう。何よりこの上なく優秀な補佐も居ることじゃしな」
まあ、確かに沮授さんは(体調を崩さない限り)頼りになるし、うちの妹二人が優秀なのも否定する気はない。あれ?あたしでもいけそうな気が・・・してこないな、こんな豪華スタッフがいるのに何故だ?
「いや・・・やっぱ自信ないんであたしに関しては現状維持を希望したいんですが・・・」
「却下じゃ」
にべもなかった。
あの時、何故麗羽様があたしを性急にあたしを持ち上げようとしていた理由を理解したのはそれからさして時間が掛からなかった。朝廷の方で黄巾の乱に関する論功行賞の関係で麗羽様にも朝廷への帰還命令が出ていた。
麗羽様は自分が渤海に留まっている内に命令を下しておく必要があったと言うことらしい。兎にも角にもあたしは南皮の相の地位を与えられ、出世してしまったと言う訳である。
兎にも角にも、麗羽様は斗詩と許攸を伴い洛陽に向かい、元皓様は審配を伴い渤海にて太守代理の役職の遂行を再開した。
そしてあたしは慣れない、新しい仕事と、未だ途中だった自分の部隊の訓練などで目を回すことになった。何か大事な事を忘れている気がして、そのせいか嫌な予感を感じながらも仕事を続けていた、そんなある日のことだった。
「平原の相?そう言えばあそこも黄巾の乱で空位になってたっけ」
「はい、そこに朝廷から新しい役人が相に派遣されて来た、と裏禍は報告します」
「そしてその新任の相からお姉様への着任の挨拶の書簡が届いている、と裏亞は報告します」
平原は南皮に程近い城で、あたしは送られてきた書簡は純粋に挨拶を送ってきたか、あたしのバックにある袁家へのパイプを繋ぐのが目的か、と判断して二人の言った書簡を開けてみた。
・・・平原の相、劉備玄徳より・・・
眩暈を感じた。よりによって何でこう扱いが難しいのが来るんだよ。
劉備と言う人物の扱いは細心の注意が必要だろう。正史、演義、何れから見ても敵にも味方にもしたくない人物である。敵に回せば滅茶苦茶しぶとい、味方に付ければ利用し尽くされる、内部に取り込めば乗っ取られかねない、と言う印象だ。ただ、これは厭くまで本人に会ったことがなく、その実像を知らないと言う事実もある。一度会うなりしてみるべきかもしれない。ただ、天の御使いなんてのを称する奴を側に置いている件は警戒すべきか。
まあ、取り敢えず手紙を読む。その内容は要約するとこんな感じである。
初めまして、噂は聞いています。朱里ちゃんと雛里ちゃんを紹介して貰ったりもして御礼申し上げます。これから民衆のため、お互い頑張っていきましょう、と言う無難なものだった。
「この劉備って人の使者、どうしてんの?」
「手紙を渡すだけが仕事だったそうなので今日は部屋を宛がって休んでもらっている、と裏禍は答えます」
「無礼のない様丁重にもてなす様使用人たちには伝えている、と裏亞は補足します」
「そか。時間を見て返事の手紙を書くから、それまではこっちに留まるようにお願いして」
一応、今のところは友好的に接しておくのが良いだろう。今から敵対しておく必要はないし、今後どうするかはあたしが決めるべきことでもない。と言うの半分くらい言い訳かもしれない。劉備とその周辺の連中に手を出したら後が怖そうだと言う思ってもいるのも事実だし。少なくとも関羽と張飛がいる筈だし、朱里と雛里も敵に回したくない奴らだ。
「取り敢えず元皓様にも報告しておくからその積もりで頼むよ?」
「では可能な限り劉備の素行と経歴を調査させる、と裏禍は答えます」
「情報が集まり次第書簡に纏めます、と裏亞は補足します」
一を聞いて十まで理解するからこの娘たちの上司はやり易い。兎に角劉備の資料を纏め上げて、判断は上に任せよう。
後日、当たり障りない内容の返信を書き、元の政務に四苦八苦する日々に戻る。
部隊の訓練もある程度形になってきたし(猪々子が手伝ってくれたから戦闘関係の錬度向上が早まった)、床子弩改の試作品も一応の目処が立った。近い内にテストに移れるだろう。取り敢えず事務仕事によってあたしに掛かるストレス以外は概ね順調に地力の拡大を進めていった。
そしてあたしが自分なりに大奮闘していたこの頃、麗羽様は中央の腐敗をどうにかするために権力を得ようとしていたそうだ。現皇后の姉にして大将軍である何進の派閥の一員として朝廷内での立場を築き、押し上げていっている。
王朝の腐敗の根本は宦官と外戚の権力闘争なのだが、麗羽様の立場がやや外戚よりなのは、麗羽様が朝廷に出仕してからは宦官の横暴が目立つせいだろう。尤も麗羽様は周陽様がそうであろうとした様に、漢王朝の藩塀たらんとしている訳だから、せめて何進が悪い人物ではない事を願う。麗羽様の精神衛生と、知人と相争うと言うことがないように。
私室で洛陽からの麗羽様の手紙を読みながらそんな事を考えていた時だった。
いや、敵対無理だよ!何進死ぬじゃん!董卓が来て!
「裏禍!裏亞!直ぐに草(隠密)やれる奴、使えるのを選び出せ!」
悪い予感はこれだったのか?兎に角不味い。董卓が朝廷に来るまで後どれ位かは知らんが歴史に於いて麗羽様は上手く逃げ出している。心配がない訳ではないがまあ良い。問題はその後、反董卓連合結成時に洛陽にいた周陽様を含めた一族郎党皆殺しにされている。麗羽様のお父上でもあるし、あたしにとっても大恩ある方だ。殺されてしまうのが分っているのにそのままには出来ない。
兎に角そこからはちょっとしたパニックだった(主にあたしが)。周りにはあたしの言葉が余りに唐突でありその理由が把握できず、且つあたしもその理由が未来の知識だと言う訳にもいかず、である。
部屋が隣だった二人は直ぐにすっ飛んできて、騒ぎを聞きつけた猪々子も来ててんやわんや、ここ最近寝込んでいた沮授さんまで何事かと床から這い出してくる始末。そして本当の事を言うと、頭が可哀相な人扱いされかねないのでしどろもどろな、要領の得ないあたしの説明に、裏禍と裏亞は手紙を読んだ後に居眠りしたあたしがそう言う悪夢を見たんだと解釈、二人に子供をあやすかのように頭を抱かれる。そしてあたしの頭を奪うように慎ましやかな胸へと抱き寄せる猪々子。その際グキっとやな音がし、猛烈な痛みに襲われた。
兎に角この「原因あたし」な騒動は結局沮授の兄さんが貧血で倒れるまで続いた。
結局この日は何も出来ずに終わり、翌日董卓が新帝を擁立したと言う知らせが入った。
忘れると言うことは人間として当然のことではあるが、そのせいで後悔する事が人生で何度かあると思う。
急ぎ洛陽に人をやって数日、到着するまでまだ日にちがかかると言う頃だった。あたしと斗詩に渤海への緊急の召集命令が来た。詳細は分らないが兎に角急ぎとのことなので仕事の引継ぎを一応終わらせて斗詩と妹二人とで渤海に向かった。
そこで再会した麗羽様たちの姿に喜び以上に、嫌な何かを感じてしまった。
「お父様が殺されましたわ」
麗羽様の絞り出すような声に、あたしは体の末端から力と温度が同時に抜けていくような感じがした。
人は忘れる。もう二十年くらいも昔に見た本の内容。話の上では殆ど出番のない人物が死ぬと言う、話にしてみればそれだけのことである。でも、もしあたしがこれを覚えていたら、或いは周陽様を助けることが出来たんじゃないだろうか。
反董卓連合。あたしにとっては想像することも出来なかった始まり。あたしにとって、そして恐らく麗羽様にとっても私情の戦いという側面を持ってしまった戦争だった。
後書き
最近ベイブレードでもやってみようかなと思う今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか。どうも、郭尭です。
年末年始のごたごたで小説の時間がとれず、かなり遅れてしまいました。待ってくださってた方は申し訳ありませんでした。他の小説ももう少し遅れそうです。
取り敢えず序盤の目玉である反董卓連合です。原作キャラを上手く回せるか不安はありますが、皆さんに楽しんでいただけるよう頑張ります。
それではまた次回。