父上を殴ってしまったあの日から、父上はあたしに暇さえあれば穏行術や人体の急所などの話をしていた。無論一歳に満たない乳幼児相手に本気で教え込もうとしているわけではなく戯れなのだろうが、それが理解できるだけの自我を持っているあたしには良い暇つぶしとなり、同時に将来役立つであろう知識を溜め込むことの出来る有意義な時間だった。
あたし自身の生まれの都合上、戦場と無縁な人生は難しいだろうし。もっとも体が動かんので実践で練習できないのだが、これは自分の成長を待つしかあるまい。
2歳の頃、ようやくほとんどの行動を自分で操れるようになった。まだ座学だけだが、暗殺術も習い始めた。細作の本来の任務には必ず必要な技能ではないが、父上のように要人の護衛の任を受ける場合もあるので手口を知っているほうが良い場合がある。で、父上は本気であたしを本職の刺客にするつもりなのだろう、情報収集の技能は二の次でこっちを習っている。
後、我が張家に伝わる五禽戯(ごきんぎ)と言う名の武術のレクチャーも受け始めた。何でもこの武術には単純な体術だけでなく、なんと気を使って身体能力を一時的に底上げする術も含まれている。説明を聞き、訝しげな目線で父上を見ていたら実践してくれた。
部下の人たちに棒で叩かせてそれを折ったり、10秒くらいの間だけ牛を持ち上げたり。ただ、確かに凄かったのだが前世でテレビで似たようなの何度か見ているのでそれ程大きく反応はしなかった。その後で気落ちした父上が部下の人たちに慰められていた。
正直、かめ○め波的な技を見せて貰えればきっと少年の如く目を輝かせていただろう。でも家の流派にはないと言われた。多少がっかりしたが、「家の流派にはない」と言うことはきっと使える流派があるということで、いつかそんな技をリアルで見れる機会があるかもしれないと前向きに考えよう。
無論これら全てを父上から直接学んでいるわけではない。袁逢様の護衛の任で家にいるのは一年の内3割にも満たない。殆どは父上の部下の方たちから教わっている。
それと最近、偶に父上からマッサージみたいなのを受け始める。骨格とかの成長を確認しているらしく、あたしは普通の子より早く鍛錬に入れそうだと嬉しそうに言っていた。
そして4歳の頃に体術に先駆けて気による身体能力強化術の鍛錬を始めた。本格的に長時間使うのは体に負担を掛けるが、基礎的な部分ならそれほどではないので早めに始めようとのことらしい。
それから一年ほどたった頃に、初めて父上に連れられて洛陽にある袁家のお屋敷に連れて行かれることになった。袁家の本拠は豫州汝南郡にあるのだが、家督の袁逢(えんほう)様が朝廷の司徒と言う職についてるため、後漢王朝の都である洛陽に置かれた司徒府に訪問することになったわけである。
と言うわけで地獄のおめかしタイムである。銅鏡を見ながら母上に似た黒い長髪をポニテにする。最近目元が怜悧になってきてますます母上に似てきたと言うのは父上の言。将来は美人系に成長するだろうと。
服装に関してはエセ中華風といったところか。上は紅いタンクトップに似たもので、下は黒地のキュロットスカートっぽいもの。その上に黒い外套を羽織っているのだが、この外套のデザインが結構特殊だった。
まず袖が異様に広い。胸元で腕を組んでも膝下まで来る。次にボレロのように前が開いており、水平に付けられた二本のベルトで止めている。裾の高さは腹より上の位置までの短いものである。
将来胸が出てきたらベルトの間に胸が来るんだろうな。
この外套、元々家の細作が暗殺などのときに使うもので袖の内側に複数の内ポケットがある。ここに大量の暗器を携帯するためのものである。あたしはまだそういうのは習っていないので、一応護身用の短剣を二本隠している。
正直、父上や母上は可愛いだの何だのと囃し立てるのが恥ずかしくてたまらん。だが残念ながらあたしゃ女の子なのだ。少なくとも体は。
そんなこんなで馬車に揺られて1ヶ月くらい掛けて洛陽へ。
「お久しぶりです、周陽様。私が帰省している内にお変わりはなかったでしょうか」
おお、家では21世紀のヤンパパ的な態度の父上が畏まっている。ちなみに周陽というのは袁逢様の字だ。
そう言えば父上の仕事場での姿を見るのは始めてであるのに気付く。片膝を付いて頭をたれる父上の姿を見て、コレがこの時代の主従と言うものかと感じた。大河ドラマとかで見るのとは違う、一種の緊張感のようなものを感じた。
それにしてもこの日初めてお会いした、我が張家の主である袁逢様。金髪だった。
いや、それ自体はいいだろう。ここに来るまでの道中、ほぼ初めて実家の外に出たようなものなのだが、アニメ色の髪や瞳の人を見た。我が実家たる張家荘には黒髪しかいなかったし。遺伝子学やら何やら的に色々重大なことかも知れんがこの部分は敢えて触れない。正直驚き疲れたよ。服装とかも昔の絵画とかと違って妙に現代っぽいという部分も。
まあ、道中何度か驚きで声を上げてしまったが、外を知らないからと思われたのだろう、恥ずかしい程に微笑ましいものを見る目で見つめられてしまった。お供の方たちに。
もっとも外出したことなかったのはあたし本人の問題じゃなく、家が最寄の村まで馬で三刻(6時間)ほどかかるような場所にあるという、地理的な問題があるのだ。
話がそれた。問題の袁逢様。金髪が微妙にカールが掛かっている。口元に蓄えたお髭がダンディ。そしてアジア系人種として見た場合、異常に深い彫り。欧米か!と思わず突っこみそうになったが我慢した自分を褒めてやりたい。
どう見ても中国人違うよ、袁逢様。寧ろナイスミドルな英国紳士です。それでいて豪華な中国衣装が似合うのはどういうことか。
「君も変わりないようだな。その子が君の子かね?」
お、あたしの事か。
「おはつにおめにかかります、名は郃、真名は黒羽ともうします。じゃくはいものゆえ字はまだありません」
袖に両手が隠れるように手を組みお辞儀をする。組んだ手はお辞儀した際には額の高さだ。いつもと言葉遣いが違うが相手は父上の上司だ。無礼があってはまずい。何しろこの時代、主ってのは雇用だけでなく文字道理の意味で生殺与奪の権限を握られているようなものだ。
それにしても我ながらこの舌足らずな感じは恥ずかしいものである。
「ほう、随分礼儀正しいじゃないか」
掴みは成功したらしい。あたしを見て愉快そうに笑みを浮かべている。
「はっ、自慢の娘にございます」
対して父上も嬉しそうに返す。立ち上がった父上はあたしの頭を撫でてくれた。正直気恥ずかしいがここは空気を読んで黙って撫でられておく。笑顔でそれを見ていた袁逢様が、控えていた侍女にお菓子を持ってこさせてくれた。そして部屋の隅に置かれた席に案内されて、そこに座って二人の談話を大人しく見ていることにした。
暫くほのぼのとした談話が続いたが、やがてキナ臭い方向に話題が変わる。何でもここ数年朝廷の腐敗振りが凄い事になっているとのこと。
この時代、皇帝が立て続けに若くして崩御。10歳前後の皇帝を立てなければいけないという事態になる。酷い例だと生後100日ほどで皇帝になった者もいるくらいだ。そんな歳若い皇帝に政が出来るわけもないと言う訳で皇帝の奥さんである皇后の一族、即ち外戚が権力を握ることとなる。
皇帝が若いうちは、それはそれで問題ないかも知れない。だが皇帝が成長し権力を欲したとき、外戚がそれを嫌う場合が多い。当然である。せっかく手に入れた権力を易々と元の持ち主に返そうと思うような人格者は多くない。そこで皇帝は自分の味方が必要になる。
これが信頼できる忠臣ならば良かったのかも知れない。だが、皇帝たちが頼りにしたのは、幼い頃から後宮で自分たちを見守り続けてきた宦官たちだった。
皇帝に頼られ後宮で大きな権限を手に入れるに至った宦官たちは外戚たちと権力闘争を表面化。そのとばっちりで多くの忠臣、能臣が無実の罪を着せられたり、隠遁に追い込まれていった。
これらだけでも国家存亡の危機足り得るのだが、現在の皇帝陛下である霊帝陛下がとんでもないお馬鹿だった。なんと官位を、即ち国政を動かす権力を金で売り出したと言うのだ。三公の地位さえ買うことが可能になり、洛陽の宮廷の前には官位を売る市場さえできていると言う。
率直言ってありえねぇ・・・
で、袁逢様が仰るには、袁家は後漢王朝開祖、光武帝が兵を興す際その資金を提供した豪商出身の一族である。その功績と、後の子孫も比較的優秀だったこともあり代々皇帝に次いで高い地位である三公を輩出してきた。現家督である袁逢様も三公の一つに数えられる司徒の職に付いている訳だが、代々漢の碌を食む者としてこの状況をどうにかしたいと言うのだそうだ。
最近は官位を追われながらも尚王朝に忠誠心を持つ人たち(俗に言う清流派の人たちのことだと思う)と色々相談したりしているらしい。
正直こんなこと子供の前で言うなよと言いたい。そりゃ普通この歳の子共がそんな小難しい話を理解するなんてないんだろうが。重苦しい空気に癇癪起こすぞ。や、精神年齢的に無理なんだけどさ。
すっかりあたしと侍女さんの存在を忘れているらしく、沈痛な面持ちで父上と語る袁逢様。父上って護衛じゃなかったんですか?なんでこんなことの相談乗ってんですか。まあ、主のメンタルケアも仕事の内なんでしょうけど。
慣れた様子であたしの隣に静々と立っている侍女さんを見て、おそらく毎度のことなんだろうなと判断する。
あたしが重っ苦しい空気をお菓子一個で耐え、そろそろ何か部屋を出る言い訳を考えようとしてた時、救世主が現れた。
「お父さま~、お父さま~。お客さまですわよ~」
あたしと同じくらいの年頃かな?外から女の子の声が響いてきた。
その声に袁逢様と父上も重い会話を止める。
「おお、麗羽(れいは)か。父はこっちだ」
袁逢様は部屋の外まで出て声の主を迎える。父上があたしに手招きしながら袁逢様と共に出て行くので、あたしも付いていく。
「お父さま、曹巨高(そうきょこう)さまがいらっしゃいましたわよ~」
なんとやって来たのは金髪ドリル!?女の子二人と侍女数人を引き連れた金髪をお蝶夫人の如くクルクル巻きにした女の子。袁逢様をお父様と呼んでいるのだからこの子、袁紹とかの姉か妹か?まさか袁紹本人ということはないだろ。・・・自分と言う例がいるから断言できないが。
「麗羽、おいで。紹介しよう、張管家の娘さんだ」
管家(かんか)とは中国で、金持ちなどの屋敷の下働きなどを統率する職業を言う。中国版執事とでも言うべきもので、父上の表向きの身分である。
「はじめまして、名は郃、真名は黒羽ともうします」
女の子たちに対し、袁逢様に対してやったように挨拶する。
「あら、はじめまして。あなたがお父さまの言っていたあたらしい友達ですのね」
お嬢様だよ。見た目だけでなく喋り方までも。つか舌足らずな声でお嬢語。なんか新しい気がする。いや、あたしが知らないだけか?でもなんつうか、こう、イイね。
「わたくしの名前は袁紹(えんしょう)といいますの。真名は麗羽、麗羽でよろしいですわ」
袁紹だったよ。後の有力群雄の一人だよ。
「それじゃあ、私はお客に会いに行くから娘たちと一緒に遊んでおいで」
そう言って袁逢様はあたしらを侍女さんたちに任せると、父上を伴って行ってしまった。
さて、ここであたしは悩んだ。このお蝶婦人のような髪の袁紹、もとい麗羽様にどう接するべきか。家にはあたしのほかに子供がおらず、擬似ヒッキー一歩手前の生活を送ってきた。よって子供同士としての接し方なんぞ分る訳がない。
そうこう悩んでいると、麗羽様が一歩後ろに控えていた女の子二人を前に出て自己紹介するように促す。そういえば聞いてなかったな。麗羽様のインパクトが強すぎてちょっと注意が向かなかった。
「あの、私、名前は顔良(がんりょう)で、真名は斗詩(とし)といいます」
やや緊張した面持ちで挨拶してきたのは黒髪のおかっぱ頭の少女だった。どこにでもいるような素朴さを持った可愛らしい感じの女の子である。それにしても袁紹軍の二枚看板の片割れか。この時点でもう知り合ってたんだな。
その後ろに隠れるように黄緑の長髪の少女が立っている。如何にも気弱そうで、あたしを見る目が微妙に潤んでいるのは気のせいだと思いたい。
「文ちゃんも挨拶しないと。ほら、怖い人じゃなさそうだし」
怖がられていたのかい。麗羽様をはじめ、ここにいる面子の中では可愛いと言う程でもなかろうがまさか怖がれるとは。
顔良・・・斗詩さんに促されて女の子が前に出る。
「え、えと、私・・・文醜(ぶんしゅう)です。真名は猪々子(いいしぇ)と言います」
消え入りそうな声で名乗ったのはなんと袁紹軍二枚看板のもう片方だった。
これがあたしと、後に大陸有数の大勢力となる袁家の未来の中心人物たちとの出会いだった。あたしの張郃としての最初の友人たちであり、最初の主と仲間との出会い。この日、この瞬間、初めてあたしと言う要素が本当の意味で歴史の流れに組み込まれたのかもしれない。
このときを振り返り、そう感じたのは随分先のことだった。
後書き
どうも、投稿はこの作品が初めてになる郭尭です。この度は拙作を最後までご覧頂きありがとうございます。
ここ最近の恋姫SSの面白さと、予てからの三国志好きが高じてこのような作品を書き始めるにいたりました。
拙作の主人公は某・無双では「美しい」あの人に生まれ変った現代日本人です。「真・恋姫」本編開始までに原作武将たちと互角に戦えるような強さまで成長します。
あと、主人公の介入で、途中からかなり原作から離れた展開になる予定ですが、三国志ファンにニヤリとしてもらえる展開になる予定です。
また、本編開始前はオリキャラ分が若干高めですが、最終的にはメイン3人ほどで落ち着く予定です。
長々と書きましたが今回はこれまで。皆さんのご意見、ご感想などを励みに今後もがんばっていきたいと思います。それでは。
PS.魏の五将軍が勢揃いする所みたいって人ってどれくらいいるんですかね?