「な~にやってんのかな~、あたし」
馬の首に凭れ掛かるようにして、黒羽ちゃんは呟いた。その表情は見えないけど、私の表情は多分苦笑いだと思う。
「その内慣れるよ」
私たちは鄴を離れ、渤海に戻る道中だった。黒羽ちゃんと一緒にいた二人の女の子と別れてから暫くして、黒羽ちゃんはずっとこんな調子だった。
その後ろには五千ちょっとの南皮からの援兵。その殆どが南皮で行われた民屯で自分の土地を手に入れた人たちの次男三男とかだった。そして南皮の屯田を取り仕切ってる司馬姉妹が、その発案者の黒羽ちゃんの事を積極的に喧伝してたから、なんと言うか憧れと尊敬の入り混じった視線が黒羽ちゃんに集まっている。
・・・あれが張郃様か・・・
・・・俺らん家の土地ってあの人が・・・
・・・文官なのに黄巾の大軍と戦って・・・
・・・有り難や、有り難や・・・
妙にみんなの士気が高いと思ったけど、兵士の殆どが志願兵だからって訳だけじゃなかったみたいだね。あの姉妹が妙に色々吹き込んでたようだったし。
「いや、流石に土地公(中国の道祖神みたいなもの)みたく拝まれるのは慣れる気がしないし、慣れたら駄目な気がする。つうかそれはいいんだよ」
黒羽ちゃんは一旦起き上がってちらりと後ろの軍勢に目を向ける。溜め息を一つ吐くとまた馬の首に凭れ掛かる。馬が歩きにくそうだよ、黒羽ちゃん。
「でも、だったら何に悩んでるの?」
「何でだろ~な~」
そう言って黒羽ちゃんはもう一つ、溜め息を吐いた。
将来的に敵味方どちらになるか分らないあの二人に対して自分が、何故殺さなかったのだろうか。
あたしらが渤海に引き上げるのと、時を合わせて彼女らも鄴を出ることになった。そのときに別れの挨拶を交わすことになった。その際、あたしは女の子二人の旅はやはり危ないと、護衛の兵を貸す事を提案した。それに関して斗詩の了解も得ることが出来た。
「そんな、色々助けていただいたのにそこまで・・・」
「他人の好意は受けろよ。こっちだって君らには助けられた立場だ」
無論、純粋な好意ではない。色々考えた結果、あたしは未来の禍根に育ちかねない芽を摘むことにした。よって、適当なところで二人を始末するように命令するつもりでいた。
そのため、護衛の隊長格の男に声をかけた丁度その時だった。
「え、えと、張郃さん!」
「そ、そにょ、お願いが・・・」
話をする前だったので、兵士に待ってもらって二人の話を聞くことにした。
「えと、ちょ、張郃さんに、その、私たちの真名を預けたいんです」
そう言ったのは士元だった。その横で孔明も頷いている。ふむ?
「唐突だね。や、それだけ信頼されているってのは嬉しいけど、どうして?」
勧誘を受ける気が有るのなら分るが、それを断られたから、あたしらの関係は最早そこまで進行させるべきではないだろう。そういう理屈じゃないのだろうか?
「その、張郃さんが居なければ、もしかしたらここを出れなかったかも知れません。私たちが無事にここに居られるのは、半分は張郃さんのおかげだと思うんです」
「それに、一緒に戦って色々経験が詰めました。そして、教わったものもありました」
孔明の言葉に士元が続く。
「それに張郃さんの勇気には感服しました。もし張郃さんが直接敵陣に乗り込んだりしなければ、今回の策、実行は難しかったでしょう。そして一緒に戦ってきて思ったんです。貴女に真名を預けたいと」
孔明と士元が深々と頭を下げる。えと、どうしよう?ちっちゃい子にこんなこと言われちゃったよ。取り敢えずどうすればいいのか分らなくなったので斗詩に目を向ける。斗詩はなんかこう、いいもん見た、的な顔になっていた。こういう勝手に感動モードに入った人間は当てにならない。早々に見切りをつけてどうするか考えなくては。
「二人とも顔を上げてくれ。その、な。あたしでいいなら二人の真名を貰わせてもらうから」
後から考えてみれば、テンパっていたとは言え、簡単に他人の真名を受け取るなどと判断したのは配慮の足りない行動だった。だがこの時点でそこまで思考が行き着くほどの冷静さはあたしにはなかった。
「あ、はい!ありがとうございましゅ!・・・はわわ。噛んじゃった」
「あ、ありがとうございます」
顔を上げた二人の顔に浮かぶ嬉しそうな表情にちょっと罪悪感が生まれる。
「では改めて名乗らせていただきます。諸葛亮、字は孔明、真名は朱里です」
「私の姓は鳳、名は統、字は士元、真名は雛里です」
再び深く頭を下げ、例を取る二人にこっちも合わせる。
「ならあたしも真名を還させてもらいます。張郃、字は儁乂、真名は黒羽と申します」
こうしてあたしらは互いの真名を交換するに至った。その後、さっき呼び止めた護衛の兵がさっきの話を聞きに来たが、殺せと命じようとした時、何故か裏亞と裏禍が脳裏を過ぎった。結局彼には絶対無事に劉備の元に送り届けろとしか言えなかった。それどころかわざわざ二人を呼び止めて、劉備への紹介状まで出してしまったのだから頭が痛い。
ホント何しちゃってんの?あたし。めっちゃ涙目ですよ。つか今まで散々殺しをやってきてなんでこんな大事な時にこうなっちゃうのかねぇ。
「もう、黒羽ちゃん、何時までもそうしてると皆心配しちゃうよ?」
ぷうっと頬を脹らませる斗詩。さっきから的外れな慰めをかけてきてたけど、こいつが今の悩みを理解することはないんだろうな~。ここ数日の付き合いで知ったが、ほんと以前と変わらず良い娘なんだよな。暗殺なんて考え、頭を掠めることもないんだろうな~って感じで。
だがまあ、過ぎた事をグダグダ悩むのもまあ確かに不毛だよな。頭の痛い問題は取り敢えず脳の奥の方に追いやって考えないことにした。
「ところでさ、斗詩。あたしが鄴に押し込まれてた間、外はどうなってたんだ?いまいち今の情勢の情報が入ってこなかったからさ」
兎に角頭を使う話題がいいだろうと思い、斗詩に訪ねる。
「ん?いいよ。何が知りたい?」
そう言って聞くべきはまあ、将来的に色々大物になっている筈の連中だろうな。
先ずはここ冀州。今回の黄巾討伐で、麗羽さまが自ら帰還して指揮を執ったそうな。尤も、陣頭に立っていたけど、実務はここ最近体の調子が良いらしい沮授さんと、いつの間にか仕官していた審配さん、都で拾ってきたらしい許攸に任せていたそうだが。まあ、餅は餅屋だし、演義でのイメージはともかくこいつら実力はある面々なんだよな。この参謀陣と、前線は斗詩と猪々子が暴れる。名前を出すまでもない、というか史書にも個別の伝を立ててもらえないようなのに優秀な連中が多いんだよな、うち。まあ、魏が蜀と呉に大きく差をつけれた理由ってこういうレベルでの人材の層の差がも大きかったらしい。
結局蘆植の軍のこともあり、分散していた黄巾軍を難なく撃破したそうな。まあ、正直この時期に人材の質と量で袁家と並べるのは曹操でも無理だろ、時期的に。
で、その曹操のことだが、どうやら麗羽様の手紙に以前から出ていた華琳って人が曹操で正解だったらしい。この人は管轄である陳留周辺の黄巾賊を精力的に攻撃しているという。時の周辺の城の救援要請にも応えるなど、一軍で出せる程度の戦力で恐ろしいほどの戦果を挙げているらしい。
次に気になったのが劉備だが、斗詩が知った時点の情報だとまだ公孫賛の下についているらしい。それまでも結構戦功も立てているらしいし、世論も味方につけていると言う。まあ、自分らを守ってくれて、且つ今のところこれといって失策もない。後は個人的な好き嫌いしか嫌う理由はないな、今のところは。ついでに劉備もやっぱり女らしい。
で、ここで一番の問題は「天の御使い様」なんだが、これと言って目ぼしい情報はなかった。見たこともない奇妙な衣服を纏った男、と言うあまり役に立ちそうにない情報くらいだった。異民族かね?幽州に近くて、漢王朝と交流が少ない異民族及び国は・・・倭(日本)か?朝鮮系はそれなりに交流がある筈だし。
他のご近所さんは全体的に何とか踏みとどまっている、と言ったところか。例え大した戦力がない城でも、近くにチート級戦闘力を持った連中がいるから割と助けて貰えるようだ。
ただこれといった大物がいない青州と、意外にも并州が苦戦していると言う。
青州は仕方がないとして、并州の苦戦の要因は割と納得のいくものだった。対烏丸で活躍していた当時并州刺史の丁原と、その部下たちである呂布と張遼が中央に転属し、人材的な空白が発生していると言うことだそうだ。成る程、あの面々の穴を埋められる人材がそうそういて堪るか。
と、まあご近所連中はこんなもんである。他にも色々気になる連中はいるが、斗詩が把握している情報はこのくらいだった。
「って、ことは暫くは付近の城の救援が主な仕事になるか」
「多分ね。でも黒羽ちゃんはどうなんだろ?ずっと田豊様の弟子っていうだけだから、黒羽ちゃんの立場って結構曖昧なんだよね」
あれ、そうだったの?てっきり元皓様が適当なポジションにつけてくれてたのかと思ってたよ。
「だから殆どのお百姓さん、黒羽ちゃんのこと文官だって思ってるみたい」
おいおい、一応賊退治とかやってたぞ?あたし。それでも武将認識されてないってどんだけ知名度低かったんだよあたし。そりゃ、お手伝い程度の仕事ばっかだったかもだけどさ。
「んで、私事だけどさ、みんなどうしてる?麗羽様たちとか、家の妹らとか」
「あ、黒羽ちゃんほんとにあの二人を妹にしたんだ」
「やっぱり会ってたのか。まあ、どっちも長らく会ってないからな」
どっちのことも気になると言うのが正直なとこか。麗羽様や猪々子たちと最後に会ったのは父上の葬式の時の筈だが、色々精神的に参っていたのだろう、殆ど記憶がないのだ。だから時折手紙が届いていたとは言え、あたしの中の麗羽様は未だあの誇り高い少女であり、猪々子は気弱な少女のままなのだ。だから今の彼女たちと再会するのが楽しみであり、同時にある意味怖くもある。・・・斗詩は殆ど変わってなくて安心したが。
それに裏亞と裏禍の二人のこともある。今まで元皓様の屋敷ではあたし以外に心を開いてくれなかった二人である。あたしがいない間どうしているのか、何か有った時に助けてくれる人はいるのか、あの格好のせいで虐められていないか、双子であるのが原因でハブられたりとか・・・不安は尽きないのだ。
「ふ~ん、みんなの事、知りたい?」
「そりゃな、あたしにとっちゃ大事な人たちだから」
そう、今のあたしにとって、きっと一番大切なもの。だからまあ、気にならない訳がない。
「じゃ、教えてあげない」
「え、なんで?」
そこはお色々語りし出してくれるところじゃないの?
「私たちばっかりやきもきしてたんじゃずるいじゃない。ちょっとは意地悪しても罰は当たらないと思うな」
そう言って斗詩は可愛らしく舌を出す。え~、別にあたしが進んで心配かけるような行動とってた訳じゃないぞ。この旅だって元皓様の命令だし。
「ちょっと、斗詩、そりゃないって。あたしが何かした訳じゃないだろ?」
「それが余計に気に入らないの」
斗詩はそれだけ言って、結局渤海に着くまで皆の事を話してくれなかった。
「ですから!貴女のような、脳漿の代わりに筋肉が詰まっていそうな人間はお姉様の妹に相応しくない!と裏禍は考えます!」
「そもそもお姉様の傍に何年もいなかったような脳筋女がお姉様の妹と認められる訳がない!と裏亞は続きます!」
「うっさい!そもそもアタイは十年以上も前からアネキをアネキって呼んでんだ!あんたたちみたいなぽっと出にとやかく言われる筋合いはないんだっての!」
黄巾賊の討伐のために太守を拝命している渤海に帰還してもう二ヶ月近く過ぎています。久方ぶりにご無沙汰していた友人方に会えると思っていたというのに、一番長く会っていない友人は旅に出ていて未だ会えておりません。
やっと消息を掴んだのは一月ほど前、黒羽さん自身が書いた手紙が届けられた時でしたわ。急いで救援を手配して斗詩さんに向かってもらいましたけど、今考えればあの人選は失敗だったかもしれませんわ。
抑える人がいないと暴走しやすい猪々子さんよりは指揮官に向くと思っての人事でしたが、結果この目の前で行われている、黒羽さんと言う姉の争奪戦を仲裁する人がいなくなってしまいましたわ。
それはそうと、斗詩さんと黒羽さんたちが既に帰路についているという連絡も着ていますので、もうそろそろ渤海についても良いと思うのですが。ついでにここ数日の姉争奪戦が寄り激しくなっておりますわね。猪々子は表向きは快活な女の子ですが本質は甘えたがりといっていいでしょう。だから黒羽さんが戻ってきた際に思いっ切り甘える為に決着をつけて置きたいのでしょう。
まあ、斗詩がそうなったの昔の性格もあるでしょうが、半分くらいは甘えてくる相手を底無しに甘えさせる黒羽さんにも問題があると思います。本人にその自覚はないようでしょうけど。お陰で私も自重するのが大変でしたわ。
そして、顔を隠している司馬姉妹。そう言えば手紙で知っていましたけど、斗詩さんや猪々子さんには伝えるのを忘れていましたわね。お陰で猪々子さんとあの姉妹の出会いはとんだものになってしまいましたが。
私は彼女たちが名門司馬家のご息女であり、元皓さんのお弟子で黒羽さんの妹としか知りません。顔を隠す理由についても気にはなりますが、以前手紙でそこには触れないように頼まれていますから聞きませんが。
「二人ともいい加減になさい。折角のお菓子に埃がまってしまいますわ。猪々子さんも年下にむきになるものではありませんわよ?」
いい加減鬱陶しく感じ、三人に声をかけました。元皓さんが仰るには、この姉妹を素直に従えられるのは黒羽さんだけらしいですが、猪々子さんはまだ私の言うことに従ってくれますから。
「え~、けど姫さま~」
猪々子さんは不満を隠すこともせずにこちらを見つめてきます。どうにも黒羽さんや斗詩さんのことになると我慢が効きませんのね。そして同様に司馬のご姉妹も同様。自分たちと同様に黒羽さんを姉と慕う猪々子さんに敵意を微塵も隠しません。
「三人とも、です。報告によればもういつ黒羽さんたちが帰還してもいい頃なのですよ?その時貴女方がいがみ合っているのを見たら黒羽さんは悲しみますわよ。身内には底無しに優しい方でしたから。仲良くしろとは言いませんが、せめて表立って争うのはよろしくなくてですわよ?」
私たちがまだ幼い時からまるで姉のように接して来ていたあの人なら、身内が争うのを見たくない筈ですわ。そしてそれは三人も一応は理解しているようで、渋々ながら其々の席に戻る。
猪々子さんは乱暴にお菓子を鷲掴んで口に入れ、仲達さんと伯達さんはお茶を口に運びます。
「それにしても美味いですね、このちっちゃいお菓子」
そう言って猪々子さんは小皿の上のお菓子を一つつまんで眼前に持って行きます。
「それはお姉様が考え出したお菓子なのだから当然のことなのです、と裏禍は自慢げに応えます」
「そして裏亞たちは何年も昔からお姉さま自ら作ってくださった物を食べていたのです、と裏亞も自慢します」
自分たちが優位に立ったのが分ったからか、お二人がない胸を張り、猪々子さんが本当に悔しそうに表情を歪めます。どうやら私一人ではこの場を収めることは無理のようですわね。私は諦めの溜め息を吐くとお茶を一口啜りました。
だからこの時駆け込んできた正南(審配の字)さんが持ってきた言葉はある意味救いでしたわ。
「本初様~、城門の見張りからお味方の軍が見えたとのこと~」
なにせその声も終わらぬうちに三人ともこの場からいなくなっているのですから。
「やれやれ、ですわ。まあ彼女たちはよいでしょう。正南さん、私たちはちゃんとした出迎えの準備をしなければなりません。元皓さんたちと統軍府に伝言を送ってくださいな。それで何をするべきか伝わる筈ですわ」
「はいです~」
どこか気の抜けた返答を反してすぐさままた駆け出しました。のんびりとした雰囲気に似合わず、行動は素早いのですよね、あの方。
さて、私も着替えねばなりませんね。友人に会うのにしては些か堅苦しいとは思いますが、私も皆も立場と言うものがありますので。
結局私が供の方たちと出迎えの行列を従えて城門に着いた時には、例の三人に抱きつかれ地に伏し目を回す女性と、それを見てあたふたしている斗詩さんと、その後ろに呆然としながら居並ぶ軍勢でした。
流石に私でも軽く戸惑ってしまいましたが、目を回していた女性が三人を纏わりつかせたまま立ち上がりました。その容姿を見て私は、きっと猪々子さんもそうであったように、確信いたしました。
「お帰りなさいませ。お久しぶりですわね、黒羽さん」
この時初めて私に気が付いたらしい黒羽さんははにかんだような笑みを浮かべました。
「ええと、その、お久しぶりです、麗羽様。ただいま戻りました」
これが私と、どこか年齢以上に大人びた親友との再会でした。
後書き
戦国版恋姫でないかな~と、想い馳せる今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか。どうも、郭尭です。
すっげえ今更ながら東方人形劇と董卓の野望で時間がとられてしまって申し訳ないです。
今回やっと再会しました、袁家主従。黒羽が軍師ーズに良くしてたのは性格的なものです。一度手にしたものは手放せないタイプといいますか。まあ、人はたくさん殺しても身内や子供は殺したことはないので。
さて今後二、三話ほど日常話が入る予定です。さて、うまくコメディできるか、です。まあ、自分の予定が当てにならないのは自覚しているので伸びそうな気がしますが。まあ、反董卓連合編はかなりオリジナルはいる予定です。まあ、幼女の時点で麗羽の覚醒イベントが起きてしまったので原作通りの厄介君主にはならないのですよね。とは言え曹操のようなチート武将にはなり得ないのですが。この面々でどこまでやれるのか。どう暴走するのか自分でも楽しみです。
それでは次回から暫くインターバル、反董卓連合編に続きます。
それでは今回はこの辺で。また次回、お会いしましょう。
PS.黒羽が目を回していたのは、双子に両足に低空タックルをくらい、バランスを崩したところに猪々子のタックルをくらって頭を打ったためです。