「で、結局程遠志のおっさんのこともはっきりさせられないまま、作戦決行の日ですか」
思いっきり溜め息と共に、横にいる男に蔑みの視線を送る。
「孫忠が動いたってことは確かなんだろ?なら後はお前の策の通りにやるだけだ」
はいはい、ご信頼ありがたいこって。けどそれに応える気はない。あたしたちの関係も今日この日限りだ。
あの日、あたしと孫忠が倒れたことは幸いにして波才には届いていなかった。逸早く眼を覚ました孫忠が緘口令を布いたそうだ。尤も噂として流れるのを防ぐことは無理だったが。
「酒で酔わせて口を滑らせるのは良く使う手段だろ。ついでに体も使う破目になったけどさ。まあ、その価値はあったけど。っつか、そんなことより何で程遠志を始末した?逸ったことしやがって」
そうやって『お前何先走ったことしてくれてんだ』と相手を疑う振りをする。無論波才がやった訳ではないことは百も承知だ。やったのあたしだし。
波才の側からすればあたしがやったと疑うだろう。だから先にこっちが相手を疑うことで疑いを逸らすのだ。どこぞの、ロリの精神に寄生してた皇妃もやってたし。
まあ、結局は孫忠の謀りという結論になった。何故なら程遠志の死が結果として孫忠の利になっているからである。
まず、波才と他の二人の頭目の仲が決して良いものではないことは、一般の兵士たちも薄々感ずいている。それだけで波才にはこの二人を殺す動機がある。多くの兵が波才を不信の目で見ることになるだろう。
そして、死んだ程遠志の兵だが、六割が孫忠に預けられた。もし、波才が兵の全てを吸収したら確実に反乱が起こるだろう。それに、全部の兵を孫忠の引き継がせればパワーバランスが逆転する。この比率は兵たちに、波才が程遠志を殺した訳でないと示すための苦肉の策と言うわけである。尤もこれは、兵たちにとって、確信が持てないだろう、という程度の効果しか見込めないが。
結果として、波才は戸外の連中以外の信頼を失い、孫忠は兵力差を縮めることに成功したことになるのである。
と、一方的に孫忠が得をしている現状、波才の疑いを孫忠に逸らすことは意外なほど簡単だった。
今回の戦は、簡単に言うと鄴を落とし、城を利用して孫忠の軍を迎撃すると言うものである。その為に、陽動ということで、孫忠の軍には中から開けさせる東門の反対側、西門を攻めて貰うことになっている。そして波才軍だけで逸早く城内の防衛に主だったものと、防衛に向く施設を制圧して、絶対的な優位を作り出すというものだ。
ここで孫忠を倒せば、残った兵たちは波才の下に付かざるを得なくなる、と言う訳だ。ま、実際んとこはもっと面倒な細かい部分とか色々あるが、それが実行されることはないので割愛する。
それはそうと、本格的な戦ということであたしはいつもの服装の上に鎧を身に纏っている。尤も鎧と言うよりプロテクターと言うべき軽装のもので、肩と肘、足と、あたしにとっては寧ろ武器の範疇にあったりする。剣とか槍の穂先を流石に素足で蹴ったりできんしさ。
と言うわけであたしは波才の隣で戦況を見守っている。こっちの正面に建つ東門の正反対、西門が孫忠の軍に攻められている。それを示すように、向こうから怒号やらの戦場の音が響いてくる。こっちが動かないため、鄴の軍隊は多くの兵を正門に回すことになる。無論こっちにも備えに兵を置いているが、その数は正門に置かれた兵力には劣る。そして日が沈み始め、一日が黄昏時に移り始めた頃だった。門が開いた。
「よし!先鋒隊突撃!本隊も直ぐに続くぞ!」
波才の声が全軍に伝わり、大芝居が始まる。あたしは先鋒部隊とともに駆け出した。
雛里視点
「配置、言われた通りに終わりましたよ。いつでもいけますよ?」
私は城壁の上の楼閣で指揮を執ることになっていた。朱里ちゃんは西門の指揮を執っているからここにいない。だから私は、少なくとも作戦が進んで西門の戦力がこっちに車では一人で指揮をこなさなくちゃいけない。
「わ、分りました。もうすぐ門を開きます。その、その時はよろしくお願いします」
緊張に声がどもってしまう。
「了解だ。緊張すんな、嬢ちゃんたちの策は袁家の将軍様の太鼓判もらったんだろ?なら問題ないって」
そんな私の様子に苦笑いを浮かべながら、伝令の人は励ましの言葉を置いて、私と部隊長さんたちが詰めている部屋を出て行った。
今頃指定した位置では兵士の皆さんが戦いの始まりを待っているんだろうな。
「それでは、戦を始めます。敵は張郃さんの工作で私たちの策の通りに動くはずです。後は手筈の通りに動けば私たちの負けはありません。皆さんのお力でこの城を守ってください」
ここにいる皆さんに頭を下げる。だって私は直接戦うことが出来ないから。自分の力じゃ何も出来なくて、他の誰かに命をかけさせてるから。
皆さんは掛け声でそれに応えてくれた。皆さんが部屋を出てそれぞれ所定の位置に向かう。私も指揮し易いように外に出る。丁度城壁の外郭から反対側、城壁に囲まれた街を向く。門の内側、城壁と町をつなぐ階段は瓦礫で封鎖されていて、守城用の長槍を持った兵士の人たちが陣取っている。その後ろの階段には弓を持った兵士の人たちが大勢待機している。
そして門が開けられた。
後ろから怒声と轟音が巻き起こって、それが近づいてくる。
そして、攻めてきた黄巾党の人たちが門に雪崩れ込んでくる。本来真っ先に占拠するべき、攻撃目標
の城壁への階段が塞がれているのを見ると、殆どが略奪をするためか市街地のほうに向かう。そしてその人たちは門と市街を遮断するように掘った落とし穴に落ちていった。深く掘って貰ったから普通に落ちただけでも充分な効果が望めると思う。更に、前の方の人が落とし穴に気付いても、後ろからの人たちに押されてどんどん落ちていく。そしてその上に落ちてきた人に潰されていく。
そんな中、死体らしいものを盾にしながら一つの黒い影が階段に近づいていく。その影は見覚えあるものだった。
「張郃さん!」
私は思わず声に出していた。けど戦場の喧騒で私の声は届かなかったのだろう。黒羽さんは死体を放ると、袖から爪の付いた縄のようなものが飛び出し、それが瓦礫の端のほうに引っかける。そこを軸に半円を描く軌道で落とし穴を飛び越えていく。他の兵士の人たちも事前にこの段取りは伝えてあるからそれを邪魔したりはしなかった。
これから張郃さんは朱里ちゃんたちのいる東門のほうに向かうことになってる。私たちは、後はここを死守すればいい。私たちがここを守りきらなければ、この策全てが失敗になるから。
「頃合です、火を放ってください!」
私の言葉が伝わり、少しの時間差の後、油の入った皮袋と火矢が放たれる。その油に着いた火が、更に事前に仕込んでいた、落とし穴の底の油に移って大きな炎が高く立ち上がる。そして私たちは、炎に勢いを削がれた敵をここで押し止めるための戦いを始める。
落とし穴に火が点けられたのを確認して、あたしは事前に馬が用意されてある筈の場所に向かう。東門側の城壁沿いに北に向かう。少し走った先に縄に繋がれた馬を見つけ、その縄を解いてそいつに飛び乗る。目指すは孔明たちが守る西門だ。
波才に対しては、城内であたしが、自前の部下で呼応するためにと言って先に入城した。だが孫忠には城に火の手がおこったら次の行動に入るように伝えてある。
そしてこっちも次の一手を打つ為に人気のない路地を駆ける。今回の戦いは敵を(落とし穴で隔てているとは言え)城内に敵を誘き寄せる為、万が一の事を考えてこの日は出歩かないように布告されている筈である。本来は人波で賑わっている筈の市場が閑散としているし、城門の近くの住民には退避命令も出ているだろう。時折建物から不安げな視線を感じる。
体感時間で十五分ほどとばしただろうか。西門の階段の近くで馬から飛び降りる。
「張郃様ですね?お待ちしてました!」
事前に待っていたらしい兵士が、将兵用の鎧兜一式を持ってこっちに走ってくる。
「状況はどうなってる?」
歩を止めず、兵士が持ってきた装備を受け取りながら、あたしは状況を尋ねた。
聴くに、孫忠の軍は予定通り西門を離れて北側を通って東門に向かったそうだ。これは孫忠に城内で火が挙がったら波才の軍を後ろから急襲するように言ってあったからである。あたしが城内の手勢を集め、街に火を放って波才の軍を足止めすると説明してある。今んとこ全て予定通りか。
足早に城郭に一室宛がって貰う。道中、周りの人たちになにやら指示を出している孔明と会った。一秒でも惜しい状況だったから声は掛けなかったが、目が合った時に拳を握り、親指を立てて見せる。孔明はほっとしたような笑顔を見せるとこっちに頷き返した。
宛がわれた部屋に入り、将兵が着る、あまり目立たない普通の鎧に着替える。正直あたしの服装は独特のものだから、黄巾の連中に覚えているやつらが少なからずいるだろう。これからの作戦行動を考えるに、あたしが鄴に組している事をばらす訳にいかないのだ。武器も、服に仕込んでいた分が使えなくなるので代わりに剣をふた振り用意して貰う。得意と言えるほどではないが、一応ある程度は剣術も仕込まれた。
着替えを終えて部屋を出ると、既に孔明が部屋の外で待っていた。
「え、えと、本題だけ言います。予定通り、し、志願者だけの騎兵隊、何とか七百を集めました。城内の狭い範囲ですがちゃんと走らせて選考した人たちでしゅ。充分な錬度はあると思います」
緊張からか、途中で噛んだことにすら気付いていないらしい孔明の様子に、不謹慎ながらも奇妙な安心感を感じた。
「ん、じゃあ行くか」
孔明の報告を聞き、外に向かう。門の前に着くと、そこには既に出撃の準備を終えた騎馬隊が並んでいた。志願兵だけを集めたと言うだけあって、成る程士気は高そうだ。皆表情が引き締まっている。
「一声かけてください。士気はあっても十倍では済まない敵と一戦するんですから」
あたしの横についてきていた孔明がそう促してくる。演説の類は得意ではないが、そうも言ってられないか。何せこれからあたしが命令して死なせて行く兵士たちだ。
あたしは用意された馬に跨り、整列している騎兵隊の前に移動する。線を越える目線が一斉にあたしに向く。あまり心地がいいものではないが、賊の討伐の仕事とかでいい加減慣れてきてもいた。
「この戦で貴兄らの命を預かることになった張儁乂だ!」
以前よりこういった檄を発する機会は何度かあった。だからこういう場でよく通る声を発することも上手くなってきている自信がある。
「あたしは以前、都、洛陽に住んでいたことがある!あそこは大きかった!天子様のお膝元、あらゆる財が集まり、あらゆる栄華が集まった。正にこの巨大な漢王朝の都に恥じぬ威容があった!あの場所こそこの地上で尤も尊い場所であると思った!」
あたしの言葉に、あたしへの視線に疑問の感情が混じる。当然だ。一見してこの状況と全く関係のない事を話しているのだから。
「だが、貴兄らの住まうこの鄴を見たが、どうだ!?天子様のお膝元であると言う笠はなく!自ずと集まる財も栄華もなく!されど都にも劣らぬ巨大な城壁があり!そして街がある!
この地に住まう方たちが!ただの民草である貴兄らの親が!先祖が!ただ己らの多くの汗と永き辛酸をもってこの、洛陽にも劣らぬ大都市を築きあげた!これらは如何なる偉業か!天子様の偉業にも迫る偉業を貴兄らの先祖は成し遂げているのである!」
兵士たちの表情に強い誇りが浮かび上がるのが見て取れる。
鄴と言う都市についてはあたしの正直な想いだ。本当に洛陽と同程度の都市を、殆ど住民の力だけで築いたのだから。
「その偉業が今!蝗の如き匪賊の脅威に見舞われている!もしこの偉業が匪賊如きの手に渡っては、この偉業を築き上げた貴兄らの先祖に申し訳が立つか!これよりこの偉業を広げていく貴兄らの子孫に申し訳が立つか!」
立ち並ぶ兵士たち周囲の空間が歪むような錯覚を感じた。そういうものに敏くないあたしが、彼らに点けた火に、逆に燃やされるような感覚だった。
「立つ筈がない!ならばどうすればいいか!貴兄らの手でこの偉業を守り抜く他ない!貴兄らの命をあたしに預けて欲しい!必ずこの鄴を守ってみせる!貴兄らの力があればそれが為せる!この偉業を守らんとする者達よ!奮い立て!我が背に付き従い匪賊らにこの地を侵した罪に見合う地獄を見せてやれ!」
あたしの言葉に、轟音のような雄たけびが返ってくる。体が声によって震わされる。背中を何かが這い上がるような感触に、あたしは自身の高揚を抑え込むのに苦労していた。こっちまでテンションが引き摺られる。
「よし!開門!」
馬首を返し城門を向く。そして顔がばれにくいように、兜を深く被りなおす。そして目の前で城門が開いていく。
「皆!付いて来い!」
馬の腹を蹴り、駆け出させる。その後ろに七百の騎兵が続く。踏み鳴らされる馬蹄の音が一つの轟音となる。この戦、万が一にも失敗する光景を思い浮かべることすら出来なかった。
雛里視点
私たちの守る東門側の戦況は大きく様変わりしていた。
ついさっきまで炎と瓦礫の壁を盾に辛うじて膠着を保っている状況だった。でも、私たちが点けた火を合図と認識したもう一隊の黄巾の軍が城を攻めていた軍勢を攻撃、最初の軍勢が大いに混乱したからこっちの対応は大分楽なものになった。
でもそのせいであまりに一方的に最初の軍勢が数を減らして言っている。片方だけが一方的に数を減らすのは、却って不味いから少し焦ってしまう。そんな中、再び戦の流れが変わる。小規模な騎馬隊が現れて二つ目の軍勢の後方を攻撃し出した。張郃さんが率いているはずの部隊だった。だったら、先頭を駆けているのがそうなのかな。
数のこととかもあってか、あまり深く攻め込まず、普通騎馬隊が良くやるような切り込んで陣形を裂くといった戦いじゃなく、外のほうをどんどん削っていくような戦い方をしていた。その為二つ目の部隊に対する直接的な被害は少なかったけど、騎馬隊のほうも殆ど被害を受けていないようにも見える。そして二つ身の部隊も、自分たちの後方を脅かされていると言うことにより、後ろの混乱を沈めるためにも後方に兵力を回せざるを得ずに、結果として最初の軍勢が体勢を立て直すことに成功した。何とか盛り返し始めた。
そうなると今度は二つ目の軍勢の損害が増えてくる。
「もう良さそうですね。狼煙を上げてください」
城門の上で狼煙の合図を上げて張郃さんたちに退却して貰う。
最終的に日が暮れてきたことと、兵の疲労で限界が近づいてくる頃合になったせいでしょう、二つ目の軍勢が後退して、次に最初の軍勢も城門から離れて行った。
それぞれが距離を置いて野営を始めた。こうして黄巾の軍勢が真っ二つに別れ、ここに三つ巴の戦況が出来上がった。
後書き
台風がやってきて、あちこちに迷惑を振りまいてった今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか。どうも、郭尭です。
最近仕事場で力仕事が多かったせいか背中の筋肉が変な感じに引きつりました。痛みで一日近く、座るのも苦痛と言う状態でした。近頃体を鍛えねばと言う危機感が募ります。
それがさて置き、前回下拵えが終わり、今回で漸く料理です。前回まででどれだけ読まれたかと考えると心配で溜まりませんでした。もうちょっと捻った策略を考えられるようになりたい。取り敢えず次回は仕上げ、そして黒羽に再会がある予定。
それにしても黄巾編は当初二話で終わらせる予定が何故こうなったんだろう?
それでは今回はこの辺で。また次回、お会いしましょう。