「あの美声」
「あの輝く桃色の髪」
「あの女神のような容姿」
「「「「「無違いない! 『本物の』ラクス・クラインだ!!」」」」」
『ごめんなさい、バリバリの偽物です!!』
……なんて叫びだしたい衝動を私 偽ラクスことミーア・キャンベルを必死に抑えていた。
そして余りにも滑稽な状況に大爆笑してしまいそうなのも、精神コマンドをフル動員して我慢もしている。
いま私が居るのはファンシーなカラーリングがされたザクウォーリアー(通称ピンクちゃん)の掌の上。
軍属でもないのにMSに乗って、通信機が不調だったとはいえ無許可で戦艦ミネルバに着艦した事を誤魔化すショーの真っ最中。
小さく手を振りながらたおやか微笑みを浮かべる作業。それを実現するために練習を繰り返してきた顔面の筋肉が痙攣を起こしそうで……顔が攣った!
「さっきは本当にすみませんでした! まさかラクス・クラインがMSに乗っているなんて思わなくて!」
なんとかピクピクと震える顔面を誤魔化していると、ファンサービスの舞台から降りる許可が下りたみたい。
ピンクちゃんの掌の上から解放され、私がいま歩いているのはミネルバの通路。無機質な中に満たされる戦船の匂いが私の魂を刺激して止まない。
「それは別に良いのよ? 貴方は軍人として正しい反応をしたんだもの」
そうなる事を熱烈に欲していたとは思えないほどに苦痛だった、『アイドル 偶像行動』の心理傷を強力に癒している
ただ先導してくれている軍人の後輩に違和感を覚えてしまった。
「貴女、新米さんかな?」
着ている軍服こそエースの証しである赤なのだが、正々堂々と下半身ではピンクのミニスカートが翻っている。
コーディネーターでは珍しくもない深紅の髪は頭の天辺で鋭角な機動を描く一種の『アホ毛』。
そして何よりも雰囲気。まだまだ戦場を知らないアカデミーの学生っぽさが残念な事に滲んでいた。
「あっ……やっぱり分かっちゃいます? うちの赤服は私を含めてみ~んな初配属なんです」
どおりであの最新型 インパルスのパイロットも腕は良かったけど、違和感があった訳か……
このアホ毛の新人赤服さん ルナマリア・ホークは愛機のザクウォーリアが不具合を起こして引きあげて来たらしい。
私のピンクちゃんも通信機能が死んじゃったし、まだまだ最新鋭機の整備に課題は多いわね……ってラクスがそんな心配しちゃだめか?
「そういえばさっ! 短かったけど初陣なのでしょ……どうだった? 戦場の感触はっ!?」
まずい! いくらなんでも迂闊すぎる。口に出してから気がついた。
いかに私が本当にラクス・クラインと同一の存在を目指していないとはいえ、『戦場の感触』など平和の歌姫が用いる表現ではない。
これではまるで『ラクス・クラインが最前線で戦ったMSパイロット』のようじゃないか!
「そうですね! 訓練とは張り詰めた空気が違うと言いますか……」
ほっ……安堵のため息が漏れた。初陣の興奮が思い出されるからか、それとも相手がラクスだからか?
とにかくルナマリアは私というアイドルが発したラクスらしくない発言には気を払っていないらしい。
一安心……なんて考えてしまったからだろうか? 私の口はまたもやも盛大に滑ってしまった。
「私は……」
他人に聞いてみて自分の事を思い出す。そして思わず口からこぼれてしまった。
「私は……怖かったな」
「え?」
初めて感じた戦場の高揚とプラントの歌姫ラクス・クラインを案内するという大役への緊張が私 ルナマリア・ホークから消し飛んだ。
ラクス・クラインが呟いた一言がまるで極寒の風のように辺りを蹂躙する……ように感じた。
「あっ!……いまのはその……聞かなかった事にしてくれないかな?」
だがすぐさまそんな雰囲気は消し飛び、ラクスは困ったように微笑んでいる。
何時の間にやら彼女を送る先 ブリッジに到着していたから、ラクスは扉の向こう側へ。
茫然としていた私も彼女が消えたことから本来の仕事に戻るべく踵を返す。
「なんだったんだろ……っていうか!」
不意に気がついた。ラクス・クラインはこう言ったのである。
『私は初めて戦場に出た時、怖かったんだ』と……
「なによ! ただちょっとMSが動かせるだけでしょ!?」
どうしてこうもイライラするのだろう? 相手はプラント救国の歌姫だ。ただの新人赤服程度がこんな感情を抱く事もおこがましいのかも知れない。
けれど、『ちょっと』乗れるだけの人物にあの高揚を否定されるのは納得できない……いや、違う。
あの言葉の重さ、実体験として語る口調。空気すら一瞬で凍らせるような存在感。
「あれじゃまるで……ラクス・クラインは歴戦のMSパイロットだったみたいじゃない」
私は『少しMSが動かせるだけ』だと思っていたからこそ、そんな感想を呟く。
『ラクス・クラインはテロに巻き込まれたから嗜んだ程度の操縦技術で、何とか味方の船まで辿り着いた』
そんなワイドショーが大喜びしそうな美談ってだけ……ほんの数分後、私は自分の考えが大いなる間違いであった事をその目で目撃することになったのだ。
私こと タリア・グラディウスはいま猛烈に溜息を吐きたい。吐きたくてたまらない。
最新鋭艦の艦長を拝命したのは良い。とても喜ばしい事だ。一部の能無し共には『寝技で手に入れた』と言われているようだが構わない。
確かに彼との関係は優位に働いているのだろうが、自分の評価は正当に行われた能力に基づいていると知っているから。
問題があるとすれば……私のパトロンであるプラント最高評議会議長 ギルバート・デュランダルが何故か後ろに座っている事。
「……という事で降りてください」
「だが断る。私には義務もあれば責任もある」
「……ちっ!」
そして正式な着任を前にしてテロに遭遇し、これから緊急出撃をしようとしてこと。
さらにギルバートがわがままを言っている事。もうこれだけで十分困っているというのに、居もしない神は心労で私を殺したいらしい。
『オーブ代表 カガリ・ユラ・アスハが乗艦』
何がどうなってそうなったのか? 問い質したいが相手は口を聞こうともしない偶然という神の悪戯だろう。
どうしてこれから突発的追撃作戦を行う戦闘艦に国の代表が二人も乗っているのだ?
「はぁ? お姉ちゃん何を言っている?」
不意に聞こえたのは突拍子の無い通信管制 メイリン・ホークの声。
お姉ちゃんという言葉から通信の相手がMSパイロットである彼女の姉 ルナマリア・ホークである事が分かる。
「作戦中に冗談なんて笑えないよ?……だからなんでラクス・クラインがこの船に乗ってるの!?」
はぁ? 私は何を疑えば良い? 自分の耳か? それともルナマリアか? メイリンホークか?
それともよっぽど私を殺したいらしい神様か? いやまて……新人パイロットが錯乱している可能性もあるわ。
「ピンク色のザクに乗ってきた? どうしてラクスがMSになんて……『間違いない、それはラクス・クラインだよ』……え?」
メイリンの声に割り込んだのは後ろに座っていらっしゃるプラントで一番偉い人。
「連絡が取れないから心配していたんだ。本当に良かったよ、ブリッジに上がってもらってくれ」
「はっはい!!」
艦長である私をスル―して行われる連絡。まぁ、しっかりと命令に従っているメイリンに文句は言わない。
ただ黙って眉間で硬度を増していく皺を揉みほぐすのみ……「失礼する!」……ラクスが到着するには早すぎる来訪者。
この声には覚えがある。
「状況を教えてほしいのだが」
「カガリ! ここはオーブの艦じゃないんだぞ!? もう少し礼儀というものを」
入ってきた金髪の女性、いや少女はカガリ・ユ・ラ・アスハ。オーブの姫獅子。
その後ろの青年は大きなサングラスが似合っていない……アレックスだったか?
それにしてもなんだろう? この二国の代表が集う戦闘艦のブリッジは。
勝手に同席することを認めているギルバートには後で折檻するとして……ここにラクス・クラインも混じるのだった。
戦場で命を落とすのは軍人の本望、艦上で死すは船乗りの宿命。
そのどちらをも満たしているのだが、直接的な原因が心労ではあまりにも悲しい。
追撃作戦の真っ最中だというのに思わず下を向いてしまった。そして後部の扉が開かれる音。
カツンカツンと規則正しい靴音 訓練された者の足音である事が見なくても分かる。
ラクスを連れて来たルナマリアだろうか? いや……彼女にはブリッジの中まで来るように言っていない。
それ以前に足音が一つだけということは……
「入ります!」
顔を上げればそこに居るのは見知った顔。何時も直接接しているからではなく、テレビの向こうで知っている人物。
輝くような桃色の長髪、アクセントになる星型の髪留め。同じ女性が見ても照れてしまうような衣服。
女神を模してコーディネートされたかのような美貌と美声。グダグダに成りかけていたブリッジの空気を吹き飛ばす裂帛の声。
「ラクス・クライン、出頭しました!!」
可笑しいな?
そこには際どい食い込みに胸を強調する水着のようなオーバー、スカートの役目をしていないヒラヒラと動く布切れを合わせたステージ衣装を纏って……
『ラクス・クラインが見事な敬礼をしていた』
彼女のような超法規的立場にいる人間にはどのように対応していいのか?
私 タリア・グラディウスは正直な話、まったく分からなかった。
だがその見事な敬礼を見てしまえば軍人としてやるべきことはすぐに分かってしまうというもの。
「ご苦労さま」
反射のように敬礼を返していた。クルーたちもあの歌姫を前にして、興奮や戸惑いを覚えることなく見事な敬礼でソレに答える。
新造艦のブリッジクルーが今までの短い付き合いの中でもっとも纏まった瞬間だろう。
追伸
その時のギルバート・デュランダルは笑いを堪えるのに必死だった。
その時のカガリ・ユラ・アスハとアスラン・ザラは状況を理解することに専念していた。
そして……その時のミーア・キャンベルは(心の中で)叫ぶ。
『やっちまったな!!』