(おお、ぉ‥‥‥!)
暴れ回り、世界そのものにすら牙を剥いた秘法の力が、今明確に、一つの指向性を持って収束していくのを感じる。
とある一点、『創造神』“祭礼の蛇”の蛇身の真下に位置する影。
そこに、黒天を無視して、銀の影が集まっていく。
(“ここ”を、世界を繋ぐ礎と成す‥‥‥!)
空に広がり満ちる黒に比して遥かに矮小な、直径十メートル程度の銀影の円。
その影から、無理矢理押し込んだような無数の鎖の束が、黒天の至る所に繋がっていた。
「束ね、紡ぎ、形と為せ! 『大縛鎖』!!」
天地に轟く黒蛇の咆哮を受けて‥‥‥‥
ズッ‥‥‥‥‥!
「紡げ‥‥‥」
ズズッ‥‥‥‥!!
「手繰り寄せろ!!」
鎖が引き寄せ、呑み込んでいく。
繋がる黒天を、その銀影の内へと引きずり込んでいく。
「ははっ、ははははははははは!!」
感じる。己が身、そして全ての同胞の身が変質していくのを。
いや、それも違う。
変わっているのは自分たちではなく、自分たちを存在させている世界そのもの。
やがて、黒天全てが銀影に呑み込まれ、影から銀が浮かび上がる。
それは、今まで世界を崩壊の危機に導いていたとは思えないほどに、小さい。
十メートル程度の大きさの、輝く銀と闇の黒を漂うように揺らす‥‥『空間の球』。
物質ではない、炎でもない、存在の力でもない、空気ですらない、それは『空間』‥‥“この世の一部”だった。
揺れる黒と銀、その奥から感じられるのは、現象による影響と意志による干渉によって延々と変化し続ける力の渦。“この世とは全く異なる”物理法則を持つそれは、“彼ら”の故郷‥‥‥‥‥
『紅世』だった。
数千年の悲願と、数多の存在の礎の許に成し遂げたのは、こんな小さな繋がり。
しかしそれは、紅世とこの世を隔てる‥‥神さえ無力な両界の狭間をも越えた繋がり。
『歩いてゆけない隣』、その根底すらも覆すもの。
(ほんの僅か、この程度の扉で構わぬ‥‥‥)
それで、十分だった。
僅かな繋がりとはいえ、それは“互いの世界が延長線上に在る”事を意味する。
今、二つの世界は、霞のように薄く繋がる‥‥“一つの世界”だった。
身に、心に、感じられる。わかる。
もはや、“紅世の徒はこの世の存在である”と。
隣から渡りきた異物ではないと。
そう、世界が認識していると。
「“成った”!!」
ここに、『創造神』の大命が実を結ぶ。
「‥‥‥‥‥‥‥」
「目を、覚まされましたか」
「生還」
柔らかい、ハンモックのように張られた純白のリボンの上で、紅蓮の少女は目を覚ます。
「わた、し‥‥‥‥?」
自分は、あの時‥‥‥
『ごめん‥‥‥ごめんね‥‥‥‥』
『私も一緒に、消えるから‥‥‥‥!』
『天破、壌砕‥‥‥』
「何で、私‥‥‥‥」
秘法・『天破壌砕』は、生贄を『心臓(コル)』にして、『神威召喚』を果たし、『器』たる契約者は破壊される。
その『器』たる自分が、何故生きている?
「『トリガーハッピー』‥‥。フレイムヘイズに眠る王の休眠を、強制的に破る宝具であります」
そのシャナの問いに、まずヴィルヘルミナが原因を、
「本来なら、契約した『王』の力を全て解放させ、爆死させる物らしいが‥‥お前は、その偉大なる『器』によって、我の全存在を受け止めたのだ」
アラストールが詳細を教え、
「そう‥‥さっき触角娘が言っていた」
メリヒムが、情報源と張本人を告げた。
教えられた事を一つずつ理解するように十秒ほど黙り込んだシャナが、未だ混乱の様を隠し切れずに訊く。
「じゃあ‥‥『天破壌砕』は‥‥‥‥」
「‥‥完全に発動する前に、“天壌の劫火”が“王としての顕現”を強いられ‥‥‥」
「不発」
一番わかりやすい、“『天破壌砕』の不発”という答えを得て、ようやく頭の中がすっきりした。
「言っておくが、そこの無能は負けたからな」
「っ‥‥‥!!」
「っ‥‥‥貴様に‥‥人のことが言えるか!!?」
そんなシャナの胸元の『コキュートス』に一言毒づいたメリヒムは、アラストールの激昂はもちろん無視する。
使命と誇りを懸けた真っ向勝負に負けて、それが惨めでたまらないのはわからないでもない。
だが、先ほどの言葉で愛娘に『本当に伝えたい部分』くらいわかれ、と心底思う。
「‥‥‥‥見ろ」
メリヒムが『星黎殿』の縁から、眼下を促す。ヴィルヘルミナが、動けないシャナを、白い揺り籠ごとそちらに運ぶ。
そこには、『大命』の成就を表す黒と銀の“空間”。
そして、『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の魔軍。
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
あれだけの徒がいるのに、徒独特の“『この世に在らざる者』の持つ違和感”が、感じられない。
これが、『大命』‥‥‥‥。
(そう、か‥‥‥‥)
この気配は、まるでフレイムヘイズの気配のようだった。
シャナは、全てを理解する。
紅世の徒は、この世の存在ではないが故に、この世に在るためには、この世の存在の力‥‥その中でも自分たちに近しい、人間の存在の力を必要とし‥‥喰らう。
それを止めんとする王たちは、自分たちがそれを止めるために人を喰い、世界を歪める愚行を避けるために、人間という名の、『この世のものである器』を利用する事を考えた。そうして生まれたのが、フレイムヘイズ。
つまり、僅かな、限定的なものでもいい。この世と紅世を繋いで‥‥‥紅世の徒を“この世のものだと認識させる”。
そうして、紅世の徒は、フレイムヘイズと同様の“誤魔化し”によってこの世に存在できる。
そして、徒が人を喰わねば、人は死なない。歪みが起こらなければ、フレイムヘイズを生む必要もなく、同胞同士の戦いも起こらない。当然‥‥トーチという悲しい存在も生まれない。
(そういう、事か‥‥‥‥‥)
自分が、想いの全てをぶつけて戦った少年の言葉を、思い出す。
『シャナたちが、こうするって‥‥フレイムヘイズの使命のために最後まで戦うって‥‥何となくわかってた』
『それでも、戦いたくなかった。それは‥‥僕の甘さなんだと思う』
『でも‥‥そんな、『純粋な使命』を果たそうとする君たちだから、"わがままは捨てない"』
その言葉の意味が、今は理解出来る。
紅世の徒の存在が、世界のバランスを崩すものではなくなったら、その討滅は‥‥フレイムヘイズの大義ではなくなる。
たとえ、世界の崩壊を招き、自分たちに牙を剥いた相手であっても、その討滅に大義はない。
「‥‥‥シロ」
悠二は、“だから、わがままを捨てない”と言った。
「‥‥‥ヴィルヘルミナ」
“『純粋な使命』に戦う自分たちだから”、と。
「‥‥‥‥アラストール」
彼には、わかっていたのだ。
たとえ、互いに相容れない理想のために、命を懸けて戦ったとしても‥‥‥
“『大命』が成った瞬間に”、フレイムヘイズとして戦う理由はなくなる。
「私、ね‥‥‥‥‥」
『討滅の道具でしかない君たちも、その中にいる』
わかっていたのだ。
世界のバランスを崩す存在ではなくなった瞬間、戦う理由はなくなる。
また、大切な仲間として在れる。
“自分たちなら”、と。
‥‥‥そう、“戦う理由ごと”へし折られた。
もう、悔しさも湧かない。いっそ清々しいまでの、完敗。
「負けちゃった‥‥‥」
本当に嬉しそうに、穏やかに少女は微笑む。
その、手の甲を眉間に当てて隠した目から一筋‥‥流れる。
自分が流す涙がどんな種類のものなのか、少女にはわからなかった。
「‥‥‥‥『ミストラル』」
その様を黙って見守っていた恋人たちの片割れが、静かに唱える。
琥珀の風が、その在り様を変えた世界の星空の向こうに、消えた。
何も見えず、何も聞こえず、何も匂わず、何も感じない。
全てが認識出来ない、自分が目を開けているのかいないのか、それどころか‥‥自分の存在に対する自覚すら薄れていく。
恐ろしい。ここがどこなのか、自分が誰なのか、忘れそうになる。
そんな、得体の知れない恐怖の中で‥‥‥
鳥が、見えた。
目に見えるわけではない。耳に聞こえるわけでもない。
しかし、確かに在ると思えた。
それは優美な翼を広げる、薄白い‥‥美しい鳥。
「起きたか?」
「‥‥‥‥あんた、こんな所で何してんのよ」
「そういうセリフは、ここがどこだかわかってる奴が言うもんだぜ」
相変わらず小憎たらしい小娘の毒舌を聞き流して、気だるげに身を起こす。
同時に、枕代わりに敷かれていた『グリモア』から声がかかった。
「全く、悪運が強えーこったな。我が奇跡の生還者、マージョリー・ドーよ」
「‥‥‥そりゃお互い様でしょ」
こんな相変わらずなやり取りも、ありがたく感じられた。見回せば、レベッカ、サーレ、キアラの三人も寝転がされている。
そして‥‥‥
「悪運、とはまた酷い言い草だね。五人も担いであの歪みに歪んだ狭間を渡るのにどれだけ苦労したか」
「すいません‥‥‥フリアグネ様」
「ああっ! ごめんよ私のマリアンヌ。君に言ったわけではないんだ」
“狩人”フリアグネとその恋人、マリアンヌ。
「ああ、いきなりで事情が飲み込めないのもわかりますが、ひとまず“感じて”ください」
『儀装の駆り手』カムシン・ネブハーウ。
「先に言っとくけど、この場で暴れたらあっちのグラサンが黙ってねえぞ」
悠二や佐藤たちの友人・吉田一美。
「え、えっと‥‥僕もまだ状況がわからないんだけど‥‥‥」
‥‥‥‥‥誰?
「やれやれ、あまりこんな所に恐面ばかりになるのも都合が悪いのだが」
“螺旋の風琴”リャナンシー。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
そして、少し離れた所でタバコに火を点けながら、遠くを見ている“千変”シュドナイ。
‥‥‥‥全くもってわけのわからない状況ではあるが、カムシンに言われるまでもなく感じている。
紅世の徒の持つ、特有の違和感が‥‥無い。
そのあり得ない現象の理由にも、すぐに思い至った。
この戦いの、根幹となるものだったから。
そして、その意味する所にも。
「私たちは‥‥負けたのね」