「始めよう」
『星黎殿』総出の大クリスマスパーティーや、御崎市に降臨したサンタクロース、平井とシュドナイの失恋談義、ヘカテー達のクリスマスプレゼントなどなど、
とにかくひたすらに楽しんで騒いだクリスマス。今はその終わり際、零時前である。
「‥‥はい」
『星黎殿』は、上半分の城砦部と、地下とも言える下半分の岩塊部の二つに大別され、岩塊部には秘匿施設も多く存在する。
今、その岩塊部に最近になって作られたやたら広い空洞に、三人の男女が居る。
緋色の衣と凱甲を纏い、漆黒の竜尾を翻す少年、"祭礼の蛇"坂井悠二。
白いネグリジェの上に、寒さを凌ぐたもの青い上着を羽織る"頂の座"ヘカテー。
そして、パジャマの上から深緑のちゃんちゃんこを着こなす紫のショートカット、"螺旋の風琴"リャナンシーである。
余計な騒ぎを避けるため、この空間内だけの封絶は張っている。
「‥‥‥‥‥‥」
悠二が、目を閉じたヘカテーの右手に、そっと自分の左手を重ね、握り締める。
途端に、ただ手と手で触れ合っている以上の、互いの繋がりを明確に認識できる。
ヘカテーの固有能力。他者との『器』の共有である。
「‥‥‥師匠」
「いつでも構わんよ」
師の了解を得て、言葉も交わさず、目配せもせず、心の中だけでヘカテーにも了解を取る。
ズッ‥‥‥!
悠二、そしてヘカテーから一気に溢れだした大量の存在の力が炎のように湧き上がる。
そして、その莫大な存在の力は、まるで栓の抜けた湯船の湯のように、一つのものへと飲み込まれていく。
そう、リャナンシーが無造作に差し出した右手の上にある、眼球ほどの大きさの毛糸玉に、である。
「‥‥‥くっ」
存在の力を、一挙怒涛の勢いで吐き出し続けた悠二とヘカテーのが、力のほぼ全てを無くして僅かによろめいた、次の瞬間、
「‥‥‥っと」
「っ‥‥‥!」
「零時だ」
身の内に宝具・『零時迷子』を持つ悠二の体に、消費した存在の力が一気に回復する。
そして、その効力は『器』を重ねていたヘカテーにも作用する。
二人の存在は、たちどころに放出する前の力を漲らせていた。
「‥‥うむ。もう随分と溜まってきたな」
"これ"をやるのは、実は初めてではない。
少し前から、この大空洞が出来る前からの習慣であった(クリスマスにはやっていないが)。
「いつもありがとう。師匠」
労いの言葉を掛けながら、悠二も寝間着代わりの青いジャージ姿に戻っていく。
「それは構わんが、やはりこうやって力を常に私が統御しておかねばならないのでは、不便極まりない」
これは、リャナンシーが力を保有出来る絶対量が多い、というわけではない。
むしろ、彼女の保持出来る力は非常に小さく、"紅世の徒"は、己の限界以上の存在の力を持てば、その意志を呑み込まれ、存在を薄められ、終には消え去ってしまう。
"これ"は彼女が紅世最高の自在師であり、"己の外で"限界以上の力を統御する自在法を扱えるからこそ出来る芸当である。
かつて彼女の望みを叶えたのもこの自在法の力あってのもの。
このような例外もあり、また自在法は個々の個性に応じてどんな力を有していても不思議ではないため、一概に、持てる存在の力だけでその実力は測れない。
「‥‥やはり、おじさまの力が必要でしょうか?」
ヘカテーの言うおじさまとは、リャナンシーと並び称される『教授』こと、"耽探求究"ダンタリオンの事だ。
異才ながら超のつく変人である彼とヘカテーは、何故か仲が良い。
「まあ、彼がこちらの思惑通りに手を貸してくれるかは疑問だがな」
そう返すリャナンシー。
実は彼女も教授とは旧知の間柄である。
時に迷惑を、時に影響を、かけたりかけられたりしながら数百年、互いに様々な惨禍や成果を史上に残している。
正反対の本質と志向を持ちながら、あるいはそれゆえか、平然と双方、互いの有り様を尊重しあっている。
今や最もポピュラーかつ、徒にもフレイムヘイズにも欠かせない自在法・『封絶』も、教授が作り出した複雑で非効率で大雑把な自在式を、リャナンシーが誰にでも扱えるように改良を施した、ある意味この二人の『合作』だったりする。
「『我学の結晶』、だったっけ?」
一人、教授についてそれほど詳しくない悠二が口を挟む。
「‥ぁ‥‥‥ええ、それがおじさまの、力です」
そう、小さくあくびしたヘカテーが、やや得意気に返す。
教授の能力は『物質の具現化』である。
通常の徒やフレイムヘイズが起こすのは風や炎、雷や氷などの『一時的な干渉』だが、教授の『我学』は本来なら自身のみに行う『顕現』を"他の物質"にも作用させる、『永続的な実体化』という特異独自なもの。
ちなみに本人曰く、『宝具にして宝具にあらず』。
「確かに凄いけど、協力してくれるかなぁ」
やや気のないように悠二は呟く。
今までの教授とのやり取りから、一筋縄ではいかなそうというイメージくらいは湧いている。
「ぼやくのはそのくらいにして、今日は早くその眠り姫を連れていってやる事だな」
少しからかうように言ったリャナンシーの言葉に目をやると、さっきまで起きていたヘカテーが立ったまま、こてんと悠二に寄りかかって寝息を立てている。
「‥‥‥くす」
なんの不安もなさそうなその寝顔に、意味もなく嬉しくなる。
横抱きに抱き上げて、小さな頭を少しだけ深く抱き寄せる。
眠りながら、嬉しそうに顔を埋める少女を連れて、悠二は自分達の部屋へと足を向ける。
先日の盟主謁見の式典にて、"坂井悠二の"披見は十分に済み、誰もが悠二の着任に異は唱えない。
しかし、それは悠二に限っての話である。
平井ゆかり、『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の巫女、"頂の座"ヘカテーの副官である。
が、悠二が認められ、盟主と巫女と実に親しいという理由だけで皆が皆、そんな今まで聞いた事もない役職に就かせる事に首を縦に振るわけもない。
"平井自身"を認められなければ意味はないだろう。
しかし、そんな実状は彼女にとってむしろ好都合だとさえ言えた。
「次!」
『星黎殿』内に設けられた鍛練場、封絶に囲まれたその空間で、少女の活発な声が響く。
死屍累々と(いや、死んでないが)積み上げられた『仮装舞踏会』の構成員達を背に、ビシッと胴着を着こんだ平井の触角がピコピコと上下に揺れる。
このやたら荒々しい催し、他でもない平井自身の発案である。
「構成員達に鍛練に付き合って欲しい」
ただそう、大々的に宣伝しただけ、それだけで今の平井の待遇を不満に思う者は続々と集まってきた。
結果はこれである。
「ぃよし! 次はオレだ!!」
そう意気込むのは『巡回士(ヴァンデラー)』のリベザル。
彼の場合、平井の腕試しというよりは『盟主の御前試合』に対するやる気に満ちている。
一度忠節を向ければこれほどに真っ直ぐ、かわいい甲虫である。
「‥‥はじめ」
両者の中間点くらいにいるヘカテー(審判)がピーッと笛を鳴らす。
「‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥」
両者、ジリジリと距離を取りながら円を描くように動く。
(いい感じ)
平井は、悠二のように一気に他者を惹き付けるような真似は出来ない。
むしろ、"馴染む"方が得意であると自覚していた。
だからこれは、あくまでも実力を示すための行為。
そして、ただ純粋な鍛練。
これから先の事を考えれば、悠二やヘカテーと肩を並べるだけの実力が欲しい。
少なくとも、限りなくそれに近い力が。
「ふんっ!」
開いていた距離から半歩踏み出し、リベザルが二本の右腕を振り下ろす。
元々が象ほどの巨体なのだ。それなりに開いていた間合いが容易く潰される。
(速っ‥‥!)
その見た目からは想像し難い速さの一撃を、しかし軽いステップで躱した平井が、さらに一足跳びでリベザルの懐に跳び込もうとして、
「捕まえ‥‥‥」
リベザルの上一組の両腕が、ハンマーパンチのように振り下ろされる、が‥‥‥
「た!」
「むっ!!」
バシッと、その一撃を平井が受け止め、その足下の床がひび割れる。
(ちぃっ!)
心中で舌打ちしたリベザルが、さらに下一組の腕で平井を捕らえようとして、
「なっ‥‥!」
平井がまるで曲芸のように、さっき受け止めたリベザルの上一組の両腕を"前転"する。
当然、下一組の腕は空を切り、
そのまま宙で体をひねりながら回した平井が、
「ムーンサルト!」
リベザルの角の根元を蹴っ飛ばし、軽々と、盛大に吹き飛ばす。
怒ったリベザルが騒ぎ、白熱するバトルを、少し離れた壁際で、悠二とリャナンシーが眺めている。
(ゆかりの強みは、あの身の軽さだ)
と、内心で感心する悠二の思考を読んだように、リャナンシーは問い掛ける。
「確かに彼女は速いな。だが、あの力強さは元来のものではあるまい?」
あっさり見抜いた紅世最高の自在師に、呆れまじりの感嘆を覚える。
「うん。実は今、『オルゴール』に『強化』の式を刻んでる」
そう、平井が身に宿す宝具・『オルゴール』は、一度刻んだ自在式を、本人の技量に関わらず半永続的に奏でてくれる。
今刻まれている『強化』は悠二が施したものだ。
「お、終わったかな」
興奮したリベザルが無茶をやらかす前に、審判のヘカテーが止めたらしい。
(‥‥うん、いける)
鍛練をこなしながら、平井はこの手応えを噛み締めていた。
能力のわからない相手との連戦。
向こうはこっちが気に入らないから本気でくる者も多い。
極めて実戦に近い環境の鍛練で、自分の力量がどんどん伸びていくのがわかる。
心地よい昂揚感だった。
(‥‥これの力なトコも結構あるけどね)
そっと、自分の胸に手をやり、その奥にある宝具を感じる。
どんな曲も自在に奏でてくれる『オルゴール』。
形を変え、決まった姿を持たない旋律。
(‥‥‥‥うん)
"万華響"の平井ゆかり。