「今度は何だ!?」
「知るか!! もうどうでもいい! 何もかも終わりだ!!」
「何泣き言言ってるんですか!」
「これは‥‥‥結界!?」
中国中南部に位置する、世界の命運を懸けた『仮装舞踏会(バル・マスケ)』と『フレイムヘイズ兵団』の戦場。
それを、四方に囲むように位置する都市や土地‥‥その全体が、深緑の光を放つ。
そして、それらを繋ぐように、深緑の光の柱が次々と生まれ、それら全てを光条が紡いだ。
“それ”は、あまりに巨大すぎて、その内に取り込まれた誰一人わからない。
いや、視覚ではなく、感覚で掴む者が‥‥四人。
「え? えっと‥‥」
今まで、吉田(と池)は、時間を掛けて回った四つの場所、そこに、『調律』の媒体を仕込んでいた。
「池君‥‥池君は、私とデートした場所の事なんか、すぐに忘れちゃうんだね‥‥‥」
同時に、紅世に関わらない、“在りのまま”のイメージを、人間たる吉田たちが記憶する。
「そんなはず無いじゃないかぁあああ!!」
『調律』、と言っても、以前カムシンが御崎市で行ったものと、このリャナンシーの『調律』では構成が異なる。
吉田でも『調律』の中心になれなくはない。しかし、カムシンの調律とは違い、『この世の本当のこと』を知る吉田の“認識”よりも、本当の本当に何も知らない一般人たる池の方が、遥かに有力な媒介になれる。
僅かな違いで絶大な効果を生む。“紅世最高の自在師”の御業である。
「吉田一美さん、彼の集中を乱さないで下さい」
「いや、こいつにはこの方が効く」
四つの都市の歪みを正す、『調律』の波動は、その全てが、力の向きを全ての自在陣の中心へと収束させる。
『調律』と『調律』が反応し合い、歪みという歪みを均していく。
その全ての穏やかな安らぎが、一点を目指して収束していく。
それは、世界を滅ぼす歪み‥‥『大災厄』の予兆を生む地。
(『調律』の自在法‥‥‥‥!)
しかも、見た事も聞いた事も無いほどの、前代未聞の大規模なもの。
これが、ゆかりが以前から手を回していた切り札か。
「ッ‥‥‥‥オオオオオオオ!!!」
黒天に咆え、気を抜けば一気に破滅へと向かいそうになる、暴れ馬のような力を全力で押さえ込む。
『調律』の安定と『大縛鎖』の歪みが攻めぎ合う均衡の中、それでも秘法の構築に全力を注ぎ込む。
黒天が広がり、渦巻き、銀影の大地から鎖が立ち上る。同時に、また空間に亀裂が走り、そこから‥‥“完全な無”が顔を覗かせる。
(いかん。この程度では‥‥‥‥)
世界を変容させる秘法の制御の甘さに、自身腹が立ち、さらに、莫大な力を己の統御下に置こうと、『創造神』は咆哮する。
(余の権能が勝るか、それとも世界の理が勝るか‥‥‥勝負とさせてもらおうか)
全世界を巻き込んだ、紛れもない“最強の敵”との絶望的な勝負に、黒き大蛇は燃えるように笑う。
「これが‥‥“天壌の劫火”‥‥‥」
巨大な、漆黒の塊を奥に秘めた灼熱の炎たる衣が、何かの形を取っている。
大きすぎて、この距離では全体の形がわからない。
先ほどまでの出来事、そして目の前の光景を前にして、不思議なほど静かな気持ちで見上げていた。
「‥‥‥‥‥‥‥」
愛しい少女を胸に抱いて、ふわりと浮かび上がる。少し昇り、離れれば、“それ”の姿が確認出来た。
『星黎殿』の城を踏み砕く太い足、夜風を裂く鉤爪を生やした長い腕、見る者を圧する分厚い胴体の上には、畏怖を与える角らしきものを生やした頭が見え、夜空を思わせる皮膜を張った翼を広げる紅蓮の魔神。
「‥‥不足の事態なのか、それとも‥‥初めからこれを狙っていたのか‥‥?」
それが、遠雷のような戸惑いの呟きを漏らす‥‥それだけで肌を灼くような熱波に襲われる。
まったく、とんでもない化け物だった。
「“いや”、僕もこれは考えてなかった。本当に‥‥僕は良い仲間を持った」
悠二の胸には、瞳を閉じ、水色の火の粉を舞わせる少女。
「‥‥‥誤算では、無いのだな」
そして、アラストールの胸には、一糸纏わず、まるで母の胎内で眠る赤ん坊のように自身を抱き、眠る‥‥‥紅蓮の少女。
「いずれにしても、我はこのまま‥‥貴様らの暴挙を見逃す気などない‥‥!」
その、わかりきった答えを受けて、悠二は目を閉じ‥‥また開いた。
「ああ」
その黒の瞳が、紅蓮の輝きに怯まず、この世の何よりも強い光を宿す。
(ヘカテー、少し‥‥待っててね‥‥‥‥)
もう一度目を閉じて、愛しい少女の頬に、自身の頬を重ねて、片手きりの腕で、傷に障らない程度に強く、抱き締めた。
そして、ヘカテーを頭上のベルペオルの許へと『転移』させようとした、その時‥‥‥‥
ぎゅっ‥‥‥
「っ‥‥‥!」
ヘカテーの小さな手が、弱々しく‥‥“しかし最強の力を以て”、緋色の衣を握りしめていた。
「ヘ、カテー‥‥‥」
意識があるのか、そう思って呼び掛けた悠二の声には応えずに‥‥ヘカテーの全身から、淡い水色の光が溢れでる。
「‥‥‥‥‥‥‥」
不思議と、引き留める力はなく。するりと悠二の腕の中から抜け出たヘカテーは、瞳を閉じたまま両手を組んで、神に祈るような姿で、ゆっくりと天に昇っていく。
すぐ近くに紅蓮の魔神が顕現している、黒き『創造神』が天に顕現している、世界崩壊と、それを止める調律がぶつかっている、徒とフレイムヘイズの戦争が起きている。
これほどの異常な状況下で、誰もが目を奪われる。
理屈も理由も存在しない、それはただどこまでも神秘的な‥‥水色の星。
『 新しい 熱い歌を 私は作ろう 』
歌が、響いた。
『 風が吹き 雨が降り 霜が下りる その前に 』
見る者全ての心を奪うような水色の星から、しかしただ一人の少年に向けて‥‥歌声が響いていた。
『 我が恋人は 私を試す 』
そして、少年の上に、雪のように降っていた。少女が愛した‥‥銀色の光の粒が。
『 私が彼を どんなに愛しているか 』
「これ、は‥‥‥」
アラストールは、その歌と、かつての“自分たち”の戦いに半ば無理矢理引き込まれ、自失する。
雪のように降る銀に呼応するように、悠二の胸の灯りが脈動する。
『 どんな諍いの種を 蒔こうとも無駄 』
それは、ヘカテーが『大命』のために使わず‥‥少年の消滅を恐れ、秘していた‥‥最後の『大命詩篇』。
消耗しきった悠二の全身に、世界を変えんとしている『創造神』の力が流れ込む。
黒い炎が、少年を中心に渦を巻く。
『 私は この絆を 解きはしない 』
「ッ‥‥‥オオオオオオオ!」
癒える事の無い胸の痛みが、失ってしまった大切な人が、アラストールの胸に鮮明に描かれる。
『 かえって私は 恋人に全てを与え 全てを委ねる 』
眼前の魔神の紅蓮にも劣らない圧倒的な黒炎が、少年の手に在る魔剣に凝縮されていく。
『 そう 彼のものとなっても構わない 』
「っこの砕け割れる世界を目にして! まだ世の理を変えるなどと戯れ言を並べるか!!?」
自身の‥‥痛みを伴う愛に、今なお胸に眠る娘を重ね‥‥“不覚にも”アラストールは、少女のために叫んでいた。
『 酔っているなぞとは 思い給うな 』
「貴様の願いが過ちであると、“これ”を目にして何故わからん!!?」
「わかってる!!」
異常な熱波を撒き散らし、落雷のような怒声を放つ魔神に、悠二は一歩を退かず、叫び返した。
そう‥‥‥“坂井悠二”が。
『 私が あの美しい炎を 愛しているからといって 』
「これが、世界そのものを巻き込む勝手な願いだって事も! その結果が、世界崩壊の危険を招いてるって事も! 全部わかってる!!」
叫び、迷わず、剣を魔神の灼眼へと鋭く振り、向けた。
『 私は 彼なしには 生きられない 』
「アラストールだって、そうだろ!? 善も悪も関係ない、自分が信じた道を、自分の大切なもののために歩いてるはずだ!!」
『 彼の 愛の傍にいて はじめて 』
「っ‥‥‥‥ならば、“我ら”の生き様も、わかっていような!?」
『星黎殿』に山のように聳える紅蓮の魔神の前に浮かぶ‥‥たった一人の少年。
しかし、両者は今、全くの対等な存在だった。
『 私は 私になれる 』
歌声が響き終わり、銀の雪は、少年に降り終えた。
少年の黒が、空を染め上げる。その内側‥‥少年の全身から、淡い銀光が滲み出る。
「ああ‥‥“僕ら”の道とは違う、今は絶対に相容れない。だから、戦おう」
完全稼働を果たした『大命詩篇』。
『創造神』と完全に同調してなお自我を失わない少年と、紅世真正の‥‥紅蓮の魔神。
二つの炎が、罅割れる星空を染め上げ、焼き尽くす。
「ふぅ‥‥‥‥」
右手の中指に嵌めた、銀色の指輪を見る。
『詣道』から帰還する時に、フリアグネから投げ渡された火除けの指輪・『アズュール』。これが無ければ、巻き添えで丸焼けになっていた所だ。
(感謝、しないとね‥‥)
そして、もう一つ‥‥両手でしっかり握った宝具を見る。
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
痛む体を、重い空間で必死に動かして、何とか動いた腕と指先で‥‥‥
「後は、頼んだよ‥‥‥」
泣かせないと、悲しませないと決めたから。
「最後は‥‥ビシッと決めてよね‥‥!」
ミステスの少女は、引き金を引いた。
それは、少なくとも少年にとっての‥‥‥
幸せを運ぶ引き金。