「燃えろ‥‥!」
構えた大太刀に、渾身の力を込めて、紅蓮の炎を溢れさせる。
(違う! これじゃ勝てない!)
迫る黒き八岐の炎蛇を前に、迸る紅蓮の大太刀に不足を感じる。
シャナの身の丈の数倍にも及ぶ、巨大な灼熱の刃。以前とは比較にならない貫通力と熱量を誇るそれを‥‥‥
(もっと、細く‥‥)
全方位から押し込めるように、収束・凝縮させてゆく。
(もっと、束ねて‥‥)
それは瞬く間に『贄殿遮那』を一重に包むほどにまで縮められる。刃から煌めく紅蓮が、先ほどまでとは比較にならない。
(よしっ!)
シャナが、その身に宿る紅蓮の炎を完全に御しきった瞬間であった。
「『断罪』!」
己が契約者の権能の一つでもある名を誇るように叫び、黒き大蛇に立ち向かう。
まるでそれは、自分と少年を阻む最後の壁のように映った。
蠢き、のたうち、迫る八岐の顎門。その動きを、『審判』の灼熱の瞳が捉える。
まず、左右から二匹の黒蛇が喰いついてきた。
シャナはその動きを見切り、左足を軸に回転するように一薙ぎ、同時にその双頭を斬り払う。
先ほどとは違う。顎門を斬った一撃、そこから奔った紅蓮だけで大蛇の全身を消滅させる。
シャナはそれを確認するでもなく、また前に駆ける。
今度は前方と左右から三つ、大蛇の顎門が迫る、先ほどのように左右の黒蛇を断ち斬り、隙の無い連撃で前方の蛇の眉間に刺突を繰り出し、三匹同時に散るように弾けた。
その、シャナの背後から忍び寄っていた六匹目の大蛇が、後ろからシャナに喰らいついた。
「っ‥‥‥‥!?」
‥‥と、見えた瞬間、脇から通すようにシャナが突いた『断罪』の炎刃に消される。
(後、二匹‥‥‥!)
六匹もの『蛇紋(セルペンス)』を斬り砕いた事で、大太刀に宿る紅蓮の煌めきはややその光を薄れさせている。
だが、まだ終わらない。
目の前に、七匹目の黒蛇がシャナを丸呑みにせんと、その大口を開いた。
当然これを斬り捨てようと構えたシャナの目の前で‥‥‥
「っ! ぁああ!!」
黒蛇の口から、銀色の炎の大波を吐き出された。
至近から受けた大威力の炎に曝されて、しかしシャナは、
「っどけぇえ!!」
怯まず、退がらず、体を銀炎に焼かれるのも構わずに、膨大な銀炎の波ごと黒蛇を断ち斬った。
「悠二!!」
着地も待たずに叫び、求めた少年を見れば、最後の大蛇の体が、魔剣・『吸血鬼(ブルートザオガー)』に絡み付き、猛る黒炎を迸らせている。
着地と同時、求めるまま、欲するままに駆け出した。
『覚えておけ。ここにあるものは、“紅世の王”さえ一撃で虜にする力を生む‥‥‥』
(‥‥『最強の自在法』)
「「はぁああああ!!」」
黒い蛇剣と、紅蓮の炎刃が奔り、爆発するように大気が弾ける。
(っ!?)
悠二は、その違和感に目を見開く。
シャナの一撃は、予想外に熱を感じず、そして予想外の軌道で『吸血鬼』を横から弾くように押さえた。
そして、シャナの体勢に、違和感がある。常なら両手で刀を振るうシャナが、まるで自分のように片手で大太刀を‥‥‥
(っ違う‥‥!?)
違う、『吸血鬼』と真っ向からぶつからず、弾いたのは、“『贄殿遮那』ではない”。
素手から形成された紅蓮の大太刀だった。
そして、シャナ自身の体に隠されて、右手に握られた紅蓮に輝く『贄殿遮那』が見えた。
(“二刀”!?)
(悠二‥‥‥)
シャナは、右手の大太刀を握る手に、力を込める。
(‥‥最強の、自在法‥‥そう‥『愛』‥)
その刀身には、紅蓮に煌めく『断罪』の炎が宿っている。
(私の想いの全部‥‥込める)
剣と炎、それはシャナの想いの全てを映し出したような、『顕現』。
(届け!!)
「シャ、ナ‥‥‥‥?」
「‥‥‥‥‥‥‥」
咄嗟に防御した、『草薙』の炎を纏った左腕が‥‥‥ボトリと落ちる。
叫びたいほどの激痛、しかし、それ以上の衝撃に、悠二は信じられないように呟いていた。
自分でも、全く不可解。
遠慮容赦の一切無い斬撃でありながら、その姿が‥‥まるで、自分を求める時のヘカテーと、重なったのだ。
シャナの斬撃に、ヘカテーの口付けと同じ感情を感じとった。
そして‥‥何よりそれを自分の勘違いとは全く思えない、というのが‥‥本当に不可解だった。
「そう‥だった、のか‥‥‥」
そのシャナの横腹に、悠二の後頭から伸び、地中を潜り、背後から細く鋭く貫いた‥‥漆黒の竜尾の先が生えている。
「‥‥やっと、届い、た‥‥‥」
満足したように、今まで一度も見た事が無いような穏やかな微笑みを浮かべて崩れ落ちるシャナの体を、悠二は『吸血鬼』を手放して、慌てて支える。
「‥‥‥‥‥‥‥」
ただのフレイムヘイズ、そう思っていたわけじゃない。
同じ街で過ごして、一緒に戦って‥‥『シャナ』という一人の少女が変わっていた事も、気付いていた。
その上で、あるいはだからこそ、使命を果たす少女‥‥そう思っていた。
(でも、違った‥‥‥)
それだけじゃ、無かった。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ごめん」
長い沈黙の後、それだけを小さく小さく呟いて、そっとシャナの体を横たえる。
斬り落とされた左腕を押さえながら、こちらに駆け寄ってくる水色の少女に目をやる。
「‥‥‥勝ったよ、ヘカテー」
横たえた少女の体は、炎となって散ったりは、しない。
「‥‥‥はあっ、やっぱヘカテー先に行かせるんじゃなかったかも」
頭がふらふらする。足取りも覚束ない。しかし、戦いの気配が止んで、やたらとそわそわするヘカテーを引き止める気にもなれなかった。
(悠二は、負けないよ‥‥‥)
自分は、ヘカテーほど焦りはしない。悠二は勝つと、信じている。
「あぅ‥‥‥‥」
思う間に、貧血気味によろめく。考えているのとは裏腹に、何だかんだでかなり急ぎ足になっている自分に苦笑する。
(今頃、ヘカテーと勝利の抱擁‥‥って所かね)
そんな少年を想って、駆けずり回る自分。それほどまでに自分を惹きつける少年。
‥‥‥何か、色々と納得のいかないものを感じる。
よくもまあ、あんな可愛らしい恋人を連れて、自分をこうもメロメロにしてくれたものだ。
近づくにつれ、悠二が勝った事を、予感ではなく感覚に捉え、確信する。
「いよいよ、ハッピーエンドかな‥‥‥」
全く、難儀で、素敵な少年に惚れてしまったと、平井ゆかりは嬉しそうに笑っていた。
「ふっ‥‥ひぐっ‥‥!」
泣きじゃくりながら、傷口に包帯を巻くヘカテーの頭を、悠二はひたすらに撫で続ける。
「ほら、怪我だけで済んで良かったんだから、泣かないで?」
治療の途中だが、片手で少し強引にヘカテーの体を胸に抱き寄せる。
「ヘカテーも、あんまり怪我しないで良かった」
「でも‥‥‥‥!」
愚図るヘカテーは、駄々っ子のように見えて妙に可愛らしい。
でも‥‥‥‥
「泣かないで」
「あ‥‥‥‥」
この瞬間を、自分たちが目指してきたものの結実を、涙で迎えたくはなかった。
だから、抱きしめて、慰める。
悠二の思惑、あるいは期待通りに、胸元から幸せそうな吐息が聞こえた。
「上、見て‥‥?」
「あっ‥‥‥‥‥」
広がる黒天、銀に染まる大地、のたうつ黒蛇の『創造神』。
二人並んで、目指したものの姿を見上げる。
その顔が、蒼白に染まる。
黒天が照らし、銀影が広がり、秘法・『大縛鎖』はその力を伸ばしていく。
このまま、もはや誰一人阻む者などなく広がる‥‥‥『創造神』の権能。
ピシッ‥‥‥
そんな中、唐突に、罅が‥‥‥入った。
ピシッ‥‥ピシッ‥‥!!
地割れ、ではない。罅割れ‥‥“空間に罅が入っていた”。
眼下で、圧倒的な劣勢と『創造神』の復活に、半ば絶望を抱きながら炎を振るっていたフレイムヘイズ。
世界の変容に心踊らせていた『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の徒たち。
そして何より‥‥秘法を完全に発動させようとしている『創造神』“祭礼の蛇”が‥‥‥‥‥
最悪の予感に寒気を感じる。
否、それはもはや予感などではない。
誰もが見た事はなく、しかし知識としては知っていた。
フレイムヘイズに力を貸す王は、本来は絶対に阻むべき対象として。
この世を謳歌する徒は、本当に起こるかどうかもわからない推測、自分たちの自由が脅かされる理由として。
「見ろ‥‥‥これが、結果だ」
星の神殿でその光景を見上げる銀髪の剣士が、吐き捨てるように言う。
「“どうしようもない事を変える”、仲間を殺さずにいたい。お前の望みが、甘さが、子供の絵空事が招いた‥‥これが結果だ」
ねじ曲げられたこの世の変質が『歪み』を生み、広がる歪みがいずれ、この世と紅世の両界を崩壊させてしまうのではないか、という危機説。
それが、今、目に、耳に、肌に感じられている。
『創造神』の秘法による極限の歪みがもたらす、世界の崩壊。
「『大災厄』‥‥‥!」