「‥‥‥‥‥‥‥」
前には、シャナ。そして後ろには、ゆっくりと歩み寄ってくる隻眼鬼面の鎧武者。
考える暇も無い。警戒すらしていないんじゃないかとさえ思える足取りだった。
(こっち、だ‥‥!)
思い、鎧武者・『天目一個』を黒の瞳に捉える。
感知能力には自信がある。シャナの攻撃なら、例え死角から受けても何とか対応出来る。
だが、『天目一個』には気配が無い。絶対に視界からは外せない。
(おまけに、自在法も効かない)
どういう理由で死んだはずのミステスがここに居るのかわからないが、こんな化け物がいる中でシャナとの戦いなど出来るわけも無い。
そうそうシャナに背中を見せてもいられない。
(こんな所で、邪魔されてたまるかっ!)
「退け、強き者よ‥‥‥」
まさに、一瞬。
圧倒的な実力の差があったわけでは、もちろん無い。
むしろ、紙一重の差でこちらの首が飛んでいた。
シャナに背を向けてはいられない悠二が、この瞬間に全力で勝負を懸けたからこその、一瞬。
対する『天目一個』は、悠二に対して“敵意など欠片も持っていなかった”。
ただ、“自分の主たる少女の手に己を託す”。その邪魔者として斬り捨てようとしただけ。
ある意味、当然の帰結。
ッッ!!
神速一閃。
紙一重で大太刀を掻い潜った悠二の『吸血鬼(ブルートザオガー)』が、鎧の胴体を横薙ぎに両断していた。
(危な、かった‥‥‥!)
そのまま、斬撃の勢いを殺さずに体を半回転させた悠二の裏拳が、両断され、浮いた上半身に叩き込まれ、鎧を粉々に打ち砕く。
体が、思い出したようにその頬に冷や汗を流した。
一瞬にして粉砕された隻眼の鬼面鎧。しかし、その握られた‥‥彼の本体たる大太刀は、衝撃でくるくると宙を舞って‥‥‥‥
パシッ!
一人の少女の手に納まった。まるで、初めからそこが自分の在るべき場所だと言うように。
「主よ、御許に‥‥‥」
既に鎧の姿を失った大太刀そのものから、それだけ聞こえて、それはただ一振りの刀へと戻る。
「‥‥‥おかえり」
ただ、剣として、己を振るう主の許へと、自身を届けに来た。
その一途に過ぎる在り様の清々しさに、シャナの顔に穏やかな笑みが浮かぶ。
求め、本当に来てくれた、自分にとっての無二の愛刀を、シャナは強く握り、真っ直ぐに差し上げた。
「一緒に、行こう」
彼女が討ち手として立った時から、常に共に在り、難戦苦闘を踏み越えてきた戦友を手に‥‥『炎髪灼眼のシャナ』が、立つ。
「‥‥‥かり、ゆ‥り‥‥!!」
(‥‥‥う?)
耳というよりは、頭に直接響くような声に打たれ、意識が呼び起こされる。
「‥‥り、ゆかりっ!!」
「っ‥‥‥‥!」
と、さっきまでの虚な感覚から一転、悲鳴に近い声をようやく聞き取り、意識が完全に引き戻される。
(‥‥‥あ、ヘカテーだ‥‥‥)
しかし、意識は戻っても、どうにも頭の方は鈍い。
薄く開いた目で、のろのろと辺りを見渡す。
「‥‥んむ、ヘカテーの膝枕‥‥‥?」
「ゆかり!」
目覚めて最初のやや的外れな発言にも、ヘカテーは泣きながらすがりつく。
(あれ‥‥‥、何だっけ‥‥?)
何故、ヘカテーが泣いているのだろうか。というか、何故自分は寝てたのだろうか?
あれ‥‥『大命』してて、何か戦って‥‥寝てる様な状況では無かったはずだったのでは?
と、考えがまとまらないまま、何気なく自分のお腹の辺りに手を置いて‥‥
「‥‥‥あれ?」
生暖かいものを感じて見てみれば、手にベッタリと血糊が付いている。
さらによく見れば、お気に入りの青い胸甲鎧は外され、巻かれた純白のリボンに赤黒い染みが浮かんでいる。
「っ!?」
慌てて胸に手を当てて、悠二やヘカテーとお揃いの銀色のロケットの無事を確認して、ホッと安堵の溜め息を漏らす。
(‥‥‥ああ、そうだそうだ)
その深い斬り傷に、ようやく気絶する前の事を思い出す。
『フィレスさん!!』
あの時‥‥咄嗟に、フィレスを突き飛ばしたのだ。
そして‥‥斬られて気絶した、という事か。あれだけ無防備に飛び出して命があるだけ幸運、だが‥‥‥
「‥‥あれから、どうなった? どれ、くらい‥‥経った‥‥?」
まだ、体に力が入らないし、頭がぼぉっとする。多分、血が足りないのだろう。
起き上がろうとした頭をヘカテーに押さえられると、自分でもびっくりするくらいあっさりとヘカテーの膝に沈んだ。
「‥‥ゆかりを斬り倒した後、何事も無かったように立ち去りました。多分‥‥サントメールの所です」
「‥‥シカトされて良かった」
ヘカテーがよく逆上しなかったなあ、と思いかけて‥‥自分に施された手当てに思い当たる。
以前のヘカテーなら、感情任せに暴走していただろう所だ。
「‥‥‥成長したねヘカテー、お姉さんは嬉しいぞ‥‥‥」
「‥‥バカな事言ってんじゃないの」
何やら予想外な所から返事が返ってきたので見てみれば、微妙に罰の悪そうな顔のフィレス。
「‥‥フィレスさん、本当にもう逃げたら? シャナならわざわざ連れてかなくても、『生け贄にされたくなければー!』とか理由つけて他の徒から保護出来るし‥‥‥」
シャナが死んだ場合なら尚更、ここにフィレスたちが残る意味は無い。
ゆかりが言わなかった部分も、明確にフィレスには伝わった。
その後ろでヴィルヘルミナも、メリヒムも、何も言わない。
もはや、戦うどころか逃げる力すら残っていない身で、何を主張する権利もなかった。
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
何を言おうか、どう決断しようか迷い、傍ら、恋人たるヨーハンに視線を向けるフィレスの返事を待たず、ゆかりは今度こそふらつく体を何とか起こす。
「ゆかり!」
「よし、行こっか。ヘカテー」
怒ったように指摘したヘカテーに寄りかかり、そのまま肩を借りる。
自分がこんな状態でなければ、ヘカテーが今一番心配するのは誰か、考えなくてもわかる。
それに、自分だって‥‥‥‥
「悠二の戦いを、見届けに行こう」
「‥‥‥‥シャナ」
「‥‥‥‥悠二」
両者、円を描くように、一定の距離を保ちながら、歩く。
剣を握る手に、加減は一切無い。
「シャナたちが、こうするって‥‥フレイムヘイズの使命のために最後まで戦うって‥‥何となくわかってた」
いつかの戦い、シャナの心を折るために重ねた辛辣な言葉。
「それでも、戦いたくなかった。それは‥‥僕の甘さなんだと思う」
もう、止められない戦いの中に在る今、本音を隠す必要も無い。
「でも‥‥そんな、『純粋な使命』を果たそうとする君たちだから、“わがままは捨てない”」
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
シャナは、自身の事を理解する少年の言葉に胸の内を熱くしながら‥‥‥
(でも‥‥足りない)
と思っていた。
少年の声色から、表情から、自分を『ただのフレイムヘイズ』として見ていない事は明白だったが、やはり、自分の『想い』の事には全く気を向けていない。
否、知りもしない。
「だから‥‥‥‥」
悠二は言って、シャナも同様に、心の内で同じ言葉を重ねていた。
「「絶対に、手加減しない」」
今度は、声となって重なった。
互いに、違う望みのために、同じ手段を以て‥‥全力の戦い。
「喰らえ!」
悠二の左手に黒の自在式が瞬間、絡み付き、黒炎の大蛇がシャナに襲い掛かる。
襲いくる悠二の『蛇紋(セルペンス)』にシャナは全く退かず、むしろ飛び出した。
「『断罪』!」
シャナの両手に強く握られた大太刀が紅い炎を纏い、灼熱の紅蓮の大太刀を生み出す。
その、真に在るべき刀から奔る炎刃が、襲いくる黒蛇の顎を捉え‥‥‥
「っだああああ!!」
構わずそのまま前進するシャナの手で、割くように二つに断ち斬られていく。
「だったら‥‥‥」
本来の愛刀を得たシャナの『断罪』の威力に臆さず、悠二は炎を纏う左手の指を複雑に繰った。
「っ!?」
『蛇紋』を斬り裂き走るシャナが、驚愕に目を見開く。
たった今まで通常の炎の蛇だった『蛇紋』の炎が、まるで溶岩のようなどろどろとした粘性の物へと変質していた。
炎の刃がぬかるむように止められる。しかも‥‥‥
「なっ!?」
真っ二つにした蛇の頭が二岐に岐れて、こちらに旋回していた。
「弾けろ」
悠二の言霊に誘われて、その溶岩のような蛇の全身が膨らみ、バチャッとシャナを呑み込んだ。
「こんな、ものぉっ!!」
直接触れれば骨まで溶かす溶岩の波を、シャナは『真紅』の外套に全力の力を注いで阻み、突進した。
そのまま、紅蓮の力を帯びた左手を突き出す。
「『真紅』!!」
その左手の延長に結晶するように、紅蓮の巨腕が生まれ、城壁をも砕く拳撃を繰り出す。
「甘い!」
その巨大な拳撃をも、悠二は長々と伸長させた竜尾の一振りで受け止めてみせた。
しかし、止められた巨腕はそのまま大きく横に払われる。
その隙に、シャナ自身が悠二の懐に飛び込んでいた。
「はあっ!」
迎え討つ悠二の大剣を、一瞬よりも短い一撃で払ったシャナは、
「っ! ‥‥だぁっ!」
咄嗟に振るわれた悠二の左拳を顔面に受け、その怪力に小柄な体を撥ね飛ばされる。
ガリガリと石床を削りながら踏み止まろうとするシャナに向けて‥‥‥
「喰らい尽くせ!!」
八岐の首を持つ黒炎の大蛇が、放たれた。