「‥‥どういう事だ?」
力尽きて倒れ、天を仰ぐ。
自分の右腕が宙で、虹色の火の粉となって消えた。
胸を抉るようにもぎ取られた右腕の付け根が、酷く痛む。
戦う力は、残っていなかった。
「‥‥さっきのは、"僕じゃない"」
自分の横に、ドサッと腰を下ろした少年が、自分が見上げていたのとは別の天を指差した。
そこには、翡翠の羽衣を纏って飛んでいる、ミステスの少女。その手に、以前鍛練の時に目にした黒い筒が握られている。
確か‥‥‥
「‥‥『リシャッフル』、だったか‥‥‥?」
「ああ‥‥、僕一人じゃ、勝てなかった」
認めたくない事実を突き付けられ、同時にその言い草が腹立たしくて、舌打ちして顔を反対側に向ける。
そして、顔を背けた向こうで、悠二が立ち上がる気配がして、覚悟し、目を瞑る。
「‥‥‥‥‥‥‥?」
しかし、覚悟していた感覚は無く。どこかに歩いていく靴音のみが聞こえる。
訝しげに思って目を向ければ、やはり愛剣の方がしっくり来るのか、『贄殿遮那』はそのままに、さっき弾かれた『吸血鬼(ブルートザオガー)』を拾っていた。
しかも、それをこちらに向けてくる気配は無い。
「‥‥‥‥おい、とどめはどうした?」
「‥‥‥‥もう立てもしないくせに、何言ってるんだ?」
確かに、最早今の自分は脅威でも何でもないだろう。
だが‥‥‥
「っ甘ったれるのも、いい加減にしろ! その程度の覚悟で世界を変えるなど‥‥‥」
「甘いのはそっちだろ。敗けた側に、とどめだの何だの決められると思ってるのか?」
不覚にも、"少年のために"怒鳴っていた自分に腹が立つ。
‥‥反吐が出る。
「手加減なんてしてないよ。メリヒムが死に損なったのは、"お互いに"運が良かったんだ。わざわざ討滅なんてしてやらないよ」
バシイッ!
そう語る悠二の、『吸血鬼』を握る手に、純白のリボンが巻き付いた。
その先に、言わずと知れたヴィルヘルミナ。
「‥‥‥それに、とどめ"させなく"なったみたいだし、ね」
悠二が言い終わるか終わらないか、という瞬間‥‥‥
ドォオオン!!
悠二とメリヒムの間を、リボンすらも含めて、紅蓮の力が断ち斬った。
見上げる宙天で紅蓮の翼を広げ、燃える灼眼でこちらを見下ろす‥‥『炎髪灼眼の討ち手』。
「シャナ‥‥‥‥」
その背にした黒の『神門』が、砕けた。
「ぬおっ!」
臙脂色の嵐が吹き荒れ、直下の、もはやほとんど包囲されたフレイムヘイズ兵団からの炎弾の雨の全てを阻む。
「やれやれ、どうしてこの姿を目にして、それを阻もうなどと考えるのかねえ?」
捨て身で飛び込んできたフレイムヘイズたちが、その金色の三眼に睨まれた途端、いきなり金に燃え、消滅した。
「ェエーキサイティングッ!! ェエークセレントッ!! こぉーれぞ空前絶後にして前代未聞! こぉーれまで誰一人として成し得ず‥‥ぃ否っ! 実行に移そうともしぃーなかった世界の新・生ぃいーっ!!」
UFOのようなおかしな乗り物に乗っている白緑の科学者がひたすら計測しつつ騒ぎ。
「ッオオオオオオ!!」
そして、黒の大蛇が天を仰ぎ、咆える。
天が黒雲よりなお暗い、闇そのもの如き黒に染まり、地がそれに照らされ、銀に塗り潰される。
『創造神』の権能は天を裂き、地を呑み、世界にその力を伸ばしていく。
やがて、天から黒が一筋降り、地から銀が一筋伸び、"二つのもの"を紡いでいく。
(見よ、『仮装舞踏会(バル・マスケ)』‥‥)
炎は、黒蛇を中心に渦巻く。
(見よ、『三柱臣(トリニティ)』‥‥‥)
力は、黒蛇を中心に伸びる。
(見よ、坂井悠二‥‥‥)
鎖が天と地を、世界と世界を結びつけていく。
(この世の理を、変えてみせる‥‥‥!)
「下がれ! 『仮装舞踏会』の徒たちよ!!」
砕ける『神門』の下、少年の声が朗々と響く。
「『大命』成就に手を伸ばすこの今! 最早我らの脅威は"天壌の劫火"のみ! 魔神の供物にされたくなければ、天に昇り、『創造神』の守護に務めよ!!」
『星黎殿』に取り巻く徒たち、今まさにシャナに襲い掛かろうとしていた徒たちが、戸惑い、固まる。
「ぐずぐずすんな! ここは私たちに任せてさっさと上がる! 十秒以内!!」
続いて『姫』の怒声が響いて、弾かれたように動き始める。
「‥‥貴女たちも、逃げて下さい。これ以上あがいても無駄。後は追いません」
冷たく呟く水色の巫女の周囲を、回避不可能な星の嵐が渦巻いていた。
言われたフィレスは、砕け散った『神門』を見据えて‥‥‥
「‥‥そうさせてもらおうかな。もうこれ以上、待つ相手もいなさそうだし。下手すると私でも生け贄にされかねないし‥‥」
そして、『星黎殿』で倒れる青年と、その傷を処置する給仕を見て、最後に紅蓮の少女を見る。
「あの二人の戦いを、見届けたらね」
「‥‥‥‥‥‥‥」
悠二が、メリヒムやヴィルヘルミナから意識を移した事を確認してから、上空に視線を移す。
「アラストール‥‥‥」
「‥‥ああ、間違いなくあれが、"祭礼の蛇"。そして‥‥世界の理をねじ曲げる秘法だろう」
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
目を閉じて、あの街で『彼ら』に出会うまで、呼吸するように当たり前に認識していた『使命』に、気持ちを向ける。
今、"天壌の劫火"アラストールのフレイムヘイズ、『炎髪灼眼の討ち手』が取るべき行動を、正確に理解して‥‥‥
「‥‥わがままでごめんね」
短く、謝って。
「悠二!!」
眼下の少年に、叫んだ。
(‥‥‥‥‥"悠二"?)
初めての、その呼ばれ方を怪訝に思いながら、悠二はもはや数少ない尖塔の頂きにその足を着く。
そして、シャナの上方で砕けた‥‥『神門』が在った空間を見る。
(『詣道』を‥‥崩壊させたのか。シュドナイとフリアグネを助けるために‥‥‥)
つまり、マージョリーたちは‥‥‥‥
「‥‥‥‥‥‥‥」
気を抜くと千々に乱れてしまいそうになる心を、まるで瞑想のように瞳を閉じて落ち着ける。
全て、覚悟していた事。
メリヒムを殺さずに止める事が出来たのだって、奇跡に近いものなのだ。
「‥‥‥ようやく、ここまで来た」
「‥‥‥‥‥‥‥」
シャナと戦う覚悟もあった。
だが、何故シャナからこちらに降りてくるのか、意図が読めない。
てっきり、『彼』を討滅しようと上に向かうシャナを阻む形で戦う事になると思っていたのだが、予想に反して、シャナは自分の目の前の尖塔まで降りてきた。
言っている意味もよくわからない‥‥‥が、好都合だ。
「‥‥シャナの使命はわかってる。でも、ここで止めさせてもらう」
『天破壌砕』
祝詞と供物によって、"天壌の劫火"を『神威召喚』する、『炎髪灼眼の討ち手』にのみ許された秘法。
それは、『神』としての権能を振るう『天罰神』を召喚させる、という性質上、『器』たる契約者‥‥この場合はシャナが、砕け散る。
そして、供物とは"紅世の徒"。徒を生け贄‥‥‥『心臓(コル)』とし、契約者の祝詞で呼び出される事で、『天破壌砕』は発動する。
『創造神』の‥‥『大命』の最大の障害であり、シャナの死を意味する行為。
(だから‥‥"僕が"止める)
言い換えれば、供物たる徒がいなければ、この秘法は成立しない。
余計な介入は既に除いた。後は‥‥"ミステスである"自分がシャナを止めさえすれば‥‥
(全てに、決着が着く)
「‥‥フィレス」
「‥‥皆、ボロボロね」
一番深手なのは明らかにメリヒムだが、もはや全員、まともに戦える状態ではない。
しかも‥‥‥
「「‥‥‥‥‥‥」」
ちょっと離れた所で、ヘカテーとゆかりが睨みを効かせている。
「悪いけど、もう私たちの敗けよ。悠二がシャナを戦闘不能にしたら‥‥‥」
それは、シャナに勝ち目がない、と言っている様に聞こえた。
「私は‥‥この場の全員"攫って"、戦線離脱する」
(悠二‥‥‥‥)
剣を向け、今から戦う相手に‥‥"戦意以外の"熱い気持ちが湧き上がる。
矛盾していて、それなのに全く抑えられない気持ちが溢れる。
「私は、"貴方"を止める」
自分はいつだって‥‥
『お前はただのトーチ、私はただのフレイムヘイズ』
『勝手に名前を付けないで』
『そんな名で‥‥私を呼ぶな!!』
『自惚れるな! 坂井悠二!!』
気持ちを‥‥巧く言葉に出来た事など無いのだから。
『私が信じているのは、紛れもない貴女自身なのでありますから』
『お前の道は、お前が決めろ』
『ここに在るのは、紅世の王さえ一撃で虜にする力を生む‥‥‥‥』
「行くぞ!」
(今度こそ、届かせてみせる‥‥‥‥)