双頭城門から一直線。大扉を三つほども開いた先に先に広がる、五廊式の大伽藍。
白いトンネルのような果てしなく広い空間、床には赤い絨毯が、祭壇ではない、"舞台の上の舞台"に伸び、天井にはフレスコによる彩色が一面施されている。
それは、通常見られる宗教的な図面とは異なる。
中央を大きく貫きのたうつ黒い蛇と、それを背に広がり奔る"紅世の徒"達。
誰も絡み合わず掴み合わない、切り裂かれず切り裂かれない、噛み砕かず、噛み砕かれない、ただ蛇を中心にどこまでも進んでゆく、彼ら『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の有り様だった。
「見ていろ馬の骨が。参謀閣下や大御巫への礼儀を、この俺が叩き込んでやる」
今、この図を解する者多数、解さぬ者もまた多数、『仮装舞踏会』の構成員達が、絨毯から数歩の間を置いて詰めかけ、犇めきあっている。
そう、永く空座だった『盟主』。
その謁見の式典と、『大命』の令達である。
「ほ、本気でそんな大それた事を!?」
『大命』という言葉を初めて聞いた構成員も、実のところ多い。
組織の秘中の秘たる"何か"というのが大半の構成員達の認識である。
「やめなよリベザル! 絶対不味いってば!」
その『大命』が、盟主と共に明かされる。
数千年も昔の存在である盟主と、それが本気で取り組む『大命』。
いずれものイメージが桁違いすぎてピンときていない者こそいるが、それでも彼らの熱気は最高潮に達していた。
「構うものか。俺たちは位階等級によって畏怖や敬慕を受けるわけじゃない。ただ力によって、それのみが互いの在り方を決める」
そんな流れにあって、熱狂に同調する"どころではない"三人。
言うまでもなく、ストラス、ピルソイン、そしてリベザルである。
ストラスもピルソインも、巨体のリベザルの上部一組の腕に抱え込まれているという珍妙ながら微笑ましい光景だが、当人達、とりわけ捕われている二人はそれどころではない。
下手をしてもしなくても、悪巧みの片棒を担いだという嫌疑をかけられる瀬戸際なのである。
「しかし、よりにもよってそれを盟主に仕掛けるなど」
「だいたい位階って、盟主様は"それどころの御方じゃないんだよ"!?」
リベザルも、元来が愚鈍の男ではない。自分の行為の持つ意味くらいは重々承知していた。
ただ、今は心棒する『三柱臣(トリニティ)』を傅かせる者を試す。その価値を腕ずくで見極める、という厚い忠誠心の裏返したる激情の虜となっている。
「大体、将軍閣下が適わなかった御方にどうするつもりさ!?」
そんなリベザルを、相棒として心から気遣って叫ぶピルソイン。
彼は、丁度"この場所"で『盟主』と『将軍』の戦いを目にしている。
だが、今のリベザルには完全に逆効果だった。
「‥‥ふん、どのみち俺の企図を知った以上、放免は出来ん。せいぜい俺に捕われていた、という言い訳作りのためにそこで暴れていろ」
最初からこの計画に入れ込んでいたリベザルが、今の一言で完全に"意地"になる。
(ええい、こうなれば!)
(もう、仕様のないやつ!)
リベザルの無茶な要求、そこから滲み出る頑なさから、危機感を感じた二人が、式典に泥を塗る騒ぎも辞さずと力を込める、
次の瞬間‥‥
シン‥‥
まるで"音の静まる音"が響いたように、大伽藍が静まり返る。
城主一党のみが通る事を許される大扉が開いたのだ。
リベザルを止めるつもりだった二人は、その静けさの中で何かをする事を躊躇し、そして、その隙をこそリベザルは突く。
(あ!)
(馬鹿!)
二人を放り出し、下部一組の腕に絡み付いていた数珠を、無数の玉に弾けさせる。
その見つめる先で、リベザルやストラス、ピルソインに限らずに、驚愕の光景があった。
先頭を歩くミステスの少年。
彼が、『盟主』。
その真後ろを歩き、鎖を周囲に浮かべるベルペオル。
右後ろを歩き、剛槍を担ぐシュドナイ。
盟主の姿を初めて見る者はこれも十分驚愕に当たるかも知れないが、"一応"ここまでは良しとする。
明らかな驚愕の対象は‥‥‥
てくてくてく
盟主の左後ろ、とはいえ、他の二人より明らかに近い位置を寄り添い歩くヘカテーである。
(((誰だ、あれは?)))
表情こそ無表情にも見えるが、ミステスの少年に寄り添い歩くその姿、歩く様、そして雰囲気。
"頂の座"ヘカテーを知る構成員達が目を丸くし、目をこすり、頬をつねる。
あの冷厳な巫女が、全身から愛らしい小動物のような雰囲気を撒き散らしているのだ。
(やれやれ)
誰も口にこそ出していないが、構成員達の間に広がる驚嘆の空気を、ベルペオルは容易に察していた。
この謁見の式典。実を言うと、坂井悠二のお披露目のみならず、"このヘカテー"のお披露目も兼ねているのだ。
このヘカテーを見た構成員が、"こう"した原因たる盟主を邪見にする可能性は低い。
‥‥自分がそうだったし。
構成員、特に最前列の者達が驚嘆する中、どういった作法か、ベルペオルとシュドナイが足を止める。
「?」
ヘカテーはベルペオルに抱き上げられる。
異様人形、大小の猛者らの突き刺さるような視線に動じる様子もなく、一人、歩く。
盟主、後頭より黒い竜尾を伸ばし、緋色の衣と凱甲を纏う、少年である。
特段華美な容貌ではないが、ただ、異様に落ち着いている。
まず徒が力量として測る貫禄も、妙に掴みづらい。
得体の知れないモノ、構成員達がそんな風に感じる中、
己を存分に見せ付けるように大伽藍の中央を歩いていた盟主とやらが一点、足を止めた。
笑って、
「名乗れ!!」
鋭く、群集に向かって手を差し伸べる。
声の先、突然の行動に驚く徒らの後方で、自らの企図を知られたリベザルがギョッとなる。
なって、これが盟主からの舞踏への招待である事も同時に気付かされた。
ぶちのめしたい、試したい、走りたい、ぶつかりたい、戦いたい、それら、
"欲望の肯定"。
「『巡回士(ヴァンデラー)』、"驀地しん"リベザル!!」
突然の『代表者』の出現に、構成員らは沸き上がり、熱狂する。
やや外れた壁にもたれるような位置にいて、こうなる事を知っていたフリアグネが面白そうに、マリアンヌがハラハラしながら、リャナンシーが興味なさそうに、そして平井ゆかりが大喜びで見守っている。
予見していたベルペオルやシュドナイも、平然とそれを見守る。
ただ一人、ヘカテーだけが、少年の危機に、ベルペオルの腕の中でじたばたと暴れている。
ズンッと巨重が踏み出し、叫喚と喧騒を押し退けて、リベザルが進みゆく。
彼は見た目ほど単純な猪武者ではない。本人としても、招待された以上、無様な舞踏を見せる気はない。そして、"準備も整っている"。
「我らの盟主足るか、御身が力を賭して見せ侯え!!」
凶暴な喜びの怒号が大伽藍に響き、ばら撒かれていた数珠玉から弁柄色の炎を撒いて膨れ上がる。
それらは合わさり、形を為し、彼と全く同じ七体の姿を象った。
本人を合わせた八体のリベザルが円陣を作り、少年を押し包む。
他の七体より本人が一歩先んじている姿に、挑む者の気骨を感じ取った悠二は浮き上がる。
リベザルは一瞬逃げるつもりかと憤りかける、が、その浮遊はある一点で止まる。
巨体のリベザルと顔を見合わせる、"受けて立つ位置"である。
それに気付き、歓喜し、勇躍し、猛進する。
「っはあああああああ!!」
歓呼のような咆哮と共に、全身全霊の力を三本角に宿して挑みかかる。
僅か遅れ、威力も同等の七体の分身も雪崩れ込み、はるかに小柄な盟主を包み込み、
ドガァアアアアン!!
空気が裂かれ、腹の底を震わす余韻が薄れ、
「よくぞ‥‥」
「っ!?」
盟主の、穏やかな声が響いた。
「よくぞ、ここまで育った」
「うお、お!?」
驚愕するリベザルの本体の角を、横からではなく、前に在る物を掴むように正面から、右の掌が捉えていた。
他の七体の分身の角も、少年の後頭から伸長した竜尾に受け止められている。
体は浮かび上がった位置から毛ほども動かず、その漆黒の鱗にも、一点の傷さえ見えない。
少年の顔には、どこまでも強烈な、燃え立つような喜悦。
その、瞬間的に湧いた盟主の途方もない力に畏怖を感じたリベザルは、しかし怯みはしない。
そんなものは己が身命、存在を惜しむ者の感じる雑念だと切り捨てていた。
そう、"今はそれどころではない"。
欲望を肯定し、自分を招いてくれた相手がここにいるのだ。
燃えるような、痺れるような喜悦を顔に乗せて。
(挑まねば!)
それしか、考えられない。どころか、
(戦う力はまだまだあるんだ。一の手とは違う様々な手を、力の全てをぶつけたい。この、ここにある存在を、俺は乗り越えたい!!)
そんな、身の程知らずな狂熱に駆られていた、が、
「一番槍見事。"驀地しん"リベザル」
少年による称揚で、
「‥‥‥っ、は?」
自然と、彼の方膝は落ちた。
次いで両膝、四つの掌も全て、絨毯に落ちる。
招かれて火を点し、力をぶつけてたぎった心が今、称揚と共に熔けていた。
敗北感、劣等感、陰性なものは欠片もない。
快く欲望を受け取り、
持てる力をぶつけ合い、
歓喜と共に行為を認める。
そんな、彼ら"紅世の徒"の主たる者の姿を、リベザルは盟主に見ていた。
燃え立つ喜悦に伝染するように、全身に飛び掛かった時以上の激情が打ち震わせる。
(っぐうう! ーーーっ、残念だ!!)
震え、感極まり、平伏する。
「ははぁーーー!!」
その態度に嘘偽りのないまま、心の中では大きく叫んでいた。
(俺と、"この御方"との戦いが終わっちまった!!)
その姿は、リベザル以外の『仮装舞踏会』の徒達をも同様の感情を抱かせる。
“欲望の肯定者”。
強大な力のみではない、彼の有り様そのものに対する敬服を、ここに在る徒らは肌身に感じ、心魂で喜び、態度で認めていた。
彼こそが、この『仮装舞踏会』の戴く盟主たる者である、と。
「さあ立て、"紅世の徒"よ。留まる猶予は、我らにはない」
盟主の言葉に、リベザル、そして同様にひれ伏していた構成員達が顔を上げる中、
ひれ伏していなかった、『三柱臣』を含む幾人かのうちの一人、平井ゆかりがごそごそして、
ピイッ!
何か、紐を引っ張る。
パァンと音が鳴り、いつ仕掛けたのかも知らないくす玉が弾け、何やら下がってくる。
『祝☆盟主就任&もうすぐクリスマス♪』
え? 留まる猶予はないってそういう事?
などという思考を誰かが抱いたかどうかは、定かではない。
時は弾け、動きだす。
誰にも止め得ぬ、力を以て。