「目覚めよ‥‥‥」
宙天に浮かび、水色の輝きを放つのは、『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の、巫女・“頂の座”ヘカテー。
「どかれよ‥‥‥」
その錫杖を振るうに合わせて、『星黎殿』に無数聳える尖塔のうち幾つもが、ズレ動く。
「泉よ、溢れよ‥‥!」
そこから、爆発するように、噴火するように、薄く光り輝く水と見える、“存在の力の結晶”が噴き出し、溢れた。
それは天を衝くように駆け昇り、星空にのたうつ黒き大蛇にまで届く。
「力よ、注げ‥‥‥」
そして、呑まれるように、融け消えるように、輝く水滴が黒蛇を巡り、舞う。
「さあ、起たれよ‥‥」
『存在の泉』の莫大な規模の力が、黒き力に染められ、世界の変容に注がれていく様を見て、水色の巫女は穏やかに微笑む。
「聞け、『仮装舞踏会』!!」
『星黎殿』を眼下に浮かび、緋色の衣と漆黒の竜尾を靡かせる少年の声が、朗々と響く。
「これより『大命』は最終段階に入る! 我が養父が世界の変容に手を伸ばす! よって、今最も守るべきは天に浮かぶ蛇神! 秘法が発動し、『大命』が成就する時まで、盟主・“祭礼の蛇”を守護せよ!!」
言って少年‥‥もう一人の盟主たる坂井悠二は、魔剣を天に向けて振り上げた。
戦場を揺るがす歓呼の声が響き、異形異様の徒たちが、天を目指して飛びゆく。
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
少年はその黒の瞳を直下へと向ける。
そこは、彼らの本拠‥‥‥『星黎殿』。
噴き出す『存在の泉』の水柱。『星黎殿』下層から天に向かって伸びる力の結晶。
それが、深緑の結晶に擦るように飛沫を上げていた。
フィレスは、当然メリヒムより先にヨーハンの許へと向かった。
ヨーハンが封じられた水晶の塊は何をやっても破壊出来なかったが、あれなら逆に外から攻撃も出来ない。
当然ヨーハンを“ああした”使い手ならそれも可能なのだろうが、取れる手段もないため、ひとまず水晶ごとヨーハンを移動させた。
そしてとりあえず、メリヒムの救援に向かったのだが。
「‥‥‥どーする? 逃げる? 私なら、この状況でも逃げられなくはないけど」
「‥‥シャナもヴィルヘルミナもまだ戻ってない、怖じ気づいたなら一人で逃げろ」
「あの娘たちが来たら余計逃げられなくなるじゃない」
実際、最早敗北は決したようなもの。諦めにも似た気分で軽口を叩くフィレス。
“ヴィルヘルミナたちの安否はわからないが、祭礼の蛇”が飛び出してきたのが『神門』ではなかった所を見ると、ヴィルヘルミナたちが追い付けなかった可能性もあるし、何より悠二たちがヴィルヘルミナたちと戦うメリットが無い。
来た道を戻って『神門』から出てきた、というよりは、格段にヴィルヘルミナたちが生きている可能性は高い。
ヴィルヘルミナたちを置いて逃げる気もないが、実際ヴィルヘルミナたちが合流した後に“逃げ”を取ってくれるかどうか甚だ疑問でもある。
見極めが非常に難、し‥‥‥‥
「な‥‥‥‥‥」
思考に暮れるフィレスの横で、七色に輝く翼が、広がる。
「くたばれっ‥‥!」
そして、爆発的な光輝の塊が撃ち出される。徒を無数に消し飛ばしながら向かうその先は、宙天に浮かぶ黒き大蛇。
ドォオオオオオン!!
しかし、それは展開された臙脂色の粒子の濁流に阻まれる。
「‥‥次は、止めさせん」
「ちょっ、あんた何やってんの!? “あれ”がこっちに目付けたらどーすんのよ!?」
文字通り、神をも恐れぬメリヒムの所業にフィレスが怒鳴る。
「どっちにしても、俺たちは『敵』として見られてる。さっきも言ったが、恐かったらあの小僧を連れて失せろ」
「小僧って‥‥酷いな」
「っ‥‥‥‥ヨーハン!?」
メリヒムの相変わらずの言い草に、“後ろから”応えた少年の声に、フィレスが弾かれるように振り返った。
「全く酷い目に遭った」
言いながら少年‥‥『永遠の恋人』ヨーハンは、まだ深緑の結晶の破片だらけの体をはたく。
「ヨーハン!」
そんなヨーハンに抱きつくフィレスの背中を撫でる。
「さっきの水柱‥‥存在の力を凝縮させた結晶みたいだった。あれだけの力、敵にするのは上手くない」
「それを利用したおかげで僕も“あれ”から抜け出せたんだけどね」、と肩をすくめて、メリヒムに視線を移す。
「正直、あとは皆を『神門』から連れ出して逃げた方が無難だと思うよ。元々、『復活させない』のが方針で、もうそれは頓挫してる」
これ以上はナンセンス。言外にそう含ませるヨーハン。
「‥‥それを、あの子が承諾するはずがないのであります」
『っ!?』
さらに、砕けた石畳の穴から声が聞こえて、“祭礼の蛇”の帰還に巻き込まれた形のヴィルヘルミナが這い出してくる。
「こうなった以上、一縷の望みは『炎髪灼眼』。何より、あの子は‥‥まだ“あの子の戦い”を終えていない」
傷だらけ、血塗れの体を包帯で包み、リボンで編んだ純白のワンピースを身に纏うヴィルヘルミナは、傍目には無傷なようにも見える。
だが、その格好自体が手傷を負った証でもあった。
「‥‥‥ヴィルヘルミナ」
訊きたい事を訊く前に、その姿と言葉で示したヴィルヘルミナに、メリヒムは背を向けたまま、言葉を投げ掛ける。
「‥‥足手まといになるようなら、隅で丸くなっていろ。ここは‥‥俺がやる」
結局、こんな言い方しか出来ないメリヒムの言葉に、しかしヴィルヘルミナは激しく狼狽し、フィレスとヨーハンは、むしろその言葉に含まれた“既定事項”に頭を抱える。
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
メリヒムはただ黙って宙天を睨む。
その先には、緋色の衣を靡かせる少年。
「‥‥フェコルーも、『彼』の護衛に回って」
と、悠二がポツリと言った。
「し、しかしまだ“虹の翼”や“彩飄”が! それに『緋願花』の方々にこれ以上危険な役目を‥‥!」
フェコルーは、言いながら自分でも焦っているのがわかっていた。
兵の指揮や統率、デカラビアとの通信など、間接的にやった事はある。
だが、未だに侵入者は残っており、ウアルも、プルソンも討たれ、自分は直接的には何も出来ていないかのような焦りに胸が張り裂けんばかりだった。
(それに、何より‥‥‥‥)
その心の内を、悠二が正確に突いた。
「‥‥フェコルー、あなたが『虹天剣』を止められるなら、初めからこんな事態にはなっていない。違うか?」
「っ!!」
『星黎殿』の守護者として何より自身を腑甲斐なく感じていた部分を、よりによって『盟主』に突かれ、フェコルーは絶句する。
悠二はそれに気付いて、敢えて構わず続ける。
「別に責めてるわけじゃない。ただ、あくまで適格な役割としての話だよ」
実際、その声音には非難の色は一切無かった。
「フェコルーの力は、メリヒムの相手には不向きだし、何より‥‥これから秘法阻止のためになりふり構わずに突っ込んでくる『フレイムヘイズ兵団』にこそ『鉄壁』の盾になる」
そこで一度切って、口調を改めた。
「“嵐蹄”フェコルーに命ず、世界変容のこの時、最も重要な役目‥‥『創造神』の守護を担え!」
「は‥‥はっ!」
勢い、というものもあったが、それでも頷いたフェコルーに少し微笑み、そして再び眼下を見下ろした。
「メリヒムとは‥‥僕が戦う」
「‥‥‥‥‥‥‥」
中途半端な力では、結局意味がない。
そう考えて、自分は力をひたすら温存させる選択をして、ひとまず仲間たちに任せた。
(‥‥‥消えた)
しかし、先ほど自分が受けたもの以上の銀の爆発が『詣道』に満ちて、『創造神』と、他にも幾人かの気配が消えた。
(甘かった‥‥‥)
逃げられる、その可能性を全く考慮していなかった。
(“千変”と‥‥あと一人残ってる)
だが、坂井悠二ではない。
(戦ってる‥‥‥)
まだここに残っている徒たちと、仲間たちが戦っている気配がする。
おそらく、“千変”の妨害に遭っているのだろう。フレイムヘイズとして、『創造神』が復活した今、ここで“千変”と戦う、大局的な利は無いはずだから。
(行かなきゃ‥‥!)
向かう先は、マージョリーやレベッカたちの所ではない。
不幸中の幸い、とでも言おうか。離れて回復に努めていたおかげで、“千変”の妨害は受けていない。
(悠二‥‥‥!)
フレイムヘイズとしての使命感と、一人の少女としての気持ちが、進むべき道にシャナを駆り立てる。
手には、今はフィレスの本体を指す風見鶏。
向かう先は『この世』へと繋がる『神門』。
「私は、行かなきゃいけない!!」
紅蓮の双翼を広げて、『炎髪灼眼』は飛ぶ。