「出て来い! “虹の翼”メリヒム!」
臙脂色の嵐に包まれた『星黎殿』に、獅子の咆哮が響き渡る。
「何故、何故貴様が生きている!?」
破壊の分身をあらゆる場所に隠された戦場、そこにメリヒムは潜んでいる。
「主が、『九垓天秤』の将たちが、ウルリクムミ御大将が命を懸けて戦ったあの戦いに敗れ‥‥よくもおめおめと生き延びる事が出来たな!?」
メリヒムは『星黎殿』岩塊部には逃げず、プルソンのいる城塞部に潜んでいた、当然、反撃に転じるため。当然、この怒声はメリヒムにも届いている。
(よく言う‥‥‥)
ここにいるという事は、あの『大戦』の後に落ち延びたのはお互い様だ。と、メリヒムは“甘く”思った。
(以前、あの小娘が使っていたのと同じ自在法か。数は増えたが‥‥‥)
一時の動揺を振り払い、戦局を見極める。自分も、戦う理由があってここにいる。
だが‥‥
「知っているぞ!」
次に発せられたプルソンの言葉が、メリヒムの戦略全てを無に帰す。
「貴様が、我らが天敵たるあの『魔神憑きの女騎士』に心奪われていた事を!」
「っ!?」
「情けでも掛けたか!? それとも情けを受けたのか!? ‥‥‥我ら同胞を‥‥アシズ様を売ったのか!?」
『降伏しろ‥‥‥とは言わん。おまえは絶対に、受け入れますまいからな』
『俺は、お前を、愛している。ゆえに、お前をみすみす主の手にかけさせたりはしない。ここで止める』
『“愛さえあれば”? あなたらしい言い草だけど、とんだ了見違いよ』
『私を進めているのは、私の意志よ。その先にあるものだって分かってるし、そうするしかないアラストールのことも分かっている』
かつての事が、メリヒムの脳裏を巡り‥‥
『さて、あなたの出した条件だったわね‥‥勝った方が相手を好きにする‥‥ったく、女に出す条件じゃないわよね』
『いやよ、待たない、さよなら、なの‥‥“虹の翼”、メリヒム』
何かが‥‥キレた。
ドォオオオン!!
「っ!!」
“縦に”、あまりに強力な破壊の虹を受けた尖塔が、蒸発するように消え‥‥‥一人、浮かび上がってくる。
「‥‥‥“知っている”だと? 笑わせるな」
剣を携え、銀髪を靡かせ、その瞳に激しい怒りを宿す、虹の剣士。
「お前ごときが、俺とマティルダを語るな‥‥!」
《突撃〜〜〜!!》
巨大ドミノのパンチが、サーレが立っていた地面を粉砕する。
「っこの!」
『レンゲ』と『ザイテ』から無数に伸びる不可視の糸がその腕に絡む‥‥‥が、
「ゥウェポン‥‥‥チェイィーンジ!!」
《ラジャー!》
糸が絡んだドミノの右腕が変形し、巨大ドリルへとその姿を変える。
ギュィイイイイン!!
全く容易く、不可視の糸は引きちぎられた。
(やっぱり、制御を奪うのは無理、か‥‥)
あまり相性が良いとは言えない状況だ。自分にはキアラのような大規模な破壊力は無い。小器用が取り柄のフレイムヘイズなのだ。
「手数で何とかするしかない、か!」
言うと同時、無数の糸が周囲の瓦礫に、大地に、尖塔に絡み付き、“それ”を編み上げた。
菫色に燃え上がる、無数の傀儡の軍勢。『鬼功の繰り手』の本領発揮である。
(急がないと、本当に時間が無いからな‥‥‥)
「ッバハァアアーー!!」
『トーガ』の獣の口から迸り出た群青の炎の大波が、白い恋人たちを呑み込み‥‥‥
「火除けの指輪・『アズュール』よ!!」
霧散する。
「まったく、せっかく坂井悠二の甘さに救われて、拾った命を、わざわざ捨てに来たのかい?」
言って、構えた二丁拳銃・『アエトス』から、白い弾丸を釣瓶撃ちに放つ。
それは炎の衣を紙のように貫き、群青の獣をたちまち穴だらけにする‥‥が、
「そこまで落ちぶれちゃいないわよ!」
貫かれ、散った『トーガ』の火の粉が広がり、無数の『トーガ』の群れへと変化し、展開する。
「炎がダメなら、直接ぶん殴るまでよ!」
全方位から襲い来る獣の群れに、フリアグネはマリアンヌと背を合わせる。
ややフリアグネが上に浮かび、上方を、マリアンヌが下方を警戒して、互いの背中を守り、預ける。
「“落ちぶれてない”、か。『討滅の道具』がよく言うものだ」
「フリアグネ様、背中はお任せください」
一斉に迫る、『トーガ』の獣たち。
「「っはあ!」」
その悉くを、フリアグネの白炎弾が射抜き、マリアンヌの『コルデー』が爆砕する。
ただ、マージョリー自身を貫いた手応えも無い。
『ハンプティ・ダンプティ、堀に座った!』
そして、フリアグネの横合いの石柱の向こうから、
『ハンプティ・ダンプティ、転がり落ちた!』
陽気で凶悪な、二つの歌声が響く。
『王様の馬を集めても!』
『王様の気配を集めても!』
(っ『屠殺の即興詩』!)
『ハンプティを元には‥‥‥戻せない!』
石柱が爆発し、咄嗟に『アズュール』で火除けの結界を展開したフリアグネに向けて、“数十の自在式”が飛び散った。
(『炎』じゃない!?)
慌ててマリアンヌを連れて飛び退くが、自在式の方が速い。
「お下がりください!」
それを悟ってフリアグネの腕を思い切り引っ張り、その身を乗り出そうとするマリアンヌを、逆にフリアグネが引き、後ろに放った。
「ぐぁああっ!」
咄嗟に自身を庇ったフリアグネの左腕に自在式が絡み付き、浸透し、渦巻きのように動いて、捻じ斬った。
痛みにもがきながらも、そのまま落下しそうになる『アエトス』の一丁を蹴り上げ、片手で器用に二丁持ち、内一つを長衣に納める。
「フリアグネ様!」
悲鳴を上げてすがりつくマリアンヌに、フリアグネはただ優しく微笑む。
「マリアンヌ、“もう二度と”あんな真似はしないでおくれ。君がいてこその、私なのだから」
「フリアグネ様‥‥‥それは私にこそ‥‥‥」
「呑気にイチャついてる暇ないわよ!」
手負いの狩人とその恋人にとどめを射そうと、群青の獣が牙を剥く。
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
鎧のおかげか、それとも自分で思っていたよりも身体強化の力が上達していたのか‥‥‥致命傷には到っていない。
(‥‥‥思ったより、痛くないかも)
が、そう思った直後に、自分を貫いたリボンにドロリと流れる血の量が目に入る。
(あは‥‥何だ、麻痺してるだけか‥‥‥)
そういえば、痛みと同じで体全体の感覚も鈍い。
(なんか、こんな場面、前にもあったような‥‥‥?)
『“身の程知らず”は、足手まといだよ』
『君が不安要素だからに決まっているだろう』
『よりにもよって、お前が相手か。俺も低く見られたものだな』
思い出そうとして、かつての自分や、他人の言葉ばかりが思い出される。
こっちが‥‥本心か。
(‥‥偉そうな事とか、わがまま言って付いてきて‥‥‥)
『ずっと一緒にいるからね!』
(‥‥結局、これだもんなぁ)
実力や経験不足をカバーするために、散々宝具や教授の発明品、他の徒の自在法などで武装したというのに、結果はこの様だ。
今も、鍵一つを弱々しく掴む、小さな手。
(私は、弱い‥‥‥)
人間を失い、ミステスになっても、結局“こう”なるのか‥‥‥‥。
(‥‥‥‥私は弱い)
認めざるを得ない。
(弱い、だから‥‥‥)
でもそれは、“諦める理由にはならない”。
「だから私には‥‥精一杯強がるしか無いんだよ!!」
轟然と、炎が燃え上がる。
その色は翡翠ではなく、燦然と輝く‥‥“銀”。
ゆかりを貫いたリボンが、塵も残さずに燃え散る。
その炎は、坂井悠二と同じ‥‥銀。
「これが私の切り札‥‥“『大命詩篇』”」
ヴィルヘルミナは、その姿と言葉に、何かが、頭をよぎる。
『だから、精一杯強がるしかないんじゃないか!!』
「っ!」
それは、初めて平井ゆかりと出会い、坂井悠二と戦った時の記憶。
あの時、未熟なミステスに過ぎなかった悠二が、今のゆかりと同じように全身を貫かれて、同じ言葉を言ったのだ。
「行くよ‥‥‥」
ゆかりの左腕に、複雑怪奇な銀色の自在式が巻き付いて、
「喰らえ!!」
次の瞬間、轟然と燃える炎となって放たれた。
それは見る間に、輝く鱗と牙を持つ、銀の大蛇を象作る。
(『蛇紋(セルペンス)』!?)
今まで何度も見てきた悠二固有の自在法が、ゆかりから放たれた事に驚愕するヴィルヘルミナのリボンを容易く焼き払って、銀の炎蛇が襲い掛かる。
何とか躱すが、それはまた軌道を変え、見た通り、生き物の‥‥蛇のように獲物(ヴィルヘルミナ)を狙い続ける。
(っ不味い!)
これが悠二の『蛇紋』と同じ能力を備えているなら、たとえ躱し続ける事が出来たとしても、長く伸びる蛇の体‥‥“炸裂弾という名の檻”に囚われる事になる。
そう考え、一気に上空へと離脱するヴィルヘルミナ、その向かう先で‥‥‥
「『草薙』!」
銀色の炎を全身から撒き散らすゆかりが、またもヴィルヘルミナに突撃を掛けてきていた。
「芸が無い、でありますな!」
交差法で、再びゆかりを串刺しにせんと、リボンの槍衾が容赦なく放たれた。
ゆかりの『オルゴール』に同時に刻める式は一つだけ、今、ゆかりに『加速』は無い。
避けられるタイミングではなかった。
その思惑通り、リボン全てがゆかりを捉え‥‥‥
「っな!?」
一本残らず斬り飛ばされた。
悠二の自在法・『草薙』。その炎を宿したものに強力な『斬撃』の性質を与える力。
今のゆかりは、その体自体が、全てを断ち斬る蛇の神剣と化していた。
ヴィルヘルミナは元々、“触れるもの全てを薙ぎ払う”ような圧倒的な破壊力とはすこぶる相性が悪い。
そして、『加速』を抜きにしてもゆかりの方が速い。
「っ、はあああ!!」
今出来る最善の手として、全力の力を注いだ特大の炎弾を放つ。
それを、銀閃の一太刀が断ち斬った。
銀の炎を奔らせて、強大な相手と知ってなお挑み、切り開かんとする強い瞳を向けて向かってくるゆかりの姿が‥‥‥
一人の少年と重なった。
(あ‥‥‥‥‥‥)
一瞬で過ぎ去った銀の炎に、場違いな懐かしさを感じながら‥‥‥
ヴィルヘルミナの意識は闇に落ちた。