世の空を巡る『星黎殿』が今、とある地に数日、停泊している。
気配隠蔽の異界・『秘匿の聖室(クリュプタ)』に囲まれているとはいえ、通常ではまずあり得ない長さである(昨今では『とある事情』にて巡回ルートが変更こそされていたが)。
そして、その地に、世界各地に散らばっていた『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の構成員達が次々に集まっていた。
目的は一つ。先日、瞬く間に伝達された一つの重大な行事。
永く空席だった玉座に、『仮装舞踏会』の『盟主』が即位する、その式典が行われるのだ。
もっとも、彼らはそれを安易に喜んでいるというわけではなかった。
数千年は昔の存在である『盟主』。今やその実態を直接知る者は極端に少ない。
そんな、"盟主なる者"をその目で、肌で確かめようと彼らは集まったのだ。
だが、実際はそれ以上に複雑な問題があった。
「"翠翔"ストラス!! こっちへ来い、一緒に飲め!」
『星黎殿』の酒保の一つ、数多くの構成員達が賑わうそこで、怒号のような声が響く。
象ほどに巨大な三本角の甲虫、"驀地しん"リベザルである。
特大の木製ジョッキに注いだ蜂蜜酒をぐびぐびと飲んでいる。
「ご機嫌麗しゅう、とはいかないようですね。如何なさいました?」
そのリベザルに呼ばれた首無しで、胸と腹に顔と呼ぶべきパーツを持つ鳥男、"翠翔"ストラスは、その乱暴な口調にも物怖じせずに返す。
これは、組織内の伝達を受け持つ『布告官(ヘロルト)』たる彼が、人あしらいにも長けているためだ。
「如何もなにもあるか」
鼻息荒く、リベザルはさらに蜂蜜酒を樽からおかわりする。
「おまえも見ただろう! 我らが盟主!? あれは『ミステス』じゃねえか! どんな宝具を蔵しているとしても、多少の力を宿しているとしても、俺たち"徒"が構成をいじってやれば四散する人間の喰いかすに過ぎん!」
リベザルは途中から、相手ではなく自分に語りかけている。
しかしストラスはしっかりと話を聴いている。聞き、伝える事こそが『布告官』たる彼の役割だからだ。
「そんな、どこの馬の骨とも知れん野郎に‥‥なんで俺たちの参謀閣下が、大御巫が傅かなきゃなんねえんだ!」
ドンッ! と鉤爪の足が床に叩きつけられ、酒保全体が軋み、天井からぱらぱらと埃が落ちる。
周囲の徒達も、手のつけられない乱暴者に迷惑そうな立ち去ったり、リベザルに同席する二人に救いを求める視線を送る。
(ははあ、なるほど。やはり、か)
ストラスは、この状況の意味する所を容易に理解した。
リベザルは組織の一構成員として、それ以上に力ある『紅世の王』として、それ以上にベルペオル直属の側近として、与えられた任務を果たす事に大きな歓喜と充実感を覚えていた。
そんな自分が信奉する上官が、全く当たり前のように他者に膝を屈した事に、信奉した分だけ憤慨しているのである。
そして、『盟主』。
彼は半月前にこの『星黎殿』を襲撃した『ミステス』である。
それがいきなり『盟主』。
しかも、リベザルはその時の構成員達がその"力"を認めざるを得なかった出来事、"将軍との一騎討ち"を、客分である"狩人"フリアグネに妨害されて目にしていない。
(周囲の構成員達も‥‥)
暴れ騒ぐリベザルに迷惑してはいても、『盟主への不敬』を咎める者は一人としていない。
いや、むしろ雰囲気だけで判断するなら、支持しているとさえ言っていい。
(しかし、無理もない)
ストラスでさえ、理屈の面では理解していた。
『星黎殿』を襲撃したミステス。
そして、傍目から見れば驚愕するほどに軽率そのものといった行動をとっている。
巫女や参謀を連れて、である(実際はヘカテーが悠二やベルペオルを連れて遊び回っているのだが)。
その"無礼な"振る舞いに憤慨する者は、決して少なくないだろう。
「呑み過ぎだよリベザル、蜂蜜酒でも酒は酒なんだから」
そう、リベザルの持つ数珠の端を背伸びして引っ張るのはぶかぶかローブのやぶにらみの子供、"蠱溺の盃"ピルソイン。リベザルの相方である。
「おめえは黙ってろ! 甘いもんはかえって悪酔いするんだから問題ねえ!」
ズレた応えを返すリベザルを、今度はストラスが宥める。
「まあ、そう荒れずに。なんなら私が、構成員の間に"そのような空気"がある事を上申しておきましょうか? 参謀閣下なら悪いようにはされないでしょう」
「それがいいよリベザル。そうしなよ」
「む‥‥」
その良案に、リベザルは僅か、心揺るがされる、が‥‥
「いや、やっぱりダメだ」
撤回し、それだけで終わらない。
「それよりいい事を思いついた。とりあえず、一緒にいてもらおう」
そう言って、二人を脇に抱え込む。
二人は当然、リベザルの言ういい事を、額面通りに受けとめられなかった。
「春なら、もっと綺麗だった、かな」
『星黎殿』の停泊するこの地、その自然の中に、影が五つ。
「いえ、冬には冬の、喜びがあります」
しゃがみ、緑の端を指先で撫でる、"頂の座"ヘカテー。
「昔からお前は、こういう所が好きだからねえ」
緩やかな斜面に腰を下ろす、"逆理の裁者"ベルペオル。
「んー! 大自然♪」
伸びをして大の字に寝転がる、ただいま二つ名を思案中の平井ゆかり。
「‥‥うん。綺麗だ」
そして、"祭礼の蛇"坂井悠二。
この三日、悠二達はこうして、この山間を散策していた。
「冬は見えども冬は去り、春は見えねど春の来る‥‥」
それは、悠二、ヘカテー、そして、『彼』の総意。
「そは仮初の幻か、迷った時の悪戯か‥‥」
"千変"シュドナイは先ほどまでここにいたが、一足先に『星黎殿』に戻っていた(彼が去る直前にタバコに火を点けようとした事が理由なのかどうかは定かではない)。
「知るは互いの、心のみ‥‥」
先ほどから歌っているのは、少し前から『星黎殿』に入り込んでいる徒、"笑謔の聘"ロフォカレ。
干渉、迫害、賞賛、その全てを受けず、ただそこに在って奏でる特殊な存在。
目深に被った三角帽、襟を立てた燕尾服という出で立ちである。
「‥‥‥‥‥‥」
ベルペオルの胸裏には、不安の暗雲がある。
盟主の意図を汲み取り、ヘカテーの想いを汲み取り、下した決断。
それが、坂井悠二を盟主として『仮装舞踏会』を率いる事。
だが、坂井悠二はあまりに不確定要素の多すぎる存在だ。
ただ一人、盟主と共に在る者。
それは今さら何を言う事もない。
我が盟主の言葉とあれば、是非もあるまい。
問題は、そのあまりに不安定な有り様だ。
未完成な『大命詩篇』と同調可能な性質で『彼』と通じるミステス。
まるで綱渡りのような危うさを伴った存在だ。
そして、そんな危うさと不安を内包しながら進む道に、"喜び"を覚えてしまう、自分。
「‥‥できる、かね?」
ふと、零れるように呟いていた。
呟きの意味を違えず、声は返る。
「できるか、ではない」
その返事に思わず顔を上げた一同の目に、凱甲から溢れる緋色の衣が流れる。
「断じてやる、それだけだ」
頂から世を見渡す少年が、風に翻るように、盟主としての姿へと変わっていた。
「『かつての事といい、余はおまえを困らせてばかりだな。おまえの喜びに甘えて、結局は大きな辛さを与える。なんという不憫な盟主であろう』」
「!?」
まるで盟主本人であるかのような口振りに、ベルペオルは狼狽し、
「『だが、二度とはしくじらぬ。お前たちのためにも』」
焦り、
「だ、そうだ」
呆気にとられる。
「っ〜〜〜〜!」
早合点してしまいそうになった自分に、羞恥心が広がる。
悠二、そして平井やヘカテーもそれを知って、指摘はしない。
「この道を踏み出す前に‥‥」
今度は、悠二自身の言葉が綴られる。
「感じておきたかった。広がり満ちる、生の世界というものを‥‥。お前たちと共に」
振り返り、微笑む。
そして、今度は天を仰ぎ、強く、強く告げる。
「やはり、"こうでなくてはならぬ"」
少しの間、一同がその姿に感銘を受けた後。
「はい」
ヘカテーがはっきり応え、
「やっぱり、雰囲気変わるね〜」
平井が、茶化し、
「‥‥‥‥‥‥‥」
ベルペオルが、黙る。
「どうした、フェコルー」
「はっ!」
何やら固まっているベルペオルに代わり、悠二がやってきたフェコルーに訊ねる。
「我らが盟主、謁見の式典の準備、整いましてございます」
「御苦労、"嵐蹄"」
衣を翻し、悠二が歩を進める。
「じゃあ、いこうか」
いつもの口調で、微笑みと共に促す悠二に、ヘカテーが腕を絡め、平井が、反対側に寄り添い、ベルペオルが‥‥
「‥‥‥‥‥‥」
少し遅れてから、
(『我らが盟主』、か)
追い掛け、並んだ。