「‥‥‥‥ふん」
つまらなそうに呟いて、細剣を軽く振る。
舐められたのは気に入らないが、おかげで当面必要な力を確保出来たのも事実。
その礼は、しなければならない。
(‥‥あの女、突然動きが鈍ったな)
『星黎殿』内にフィレスが叩き込まれた穴に目をやる。あのプルソンとかいう紅世の王がとどめを刺そうとした所を見ると、まだ死んではいないのだろうが。
(“取り巻き”は粗方片付いたが、あれで全兵力というわけもあるまい)
出てこない事から、動けないと思われるフィレスの事も考えると、あまり時間は掛けていられない。
軽く、しかし高々と跳躍して、尖塔の頂きに降り立つ。正面にプルソンを捉えるのに丁度良い高さだった。
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
「どうした? さっきまでペラペラと喋っていたくせに、今度は随分と静かだな」
『虹天剣』による横槍以降、一言も言葉を発しないプルソンに、からかうような言葉を掛ける。
今まで軽視された仕返しの嫌み、といった所だ。
「‥‥‥‥‥‥‥」
なおも、プルソンは押し黙る。その手が、震えているように見えた。
「こっちにはあまり時間が無い。悪いがすぐに‥‥」
「何故‥‥‥‥」
細剣の切っ先を向けて宣言しようとしたメリヒムの言葉を、プルソンの小さな呟きが遮った。
腹の底から沸き立つ怒りを堪え、漏れだしたような呟き。
「何故‥‥“貴方”が‥‥‥『両翼』が“ここ”にいるっ!!?」
『両翼』、そう呼ばれるのは随分と懐かしい。
僅かに動揺した。その言葉の意味する事に、嫌な確信があったからだ。
「ッガアアアアアア!!」
怒りのまま先に攻撃を仕掛けたのは、プルソンの方だった。
ドンッ!
「っおぉ!?」
ガァン!
「っわぁ!?」
紅蓮と水色の輝きが舞い、激突する度に、衝撃と爆圧が空間に響き渡る。
「あの二人から、一旦離れるわよ!」
「巻き添えなんぞ食らいたくなきゃーなあ!」
二人で一人の『弔詞の詠み手』の促しに一同従い、距離を取る。
見れば、シュドナイたちも後退している。まあ、妥当な判断と言える。
「む‥‥‥‥」
その後退の中途で反転、一人こちらに、明らかに『万条の仕手』ヴィルヘルミナ・カルメルに向かってくる一つの光‥‥翡翠が見えた。
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
驚きは、一瞬のものでしかなかった。
わかっている。仲間と戦うのが辛い、という私情よりも、能力を知り尽くしている、というメリットを選んだ。
そういう判断を、平井ゆかりという少女には出来るという事をわかっている。
(‥‥遠慮容赦、一切無用)
この場に、坂井悠二と“逆理の裁者”ベルペオルがいない。という事は、間違いなくその奥に、『創造神』の許へと向かったという事。
もはや、何が何でも、誰か一人でも、必ずこの奥へと進まねばならない。
手違いで、自分が『こちら側』に引きずり込んでしまった少女。御崎市に滞在するに当たって、半年以上同居人として過ごした少女。いつしか仲間と呼べるようになった少女。
しかし、自分も私情に拘らず、戦闘経験が半年にも満たない、しかもその能力を知っているミステスを倒す事に集中す‥‥‥‥‥
「っ!?」
その、決意を固める葛藤の僅かな間に、こちらに向かってきていたゆかりが、とんでもない、信じられない勢いで間合いを詰めて来ていた。
思う間に、もはや目前‥‥‥‥
「くっ‥‥!」
突進からの刺突という単調極まるはずの攻撃を、リボンの端で叩いて逃れる。
(何‥‥‥‥)
すれ違い様に弾いた一撃の異様さに動揺し、振り返ろうとしたヴィルヘルミナ、の、顔を覆う仮面・『ペルソナ』に、
ドカァッ!!
ゆかりの踵が、叩き込まれていた。
寸での所で反応し、自ら落下する事でその威力を殺す事に成功したヴィルヘルミナが、改めて戦慄した。
(動きが、疾すぎる‥‥!)
元々、ゆかりとは同じ街で共に日々鍛練を重ねてきたのだから、そのスピードも当然わかっていた。
確かに、その素質だけは素人ながらにズバ抜けていた、明らかに自分よりも速かった。
だが、こんな無茶苦茶な速度ではなかった。完全に‥‥‥フィレス以上。
ヴィルヘルミナは、今までの数百年の戦歴を以てしても、これほど疾い動きをする相手を見た事がない。
「仮面あるから、顔は効果薄いかもね」
淡々と言ったゆかりが、またとんでもないスピードで突っ込んでくる。
(今度は、投げる!)
そう、冷静に向き直り、構えるヴィルヘルミナに、ゆかりはそのまま突進のスピードを緩めぬまま、“炎弾”を繰り出した。
「!?」
ゆかりの突進の勢いも手伝って桁外れの疾さで飛んでくるそれを、横に動いて躱したヴィルヘルミナ‥‥“その先に”、
「っやあ!」
まさに一瞬で回り込んでいたゆかりの『パパゲーナ』が、ヴィルヘルミナを襲う。
「くっ!」
上半身を引いて躱すヴィルヘルミナの仮面の表面を、短剣の切っ先が削る。
「首、狙ったんだけどな」
小さな呟きがまた聞こえて、横薙ぎに繰り出された斬撃の勢いを殺さぬまま、回る様に放ったゆかりの蹴りが、上半身を反らしたヴィルヘルミナの腹を捉えた。
「ぐぅ‥‥‥!」
くの字に曲がって吹っ飛ぶヴィルヘルミナを追うように、翡翠の炎弾が放たれ‥‥‥
ドォオオン!!
今度こそ直撃する。
「カルメルさん、私の『オルゴール』の力‥‥忘れました?」
それで倒せていない事をわかっているゆかりが、さらに追いながら言う。
(『オル、ゴール』‥‥‥‥)
炎弾の直撃を受け、痛みと衝撃で仮面の下の表情を歪めるヴィルヘルミナは、ふらつく頭でその言葉の意味を追い掛ける。
『オルゴール』
ゆかりの内に宿された、一度刻みつけた自在式を半永久的に奏でる事が出来る、特異な力を持つ宝具。
(そう、か‥‥‥)
ゆかりは自分自身の能力に加えて、『オルゴール』で他者の自在法を、その制御に気を払わずに扱える。
しかも、メリヒムの話によれば、複数の自在式を封じて持ち運んでいる。
自分が知っているゆかりの能力値など、最初からアテにはならないのだ。
(さしずめ、今使っているのは‥‥‥‥)
「そう、今私に込められてる自在法は‥‥『加速』ですよ」
言うと同時に再びゆかりの刃が、ヴィルヘルミナを襲う。
「「はあっ!」」
一合打ち合う度に、爆発するようなその衝撃で弾けるように二人は離れる。
そしてまた鏡に写したかのように弧を描いて飛翔し、また爆発するようにぶつかる。
まるで力比べ、意地の張り合いのような攻防。否、攻撃のみ。
ただし、恐ろしいほどの力と速さ、意志を伴った意地の張り合いである。
ギィイイン!!
また弾けるように飛び退いたシャナとヘカテーは、練り上げた力を自在法として解放する。
「『星(アステル)』よ!!」
「燃えろぉ!!」
無数の水色の流星群・『星』と、灼熱の紅蓮の大奔流・『飛焔』が、膨大な空間を飲み込んでぶつかり、弾けて、さらに広大な空間を埋め尽くす大爆炎を撒き散らす。
ヘカテーとシャナは、その炎の海を無視するように突っ切り、再び剣と錫杖をぶつかり合わせる。
燃え盛る紅蓮と水色の中、鍔競り合いの状態で、額がぶつかるほどに近く、二人は睨み合う。
「「‥‥‥‥‥‥‥‥」」
互いに胸中で様々な想いが渦巻き、言いたい事は山ほどあるはずなのに、上手く言葉に出来ない。
その、僅か二、三秒の均衡を破ったのは‥‥ヘカテー。
「っ!」
ヘカテーが軽く瞳に力を込めて、僅かに見開いた瞬間、不可視の突風がシャナの体を後方に弾き飛ばす。
この攻撃方法は知っていて‥‥しかし予想以上の威力に僅か驚いたシャナは、紅蓮の双翼から爆火を後方に奔らせ、反転する。
しかし、反転した時には、すでに光弾の雨がシャナに向けて放たれていた。
(それが‥‥どうした!)
構わず飛ぶシャナ、その意に応えるように、背にした瞳がその輝きを増す。
(見える!)
シャナの『審判』は、通常徒やフレイムヘイズが“感じ取る”事しか出来ない存在の力の流れを、『視覚情報』として“見る”事が出来る。
以前ならば攻撃範囲から飛び出すようにしか躱せなかっただろうその光弾の雨。その軌跡を文字通りに見切って、シャナは流星群を網目を縫うように突っ切った。
(っ‥‥避けながら‥‥向かってきた!?)
その事実に驚愕するヘカテーに向けて、シャナの剣閃が振るわれた。
キンッ!
動揺しながらも一太刀受け止めたヘカテーは、しかし‥‥‥
(くっ!)
二振り目を避け切れず、切っ先が浅く頬を掠めた。
そこから血のように、水色の火の粉が零れる。
「っはあ!」
たまらず『トライゴン』の石突きを振り上げ、シャナの剣を跳ね上げ、懐に潜り込んでその胸を蹴り飛ばす。
蹴られた当のシャナは、あの全身を取り巻く炎の外套のおかげか、まるで効いた風もなく、そのまま宙でくるりと回転して、また剣を向けてくる。
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
頭が、冷えた。
敵の攻撃のおかげで、というのは皮肉なものだが、先ほど頬を掠めた一撃のおかげで、頭に上った血が下りたような感覚だ。
気に入らない。
対するシャナの方は、自分の決意と目的に迷いが無いのか、感情に全く振り回されていない。
冷静に、ただ純粋に敵の力量を見て取る。
(強い‥‥‥)
以前とは全く違う。御崎において最弱のフレイムヘイズとさえ思っていた少女とは、もはや全くの別人である。
ヘカテーがそう思うのと同様に、シャナもまた、ヘカテーを分析していた。
(やっぱり‥‥強い)
かなりの規模の力を顕現出来る‥‥自惚れでも何でもない、と感じている今の自分の、意地のように捻りだした力に、容易く渡り合った。
元々、能力の応用力では劣る、と密かに認めていたが、自分が“成った”今、力でさえ互角だとは思わなかった。
互いに力を認めて、しかし互いにこう思った。
((でも、絶対に負けられない))