『たった一人の女の子さえ、守れなかった!』
そう、悠二は言った。
日常の中から、『非日常』に引きずり込まれる。
自分にとっては当たり前の事実が、悠二にとってどういう事なのか、初めの頃はわからなかった。
(いや、違う‥‥‥)
きっと、今だって、わかってなどいない。
『この世の本当の事を変えてやる。理不尽の可能性を、この世から消し去ってやる』
悠二と、ゆかり。
"あの時"、二人の間でどんな言葉が交わされたのか、自分は知らない。
無様に敗れ、気絶していたから。自分が、訊いてはいけない、踏み入れてはいけないように感じたから。
だけど、きっとあの二人にしかわからない、通じ合えないものがある。
同じミステス、同じ"元人間"‥‥そして、同じ道を歩む者。
みっともなく、その事に淋しさを感じた。悠二が『大命』を志すのが、自分への想いのためであって欲しいと、どこまでも自分勝手に思った。
"人の気も知らないで"
あれから、色々考えた。『大命』遂行に際して、気持ちの整理をつけるため。
そして、気付いた。
悠二の望みは、ゆかりの人間としての死を起因とした、ミステスとして『この世の本当の事』に向き合い、戦ってきた日々の結実。
だとしても‥‥‥
(徒とフレイムヘイズの、戦争‥‥‥‥)
"これ"を、悠二が望んだと言うのか‥‥‥?
(違う‥‥‥‥)
悠二の望みが『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の『大命』と一致していたとしても、こんなやり方を選ぶはずがない。
"あのまま"なら、『戦争』など考えもしなかっただろう。例え、『大命詩篇』で盟主と通じていたとしても、だ。
あのままでも、やり方はあったはずなのだ。
悠二がいる、自分がいる、『天道宮』の沈む場所もわかっていたから、『秘匿の聖室(クリュプタ)』だって手に入れられたはず。
使命とは無縁の『約束の二人(エンゲージ・リンク)』の協力なら、得られたかも知れない。
悠二が『神門』を生み出し、『約束の二人』に『秘匿の聖室』で覆い隠してもらい、自分の導きで、ゆかりも連れて三人で『詣道』を進み、『仮装舞踏会』に代わって盟主を復活させ、『大命』を成就させる。
もちろん、『神門』を生み出す事によって異変に気付くフレイムヘイズも現れるだろうし、盟主帰還後、『大命』最終段階の遂行までにフレイムヘイズが攻めてくるのも、まず間違いない。そして、『仮装舞踏会』の軍勢という心強い味方もいない。
自分たちが命を懸ける事も、フレイムヘイズと戦う事も変わらない。それでも、このやり方なら『戦争』などという規模にはならない。
‥‥悠二やゆかりが、この方法に気付いていないはずがない。いや、もっと優れた作戦も考えているだろう。
なのに、今『仮装舞踏会』の幹部として、戦争を起こし、直接『大命』を行おうとしている。
全部‥‥‥‥
(私の、せい‥‥‥)
自分があの時、悠二を守るなどと、何もわかっていない決断をして"逃げ出さなければ"、悠二とゆかりが『星黎殿』に攻め入る事もなかった。
そのまま『仮装舞踏会』に参入した事も、自分が巫女である事と、決して無関係ではないだろう。
そして、二人はその事に関して自分に何か言った事はない。
(悠二‥‥‥‥)
大好きな人が、自分のために辛い思いをする事が、この上なく胸を痛める。
ヘカテーは、それを悠二に言いはしない。その事がさらに悠二に罪悪感という痛みを与える事がわかっていた。わかるように、なっていた。
何度も間違えて、泣いて、悠二を傷つけて、それでも、胸に在る言葉は、いつかと同じ。
(悠二は、私が守る)
それはいつかと同じ言葉であって、込められた想いはまるで違う。
単純な力関係から『守る』と言っていた頃とは違う。隣を歩き、手を取り合い、支える。想いが通じた事によって、世界が変わったかのように、見えるもの、感じるものが変わっていた。
(私が、悠二を守る)
フィレスの傀儡が悠二の『零時迷子』に手を伸ばした時、何も出来なかった、自分自身に腹が立つ。
失いたくない、絶対に守る。彼を傷つける全てから‥‥‥
(私の存在、全てを懸けて‥‥‥)
「風見鶏が‥‥‥!?」
ヴィルヘルミナの手にある、フィレスの傀儡の足跡を辿るヨーハン特製のアヒル型風見鶏が、突然方角を示さなくなる。
「‥‥‥"彩飄"が、何か行動起こしたのかも知れないわね」
「この期に及んでいきなりバレるっつーのも妙な話だしなあ」
マージョリーとマルコシアスの言う事は、概ね正しい。丁度その時、フィレスは悠二を襲い、『戒禁』によって返り討ちに遭っていた。
「どうするんですか!? 次はどっちに‥‥」
「左下、あの石柱のアーチを潜って」
焦るキアラの声を遮ってシャナが言い、極光を纏う『ゾリャー』はその導きに従う。
そのシャナは、紅蓮に燃える灼熱の瞳を背にしている。
「わかるのか?」
「さっきの"銀"‥‥多分悠二の自在法だと思う。それなら、私の『審判』で辿れる」
サーレの問いに、シャナは淡々と応える。
そう、シャナの『審判』は存在の力の流れを"見る"。
悠二はシャナの新たな自在法を知らないため、仕方ないとはいえ、悠二が足止めとして使った『鏡像転移』は、皮肉にも、シャナを悠二へと導く新たな目印となってしまっていた。
「もうすぐそこ、一気に飛ばす!」
『創造神』復活が間近、という実直な理由"だけでなく"、まるで待ちきれないと言わんばかりにシャナは飛び出す。
紅蓮の双翼に、爆発的な力を込めて。
「ヘカテー、ベルペオル、先に行って。追っ手が来てたって、僕たちの最優先すべき事は変わらな゛ぁ!?」
もはや逃げ切れないと悟り、大剣を構える悠二。その頭を、三角頭の錫杖・『トライゴン』がしばいた。
「っ〜〜〜〜、ヘカテー! 何すぶはっ!?」
それに文句を言おうとする悠二の背中を、さらにゆかりのアサルトブーツの底が勢いよく踏み落とされた。
「二人揃って何す‥‥」
「先に行くのは、ゆ・う・じ!!」
悠二の声を遮って一文字一文字強調して言うゆかり、ヘカテーもコクコクと首を縦に振る。
「『大命詩篇』の共鳴時間に限りがあるんだったら、"こんなトコ"で無駄遣い出来ないでしょ? 連続で使ったらどれきらいタイム縮むかも、わかってないんじゃない?」
悠二、黙る。図星であった。
「‥‥これは、あくまで『大命』の"第二段階"です。悠二は、いざという時のために力を残しておいて下さい」
さらに畳み掛けるようにヘカテーも言う。
「いざ、って言ったって、ここで力使わないでいつ使‥‥‥」
「戦争舐めるな! 何が起こるかわかんないのが戦場なんだよ!!」
「‥‥‥はい」
再び黙らされる悠二。何で自分より戦歴の浅いゆかりに知ったかぶり気味な説教を受けねばならないのか。
確認も兼ねて、シュドナイの方に目を向ける。
「‥‥‥‥まあ、正論だな。奴らがここに来た以上、『星黎殿』が無事かどうかも保証出来ん」
「‥‥‥むぅ」
確かに一理、あるような気はする。だがそれにしたって‥‥‥
そんな悠二の迷いを断ち切るように、
「‥‥私、いつまでも守られてるほど、弱くないよ」
ゆかりが、
「心配無用です。私は悠二より強いです」
ヘカテーが、言う。
「‥‥‥‥‥ふ」
小さく笑いが漏れる。
確かに、最近は『自分が守る』事に固執しすぎていたような気がする。
元々はヘカテーに守られているだけの非力なトーチであった自分が、である。
ヘカテーもゆかりも、自分が憧れるほどに強い。
自身の自惚れ具合が滑稽だった。ヘカテーの何か強がる風な仕草の可愛らしさと合わせて、笑う。
「‥‥わかった。すぐに戻るよ」
言って、今度はシュドナイとフリアグネに言う。
「少しの間、二人を頼む」
これは実力云々以前の問題、言うなれば『男だから』であろうか。
返る応えも簡潔明瞭。
「まあ、必要があればね」
「頼まれるまでもない、"それが俺だ"」
心強い味方を頼もしく見やってから、ヘカテーの手を引き寄せ、そのまま抱き締める。
「無茶、しないで」
「‥‥‥‥はい」
たちまち破顔するヘカテーからゆっくりと離れ、周りの視線を気恥ずかしく感じるのを敢えて無視し、ベルペオルに向き直る。
「‥‥行くかね」
「うん、そうと決めたら善は急げだ」
ベルペオル、そして左手に『ウロボロス』を巻いた悠二は飛ぶ。
神体は、最早近い。
「‥‥‥行ったか」
飛ぶ悠二とベルペオルを見送るフリアグネの目は、ややの不幸を滲ませる。
「随分、調子良く舌が回るじゃないか。力の温存? 単純に坂井悠二を、かつての仲間と戦わせたくなかっただけだろう?」
「あ‥‥はは♪ バレバレ?」
フリアグネの指摘を、ゆかりが笑って誤魔化す。
大体、“単純な実力”なら、『大命詩篇』を抜きにしても悠二の方がゆかりより強いのだ。
‥‥‥そう、今は、いつか『天道宮』の上空で戦った時とは違う。
手など抜けば、こちらがやられる。
「‥‥これ以上、悠二に汚れ役、させたくないから」
「はあ〜〜〜」
ゆかりの言葉にやや憧れるマリアンヌとは裏腹に、フリアグネはあまり良い顔はしない。
「勝手に戦力を落とした責任、どう取るつもりだ?」
「勝ちゃいいだけの話でしょ?」
相変わらずなゆかりの物言いに、フリアグネは額を押さえる。
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
先ほど悠二に抱き締められ、一度緩みきったヘカテーは、今、周りの声など聞こえないと言わんばかりに一点のみを睨んでいる。
今や視界に小さく捉えられる幾つもの輝き、その内の一つ‥‥紅蓮を。
「‥‥‥‥‥‥‥」
そんなヘカテーを、シュドナイが後ろから見ていた。
『頼まれるまでもない、"それが俺だ"』
そう、それが自分。
いつだって、"その先に在る"ものを守る。
ヘカテーが、坂井悠二と共に歩む事を選んだなら、坂井悠二を己の半身と定めたのなら、それを守るだけ。
(悠二と、ヘカテー)
どちらも守らなければ、意味が無い。
見据える。
遠く、小さく光る紅蓮を。
その背に、瞳のようなものが微かに見えた。
今まで、あんなものを見た事はない。新たに、魔神の力を引き出したのか。
しかし、何故だろう?
「‥‥‥‥‥‥‥」
あの光に、命のやり取りとは全く別次元の感情を感じる。
‥‥‥恐怖と、怒り。