「いよいよ、なんだな」
シュドナイが、珍しく感極まったように呟く。
「感覚としては、目と鼻の先って所かな。もう"僕でもわかる"くらいに近づいてる」
「ああ、その通り。ついに手の届く所にまで来た、というわけさ、将軍」
それに微苦笑して、悠二とベルペオルが補足する。
「ようやく終わりかい? 初めは珍しかったけれど、やはり私は空がある方が良い。ね、マリアンヌ?」
「はい、フリアグネ様」
「珍しく同意」
フリアグネ、マリアンヌ、ゆかり、と他愛ない会話を続ける。
「っなぁーーにを言ってるんですかぁーっ!? 一見ただの土に見えるこの大地っ! のぉーみならず建造物の構成一つ一つのどれをとっても本来"実現不能"な物質化という、"奴"の神秘の‥‥」
「おじさま、"奴"などという呼び方は改めて下さい」
「よい、捨て置けヘカテー。"こういう奴"だ」
教授が騒ぎ、ヘカテーが諭し、『ウロボロス』の声がやんわりと宥める。傍らで、教授の行動を危惧するドミノがピーッと蒸気を吹いている。
「ご機嫌みたいだね。やっぱり数千年もじっとしてたのがようやく動けるのが楽しみ? お館♪」
「お‥‥お館? いやまあ、『ウロボロス』で動けるようになったとはいえ、やはり本来は動いてなかったわけで、楽しみではないと言えば‥‥‥嘘になるな」
「最初にちゃんと"通じた"時も、結構口数多かったもんな」
ゆかりと悠二が『彼』をからかう。
随分とお気楽な行軍と映るが、それも無理からぬ事。
今、この『詣道』に太古のフレイムヘイズはいない。正確には、存在できないのだ。
"祭礼の蛇"の神体に近づくにつれて確固たる物へと移り変わる『詣道』。もはや、その安定はかなりのもの。
そう、いよいよ『大命』の第二段階に手が届くのだ。
「‥‥‥‥‥っ!?」
不意に、異常なまでの感知能力を備えた悠二ただ一人が、一つの違和感を捉える。
(一つ‥‥じゃないか)
その事自体には、然程驚きはしない。今まで『詣道』内に現れたフレイムヘイズたちも、そのほとんどが集団で攻めてきていたのだから。
だが、この感覚は、違う。"一人一人"の力がかなり大きい。しかも‥‥‥
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
気配の幾つかに、覚えがある。
「‥‥皆、"追っ手"か、来てる。やり方はわからないけど、『神門』から侵入されたんだと思う」
『っ!?』
皆が悠二の突然の、あり得ない言葉に驚愕する中、悠二はどこか諦めのような、観念のような気持ちを抱いていた。
(やっぱり、来たのか)
どうやって『星黎殿』を見つけたのか。直衛軍や守備兵たちをどう突破したのか。どうやって、『詣道』の中で自分たちを追ってこれたのか。
それら様々な疑問があって、しかし悠二は"理屈以前の所"でこの事態を受け入れていた。
(やっぱり、ダメだったのか‥‥)
こちらの覚悟と決意を示し、力の差をまざまざと見せ付け、彼女の支えの一つであろう『贄殿遮那』をも奪った。
戦う意思を削ぎ落とし、立ち向かう心を折るため、出来得るる限りの事をした。
それでも‥‥‥
(そりゃ、そうだ‥‥‥)
自分でも、考えが甘いと、頭のどこかでわかっていた。"あの時"、彼女らを手に掛けたくなくて、ギリギリの『言い訳』をしたのではないか? と訊かれれば、否定は出来ない。
(彼女が、彼女たちが‥‥あんな事くらいで引き下がるはずがない)
今まで、可能な限り避けようとしていた戦いが迫って来ている。
だというのに‥‥
(‥‥‥変だな)
妙に、『嬉しさ』が悠二の心に滲んでいた。今から、今度こそ互いに一切の容赦もない戦いが始まるというのに、ようやく手の届く所にまできた『大命』を阻止される要因が出てきたというのに‥‥‥‥
(ああ、そうか‥‥‥)
自分でも驚くほど明瞭に、悠二は自身の気持ちを理解した。
自分は、"彼女たちが、全く彼女たちらしい行動をとった"事が嬉しかったのだ。
自分が思った通りの、信じた通りの仲間たちであった事が嬉しかった。
それが、ある意味単純な生き死にの問題以上に大切な事のように思えて、諦めと共に安堵した。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
見回せば、皆一様に表情を固くしている(例によって、教授とロフォカレは除く)。
悠二の一言と共に意識を集中させ、追っ手の気配を掴んだのだろう。
「追っ手が来ていても、僕たちがやる事は変わらない、要は時間との勝負だ。ここからは今までほど慎重に進む必要はないから、飛ばすよ。追い付かれる前に、目的を果たす」
悠二同様に覚悟を決めた表情を作るゆかりや、明らかな動揺を隠しきれないヘカテーを含めて、皆が悠二の言葉に耳を傾ける。
「解け、『タルタロス』」
ベルペオルの声に従い、眼前に無数並ぶ拘鎖の輪、それら全てが割れ、弾け、金色の火花を散らして、その内に秘めていたものを解放する。
『ッオオオオオオ!!』
それは、巨大な植物と見える燐子の群れ。
「やれやれ」
軽く息をつくフリアグネが指をパチンと鳴らして、一拍遅れて薄白い炎が一帯を埋め尽くす。
炎が消える頃には、様々な様式のウエディングドレスを着飾ったマネキン人形の群れ、フリアグネの燐子たちが居並ぶ。
「『鏡像転移』」
短く唱え、地に手を添えた悠二。銀炎が迸り、先のフリアグネの時と同様に、湧き上がった炎の中から人影が這い出してくる。
違うのは、生まれ出るのがマネキン人形ではなく、歪んだ西洋風の板金鎧、"銀"である事。
悠二、ベルペオル、フリアグネの生み出した燐子や傀儡の大群。それが『詣道』にひしめいている様は、圧巻、あるいは悪夢だった。
「これで、少しは時間が稼げるはずだ」
言って、悠二は『詣道』の奥へとその瞳を向ける。
「これだけの燐子で"少しは"‥‥‥か。随分と厄介な追っ手だね」
うんざりと言うフリアグネ。悠二もそれを否定はしない。
「‥‥‥うん。でも、今の僕たちにはその"少し"で十分だ」
そう、もはやヘカテーだけではなく、悠二も"祭礼の蛇"の存在をその身に感じている。
その悠二が、『この足止めで十分』と判断したのである。
何も、わざわざ正面きって戦う理由はない。目的はあくまで『大命』の成就だ。
「行きます!」
誰より早く、まるで逃げるように飛び出したヘカテーに続いて、一行は"祭礼の蛇"の神体へと突き進む。
「‥‥‥はっ、随分豪勢なお出迎えだなオイ!
「足止め、のつもりだろうね」
阻む者無き『詣道』を、休まず真っ直ぐに突き進んできたシャナたち、そして、シャナの『審判』による灼眼が、遂に追い求めてきた世界の敵を掴んでほどなく、爆発的に"増殖"した。
目の前に立ちはだかる無数の燐子を前に、レベッカが毒づき、バラルが補足する。
「‥‥つまり、向こうはもうこっちに気付いてる」
「‥‥‥うむ、それに、迷わず逃げを取ったという事は、"祭礼の蛇"の神体が近い、という事やも知れん」
目の前の『対応』の意味に、シャナとアラストールが当たりをつけ、
「しかし、だとすればなおさら急がねば‥‥」
「迅速追跡」
ヴィルヘルミナとティアマトーが、"それでもすべき"事を言い、
「それは‥‥そうですけど」
「‥‥‥簡単に言うな」
キアラとサーレが、目の前の大群という問題点を指した。
「‥‥‥‥‥‥‥」
そんな、フレイムヘイズとしての実用本位な会話が続く中、『弔詞の詠み手』マージョリー・ドーは、ただ黙って燐子の群れに目を向ける。
正確には、その中の三分の一を占める、銀色の炎を撒き散らす歪んだ西洋鎧に、である。
「‥‥‥‥‥‥‥」
マージョリーの、人間だった時の全て、『壊すもの』すらも奪い去った、誰もその実体を知らない化け物。
一体、"こいつ"は何なのだろうか?
"銀"が、単純に坂井悠二の生み出す傀儡、などというのは、明らかにおかしい。
坂井悠二という少年は、人間としてこの世に生まれてから十六年程度しか経っていない。
数百年前に自分を傀儡で襲うなど出来るはずがない。
考えられるのは、"壊刃"サブラクが『零時迷子』に打ち込んだ自在式、そして‥‥『仮装舞踏会(バル・マスケ)』。
(‥‥‥やめよう)
もう、こんな光景を目にしても、心がざわつきはしない。
もう、壊すものしか残っていなかった頃とも、壊すものすら奪われた頃とも違う。
守りたいものが、戦う理由が、あの時には無かったものが‥‥‥ある。
「ま、厳しくてもこいつら片すしかないんじゃない?」
もう、"幻"は追わない。
「あ、ぐぁ‥‥‥‥っ!」
どうやってかはわからないが、シャナたちが自分たちを追って来ている事を悟って、最低限の足止めをして、真の『盟主』の許へと急いだ。
何人か知らない気配もあり、自分が知っている以上の戦力である事は予測出来たが、それでも、この距離とあの数の燐子なら、自分たちが『盟主』に辿り着く方が早い。
そう判断した。
もう『詣道』の中に太古のフレイムヘイズが入り込む事は出来ない。
後はただひたすら急げばいい。
その、はずだった。
(何、が‥‥‥‥)
後ろ、からだ。
後ろから、坂井悠二の背中を貫き、"内側に潜った"。
腕、だ。感覚でわかる。
そして、同時に一度として感じた事の無い感覚も、感じた。
"自分の核"を、鷲掴みにされている感覚。
悠二の核、『零時迷子』。
「私の『零時迷子』、返してもらうわよ」
背中から掛けられた声、そして、自分の目に映る仲間たちの姿、"その中の足りない一人"から、自分の背中を貫いている者の正体を悟る。
「ロフォ、カレ‥‥‥?」
「人違い、よ」
返ってきたのは、半ば予想していた応え。
悠二には見えていないが、後ろで三角帽と燕尾服が、風に弾けた。
長く艶やかな黄緑の長髪が流れ、悠二の視界の端に映った。
「悠二っ!!」
聞く側が辛くなるようなヘカテーの悲鳴。
それから一拍遅れて、絶叫が響く。