目の前、埴輪のような鎧が、剣の切っ先を向けて突っ込んでくる。
「おっ、と」
首を捻って、頭を狙ったその一撃を避けると同時に、鎧の兜にそっと手を添えて‥‥‥
ドン!
零距離から放った琥珀の炎弾が、兜を破砕させて鎧を吹っ飛ばした。
「危ないな」
仰向けに倒れた鎧が、桧皮色の火の粉となって散っていく。
もはやこの光景も何度目か。
(ほら来た)
と、うんざりするヨーハンの予測通りに、柱の陰からワラワラと、埴輪の鎧が"また"現れた。
「いい加減、顔を見せてくれないかな。あまり時間を掛けてられないんだ」
と、とりあえず目の前の埴輪に向かってヨーハンは言う。
「恥ずかしながら、私は『王』にあるまじき臆病者でございまして、貴方のような方の前に出るには相当に勇気が必要なのですよ」
と、鎧のウアルが、丁寧な口調でいけしゃあしゃあと言い放つ。
「やっぱりダメか」
はじめから期待していないヨーハンは、しかし挑発に乗るでもなく、ポリポリと頭をかく。
実を言うと、焦っているのはむしろウアルの方であった。
埴輪の鎧を、始めはやや舐めて、後に全力で襲い掛からせて、そんな攻防がもう随分続いているのに、この華奢でなよなよしいミステスは傷一つ負ってはいない。
ミステスだからと舐めてはいけない。
それは、坂井悠二や平井ゆかりが『星黎殿』に攻めてきた時にわかっていたつもりだったが、やはり目の前の光景には、王としての矜持を傷つけられる。
「しかし、確かに"このまま"続けていても、互いに時間の無駄ですな。私も、上で同胞たちを待たせている身。我が全力を以て、お相手致します」
言って、変わらずヨーハンを攻め続けていた埴輪の鎧たち、その全てが一斉に床を蹴り、距離を取った。
その埴輪の空っぽの内に、桧皮色の炎が巻いて、幾千もの小さな塊となって飛び出す。
それは中空で蜂の形となり、空間に広がって黒い雲を作り出した。
「いいよ」
それら、蜂の大群を前にして、ヨーハンは涼しげな態度を崩さない。むしろ‥‥‥
「こっちも、準備は出来たから」
悪戯を企む子供のような笑みを浮かべていた。
(はあ‥‥さて、どうするか‥‥‥)
咄嗟に全力の竜巻を形成して、無数のラッパから放たれる破壊の衝撃波を防御した‥‥にも関わらずこの様である。
大気が爆発するように弾け、殺しきれなかった威力に吹き飛び、余波で崩れた三つほどの尖塔。
フィレスは今、その崩れた尖塔の瓦礫に埋もれていた。上手い具合に、瓦礫と瓦礫の隙間に逃れている。
(あのラッパ、『ファンファーレ』‥‥かあ。手数が増えただけ‥‥言うだけなら簡単だけど‥‥ねえ!)
ドォオオオン!!
大して間も置かずいきなり、瓦礫の山が音の暴力に吹き飛ばされた。
寸前のタイミングでフィレスは飛び出し、逃れる。
「ホンット、容赦ないわね」
「実力を認め、敬意を表している、と言う事ですよ」
「嬉しくないわ‥‥よ!!」
フィレスの繰り出す拳撃に引かれるように流れた風が、琥珀色の大瀑布となってプルソンの立つ一帯を呑み込まんと放たれるが‥‥‥‥
「無駄!!」
全周に向けられたラッパ・『ファンファーレ』の破壊の音撃は、それすら押し退け、掻き消す。
「もうヤダこいつ‥‥」
心底本気で呟いたフィレスは、そのまま横に飛翔しながら、それでも風による攻撃を重ねる。
が、『攻撃は最大の防御』と言わんばかりに、それを衝撃波が撃ち落としていく。
移動しながら攻撃しているフィレスにその衝撃波は当たらない。
しかし‥‥‥
「っ!?」
フィレスの逃げる先、その遠く向こうに一つ、ラッパが見えた。
「痛ったあ!?」
そこから放たれただろう衝撃波はフィレスの纏う風を貫き、フィレスはそれを躱した。
にも関わらず、フィレスの全身を、鉄棒で万遍なく強打されたような激痛が襲う。
(やっぱり、離れてちゃ勝ち目ないか‥‥)
先ほどまでは速さで勝る自分なら、遠距離戦でプルソンと有利に渡り合えるつもりだったが、とんだ隠し玉があったものだ。
(接近戦で片をつける!)
確かにあの『ファンファーレ』は厄介だが、全く躱せないわけではない。何とか掻い潜って、勝負をかける。
琥珀の暴風を纏ったフィレスが、凄まじい速さで舞う。
(何だ、こいつは?)
よりにもよって『大命』遂行のこの時期に、自分たちにこれほどの損失を与えておきながら、このミステスの態度は何だ。
そして、そのミステスと直接戦っているにも関わらず、この飄々とした、余裕とも見える態度を崩させる事が出来ない自分にも腹が立つ。
だが、腹が立つ以上に不気味でもあった。
事実、軽薄に振る舞っているように見えるが、『永遠の恋人』ヨーハンはまだ傷一つ負っていない。
なまじ、圧倒的な破壊力や存在感などのわかりやすい実力の把握が出来ないだけに、不気味なのだ。
(いずれにしろ、今の全力ですぐに決める)
何か企んでいるらしい、という事もある。
急がねば、上の城塞部で戦う仲間の被害が増えるだろう、という事もある。
そして、最初から死に物狂いで倒しにかかれば良かった、とも思った。
とにかく、何か危険なものを感じるこのミステスを、一刻も早く倒さねば、そんな焦燥に駆られる。
「覚悟!!」
埴輪鎧から溢れ出した蜂の大群全てが、ヨーハンに迫る。
先ほどまでの鎧の包囲とはわけが違う。避ける空間すらない、完全な回避不能攻撃だった。
それが、荒波に呑まれるようにあっという間にヨーハンを覆って‥‥‥
消し飛んだ。
ヨーハンを守るように巻き付く、緩やかに炎を混じらせる、琥珀の風によって。
「な‥‥‥?」
「今まで準備に手間取ってたから、こういうの出せなかったんだ」
動揺するウアルを余所に、ヨーハンは何でもない事のように軽く言う。
言って、ウアルの動揺を見逃すつもりは全く無かった。
「さすがに瞬間的には難しかったから、先に"これ"を仕上げてたんだ」
コッ、と軽く靴で踏んだ床、その『大円』が、琥珀色に発光した。
それは微細な紋様で綴られた、大きな自在式だった。
それが、ヨーハンがその手に遊ばせていた自在式を、床にパンッと音を立てて叩きつけると、跳ねるように一気に広範囲に広がった。
「う‥‥おお!?」
部屋の大扉の外に、蜂の大群で織り成した『気配隠蔽』の力も合わせて隠れていたウアルの本体、緩い衣を纏った直立のヒトコブラクダは、声を抑える事も忘れた。
何故なら、広がった自在式の断片がウアルの体に掛かり、さらにはそれが式全体を引き寄せ、はい上がるようにウアルの全身にまとわりついたからである。
「こ、これは『気配察知』と『束縛』の式の複合‥‥‥。私の攻撃を避けながら、密かにこれほどの自在式を床に描いていたのか!?」
ヨーハンは鎧の攻撃を躱しながら、足裏から発する微細な力で以て、床に自在式を刻み続けていたのである。
極めて微細で困難な作業を、敵の包囲攻撃を躱しながら、密かにこちらを窺っているウアルに気付かれずに‥‥。
「いや、床に描いたのは単なるブースター。いきなり何も無しに使うのは、ちょっと無理だったから」
しかし、ウアルの間違いを、ヨーハンはやんわりと否定する。
せっかく捕縛したウアルに接近する気配もない。
「だから、床の自在陣で制御を簡略化して、実際に僕が直接使ったのは『気配察知』と『束縛』と‥‥」
ドォオオオン!!
「‥‥『爆破』の、三つの式の複合術だ」
徹底して姿を隠し続けたウアルは、ヨーハンにその姿を見せる事も無く、隠れた大扉の向こうで爆砕され、桧皮色の火の粉となって散っていった。
「むっ!」
人化を解いた小山のような犀が、突撃してくる。先ほどまでなら、突っ込んでくる守備兵を問答無用で斬り倒していたメリヒムだが、その角を細剣で受け止めきれず、敢えてその力に逆らわず、後方に大きく跳躍した。
「っ!」
その跳躍の最中、別の徒の放った、自在式で構成された鎖のような物が、メリヒムの腕に絡まった。
「はっ!」
一閃、その鎖を断ち切るが、予想通りの後方への勢いを殺され、中途半端に対空するメリヒムに、間髪を入れず、また別の徒の輝く円盤や、鋭い槍が放たれた。
さすがに剣だけでは対処しきれず、剣から幾筋か数色の光線を出し、それらを薙ぎ払う。
(あの獅子が暴れだしてから、明らかに兵の質が変わっている。‥‥今まで温存していたか)
まずは自分が先行して自軍の状態を安定させ、兵が十分に力を発揮出来るようになった、ここぞという時に主力を投入してくる。
(あのプルソンとかいう徒、大した指揮官だな)
と、心中素直に感嘆を示して、先ほど槍と円盤を向けてきた徒二人の前に躍り出て、まとめて横一閃に斬り飛ばす。
その炎を喰らわんと口を開こうとして‥‥‥
「ッオオオオオオ!!」
再び巨犀の突撃が来たので、また跳躍して躱す。
(さすがに、もうそんな余裕は無いか)
と、スッパリ割り切って、跳躍からの落下の勢いそのままに、背面から犀の首筋に、細剣を思い切り突き立てた。
剣を深々と刺したその隙を突くように、また徒が五人まとめて飛び掛かってきた。犀が絶命して火の粉となるにも、深々と刺した剣を引き抜くのにも間に合わない。
「ちっ!」
小さく舌打ちし、細剣の柄を話して、両の掌から虹色の炎弾を撃った。
至近で放たれたそれを躱せるはずもなく、五人の徒はまとめて七色に焼かれて消える。
メリヒムは倒した彼らには目もくれず、着地と同時に、火の粉になった犀から抜け落ちた細剣を拾い上げ、そのまま転がるように倉庫のような建物の物陰に飛び退いた。
ドドドドドォン!
メリヒムの回避に僅か遅れて、さっきまで細剣が転がっていた地が、無数の炎弾を受けて砕けた。
「存外、手強いな」
小さく呟いたメリヒムはしかし、剣を握って、強気にその口の端を上げる。