もはやその姿を隠す異界を失い、代わりに臙脂色の嵐に守られた『星黎殿』を、デカラビアは見上げていた。
《聞こえますか、デカラビア外界宿(アウトロー)征討軍総司令官》
その嵐の内側にも複数存在する彼の魚鱗・『プロビデンス』から、『星黎殿』の守護者・“嵐蹄”フェコルーの声が届いた。
今この瞬間に於いて、任された役割の重さから、デカラビアはフェコルーと同等の権限と、責任を持っている。
「聞いて、見ている」
唯一のイレギュラーだったはずの『天道宮』の不安要素が無くなり、真に万全だったはずの『星黎殿』。
それを守る最強の盾を、驚くべき速さと威力で、瞬く間に突破されたのだ。計算外もいい所である。
だが、互いに相手の手抜かりを責め立て、無用の混乱や不和を生み出す愚は犯さない。
この通信はあくまで、目の前に在る現状への対処のためである。
《私たちは『星黎殿』を隔離し、内に入り込んだ賊の討伐に全力を注ぎます。直衛軍は早急に、“外の敵勢”を押し返して下さい》
「承知した、形勢逆転後、一度の連絡の後、『星黎殿』を包む『マグネシア』を解かれよ」
この事態にも変わらず、デカラビアの淡々とした指示が下され、フェコルーは「了解しました」と手短に通信を切った。
すかさず、デカラビアは別の『プロビデンス』を発動させる。
自身が指揮する直衛軍の最前線。『震威の結い手』は長時間は戦えないその特性からか、今は姿が見えないが、代わりに厄介なのが二人。
先頭で直衛軍を、その直剣と霞で次々に斬り、焼き、薙ぎ払う紅梅色の天女・『剣花の薙ぎ手』虞軒。
そして何より、先頭どころか、自軍から明らかに孤立し、敵勢のど真ん中に屹立する、瓦礫の巨人。
その圧倒的な破壊の情景が、『プロビデンス』越しに映る。
「『セトの車輪』を」
「うむ」
静かに告げたカムシンの声に従って、周囲に数十の褐色の自在式が浮かび、そこから伸びた炎の糸が全て、瓦礫の巨人が握る鞭・『メケスト』の柄の先端へと伸び、繋がった。
異変に気付き、猛攻を仕掛ける直衛軍の攻撃を受けながらも、褐色の炎を吹き上げて依然佇む瓦礫の巨人が、それを“回した”。
自在式が浮かんでいた瓦礫や岩塊を引きずりだし、炎の糸は怖気を誘う大質量の回転を生む。
全体としては、遊園地のメリーゴーランドのように、見た目にはいつ振り撒かれるかわからない暴虐の塊として。
そして、あっさりと炎の糸が“伸びた”。
瓦礫の巨人を包囲していた直衛軍が潰れ、吹き飛び、爆砕される。
それでも構わず、伸びた炎の糸を回転させるカムシンによって円形に褐色の破壊の暴威を巻き起こされる。
徒の絶命を表す炎の四散と、圧倒的な破壊の跡の中心で、ただ瓦礫の巨人だけが立っていた。
敵も味方も、愕然とその光景を見る中で、瓦礫の巨人は足裏から褐色の炎をジェット噴射のように吹き出して飛んだ。
また、敵勢に向かって、思わず怖気付いた直衛軍らを全く無視して、一人の男が、カムシンが作った空白の大円に飛び出した。
立て襟のオーバーコートに革手袋、将校帽のような無印の帽子を被り、顔の左側に負ったひどい傷によって左目を失っている男、『犀渠の護り手』ザムエル・デマンティウスである。
「っおおおおおお!!」
そのザムエルが、神器たる親指大の銀杯・『ターボル』を大地に向けて打ちつけた。
そこを中心に、複雑怪奇な自在式が大規模に展開され、次の瞬間、カムシンがメチャクチャにした地盤や瓦礫をも取り込んで、その場が変質し、“築城”した。
『犀渠の護り手』によって形成された、出城へと。
後続のフレイムヘイズらがその出城に乗り込み、上手い具合に制圧拠点と化す。
さらに、いつの間に乗り込んでいたのか、出城の一画からパリパリと紫電の稲妻が見えた。
危機を理解したデカラビアが、指示を下そうとした瞬間、『プロビデンス』の視界全てが褐色に呑まれ、その効力を失った。
「‥‥‥‥‥‥‥」
形勢は思わしくない。
こちらが直衛軍のみとはいえ、兵数自体では決して引けを取ってはいない。
しかし、フレイムヘイズ陣営もこの局面にこそ活路を見い出し、決戦兵力を投入してきたのだろう。
古からの怪物たる壊し屋・カムシンや、『大戦』で総大将を担っていたゾフィーを筆頭に、虞軒、ザムエル、その他の討ち手の能力も侮れない。
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
元々が、盟主帰還という『大命』の第二段階を果たした後の『大命』の最終段階の布石として、万一にも数千年前と同じ轍を踏まぬよう、事前にフレイムヘイズから反攻勢力を削ぎ落としておく事が、この作戦の目的。
実際、盟主帰還の後は、全兵力を『星黎殿』に集結させて“守り抜く”という方針だった。
理由はわからないが、『星黎殿』の座標が知られていた時点で、この作戦は頓挫している。
‥‥もはや、既定方針に沿って動く意味もない。
そう判断し、『プロビデンス』を二箇所同時に展開する。
負担が大きいため普段はまず使わないが、状況が状況である。
「通達。これより、緊急の通達を行う。他の何を措いても、まず答えるべし。東部方面主力軍司令官“驀地しん”リベザル、西部方面主力軍司令官“煬煽”ハボリム」
外界宿征討軍の司令官三者による協議の場を作り、特段の気負いも引け目も感じさせない、いつもの調子で状況説明を終えて、返ってきたのは案の定‥‥‥
《せ、『星黎殿』に敵の侵入を許し、ゾフィー・サバリッシュ率いる主力軍も至近に迫っているだと!? 貴様いったいそこで何をやっていた!?》
ようやく危機的状況を知らされたリベザルによる怒声である。
「全軍の指揮だ」
またも常の調子で応えたデカラビアに激昂するリベザル、
「貴様‥‥‥!!」
「それで、征討軍総司令官は、我々にどうせよと言うのか」
それを遮り、実の無い会話を断って、あくまで冷静なハボリムが核心に触れた。
「東西戦線の戦闘は今や徒事である。全軍撤退し、『星黎殿』の防衛、および敵主力軍の包囲に加わるべし」
ハボリムは当然の事、リベザルもこういった事に私情を挟む男ではない。
気に喰わないのは確かだが、その作戦の妥当性を理解し、承諾した。
この時点で東京総本部も、アンドレイ要塞も、もはや陥落寸前、撤退に際してフレイムヘイズ陣営からの追撃もあり得はしない。
デカラビアは、三者での協議を終え、同様にオロバス率いる遊撃部隊にも撤退を命じる。
「堅守の上にも堅守、さすれば勝つ。この攻勢を一時凌ぎ、待てば良いのだ。我らが神の帰還を」
常には無い、自分を鼓舞するように、デカラビアは呟いていた。
「凄、い‥‥‥」
距離も、事前の外観も関係なしに次々と移り変わる景色に、キアラは思わず感嘆の声を漏らしていた。
「敵を褒めてどうすんのよ、今から“これ”を作った奴と戦うのよ?」
「まったくこの子は」
そんなキアラを、契約者が二人して呆れる。
「で、その『代行体』とやらは、実際そんなに厄介なのか?」
その少し前で、サーレがシャナ、ヴィルヘルミナ、マージョリーに訊く。
『三柱臣(トリニティ)』や“狩人”、教授が危険なのは重々承知しているし、『創造神』など、サーレにとってもおとぎ話の存在だ。
今までの話で一番不明瞭なのがその『代行体』だった。
「多分、『三柱臣』より厄介よ。実際に戦ってみりゃわかるわ」
と、過去の敗戦に拘るつもりのないマージョリーが短く応える。さらに、
「もう一人、お付きでミステスがいるはずだけど、こいつもちっとやり辛え。一回戦ったんだけどな」
レベッカが、平井ゆかりについて捕捉した。
「‥‥“親父殿”が直接戦うような事はないにしても、それでもこっちが数で負けてるか」
「こちらが追い詰められているのは、はじめからわかっていたはずであります」
「事前情報」
アヒルの風見鶏を凝視しながら、ヴィルヘルミナがサーレの甘言を叩く。
そんな『詣道』を行く一行の先頭を飛ぶシャナが‥‥‥
「っ!」
微弱な違和感を感じて、一度目を閉じ、さらに開いた。
「『審判』」
と、同時にシャナの背後に轟と煌めく一つの瞳が現れていた。
(よし)
通常ならば気配・流れるイメージとして感じ取る事しか出来ない存在の力が“見えて”いた。
まるで『玻璃壇』のように。
それがこの『詣道』でも使える事を確認して、安堵する(無論、ここに来るまでに力の確認は終えてある)。
この自在法・『審判』は、他のシャナの自在法、『飛焔』や『断罪』のような、今まで使っていた自在法、それが強力になり、名付けただけの物とは違う。
以前の自分には全く無かった、新しい自在法だった。
その自在法による灼眼で、力の流れを睨み、見つけた。
「何かいる!」
『夜笠』から剣を、抜き、『それ』に向かって構えた。
力の流れは見えているのに、肉眼で捉えるのと同様、妙に霞がかっている。
そんな『人影』たちは、シャナたちに襲い掛かるでもなく、ただ立ったまま、ある一点を指差した。
「あれは‥‥!」
そして、同じ方向を、ヴィルヘルミナの風見鶏も指している。
「‥‥おそらく、秘法・『久遠の陥穽』に巻き込まれた太古のフレイムヘイズたち、であろう」
その行動、姿、今までの情報から、アラストールが推測し、そしてそれは事実だった。
『‥‥‥‥‥‥‥』
その姿に、誰も、何も言えずに沈黙が下りる。
ただ、彼らが指す先へと急ぐ。それだけが、彼らのあまりに純化された使命感に報いる唯一の方法。
「シロたち‥‥‥」
そんな沈黙を、シャナが小さく破った。
「ここに来なくて良かったかも知れないね」
「そうで、ありますな」
「‥‥‥まあ、もう敵と味方をまともに判断出来そうもねえからな。徒ってだけで間違いなく攻撃してきそうだ」
冷たく聞こえるかも知れない、しかし厳然たる事実を口にする。
悠二たちを阻んだ狭間のフレイムヘイズたちの妨害を受けず、その時間をこそ貴重として、シャナたちは急ぎ、追跡する。