その姿に、その行為に、その意味する所に思考が追い付いて、堪えようのない、凄まじい激情に駆られた。
だが、ダメだ。
自分の役目を、居場所を思い出せ。
自分は、違うのだから。
同じになるなど、絶対に認めるわけにはいかないから。
だから、歯を軋むほどに食い縛ってその激情を抑え込み、その視線を逸らした。
「これが、『詣道』‥‥‥‥」
前も、後ろも、下も、上も、右も、左も、その全てが大地。
「殺風景なもんね、世界の狭間ってのも」
「ヒャーハッハ! 観光に来てんじゃねーんだからよ、あんま贅沢言うもんじゃねえぜ、マージョリーよお」
砂と無骨な瓦礫のみで構成された、無辺の景色を見て、二人で一人の『弔詞の詠み手』が軽口を叩く。
「‥‥この景色は固定されたものではないはず、であります」
それに応えるヴィルヘルミナ、その表情も声音も、"ある程度彼女と付き合いのある者"ならわかるほどに沈んでいる。
「ヴィルヘルミナ」
その中でも、最もヴィルヘルミナの心情を理解するシャナが、言う。
「シロなら大丈夫」
「っ!?」
気の利いた言葉でも、根拠に基づいた言葉でもない。
あまりに簡潔な、しかし確信の籠もった、"理屈抜きの信頼"だった。
そんな、『強い』少女の姿に‥‥‥‥
『シャナを頼んだ』
「‥‥‥‥‥‥‥」
自分が、とんでもない無様を晒してしまったのだと気付かされた。
(狼狽無様)
(うるさいであります)
パートナーの指摘(しかも、珍しく感情を込めて"呆れ"た)を受けて、自分の頭ごとゴンッと殴った。
「‥‥‥ま、勝手に居残り役になった男にゃ、全部終わった後で文句言ってやりゃいいさ。つっても、フレイムヘイズでもない奴らが手ぇ貸してくれてるだけでもありがてえんだけどな」
「"わ、私の、お、男"など! そそそそのような者では!?」
「‥‥‥‥‥いや、誰もそんな事言ってねえよ」
フォローのつもりで言ったレベッカの言葉に興奮して墓穴を掘るヴィルヘルミナ。それを見たキアラが好ましげに微笑む。
「だが、ここまで予定通りに、いや、それ以上に都合よく上手く行くと、却って怖いな」
「かーっ、何でこの男はこういう時にわざわざ盛り下がる事言うのかしらねえ」
「少しは空気読みなさいよ、サーレ」
「言っても仕方ない事で士気を下げるのは感心しないな、たとえそれが今のような少数部隊だとしても、ね」
「いや、だから警戒を促す意味で‥‥」
「怖がらないで素直に喜びましょう!」
難しい顔して溢したサーレの言葉をウートレンニャヤとヴェチェールニャヤが叩き、ギゾーまでが諌め、なおも抗弁しようとしたサーレの言葉を、キアラの元気な激励が遮った。
この、サーレ自身の契約者も含めた三人の王は、基本的にキアラの味方なのだった。
「ヴィルヘルミナ・カルメル。首尾はどうだ?」
そんな各々の反応の中で、ヴィルヘルミナが平常心を取り戻すのを見計らって、アラストールが訊く。
あるいは、『これ』こそが命運を決めると言っても過言ではない。
「了解であります」
「? 何だい、それは」
言ってヴィルヘルミナが背にした背嚢(今回は小さい)から取り出した物を見て、バラルが訊ねる。
背嚢に手を回したヴィルヘルミナの手に握られていたのは、およそこの場にそぐわない、緊張感をぶち壊す代物。
何故かアヒルでデザインされた『風見鶏』だった。
それがくるくると回って、一つの方角を指し示す。
「問題、ないようでありますな」
「うん、行こう」
幾人もの構成員たちが、突如として発生した暴風に巻かれ、呑まれ、そしてその先で絶命していった。
(あの竜巻の中で、何が起こっている!?)
『祀竈閣』で『星黎殿』守備隊を指揮するフェコルーは、その光景に狼狽えながらも、真っ先にすべき事を行う。
もはや『秘匿の聖室(クリュプタ)』を失い、敵全てにその姿を晒す『星黎殿』、そして『神門』、その全周を、臙脂色の粒子の嵐が包み込んだ。
内に在る火種は当然まだ在り、これでは援兵も呼び込めはしないが、この先、この『星黎殿』を侵そうとするであろう新たな敵勢を阻むためにこれは不可欠だった。
少なくとも、奇襲を受けた、そして本来なら守備隊より早く敵勢と対するはずの『星黎殿』直衛軍が形成を巻き返し、"こちらの援兵のみ"を呼び込めるようになるまでは。
フェコルーが『星黎殿』の守護者たる役割を果たす、その上では、他の構成員たちが、彼らの役割、"侵入者の排除"を果たすべく奮闘していた。
「馬鹿ども、いつまで取り乱しているつもりかああ!!!」
『!?』
琥珀の暴風渦巻き、臙脂色の嵐に包まれた『星黎殿』の内側を、腹の底を叩く大音声が叩いた。
突然の敵の猛攻に、逆上し、混乱していた『星黎殿』守備隊がビクッと体を震わせ、頭に上った熱を一気に下げる。
声を発した王、前線指揮官たる美麗の獅子は、兵たちの一応の鎮静化を見て取ると、この混乱の一番の原因に目を向ける。
『マグネシア』の突破、『炎髪灼眼』の『神門』突入、一気に倒された同胞、混乱の原因はいくつもあるが、当面の最大の弊害は‥‥‥‥
(あの女‥‥‥"彩飄"フィレス!)
次々と同胞を巻き込むこの竜巻、その自在法の使い手である。
美麗の獅子・プルソンに一喝された守備兵たちは、近くの尖塔に隠れたり、己が自在法で対処したり、超重の体躯を持つ徒が手を貸したりして冷静に対処しているが、根本的な解決にはなっていない。
「ッゴァアアアアア!!」
一気に息を吸い込んだプルソンが、それを吐き出すように大喝した。
途端、ボッと妙な音がして、琥珀の竜巻に穴が空いた。
それを、その穴の向こうにいたフィレスは見ていた。
(っ! やば‥‥)
咄嗟に、ほとんど反射で、瞬発的に出せる最大の風を纏った拳を、その穴に向かって突き出した。
「っくあ!」
ッバァン! と空気が弾ける音がして、否、実際にフィレスの目の前で空気が爆発して、フィレスは弾かれるように吹っ飛ぶ。
ドォン! と派手に轟音を立てて、その身が尖塔にめり込んだ。
その時点で自在法・『黒い嵐(カラブラン)』の制御は解け、荒れ狂っていた暴風は止んでいた。
すかさず、他には目もくれず、プルソンはフィレスがめり込んだ尖塔の対面の尖塔の頂に跳び上がる。
「少々狼狽が過ぎますな。お三方」
「‥‥‥それは、お互い様でしょ?」
掛けられた皮肉に肩をすくめて、フィレスはめり込んだ尖塔から身を起こす。
気の抜けた挙措に見えるが、いつ攻撃されても対応出来る気力がその身に充実している。
それをわかっているからこそ、プルソンも不用意な不意打ちを仕掛けはしない。
「"こちらに残られた"三者の内、貴女が一番我らにとって脅威とお見受けしましたので。私は"哮呼のしゅん睨"プルソン、お相手願いましょうか?」
「嫌だ、って言ってもダメなんでしょ?」
「いかにも」
互いに不敵な笑みを浮かべて対峙する。
その中、プルソンは一つの違和感に気付いていた。
(‥‥一人、足りない‥‥‥?)
太古に発動された秘法・『久遠の陥穽』。
その際に秘法に巻き込まれた当時のフレイムヘイズたち。
元々が"祭礼の蛇"を放逐するために発動された秘法、巻き込まれたからと言って、彼らが未熟で非力だったというわけではない。
当然、中には強力なフレイムヘイズも"いる"。
「『星(アステル)』よ!」
ドドドドドドオン!!
眩ゆい水色の連爆が巻き起こり、『詣道』の中にある尖塔、遺跡、街路が砕け、吹き飛んだ。
だが、
「っ!」
その水色の光を裂いて、影が一つ飛び出した。
幾つも並んでいた他の影は四散したが、その影、否、フレイムヘイズは依然としてその存在を保っている。
茫漠とした人影ながら、それは二メートルを越える巨躯、さらに手にした棍のような武器は、その巨躯をさらに二回りも上回っていた。
光弾を放ったヘカテーに飛び掛かり、その棍を振りかぶるフレイムヘイズ、その左右から‥‥‥
「させ‥‥」
「ません!」
ゆかりとマリアンヌの、翡翠と白の炎弾が挟撃で放たれた。
だが、それを受けた人影は予期していたのか、振りかぶった体勢のまま振り回した棍でそれらを容易く叩き散らした。
(まともに受けるのは、まずい‥‥‥!)
それを至近で目にしていたヘカテーは、その、傍目には単調な物理攻撃としか映らない打撃に秘められた威力を悟って後退しようとするが‥‥‥
ギュルッ!
炎弾を散らした動作の延長から流れるように滑らかな、芸術的な動きで、背に回して突き出された棍、長い間合いを持つその一撃が、ヘカテーの後退以上の速度で放たれた。
(避け‥‥‥)
られない、という思考が追い付くよりさらに速く、"ヘカテーの体が後ろにすっ飛んだ"。
ガキィイン!
重い金属音が響いて、その棍の打撃は、一本の大剣に止められていた。
ヘカテーの襟を掴んで後ろに引っ張った、今はヘカテーの前で大剣・『吸血鬼(ブルート・ザオガー)』を構え、全身から黒い火花を派手に撒き散らす坂井悠二によって。
その実行力に一拍遅れて、姿が変化する。
緋色の凱甲、緋色の衣、後頭から伸びる漆黒の竜尾。
見上げる少年の前髪の下から、あまりに深く、大きい何かを宿した黒の瞳が、太古の討ち手を捉えた。
ギャリッ! と刃を滑らせて、悠二が踏み込む。
自身の間合いの内に入られたと悟ったフレイムヘイズが、棍を手放して繰り出した拳撃。
それを、まるで撫でるように軽く、無造作に、悠二の左手が受け止めていた。
「眠れ‥‥」
次の瞬間、黒き炎を纏った『吸血鬼』の斬撃が、人影を真っ二つに断ち斬っていた。
その炎を宿した物に強力な"斬撃"の性質を与える、悠二固有の自在法・『草薙』。
「ふぅ〜〜、いつになったら着くんだろ? もうどれくらい歩いたっけ?」
一息着ける事を悟ったゆかりが、うんざりと文句を言う。
「ゆかり、あんまり愚痴らない。言ったって距離が縮むわけじゃないんだから」
それを、悠二が困ったように笑う。笑う中で、その姿が揺らめくように元に戻った。
「でも、今みたいな強敵も出てくるようになってきたし‥‥」
「盟主との共振が、随分顕著になってきています。もう、それほど遠くはないはずです」
悠二に助けられた体勢からそのまま悠二の腕に寄り添うヘカテーが、微笑んで告げる。
その頭を撫でる悠二、指をくわえて羨ましがるゆかり、そしてその後ろでも話を聞いていた仲間たち。
皆が、『大命』の成功を意識して、密かに、あるいは露骨に、胸踊らせた。
「今日の幸せ 二度とは来ない 喜びの薔薇も色褪せる♪」
そんな一行の最後尾で、ロフォカレは歌いながら、リュートの音色を奏で続ける。