何も知らない、しかしこの世の先住たる人間たちがいつもと変わらない日々を過ごし、その一方で紅世に関わる者たちがこの世の命運を左右する戦いを続ける中で、異能を持つ、世に知られた使い手たちが、一つの街を訪れていた。
この一年、あり得ない頻度であり得ない戦いを引き寄せ、この『大戦』の“引き金”を生み出した、おそらくは‥‥『闘争の渦』。
名を、御崎市という。
「あの‥‥『ヒラルダ』を渡そうとした時、もう疑ってた、って事?」
「まあね、大体、好きな男を探すために外界宿(アウトロー)に入ったような娘が、せっかく再会したのに、伝えるメッセージが連れへの『負け犬』なんて、どう考えても不自然でしょ?」
この街で関わりを持った少年たちには、姿を見せていない。
長居するわけでも、今から死にに行くわけでもない、少し前に済ませた旅立ちの延長のようなもの。
自分たちにとっても、少年たちにとっても、不要な接触だという判断である。
知った所で、何が出来るわけでもない。要らぬ心労をかけるだけだ。
「まあ、こんなにフレイムヘイズ側が“こっち”に動きを合わせてくれるとは思ってなかったから、けれで一握りの勝ち目が少しはマシになってくれたかな?」
同じ国の中で、世界規模の戦いが繰り広げられている、という『現実』があって、また、ここでのんびりとコーヒーを飲んでいる使い手たちがいる、という『現実』もあった。
どちらにしろ、『次』が進むまでは動く事は出来ない、気を張るだけ損というものだ。
「ま、そんなやり方しか出来ないほど追い込まれてる、って事でしょ。それすらわからない無能が総司令じゃなかったのが救いってもんよ」
「ま! そりゃあ一人一党の代名詞みてーなどっかの酒杯(ゴブレット)ほどひでえ指揮官なんざそうはいねえだろうぜ、我がさすらいのロンリー・ウルフ、マージョリー・ドーよぶっ!?」
フィレスとヨーハンが言い、マージョリーとマルコシアスが肯定する。
口調こそ軽いが、これは相当に深刻な話である。
『兵団』の総司令が認めたという事は、『フレイムヘイズそのもの』に、こんな危険な、博打のような手段しか残されていないという事を指しているからだ。
「‥‥世界のために、なんて柄じゃないんだけどね」
「ま、“建前”としちゃ一級品だ、素直にもらっとけ、我が麗しの酒杯?」
「「同感」」
自嘲めいたマージョリーのぼやきをからかうマルコシアスに、『約束の二人(エンゲージ・リンク)』が声を揃えて便乗した。
(これも、ダメか‥‥)
今は閉鎖され、地下の食品売り場くらいしか機能していない、旧依田デパート。
その高層フロアに放置されたおもちゃの山に、黒髪黒服の少女が佇んでいた。
おもちゃの山を漁り、時々その中から武器らしき物を拾い上げては、眺めたり、振ったり、叩いたりして‥‥また放り捨てる。そんな作業を繰り返していた。
「やっぱり‥‥高望みしすぎなのかな?」
「むぅ‥‥程度の違いこそあれ、いずれも宝具だ。通常の武器よりは遥かにマシなはずだがな‥‥」
少女・『炎髪灼眼の討ち手』シャナ・サントメールは、自身の首に下がる神器に何となく訊ね、神器に宿るアラストールも、全く当たり前に質問に応えた。
シャナは、以前の『天道宮』を巡る戦いに敗れ、その結果、フレイムヘイズとして旅立った時から常に共に在った愛刀、あるいは戦友たる神通無比の大太刀・『贄殿遮那』を奪われた。
そして、自身がその場にいたわけではないが、この街で起きた数々の事変の発端とも言える徒、“狩人”フリアグネがこの場所を拠点としていた事を聞いていた事を思い出し、愛刀の代用品を求めてここに来たのである(わざわざ一行がこの街を訪れた主な理由はこれだ)。
以前、悠二たちが探した時は、“とある宝具”による騒動のせいで中断せざるを得なかったが、そのしばらく後、平井ゆかりの武器として拾った鈴型の宝具を形にすべく再び捜索した結果、武器型の宝具がいくつか発見され、その内の短剣が新生『パパゲーナ』の材料にされた。
それを活かして、自分も、せめて『贄殿遮那』を取り戻すまでの代用となる武器を探しに来ているのだが‥‥‥‥
ヒュン! ブンッ!
「‥‥‥‥‥‥‥」
“宝具を含めて”、中々しっくりくる物がない。
『贄殿遮那』は、史上最悪のミステス・『天目一個』の核たる比類なき名刀。
シャナは、フレイムヘイズの身体能力を手にした時から、その『贄殿遮那』しか使った事が無い。
たとえ宝具であろうと、他の武具が見劣りしてしまうのは仕方なかった。
「‥‥‥‥‥‥‥」
また一本、手にとって、振るう。
『贄殿遮那』との差異は確かに大きい。だが、あんな刀は二振りと無い、理想を求めすぎた所で、無い物は無いのだ。
「ん‥‥これにする」
「良いのか?」
「どうせ、“狩人”自身が持って無かった、って程度以上の宝具はあるはずが無いし、それにこの剣、長さだけなら『贄殿遮那』とほとんど同じだから」
言って、シャナ自身が言った通りの飾り気の無い、長さだけは『贄殿遮那』に酷似した剣を一本、黒衣・『夜笠』に収める。
強度や切れ味に関して贅沢は言わないが、間合いの感覚だけは狂わせたくなかったのだ。
「‥‥‥‥‥‥‥」
おもちゃの山から離れ、窓などない壁際に歩み寄り、眼下に広がる街を見下ろす。
自分が変わった、あるいは、自分を変えた街。
以前のままの自分なら、こんなに悲しい気持ちで戦いに赴く事はなかっただろう。
以前のままの自分なら、使命以外の何かに揺れる事などなかったかも知れない。
(それでも、今は‥‥)
『炎髪灼眼のシャナとして!!』
(そんな道を、信じた)
なんて、甘い。
自分でも可笑しくなる。
相手は世界を変えようとしている、正にフレイムヘイズにとっての仇敵。しかも、自分たちは一度、完膚無きまでに負かされているというのに‥‥‥。
(でも‥‥‥‥)
自分のそんな答に、
『お前の道はお前が決めろ』
(‥‥アラストール)
誰より使命に忠実なパートナーが、
『私が信じているのは、まぎれもない貴方自身なのでありますから』
自分をフレイムヘイズとして育て上げた、大好きな養育係が、
『‥‥‥それでいい』
自分に戦いを教えてくれた師が、そう言って肯定してくれた。
(もう‥‥私は迷わない)
しかし‥‥‥‥
『君には負ける気がしない』
(‥‥‥‥‥‥‥力が、足りない)
ヴィルヘルミナほどの技巧があるわけでもない、メリヒムほどの破壊力もない、マージョリーのような自在法など適性すらないだろう、炎使いたる自分には、フィレスのような能力の幅もない。
おそらく、今この街に集った使い手たちの中で、総合的な実力では、自分が一番弱い。
当然、そんな使い手たちを手玉にとった坂井悠二にも、遠く及ばないだろう。
‥‥初めて会った時は、自分の方が強かったというのに。
(力が欲しい)
今まで『炎髪灼眼の討ち手』たる少女は、明確に大きな力を欲した事がなかった。
戦いに臨んでは技巧の粋を凝らして死線を潜り抜け、咄嗟の機転によって敵を阻んできた。
倒れ苦しんでも、それは自分の未熟と弱さの結果であると“受け入れて”きた。
フレイムヘイズとなるべく育てられた、特殊な生い立ちがあるため、彼女は契約後の最初期から技術的には一定の完成をみている。
だから、元々の『今在るものを的確に使う』という実用本位な性格と合わせ、己が認識する以上の力を引き出そう、などと思う事はなかった。
工夫や錬磨はしても、曖昧な懇望には無縁な存在で、彼女は在り続けた。
それが、結果として彼女自身の力に蓋をしてしまっているという事にも気付かずに。
唯一の例外は、坂井悠二という少年。それによって引き出された炎と‥‥名前。
(また届かないのは‥‥‥‥嫌だ)
だが、今は違う。
瞳を閉じて、静かに佇むように見える少女。だがその心は真逆のもの。
今や『炎髪灼眼の討ち手』シャナは、がむしゃらに、執拗に、ひたすら必死に、自らの中に在る全てを大きく浚って、より大きな力を掴み出そうとしていた。
必要だから、足りないから、絶対に無くてはならないから。
全ては、一人の少年と、もう一度‥‥‥否、今度こそ向き合うために。
想い、求める間に、少女から溢れだす、小さな紅蓮の恒星のような濃密度の炎。
その光景に、心底からの感嘆と歓喜を覚える“天壌の劫火”へと、目を閉じたまま、少女は告げる。
「アラストール」
あるいは今さらな、しかし、言わなければならない言葉。
「私、悠二が好き」
アラストールにも、それはわかりきっていた。だから、それを告げた時に返す言葉もまた、決まっていた。
想うのはただ、一人の女性‥‥‥先代、『炎髪灼眼の討ち手』。
「‥‥フレイムヘイズも、人を愛する。何事にも阻めぬ。何者にも否めぬ」
己が契約者が二代続けて難儀な相手に惚れてしまう事に、苦笑が漏れる。
(よりにもよって‥‥なんという恋をするのか)
“観念”した契約者に、シャナは温かな気持ちを抱く。
使命と逸脱しているかも知れなかった自分の想いを、誰よりも使命に忠実な彼が肯定してくれた事が、何より嬉しかった。
未だ瞳を閉ざし、己が心と向き合っているシャナに、しかしアラストールは敢えて『現実』を向ける。
「お前は‥‥坂井悠二をどうしたいのだ? あるいは、坂井悠二にどうして欲しいのだ?」
そう、坂井悠二という存在が、世界の理に手を伸ばしている事は揺るがざる事実。
しかしシャナはそれに笑って応えた。
応えられるだけの強さを、すでに持っていた。
「それはまだ、わからない」
曖昧な答え、否、答えにすらなっていない。
だが、続く言葉は、アラストールが求めた以上のものだった。
「でも、私は悠二が好き。今はそれだけ‥‥」
ゆっくりと、少女は瞳を開ける。
「そう‥‥‥‥」
その開眼に呼応するように、
「それだけで戦える!」
少女の背後に、煌めく紅蓮の瞳が一つ、開かれた。