『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の『姫』・"万華響"の平井ゆかりの指示と起用によって、ヨシダカズミが外界宿から探り出した情報、それをまとめた書簡がある。
「まったく、『姫』の手回しの良さには頭が下がるな」
「あら? 少し前まで『大巫女と盟主の腰巾着の成り上がり』って陰口叩いてたくせに」
「‥‥‥‥‥‥‥」
オロバスのやる気に水を差す白衣の女、彼の副官を務める"朧光の衣"レライエである。
フレイムヘイズにとって重要な東西の二大拠点、外界宿(アウトロー)東京総本部と、『アンドレイ要塞』。
しかし、オロバスやレライエが率いる部隊はその双方の戦線についているわけではない。
ギリシャ戦線からほどよく離れたとある地で、ひっそりと身を潜めていた。
「意気込むのは結構だけど、"将軍の悪い癖"の真似なんかしないでね。『征討軍総司令様』に何を言われても、私は庇わないから」
レライエは言って、掌に在る魚鱗・『プロビデンス』をこれ見よがしに見せつけ、意地の悪い笑みを作った。
「‥‥‥わかってる」
レライエのその物言いと、掌の魚鱗、その先でこの状況を見ているであろういけ好かない上官の存在に、オロバスは渋い顔をする。
デカラビアの事を除いて考えても、こうやって挑発すれば、オロバスは指摘された事を出来ない事を、レライエはよく知っていた。
気付かれないように薄く笑って、先ほどのオロバスの言葉、そして自分たちの役割を反芻する。
未だ、まともな集結をみていなかった『フレイムヘイズ兵団』。
だが、『神門』の創造による歪みは、多くのフレイムヘイズに異変と危機感を与えた。
今まで呑気に構えていたフレイムヘイズたちが行動を起こし、集結する事は"わかっていた"。
フレイムヘイズの交通運行を統括する大組織・『モンテベルディのコーロ』。
その『コーロ』が"こういう場合において"使用するであろう運行ルートを、吉田から受けた情報から、ゆかりが割り出し、位置だけを示した簡潔な書簡が、今、レライエの手元に在る。
これがオロバスとレライエの部隊の役目。
未だ、ろくに『兵団』としての体裁も取れていないフレイムヘイズたち、"今さら"集結しようとしているフレイムヘイズたちが、『アンドレイ要塞』に向かうルートを押さえ、バラバラである内に悉く孅滅する。
もちろん、こちらは充実した兵力、有能な指揮官、充実された士気を以て、である。
彼らはその役目を受け持った遊撃部隊なのだった。
その視界に、ゆかりが読んだ通りに、フレイムヘイズたちの気配を捉えた。複数の自在師を陣の外円に展開させているため、向こうはこちらに気付いていない。
黒衣の青年の姿のオロバスは『人化』を解き、その姿を黒い軍馬へと変化させ、咆えた。
「我らはこれより、敵に戦力を備えさせないための戦いを開始する! 我々の大命の妨げとなる道具どもの集結を許すな! 散在する奴らを一気に蹴散らせ!!」
オロバスは、十分な力を持っているにも関わらず、未だ『王』を名乗れてはいない。
それは武功を立てる機会に恵まれなかったため、その力を示す事が出来なかったからだ。
この戦いで、それはきっと変わるだろう。
オロバス自身も、周囲の者も、そして何より、オロバスの心棒する『将軍』も、そう考えていた。
「全軍、突撃!!」
東京都心部は、自在法・『封絶』によって世界から欠落していた。
「‥‥‥‥‥‥‥」
地上二百メートル余の高さを誇る新宿住友ビルの展望フロアを数階ぶち抜いて作られた臨時の指揮所の窓際で、巨大な三本角の甲虫・リベザルが、ポツリと呟く。
「以前、パリで『革正団(レボルシオン)』どもを蹴散らした時も思ったが‥‥‥‥」
「え?」
訊き返すのは、ぶかぶかのローブを纏い、大袋を背負う子供、彼の相棒の『捜索猟兵(イェーガー)』・"蠱溺の杯"ピルソイン。
リベザルは東部方面主力軍の司令官であり、ピルソインはその副官なのだ。
「いや、人間ってのは、俺たちなんぞ比べ物にならんほど、世界の占拠に貪欲な生き物だ、とかそういう感想‥‥気分か? なんだ、つまり‥‥もういい」
制止した世界有数の大都会を眼下に眺めて、珍しく何やら殊勝な事を言っていたリベザルは、結局感じた事を上手く言葉に出来ず、象ほどもある巨体をドカンと座らせる事で、その不機嫌を誤魔化した(つもりになった)。
その反動で、ぴょんと体ごと浮き上がる中、ピルソインはくすりと笑う。
「なに、今さら人間に敬意でも表して『人化』でも使う気になった? 暇潰しの妄想にしちゃ、悪くない案だね」
「よせやい。"そんな姿"、ドスが効かねえったらありゃしねえ」
「‥‥‥今の姿でも十分、大巫女や姫に遊ばれてたじゃないか」
「う‥‥うるせえ!」
「それより」、と座ってなお見下ろす形で、リベザルは言う。
「一当て二当ての戦闘で、さっさと籠城か。さすがに『クーベリックのオーケストラ』が出張ってるだけある」
「対応、早いよね」
彼らの標的は、今や東部の最重要拠点たる東京外界宿総本部。
そこには、今や『フレイムヘイズ兵団』の総司令たる『愁夢の吹き手』ドレル・クーベリック率いる、『クーベリックのオーケストラ』が詰めていた。
『愁夢の吹き手』ドレル・クーベリック。
人間であった時に築き上げた人格と運営能力で、組織的に紅世の徒を狩る、という方式を広め、それまでの外界宿の在り方に革新的な変化をもたらした、"戦闘以外で"初めて名を馳せたフレイムヘイズである。
その彼が率いる幕僚団『クーベリックのオーケストラ』は、『フレイムヘイズ兵団』結成に先んじて、この東京総本部に詰めていた。当然、兵団のトップとして。
本当なら、開戦前に彼ら率いる『ドレル・パーティー』だけでも潰しておきたかった所ではあるが、『神門』創造まではこちらの動きを極力悟られないようにするのが『盟主』の定めた方針、それに敬愛する参謀・"逆理の裁者"ベルペオルまでが首を縦に振ったのだ。是非もない。
それに、結果としてこの方針は相応の成果を上げている。
事前に警戒されるような事例が少なかったため、『神門』創造と同時の襲撃は"奇襲"の要素を多分に含みんだせいか、敵の戦力は不十分、重要拠点に集結しようとしているフレイムヘイズも、悉く遊撃部隊に潰されているという報告がある。
「結局、参謀閣下が数千年に渡って唱えてこられた『組織としての強さ』で、俺たちが敗けるわけがねえ、って事だ」
語らう間に、燐子砲兵の準備が整っていた。
複数の徒たちが共同して作る、大筒型の燐子である。
大威力の炎弾を力の続く限り撃ち放って消滅する、という至極単純な型だが、複数の徒が共同して作る分、威力は高い。
「第一射、ファイア(撃てぇ)!!」
眼下に捉えるフレイムヘイズの前哨陣地たる公園に、燐子砲兵の特大の炎弾が、一斉に放たれた。
前方に在るモノ、それは薄く色づいた人影と見えるそれらが、一斉に槍の穂先を突き出してくる。
「ふっ!」
それら全てを掻い潜り、自身の間合いに『敵』を捉えた悠二は一閃、『吸血鬼(ブルートザオガー)』の一振りで敵を薙ぎ払った。
千切れ飛んだそれらは煙のように薄れるが、悠二の背後にまた人型となって現れる。
悠二は騒がず、慌てず‥‥‥
「はあっ!」
振り向き様に放った銀の炎弾で、今度こそ霧散させた。
「な、何こいつら!?」
若干動揺したゆかりが、前方の集団に特大の炎弾を放り込みつつ、叫んだ。
「フレイムヘイズさ、太古のね」
この事態を予測していたベルペオルが、説明する。
「こいつらは、遥か昔、盟主を放逐するために使った秘法・『久遠の陥穽』の余波に巻き込まれたフレイムヘイズだ」
シュドナイが言って、巨大化させた『神鉄如意』を振るい、その太古のフレイムヘイズらを叩き潰した。
悠二が戦っているのに珍しく、ヘカテーは動かない。突然戦場と化した『詣道』の中で、ヘカテーの周囲だけが別世界のような静けさを保っている、と錯覚してしまうような空気を帯びていた。
『久遠の陥穽』に巻き込まれた、太古のフレイムヘイズ。
彼らは巻き込まれ、行く先も無い狭間で"祭礼の蛇"と共に彷徨う結果となっても、フレイムヘイズの契約を解かなかった。
永い時の中で、その意識を鈍化させ、その回復し続ける力を以て、『久遠の陥穽』を作用させ続けたのである。
また、目隠しされて放り込まれた大海でも、両界のどちらかに流れつく可能性も、極微ではあるが、確かにゼロではない。
その時、即座に秘法を再発動させる、という命懸けの保険でもあった。
だが、結果としてそれは完全に裏目に出た。
"祭礼の蛇"は、秘法発動の瞬間、逃れられない事を瞬時に悟り、残された力の全てを、"秘法の構造変容"に当てたのだ。
自らに作用し続ける『久遠の陥穽』、そのためのフレイムヘイズの力が、ほんの微かずつ、自身に流れ込むように。
こうして、フレイムヘイズらにとっては真に皮肉な形で、『久遠の陥穽』を維持する力は、『詣道』や『大命詩篇』の創造に当てられ、"祭礼の蛇"帰還の血肉となった。
彼らが今、こんな茫漠たる状態となっているのは、その内側に確たる存在を作る『詣道』が、狭間に在る他のものを隔離しているためである。
そのフレイムヘイズたちが、もはやどこまではっかりしているのかすら怪しい意識の中で、悠二たちに牙を剥く。
「要するに‥‥敵だね!」
腰に差した鉾先舞鈴・『パパゲーナ』を抜きながら言ったゆかり。
その、説明の意味が無かったのではないかという発言が、この状況下で皆に、小さな笑いを呼んだ。