「待ちなさい!」
「あははははは!」
何やら騒いでいる平井とヘカテー。
『ファーストキス』の持つ重要性をヘカテーに説明し、『あの時』の事も話した結果である。
「‥‥私は、旅立つ前に悠二にキスしました!」
「ええっ!?」
「‥‥‥それ、寝てる間でしょ? カウントすべきか微妙なトコかな〜?」
「っ〜〜〜〜!」
驚愕する悠二、あっさり見抜く平井、そして平井に頭突きを繰り出すヘカテー。
その後も平井とヘカテーの追い掛けっこは続き‥‥‥
「‥‥‥‥もう貸してあげません」
ヘカテーは拗ねた。
もっとも、それも平井がそう仕向けた事。
ヘカテーをわざと刺激し、独占欲を促した。
ヘカテーの心遣いは嬉しかった。
実際、少しの時間、甘えてしまった。
だが、甘えたままではいけない。
そもそもが自分の横恋慕。
そして、自分はヘカテーのお姉ちゃんなのだ。
頼られる側でなければならない。
(‥‥しっかり、しなくちゃね!)
充分、元気をもらったから。
それから四日。
(?)
慌ただしかったが、ようやく『星黎殿』にも慣れてきた悠二だったが、実際の所、未だに『不審人物』として扱われているため、基本的にはヘカテーの城の以外をうろつく事はない(当然、平井もだ)。
そして元々、『三柱臣(トリニティ)』の『巫女』にお目通りが叶う者は極端に少ない。
そんな風に『保護』されている悠二達である。
話がそれたが、そんな悠二は最近、といっても昨日今日の話であるが、違和感を覚えている。
違和感と言っても、徒の気配とかそういう事ではなくて、様子がおかしいのだ。
ササッ!
「‥‥‥‥‥?」
ヘカテーの様子が。
「‥‥‥‥‥‥‥」
ちょっと前までは再会の喜び、今までの寂寥などから四六時中一緒にいて、ことあるごとにペタペタとくっていていたのだが、今は‥‥‥
「‥‥ヘカテー?」
ササッ!
何故か、半径二メートル以内には近寄ってこない。
そして、昨夜はいつものように一緒に寝ないで、平井の部屋に泊まったのだ。
「‥‥‥‥‥‥」
手を伸ばしてみる。頭を撫でようと思ったのだ。
が、
ササッ!
「‥‥‥‥‥‥」
近寄らないどころか、距離を取られる。
これは、もしや‥‥
(‥‥避けられてる?)
ぴゅう!
「あっ!」
走り去ってしまった。
(な、何で‥‥‥!?)
そんなに怒らせるような事をしただろうか?
いや、今イチ心当たりがない。
(一体、何で‥‥)
ポンポン
「?」
肩を叩かれ、振り返れば、サングラスを掛けたダークスーツの男。"千変"シュドナイである。
何やら親指を立てて、ニヒルに笑っている。
「ぐはあっ!?」
とりあえず、殴っておいた。
悠二は、先日あった、"いつも通りのちょっとした騒ぎ"の事などに、全く気を払わなかった。
(‥‥赤ちゃん)
こちらは挙動不審なヘカテー。
つい先日、坂井千草に子供が宿っている事を聞き、その話の延長で『子供の作り方』も聞く事になったのだが、彼女には少々刺激が強すぎた。
幼い心に受けた激しい衝撃は、ヘカテーにとっての"対象"である悠二から距離を取らせていた。
(悠二も‥‥‥?)
"そう"なのだろうか?
(私に‥‥?)
そういう気持ちなのだろうか?
「‥‥‥‥‥‥」
少女の幼い心が、現実を受け入れるには、もう少し時間が必要なようだった。
「‥‥‥‥‥‥‥」
"嵐蹄"フェコルー。
ベルペオルの副官にして、『星黎殿』の守護者である。
当然、通常の構成員には得難い、憧れの地位にいる彼は今、構成員達がたむろする酒保の片隅にいた。
しかし、誰も彼を特別注視する事はない。
彼は『星黎殿』を覆う『秘匿の聖室(クリュプタ)』の力を司る『トリヴィア』という宝具を使い、己の『王』としての力を隠している。
(これは‥‥まずい)
彼は普段からこうやって一介の構成員のふりをして、組織全体の正確な把握に熱心に努めている。
もっとも、そのせいで彼が"嵐蹄"として構成員に姿を現す時は、彼の自在法・『マグネシア』による立方体に姿を隠さなければならないのだが。
そんなわけで彼は今日も視察をしていたわけだが、
「結局、あの"ミステス"達は一体何だってんだ?」
「あれ以来、大御巫の城に居座っていやがるしなあ」
「俺たちはあいつらに吹っ飛ばされたんだぞ!?」
「怒鳴るなよ。うるせえなあ」
「俺たちの将軍閣下を愚弄されっ放しでいいのかよ!」
(ままま、まずい)
坂井悠二達が来てから今までは、ヘカテーが幸福絶頂になった事が瞬く間に伝わり、実際、位の高い構成員はヘカテーを直接見て大満足していたのだが、
塞ぎ込んでいたヘカテーが立ち直った、という吉事からしばらく経ち、落ち着き、皆の注意が、『怪しい不審者達』に向き始めている。
来るべくして来た事態であるが、予想よりも早く不審が広がっている。
「‥‥‥‥‥‥」
フェコルーはさりげなく酒保から出ていき、一つの仕掛けを発動させる。
宝具・『トリヴィア』のもう一つの役割、『星黎殿』内部を自在に繋ぐ通路・『銀沙回廊』である。
向かう先は、『参謀』"逆理の裁者"ベルペオル。
「悠二、みかん取って」
「‥‥はいはい」
今、平井ゆかりの私室に、悠二とヘカテーも来ていた。
あれから悠二がぶらついてから平井の部屋を訪れたら、先にヘカテーがやってきていたのだ。
今もヘカテーは、いつものようにじゃれついてこない。
平井の部屋に新設置されたコタツに、平井と横ならびに入っている。
正確には、コタツの中から平井とヘカテーが並んで頭だけ出している(平井曰く、コタツムリだそうだ)。
『星黎殿』はかなりの上空にあるし、今は冬、寒いのである。
まあ、それはいいとして、
「‥‥‥‥‥‥」
平井とヘカテーがコタツの中に詰まっているため、悠二は中に足を入れられない。
横からあぐらをかいて少しだけ布団を掛けるような感じである。
少し前までは、「まったく、しょうがないな」くらいに思えていたヘカテーの甘え癖、いきなり無くなると、何というか、その‥‥‥喪失感がある。
チラッ
「‥‥ヘカテー?」
ぷいっ
「‥‥‥‥‥‥‥」
こんな風にチラチラと視線を送ってきては目を逸らすわけだから、嫌われたというわけではなさそうだが‥‥‥‥
(‥‥もしかして)
押してダメなら引いてみろ、というやつをやっているのだろうか?
いや、ヘカテーがそんな‥‥いや、でも平井辺りが入れ知恵をした可能性も‥‥‥
もしそうなら、向こうの思惑に引っ掛かるのは面白くない。
何やら一人でまるで見当外れな推測を巡らせる悠二。
コンコン
その思考が、一つの音に断ち切られる。
ドアのノックである。
「ちょっと、いいかね?」
(改まって‥‥僕らの扱いに関する事かな)
(ま、そんな所かもね)
(‥‥今晩、どうしよう)
平井の部屋にやってきたベルペオル(ついでにフェコルー)に、三者三様の思惑。
いつもは何だかんだいってヘカテーのママ役の顔をしているベルペオルが、今は『参謀の顔』をしている。
話し合う場がコタツなのは遺憾ともしがたいが。
「それで、話って?」
悠二が、実に単刀直入に訊く。
回りくどく訊いても仕方ない。
ちなみに、フェコルーはコタツに入れず、平井が用意したクッションに座っている(それでも恐縮していた)。
「お前達の今後の扱いについて、さ」
ベルペオルも返す。
この答えは、フェコルーに言われてから考えたものではない。
坂井悠二と平井ゆかりが訪れてからずっと考えていた一つの答えを、今まで渋っていたにすぎない。
ベルペオルの、全く予想していなかった返答に、ヘカテーがビクッと肩を震わせる。
恐る恐る、といった面持ちでベルペオルの顔を覗き込む。
その仕草を見て、
(‥‥ああ)
やはり、この答えしかないのだと、ベルペオルは認識する。
「‥‥それで?」
さらに訊く平井に、今度はさらに迷いなく、告げる。
「平井ゆかり。お前を、『三柱臣』が『巫女』"頂の座"ヘカテーの副官に任命する」
「!?」
組織全体を指揮するベルペオルや、軍の統括を行い、前線で戦うシュドナイとは違い、ヘカテーには今まで副官というものがなかった。
それは、彼女が組織全体が守らねばならない最も尊い中核であり、定められた守護者がおらず、護衛の差配は必要に応じてベルペオルが差配していたから(強いて言うなら、シュドナイが護衛だったと言えなくもない、かも知れない)。
そして、彼女の役割は他の誰にも手伝えるようなものではなかったため、そういう手助けのための副官も必要としなかった。
その、今まで不要だった位に、平井を就かせる。
「‥‥いいんですか?」
半ば呆けたように訊き返す平井にも、あっさり頷き返す。
ヘカテーと近しく、何より、『ミステス』という危険な要素によって周囲から降り掛かるものから彼女を守るために、『地位』が必要なのだ。
手を取り合って、目を輝かせて、平井がヘカテーを抱き上げてぐるぐる回りだす。
ヘカテーも、表情こそあまり変わらないが、目が凄く嬉しそうだ。
そんな双子葉類な二人を尻目に、ベルペオルは向き直る。
「さて‥‥‥」
悠二に、
「そういう事で構いませんね?」
少しだけ、皮肉っぽい口調で、
「我らが『盟主』、"祭礼の蛇"坂井悠二」
そう、告げた。