戦勝した将軍と、敗残の強者との一騎討ち。
わざわざ自らが追っ手となってここまで来て、さらに追従してきた二人の徒の力を借りるつもりもないらしい。
機を見るに敏、確かにそうとも言える。『捜索猟兵(イエーガー)』を放ち、その帰還を待ってから新たに、自分を仕留められるだけの部隊を編成してから追わせる、という過程を経れば、今という状況では致命的な時間を食ってしまうだろう。
だから、こちらの狙いを看破したシュドナイ自らが出向いた、最も速く、最も確実な手段として。
当然、万が一にも敗残の討ち手に『将軍』が討たれる危険を孕んだ、普通ならばまずしないリスクはある。
だが、それを平気でやってのけるほどの自信があり、そしてそれは自惚れではない。
それだけの実力を、この『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の将軍は備えているのだった。
今、それを身を以て、再認識させられる。
「ぬっ!?」
直剣が弾け飛び、散らされた紅梅色の霞が、再び剣の柄を握って、天女の姿となる。
東洋屈指を誇るフレイムヘイズ、『剣花の薙ぎ手』の戦闘形態・『捨身剣醒』である。
しかし‥‥‥まずい。
「やるものよ、嗤尤」
「一世紀余の一人働き程度では、差配の腕も錆びぬということか‥‥」
二人で一人の『剣花の薙ぎ手』は、ただ戦士として、目の前にいる将軍を認めていた。
変幻自在に姿を変え、剛槍を振るう猛虎、初撃からこちらの動きに追い付き、灼熱の霞を払い、幾度となく剣を弾いた。
だが、問題はそれだけではない。
(まずい‥‥)
(後、何合打ち合える‥‥‥?)
シュドナイの体から変化した異形を斬り裂き、焼き払うも、それはシュドナイ自身にダメージらしいダメージを与えてはいない。
何より、戦うにつれ、こちらの動きを掴んできているらしい。
このままでは、確実に捉えられる。
そんな圧力を感じる虞軒とは裏腹に、対峙するシュドナイには余裕さえ出てきていた。
「虞軒、全くお前は運がいい。『神鉄如意』の全力を、目の当たりに出来るぞ」
両手で剛槍を腰溜めに構えたシュドナイが、息を一吸いし、
「ッゴァアアアアア!!」
全力で、突き出した。
それは只の刺突ではない、回避も防御も困難な、無数の槍の穂先に紫の炎を纏わす槍撃だった。
「っ!!」
紅梅色の天女を散らし、直剣を当然のように巻き込んだその刺突は、眼下のビル二軒を貫き、
「ふんっ!」
シュドナイの一閃によって、シュレッダーにでも掛けたように、横に“オロされた”。
ガラガラと崩れ落ちるビルだった物に、かろうじてその一撃に耐えた直剣・『昆吾』が埋もれる。
(このまま、何一つ出来ぬままやられるわけには‥‥‥‥)
自身の余力の無さも、今自分を見下ろす男の実力も十分に理解して、それでも虞軒の心は折れはしない。
再び剣の柄を起点に、紅梅色の天女が生まれ‥‥‥‥
(?)
その中途で、
(っう!?)
怖気を誘うものが、虞軒の目に移った。
シュドナイの『神鉄如意』に斬り裂かれたビルの断面に、まるでカビのように、無数の眼と口が生えていた。
「ちぃっ!」
咄嗟に瓦礫を貫いて脱出する虞軒。
それを追うように、“ビルの断面に生えたシュドナイ”全ての口から吐き出された濁った紫の炎が、大気を灼いて迫る。
「佳人の薄命は、花の散るように人を魅せる、か」
「っ!」
その炎から逃げる虞軒、それを待ち構えていたように、シュドナイは数十倍の大きさに変化した『神鉄如意』を、上に振り上げた状態で“溜めて”いた。
前後から迫る脅威に、虞軒は避けられない。避けられるタイミングではなかった。
「嗤尤ぅうーーー!!」
玉砕覚悟、否、全力で前に向かうしか無いと知って、虞軒はただがむしゃらに力を振りまいて突進する。
その潔さに、シュドナイは口の端を上げ、眼をギラつかせて、全力で応える。
「散れ! 『剣花の薙ぎ手』!!」
両腕で構えた巨大な剛槍、まさに今、虞軒を容赦無用の一撃で両断しようと、それを‥‥‥
(っ!?)
振り‥‥下ろせない?
まるで中空に縫い付けられたように、『神鉄如意』が動かなかった。
「将軍閣下!」
オロバスの呼び掛け、その意味を、戦いに身を置く者として理解し、しかし採る行動は同じ。
「っ‥‥ふん!!」
何かに縫い止められた『神鉄如意』を強引に振り抜く。ブチブチと何かが切れるような音を立てながら、剛槍が空を裂いて奔る。
しかし、シュドナイが奪われた一瞬の時間は、致命的な時間だった。
全速で猛進する虞軒は、本来なら自身を粉々に粉砕したはずの一撃を、一瞬の差で突っ切って‥‥
「ぐっ、あああ!」
シュドナイの肩口に深々と食い込み、その傷口を灼熱の霞が焼いた。
「ぐっ‥‥‥!」
槍の柄を回し、その石突きで直剣を弾くと同時に、ビルの瓦礫の断面に張りつかせた自身の目に、二つ、映った。
一つはまるで何かに吊り上げられるように浮かび上がる、露店。虞軒に放たれていた炎の怒涛に直撃し、阻んだらしい。
もう一つは、雨。空から間断無く降り注ぐ、光の雨。
それが、崩壊したビルの瓦礫に降り注ぐ。当然、槍を握る人型から切り離され、ビルの断面に張りつかせた、“千変”シュドナイにも‥‥‥。
ドドドドドドォン!!
ビルの瓦礫を、切り離されたシュドナイもろとも、凄まじい轟音を立てて吹き飛ばした。
自身の一部を丸ごと吹き飛ばされたシュドナイの耳に、
「怪我は無いかい? マドモワゼル(お嬢さん)」
「あんたがこんな所にいるって事は‥‥総本部はもう手遅れか?」
気障ったらしい声と、重大なはずの事を淡々と言う、どこか無気力な声が響いた。
続いて、
「キアラ! 気を抜いちゃダメよ!」
「生半可な相手じゃないわ」
「は、はい!」
三者三様の女性の声が響いた。
(‥‥‥無用な戦闘を極力避けて外界宿を潰していたのが仇になったか。まさか、こんな連中がこの大陸に渡っているとは‥‥‥)
距離を取る意味で、手近な屋上に着地したシュドナイの左右の斜め後方に、オロバスとレライエが降り立つ。
一騎討ちの体裁は取っていたが、それは単にシュドナイ個人の嗜好に依るもの。相手がそれを破った所で、腹を立てる事はない。
ただ、
(無粋だな‥‥‥)
と思うだけである。
虞軒のような直接的な知己ではないが、シュドナイは“この二人”についてそれなりに知っていた。
「横槍は歓迎しないな、“鬼功の繰り手”サーレ・ハビヒツブルグ、“極光の射手”キアラ・トスカナ」
「‥‥‥‥‥‥」
自分は今、こうして『星黎殿』でのんびりと過ごしている。
自身が手を下していないだけで、今この時も、シュドナイによる外界宿の孅滅は進んでいる。
確実に、自分の願いがもたらした結果として。
「‥‥‥‥‥‥‥」
割り切ってはいる。
それでも断固として成し遂げる、と。
だが‥‥‥そう、何となく、感傷的になっていた。
(子供じみた、願い‥‥)
だが、それを為せるだけの根拠が‥‥力がある。
ヘカテーに出会わなければ、ただの無力なトーチとして消え果てていただろう自分。
まさに自分の存在そのものを否定され、あの頃の『自分の世界』は壊された。
自分の在り方を理解してはいても、それでも、それまでと同じ日常にしがみついた。
(皮肉なもんだな)
ヘカテーと共に訪れた非日常、それを変えるための力は確実に、他でもないヘカテーと一緒にいた事で得られた。
全く、数奇な運命だと言える。
(日常、か‥‥‥)
『日常の中の非日常』
その中で、得たものも大きかった。それこそ、それまでの日常に劣らぬほどに。
だが‥‥‥‥
(自分で、壊した)
わかっていた。彼女たちが、自分の願い、その行く先を認めはしない事。
自分の願いは、結局は自身の望む在り方を世界そのものに強いる、“世界一のわがまま”なのだとも、わかっていた。
“この状態で”出会って、ああなる事は必然。
“銀”の正体を告げないと言った時のマージョリー。
(戸惑いながら、怒ってた‥‥‥)
仮面を叩き割った時の、ヴィルヘルミナの顔。
(泣いてた‥‥‥)
そして、シャナ。
(何か、消えてしまいそうな‥‥‥‥)
迷うつもりはない。
実際、かつての仲間を前にしても、自分は躊躇わなかった。
(甘い、かな‥‥‥)
だが、殺さなかった。
彼女たち、特にシャナは、『大命』の大きな障壁になる可能性があるのに。
(『天破壌砕』、か‥‥‥‥)
『炎髪灼眼の討ち手』のみに許された秘法。
『紅世の王』は、持てる力の総量が多いというだけの、徒の同一種だ。
そして紅世の神も、通常ならばその存在は、紅世の王と大差はない。
ただ一つの違い、それが『神威召喚』。
供物を捧げ、祝詞を歌い、“神としての顕現”を行う行為だ。
これによって初めて紅世の神は、本当の意味で自身の力と権能を発揮出来る。
そしてその力は、かつての『大戦』で、“祭礼の蛇”の御業たる『大命詩篇』を粉々に打ち砕いている。
‥‥‥器たる『炎髪灼眼』もろとも。
だから、『炎髪灼眼の討ち手』は、『仮装舞踏会』にとって最も具体的で、脅威的な障害なのだ。
なのに、殺さなかった。
(あれが、精一杯‥‥‥)
他の皆にも言える事だが、シャナにはそれを徹底して行った。
必要以上に精神的に追い詰め、力の差を見せつけ、戦う気力を根こそぎへし折る。
シャナが精神的な支柱の一つにしているであろう大太刀・『贄殿遮那』を奪い去ったのも、その一環だった。
『大命』の阻止に来る事を防ぐため、来るべき大きな戦いで、万が一にも命を落とさないようにするため。
彼女たちには、この戦いに参加して欲しくなかった。
理屈の面でも、感情の面でも。
もし、『大命』成就を左右する局面で再び戦う事になれば、今度はきっと、手加減なんて出来ない。
今度こそ、殺す事になるだろう。
(‥‥‥やめよう)
やるべき事はやった。
後はなるようにしかならない。
なにより、自分には今さら感傷にふけるような資格はないだろう。
「悠、二‥‥‥」
ヘカテーが、目を擦りながらやってくる。
起こしてしまったらしい。
ただ、夜中に窓から外を眺めていただけなのだが‥‥‥。
ぽすん、と体ごと悠二にもたれるヘカテー。そのまま安らかな寝息が聞こえてくる。
(寝呆けてるだけか‥‥)
そのまま抱き上げ、抱き締める。
ヘカテーは腕の中で「むにゃ」と幸せそうに呻く。
すぐにベッドに戻してあげるべきだ、という理屈はわかっている。
だが今は、もう少しの間、こうしていたかった。