「‥‥‥‥‥‥」
天頂部の開けた『秘匿の聖室(クリュプタ)』の向こうに、本物の星空が広がる。
一切の気配を遮断する異界たる『秘匿の聖室』は、『仮装舞踏会(バル・マスケ)』にとって欠かせない武器だが、今、この時に限っては少女の力を妨害する枷となる。だからこそ、天頂部を開放しているのだ。
少女・"頂の座"ヘカテーは神秘的な水色の髪を靡かせて、同色の瞳で空を見つめる。
これはヘカテーにしか出来ない事、他の誰にも真似出来ない事。
この作業を、ここずっとヘカテーは継続的に続けてきた。そして今、それらの努力は実を結ぶ。
「‥‥‥見つけた」
「‥‥‥行ったか?」
「おそらく」
(‥‥近衛財閥からの追っ手か?)
観光にも似た中国大陸密入国ツアーの最中、突如としてザロービが動揺、大急ぎで反対側の通りに逃げ、ビルの物陰から元いた通りを睨む。
「‥‥‥本当に、あんたと居て大丈夫なんだろうな?」
「はあ‥‥まあ、私なら視認でもされない限りは問題ないはずですが‥‥‥」
「さっきのに本当に見られてないのかって訊いてんだよ」
「‥‥吉田さん? さっきのカウボーイが何かやばぶっ!?」
「やめろ、噂なんかして聞こえたらどうすんだ!」
‥‥自分が所詮一般市民であり、半ば無理矢理首を突っ込んだのは認めるしかない。
しかし、吉田とて一般市民だろうに‥‥‥何だろう、この疎外感。
池の虚しい感慨も余所に、吉田とザロービは遂にひそひそ話に突入する。
(元は外界宿に関わっていたとはいえ、あなた方だけでの行動は危険だという事は理解しているはずです!)
そう、ザロービがいなければ、中国に密入国する事すら出来ていない。
しかし‥‥‥
(‥‥そのあんたのせいで見つかったら結局全部パーだろうが)
それも事実。
(先ほども申し上げた通り、視認でもされなければ私は見つかりません。何より、『仮装舞踏会』には人間の構成員はおりません。ご容赦頂きたい)
(見つからないって‥‥言い方変えたら、もし見つかった時はあんた役に立たないって事だろうが!)
(ご安心を、私とてただ非力なだけの徒ではございません。ちょっとした"特性"があるのでございますよ)
言って、やや自己陶酔気味な笑みを浮かべるザロービに、さらに不安を掻き立てられる吉田。
なんと言っても、万一の事があれば只では済まないのは自分だけではない。
自分から何も知らずについて来たとはいえ、池速人も巻き添えを食らうのだ。
そうは言っても‥‥
「‥‥まあ、今はあんたにしか頼れないからな。よろしく頼む」
もう引き返せない。引き返すつもりもない。
そして結局、人間である自分には、こんな小物くさい徒でさえ全安全を委ねなければならない存在なのだ。
「んじゃ、上手くやり過ごせた所で、そろそろ行こうか」
気を取り直して歩きだす吉田の後ろで、
(‥‥『あんたしか頼れない』‥‥『あんたしか頼れない』? ‥‥僕の立場って一体‥‥‥‥)
地味にショックを受けていた。
「‥‥‥‥‥‥」
近衛史菜‥‥ヘカテーが消えてから、自分の周りは変わってしまった。
普通のクラスメイト達からすれば、それはあまり気になる問題ではなかったのかも知れないが、特に親しい『グループ』だった自分にとっては大きな変化だった。
それから二ヶ月近く経った後、坂井悠二と平井ゆかりも消息を断つ。理由は想像するに難くない。
当然、寂しさはあった。また、友達が何も言わずにいなくなった事に、悔しさも感じた。
それでも、「あの三人が一緒にいる」、あるいはそう在ろうとしている。それ自体にはどこか安心感のようなものも感じていた。
ヘカテーがいなくなった後の二人は、見ていられなかったから‥‥‥。
(ヘカテー‥‥‥かあ)
入学式から一月くらい遅れていきなり現れた不思議な少女。
特殊な外見、転校初日に教師をチョーク一本で昏倒させ、いきなり坂井悠二をファーストネームで呼んだ少女。
表情がよくわからないくせに好奇心旺盛で、常識に疎く、授業を乗っ取って教師の真似事をするのが好きで、そして何故か悠二にいつも一緒にいた。
(自覚なかったみたいだけど、初めからバレバレだったよね、あれ)
わかりやすい少女の行動を思い出して、クスリと笑う。
「‥‥‥‥‥‥」
不思議な少女だ。
彼女の登場で、自分の周りは大きく変わり始めた。
その後しばらくして似たような現れ方をしたシャナ・サントメールも、きっと無関係ではないだろう。
(ヘカテーって、一体何だったんだろ?)
あまりに普通の常識が当てはまらない少女。
だから、冬休みが終わって学校に来れば、もしかしたらまたひょっこり三人揃って現れるかも知れない。
そんな風に、淡い期待も持っていた。
だが、実際にはそんな事はなかった。
逆に望まぬ形で、またもや常識が覆されたのだ。
「おはよう」
教室の扉を開いて中に入る。さすがに、クラス全体に活気が無いように見えた。
(‥‥‥うちのクラスって、こんなに普通っぽい感じだったんだ)
いつの間にか、「うちのクラスは変わっている」という認識を快く感じていた自分を自覚する。
「おはよーオガちゃん。今日も朝練だったんだ?」
コスメ雑誌を眺めていた中村公子が、緒方真竹に声を掛ける。"今の"一年二組では彼女はかなり明るい部類に入る。
「まあね、そろそろ私も後輩持つんだし、しっかりしないといけないから」
緒方とて元々が竹を割ったようなカラッとした性格だが、状況が状況だけに今一つ元気に欠ける。
正直、中村のような無遠慮な性格はこういう時にはありがたい。
「‥‥ん〜〜、やっぱ、クラスのムードメーカーがこぞっていなくなると、皆元気無くなるねえ」
「‥‥‥ん」
こういう事を、何でもない事のように言ってくれるから、助かるのだ。
「‥‥"六人"、だからね」
しばらく前に、池速人と話した事を思い出す。
悠二を中心としたヘカテーやゆかり、佐藤達が、何かを自分達に隠している、その事を知らない自分達が、少し寂しい、と。
あれから、また何かが変わったという事なのだろうか?
「‥‥‥佐藤と田中、今日は遅刻かな」
年を明け、長いようで短い休みを終えて久しぶりに来た学校‥‥
シャナ・サントメール、そして吉田一美と池速人の三人が‥‥姿を消していた。
「‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥ちょっと、狭いんだけど」
「‥‥‥‥なら、おまえ達が消えろ」
「一人占めはずるいなあ」
『天道宮』上空での戦い以降、力の消耗を避けるために取っている措置。
メリヒム、フィレス、ヨーハンの三人が、存在の力の消耗を免れる水盤型の宝具・『カイナ』の上に座り続ける事。
‥‥なのだが、言うまでもなく三人も入ると狭い、ギリギリだ。
しかも、二代目・『炎髪灼眼の討ち手』を見いだし、育てるための数百年の間、アラストールが座していた水盤。
メリヒムにとっては不快極まりない。
極めつけに、一緒にいるのが‥‥‥
「ヨーハン、これからどうなるんだろ?」
「‥‥悠二の言っていた事が気になるな」
「‥‥やっぱり、大きな戦いが始まるのかしら‥‥」
「大丈夫。何が起こっても、僕達二人なら大丈夫さ」
「ヨーハン‥‥」
「フィレス‥‥」
(うっとうしい!)
シリアスな会話の端々に桃色の空気を漂わせるバカップルである。
メリヒムでなくとも我慢ならない状況と言える。
「あ、あんたどこに行くの?」
「貴様らのいない所だ!」
「あまり長く出てない方が良いよ。君が一番消耗が激しいんだから」
元凶の一人がしれっと言う事にやたら憤りを感じつつ、メリヒムは部屋を出る。
「‥‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥‥」
同ホテル、マージョリーの部屋。
俯いて、両手でグラスを持ったメイドの前に並ぶワインの空き瓶、その全ての首が鋭利に切り落としてある。
(娘や旦那のいない所だとすぐこれ、ってわけね)
元々が情に生きるフレイムヘイズ。あんな事があったのだ。心配をかけたくない対象の目のない所に来ればこうなる事は予想出来た。
(‥‥何か、私ってそういうイメージで定着してるのかしら)
マージョリー自身は、それほど動揺してはいない。
相手の立場がわかった。相手の目的がわかった。これからの動きも、大筋決まっている。
やる事は変わらない。
ブン殴って、言う事を聞かせる‥‥お互い、命懸けで。
今度は負けない、それだけだ。
こんな風に前向きに割り切った考えが出来る事自体、以前の自分とは違うのだとわかってはいるが‥‥‥別にそれを嫌だとは思わない。
『もう、あなたに"銀"は必要ない』
(‥‥‥‥そうかもね)
少し頭を冷やせば、自分を見つめ直せば、そうやって簡単に受け入れられた。
自分は変わった。
そうわかっているからこそ、このまま放っておくわけにはいかない。
そんな風に、マージョリーはもう心の準備は出来ていた。
今すぐにでも戦える。
しかし‥‥‥
(‥‥‥これ、どうしようかしら)
そうでもなさそうなのもいる。
「頼んだよ」
「わかってる」
悠二も、ヘカテーも、ゆかりも、この場には呼んでいない。
"座標特定"が済んだ今、こればかりは必要不可欠だという事もはっきりした。
いくら『秘匿の聖室(クリュプタ)』があろうと、これから為すべき事の大きさを考えると、放置しておくのは危険過ぎる。
"双方の"犠牲を最小限に止めるためには短期決戦。
それが悠二の方針だという事もわかっている。
‥‥どちらにしろ、『これ』は自分の仕事だ。
「シュドナイ」
「っ!」
呼んだ覚えのない三人、『緋願花』の面々が、少し離れた正門の上にいつの間にか現れていた。
「‥‥‥‥‥‥」
あの三人の覚悟を疑う、というわけではないが、何となくこの場は見られたくなかった。
黙って行こうとしていた事の罰の悪さも相まって、つい目を背ける。
そんなシュドナイの頭上から‥‥‥‥
「‥‥任せる」
認めた男からの信頼と、
「‥‥こちらの準備は整いました。後は、共に、大命の成就を目指すのみ」
守ると決めた少女からの、かつてない激励と、
「お土産よろしくお願いします♪」
そんな二人を支える新たな仲間からの軽口が、掛けられる。
それが‥‥‥
「く、くく」
どうにも、こうにも、嬉しくて‥‥‥
「はぁーっははははは!!」
隠しもしない笑いを上げる。
ひとしきり笑うと、ズンッと足下の岩盤を砕くほどに力強く片膝を着き、頭を下げてから、背を向ける。
その礼は、悠二に向けられたものか、それとも悠二の左手に在る『ウロボロス』に向けられたものか。あるいは、その両方か。
その事自体にはあまり意味がない。
シュドナイ自身が心から認めた相手にしか、決して取らない礼であり、悠二も、『彼』も、そこに含まれているのだから。
闘争心、使命感、そして新たに生まれた妙に弾む気持ちを抱き、その背で語り、
『将軍』・"千変"シュドナイ、出陣。