「お゛えぇ、う゛ええぇ‥‥‥!」
「いつまでゲロゲロやってんだテメエは!」
「ほほ! 船がダメならダメと初めに言って下さればよろしいものを。まあ、言って頂いても方針を変える事など出来ませんが」
「‥‥‥いえ゛、船っていうか乗り物全部ダメなんで‥‥‥」
「‥‥‥余計アウトじゃねえか」
吉田一美、池速人、そして『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の『捜索猟兵(イエーガー)』"聚散の丁(しゅうさんのてい)"ザロービ、中国大陸上陸。
‥‥からしばらく経つが、池速人は未だに乗り物酔いから立ち直っていない。
(ま‥‥前よりひどくなってるかも)
この池速人、実は極度に乗り物に弱い。せいぜい観覧車程度なら大丈夫なのだが、遊園地などしばらく行っていないから今ではそれも少々怪しい。
「おまえ、夏に電車で海行った時もそんなだったよな。よくそれで付いてくるなんて言えたもんだ」
「に゛、人間やれば出来る‥‥‥」
確かに、半死人状態でも何とか海を渡っているのだから、大した執念である。
「減らず口叩く元気があるなら問題ないな。とりあえず昼だ。本場のラーメンが食いたい」
「よ、吉田さん。僕ちょっと今、食欲無いんですけど‥‥‥」
「食え」
未だ、池速人は何も知らない。
「‥‥‥‥‥‥」
外界宿(アウトロー)への報告は済ませた(ヴィルヘルミナが)。
いずれ、"世界中のフレイムヘイズ"も動き始めるだろう。
(‥‥ヴィルヘルミナは、どうするんだろ。もし『兵団』が編成されるなら、『万条の仕手』に協力要請が来ないはずがない)
そのヴィルヘルミナや自分は、御崎市にすら戻らずに、『天道宮』の眠るこの街に未だ滞在している。
(シロは、力を消耗し過ぎてる。『約束の二人(エンゲージ・リンク)』は、『戦争』に手を貸すほどの理由は無い)
今の段階では、動きの取り様がない。
だからか‥‥‥
(こんな、馬鹿馬鹿しい事を考えるのは‥‥)
自分がどの行動を取るかなど、もう決まっているようなものだ。
その上でこんな事に頭を巡らせても意味がない。まだ、外界宿からの返事すら届いてもいない。
(‥‥‥‥私)
何かしていないと、余計な事ばかり考えてしまいそうだ。
だが、鍛練をするにしても、今という時期に余計な力の消耗は極力避けるべき。
だからこそ、苛立つ。
(‥‥‥どうしていいか、わからない)
何か、何かしていないと‥‥‥!
「シャナ」
「っ!」
別に、珍しい事ではない。自身の胸元に常に在る契約者からの呼び掛けに、相当に驚く。アラストールが"そこ"にいた事すら失念していた。
「おまえの道は、おまえが決めろ」
「っ!!」
何の事を言っているかわからない反面、"図星を突かれた"ような痛みが胸を刺す。
(アラストール‥‥)
彼は、紅世における世界法則の体現者、真性の魔神である。
その持てる権能は、『審判』と『断罪』。双方の世界に仇なす存在を裁く『天罰神』。
それゆえ、彼の志は何を於いても揺るがない。そんな彼がこんな物言いをする意味を、シャナは理解した。
(‥‥私を、信じてる)
もう、嫌というほど思い知らされた。
自分は、坂井悠二を討滅したくない。"それ"を考えると、胸が引き裂かれるように痛むのだ。
アラストールも、それに気づいているのだろう。気づいて、それでも先ほどのような言葉が言えるのは、自分が使命を貫く事を信じているからに他ならない。
(フレイムヘイズの、使命‥‥‥大義)
自分を支える、『自分自身』。
『私は、ずっと疑ってきたの。フレイムヘイズが、この世のバランスを守るために"紅世の徒"と戦う、っていう大義を』
かつて人間であった頃から抱いていた、疑念。
『今日、初めて"紅世の徒"に出会って確信した。あれは、アラストールたちの言うとおりの者、この世を恣に捻じ曲げる者だって事を。それに対する事ができるのは、フレイムヘイズのみだってことを』
初めての徒との邂逅。晴れた迷い、そのはずだった。
でも‥‥‥
『来い、"フレイムヘイズ"』
『うん、そういうことなら、俺もさ』
『温かな人と倒すべき敵。両極端な二つしか知らないあなたは、これからもっとたくさんの"人間"について知るでしょう』
『"徒"さえ、敵となる可能性を持っているだけの、"人間"なのだと‥‥』
『‥‥会いたかった、ヨーハン。今すぐ‥‥"そこ"から出してあげる』
『‥‥私は、死にたかったのね‥‥‥』
『悠二と歩く。一緒に、どこまでも‥‥‥』
「‥‥‥‥‥‥」
あの時、紅世の徒の全てを理解し、決意したつもりだったのに‥‥‥
(‥‥‥何だか、わからなくなってきた)
ガチャ
(ん?)
ノックも無しに扉を開けて入ってくる。ヴィルヘルミナなら決してあり得ない。
「シロ‥‥‥」
振り返れば、不自然に視線を合わさない銀髪の青年。
『天道宮』を修復、起動するという用途を失った『カイナ』の上に、これ以上の力の消耗を避けるために『約束の二人』共々(嫌々)座しているはずのメリヒムが、何故ここに‥‥。
「‥‥‥‥‥‥」
何も言わず、返事もせず、ドカッと椅子に腰掛けて外を見ている。
「‥‥‥シロ?」
何をしに来たのだろうか。現状で出来る事がないのはメリヒムとて同じ。いや、徒であり、力の消耗を抑えなければならないメリヒムは、立場的にも状況的にも自分よりする事(出来る事)がないはずである。
(そういえば‥‥‥)
メリヒムは、どうなのだろうか?
"紅世の徒"であり、世界のバランスを守るという使命も持たず、かつ、無害な徒として自分達と一緒にいるメリヒム。
そんなメリヒムは、今、何を考えているのだろうか。
あの時の坂井悠二の言葉から、近いうちに必ず世界を巻き込んだ大きな戦いが起こる。
極端な話、メリヒムはその戦いに加わる理由もないのだった。
『約束の二人』と違って、あまりに自分と近しいために完全に失念していた。
余力もそれほど無いはず‥‥。しかし、メリヒムの性格からいって‥‥‥
「シロ?」
そんな事を考えながらメリヒムを見ていたシャナの方に、突然メリヒムが向き直り、立ち上がる。
そして‥‥‥‥
「っシ、シロ!?」
ベッドに腰掛けていたシャナの手を、優しく、柔らかく、取っていた。
全く、意図が読めない。不可解な行動の真意を問いただそうと口を開こうとした時には、もうメリヒムは扉に向けて歩を進めていた。
「シロ‥‥‥」
「シャナ」
呼び掛ける声を制して、メリヒムから呼び掛けられた。
「覚えておけ」
振り向きもしない。そのまま扉を開いて、出ていく。
「忘れるな」
それだけを、言い置いて。
「‥‥‥‥‥‥‥」
『星黎殿』の至る所で、やけに熱の籠もった声が上がる。
「聞いたか!? 『緋願花』のお三方の活躍を!」
こんな雰囲気は、自分の知る限りでは初めてだ。
「おうよ! 討滅の道具共も一網打尽さ!」
『仮装舞踏会』自体がこれほどの動きを見せる事自体が、数百年ぶりなのだ。
(おそらく、『天道宮』を使ってこの『星黎殿』に侵入を企てた連中と『緋願花』の戦いの影響なのだろうな‥‥‥)
情報を無闇に漏洩しているわけではない。『天道宮』の秘密について知っている者はほんの一握りだろう。
だが、その辺りの事実は伏せたまま、『緋願花』の活躍を広め、全体の士気の向上を促している。
(さすがは参謀閣下、といったところですか)
いや、そんな『事実』を生み出した『緋願花』こそを評すべきか。
いずれにしろ、その効果は絶大だ。
(無理もない)
と思う。
「はっはっは! 『炎髪灼眼』何するものぞ! 我らには『創造神』様が付いておられる!」
「全くだ! 我々を阻めるものなど何一つありはしない!」
盟主達が制した使い手のいずれもが世に名立たる強者。
中でも『炎髪灼眼の討ち手』の脅威は、『大戦』以前からの古参ならば『天罰狂いの女騎士』の悪夢として嫌というほど理解している。
そして、そんな古参の猛者達の騒ぎが、ピラミッド式に部下達にも広まっていく。
子供のようにはしゃぐ構成員達の様を微笑ましく見ながら、気になる事もあった。
『天道宮』の上空にて『緋願花』と相対した者達の中に、それまで聞かなかった、それでいて聞き逃せない名前が、あった。
("虹の翼"‥‥メリヒム)
(シロはあの時、何を伝えたかった?)
ホテルのベッドに寝転がりながら、メリヒムに握られた手を、握り、開き、握り、また開く。
『覚えておけ』
『忘れるな』
(‥‥‥どこかで、聞いた事がある)
いや、それだけではない。その前、握られた手、"あそこ"に在ったものは、初めてのものではなかった。
(シロに手を握られた事なんか、そんな何度もあるわけない)
と、断言できる。
戦いの師、そして弟子としての十数年だったのだ。
たとえ接触があったとしてもそれは、"握られた"のではなく"掴まれた"というべきだろう。
(あの言葉も‥‥‥)
メリヒムは、白骨となっていた時に言葉を発した事は一度としてない。
ならばやはり、今の姿を見せた後‥‥‥
(あっ!)
思い、出した。
『手、握ってくれ』
『覚えておけ。ここにあるものは、"紅世の王"さえ一撃で虜にする力を生む、この世で最強の自在法だ』
『いつか、自分で、見つけろ‥‥‥』
(‥‥‥あの時だ)
崩れ落ちる『天道宮』、"フレイムヘイズを目指す日々"の最期に待っていた初めての"真剣勝負"。
そして、別れの時。
(そうだ、あの時だ)
消えゆくメリヒムが、最期に伝えようとしてくれた『何か』。
あの時と同じ言葉、同じ、手。
あの行為は、メリヒムが自分にしたわけではない。自分がした事を、メリヒムが導いてくれたもの。
それをなぞるように、自分も手を握ってみる。
硬く、強く‥‥
(違う‥‥‥こうじゃない)
また開いて、今度は柔らかく優しく、握り締める。
(そう、"これ"だ)
温かい、手だった。
"ここ"に在る"何か"を、メリヒムは自分に教えようとしてくれた。
きっとそれには、とても大切な意味がある。
最期の時、そう確信していた時に伝えられた事。
そして、今というこの時に再び指し示された事。
(‥‥最強の、自在法)