「こんな所でのんびりしてて良いのかな‥‥」
"見た目の"年は、十五、六。
年頃の少女には少々不似合いな頑丈な旅拵え、長いブラウンの髪を二つに結って肩の前に垂らしている。
「いーのよ別に! ただでさえ最近何か知らないけど徒達が騒がしいんだから!」
「異変を感じない時くらいレディとしての時間持ったって罰当たらないわ」
少女の若干申し訳なさそうな呟きに、お下げの先の両端の、鏃の髪飾りから、軽くはしゃぐ声と艶やかな声、色合いの違う女の声が返した。
「そう、だね」
デパートに赴いて服の買い物。旅や戦いに際しては今のような旅拵えが習慣化しているが、それはそれ、これはこれ、服の買い物は女性としての娯楽である。
それに、四六時中今のような格好をしているのではない。
しかし‥‥‥
「‥‥‥‥‥‥」
確かに、髪の両端に"女性が二人"いるとはいえ、普段は一緒にいる、肝心の人物はここにはいない。
‥‥まあ、こういう時に付き合ってくれないのはいつもの事なのだが。
「ったくあの野暮天も、どうせしみったれた酒をガブガブ飲むだけなんだから、付き合ってもいいのにね!」
「‥‥ウートレンニャヤ、それ今日だけで何度目?」
「二人共、いいよ、いつもの事じゃない」
ほんの一瞬憂いた気持ちを切り替えて、また服を見始める少女。
名を、キアラ・トスカナ。
「‥‥‥不味いな」
「そう言いながら、ずっと飲み続ける君も中々滑稽だよ」
別段都会でもなく、かといって田舎でもない。そんな街の、派手でも地味でもないバーの隅で、ただ静かに、しかし馬のようにガブガブとウイスキーを飲んでいる男。
ひょろんとした体格にカウボーイハット、厚い外套を纏い、腰にはガンベルト。
要するに、時代遅れで場違いなカウボーイスタイルである。
そんな男が、騒がず喚かず、顔に赤みも差さずに、しみったれた酒の飲み方をしている。
「あいつもいい加減子供じゃないんだ。買い物くらい一人で出来るだろ」
相棒が言外に含んだ非難に対して、さも心外という風に返す。
が、その相棒、腰のガンベルトに収まったマリオネットの操具からすれば、それこそ心外である。
「都合の良い時だけ"彼女"を大人扱いするのはやめたまえ。全く、そんな無粋な態度では愛想を尽かされても文句の一つも言えない、とは思わないか?」
そんな気障な口調での指摘に、男は鼻をフンと鳴らすだけ。
「そりゃ結構。あいつも師匠離れが来たっていい時期だろうからな」
いい加減に、そう言い放つ。
彼は、普段から低いローテンションが酒によってさらに下がったこの平静な状態が好きなのだ。
あまりおしゃべりしたい気分ではない。
「はぁ‥‥。君ってやつは、救えないね」
「‥‥‥‥‥‥」
いよいようるさくなってきたので迷わず無視。
何となく、思考を最近の情勢に巡らせてみる。
外界宿(アウトロー)から聞いた情勢では、徒達が活性化しているのはどうやらこの大陸だけではない。
世界各地、あらゆる所で動きがあるらしい。しかし、そのいずれもが何を目的とした動きなのかは定かではない。
「‥‥‥‥‥‥‥」
この大陸に来たのは、その動きの情勢があった事、そして、まあ後は近かったのと、『勘』である。
何か、妙な胸騒ぎがする。
徒達が忙しなく動いていて、それでいて具体的な目的を持った動きを何一つ見せていない。
単純に移動、移住しているような情報しかないのだ。遭遇したフレイムヘイズ達も全て、迷わず逃げの一手を打たれている(もちろん、全てを取り逃がしたわけではないが、依然何一つ情報は得られていない)。
(‥‥まさか、"親父殿"絡みじゃないだろうな)
一番嫌な予想が、頭をよぎった。
男の名は、サーレ・ハビヒツブルグ。
「‥‥‥むーーぅぅ」
『星黎殿』の廊下を奇妙な唸り声を上げて歩く少女。
『三柱臣(トリニティ)』が一柱、『巫女』・"頂の座"ヘカテーの副官、"万華響"の平井ゆかりである。
今、ヘカテーは座標特定とやらで忙しく、悠二はシュドナイと鍛練の真っ最中。
シュドナイには近々出陣の予定があるらしく、今回はどちらかと言うとシュドナイのための鍛練だ。
自分も一緒に鍛練しに行ってもいいのだが、少々引っ掛かっている事がある。
(むぅうう‥‥‥)
結局、あれから二時間みっちりお叱りを受けたわけだが、ゆかりとしても不満は当然ある。
(人の事言えないじゃん)
そう、悠二やヘカテーとて今まで何度も死にかけているし、無茶もしている。
確かに無茶を承知であんな戦法を取りはしたが、悠二達に言われたくはない。
絶対に手の届かない所で、ただ見ている事しか出来ない辛さは、自分の方がずっとわかっている。
大体、これから起きる戦いの事を考えるなら、これくらいの覚悟は決めておいて然るべきだろう。
それは、自分だけではない。
もちろん、悠二やヘカテーもこれからの戦いに命を懸ける場面もあるだろう。
「何だって私ばっか‥‥‥‥」
それほど、深く考えていたわけではない。単なるぼやき程度のつもりだった。
「理由が、知りたいかい?」
「ん?」
そんな独り言を遮るように掛けられた声と、ゆかりの前方にコロコロと転がる‥‥‥
(‥‥指輪?)
呑気な疑問は‥‥
(っ‥‥やば‥‥‥!)
ドォオオン!!
転がる指輪の撒き散らす白の爆炎、という形で断ち切られる。
「くぅっ‥‥‥!」
爆発直前に後ろに跳んだまま吹っ飛ばされ、床をゴロゴロと転がる。
「‥‥‥随分、いきなりですね」
そのまま、手でバンッと床を叩いて跳ね上がり、爆煙の先に挑むように語り掛ける。
同時に、翡翠の炎のよぎる陽炎のドームが、その辺りの一画を包み込む。
「おや、戦いとは常にいきなりであるべきさ。もっとも、無粋な対応はあまり歓迎しないがね」
白いスーツと炎を纏う美青年が、晴れた煙の先からその姿を現す。
(‥‥"狩人"、フリアグネ)
どういうつもりかわからないが、元々、『仮装舞踏会(バル・マスケ)』にとっても自分達は不確定要素。
まして、フリアグネは単なる客分に過ぎず、悠二やヘカテーに敗戦したという過去まで持つ。
(もしフリアグネさんの独断なら、『仮装舞踏会』を敵に回すよりはまだマシ‥‥‥)
いくらフリアグネが強大な紅世の王でも、『仮装舞踏会』の本拠地でいきなり暴れだすような浅慮をするわけがない。
‥‥という事までは思考を巡らせる時間も無いまま‥‥
「っ!」
フリアグネの右手から、無数の指輪が弾丸のように放たれる。
「‥‥‥‥‥‥‥」
肝心な時に役に立てない。その事に対する苛立ちがあった。
想う少女(行動からいって、おそらく間違いない)を追って、この街を飛び出した友人と、その親友である友人。
少し前に、意気込んで向かった東京外界宿総本部での、信じがたい形での再会。
その少年達を助けだすために、各々の想いを抱いて旅立ったフレイムヘイズ達。
‥‥‥そして、先ほど掛かってきた電話。
(‥‥わけわかんねえ)
坂井悠二が、平井ゆかりが、ヘカテーが、敵?
笑えない冗談だ。
今までの、今までの事は一体‥‥‥
(何だったんだよ‥‥‥)
マージョリーから伝えられた話は今イチ要領を得ず、ひどく現実味の無い感覚があった。
マージョリー自身、詳しく話は聞かされていないのかも知れない。
何といっても"敵"なのだから。
「‥‥‥‥‥‥‥」
それまで同じ日常の中にいると思っていた坂井悠二に、戦う力がある。
自分が憧れた女傑と同じ場所に立てる力がある。
その事に、長い間羨ましさが、妬みがあった。
自分も、そう在りたいと思い続けた。
だが、今は違う。
自分の出来る事で、自分の出来る全てでマージョリーを生かす。
そんな覚悟が出来た。
気持ちだけは、悠二に追い付けたつもりになっていたのだ。
それなのに‥‥‥
「‥‥‥‥‥‥」
一番身近な、目標だったのに。
(‥‥‥田中には、言うべきか?)
田中が、紅世に関わる事に対して拒否反応を持っている事はわかっている。
だが、今回は悠二達‥‥‥"田中の日常"に直結する事だけに、どうするべきか悩む。
(でもどうせ‥‥マージョリーさん達が戻ってきたらいくら田中でも訊くよな‥‥‥)
その時により強い衝撃を受けるくらいなら、今伝えておいた方がマシかも知れない。
(って、何で俺が悪い方にばっかり考えてんだ!)
いや、そんな考え自体が甘いのか‥‥‥。
「ああっ! ‥‥くそ!」
覚悟を決めても、決意を固めても、相変わらず何一つ役に立てない現状に、佐藤啓作は苛立ちを募らせる。
(‥‥‥とりあえず、吉田ちゃんには、教えとかないとな)
「‥‥だから、別に変だとか言ったわけじゃないだろうが」
「そう言う問題じゃないと思うけどな」
「そうよそうよ! 大体、あんただっていい加減その無精髭どうにかしなさいよ!」
「俺の事は関係ないだろ」
「あんたの隣を歩くキアラの事も考えて欲しいわね」
「あの、師匠? 私も出来れば無精髭は‥‥‥」
「あ〜〜〜うるさい!」
その日、サーレ・ハビヒツブルグは逃げ出した。