「りゃあ!」
「むっ!」
完全に懐に入ったつもりで繰り出した短剣の刺突。
しかし、その一撃は、曲刀の鍔元で受け止められる。
(踏み込みが甘い、か)
受けとめた曲刀を振り抜かれ、その勢いに逆らわず、後ろに大きく後退する(体ごと弾き飛ばされる)。
やはりまだまだ実戦不足。こういう間合いの取り方などの細かい所はまだまだ甘い。
そして、その細かい所が決定的な『差』と言えるのだ。
この鍛練は御崎市にいた頃からの彼女、平井ゆかりの習慣である。
相手は『星黎殿』の守護者・"嵐蹄"フェコルー。
「お、大御巫のご友人に万一怪我でもさせてしまっては!」
と、必死に遠慮するのを無理矢理説得(強制)した次第である。
ちなみに、二人の武器は当人達の武器によく似せたレプリカ。剣に刃は無い、ただの鉄である。
「んじゃ、ラスト一本。行きますよ!」
「は‥‥は!」
フェコルーに向けて、短剣を構える。
「‥‥‥‥‥‥」
の"純粋な戦闘能力"は、悠二やヘカテーはおろか、ベルペオル直属の『巡回士(ヴァンデラー)』にも及ばないだろう。
それでも身の内に在る宝具・『オルゴール』の力で、戦い様はいくらでもあるが、やはり安定した強さは欲しいのだ。
基礎鍛練は欠かせない。
「はっ!」
「むっ!」
一合、二合、次々に刃を交わす。
自分より間合いの長い武器を持った相手には慣れているのに、懐に入れない。
さすがはベルペオルの『副官』である。
「くっ!」
繰り出される曲刀の刺突、それを受け止め‥‥
「よ‥‥‥」
その、力の拮抗する一点を支点にして、ふわりと、まるで湾曲刀に乗るかのように跳び上がり、
「っりゃあ!」
そのまま体を捻って回し蹴りを放つ。
「くっ!」
フェコルーも、それを腕で受け止めるが、僅かに体勢を崩す。
(ここ!)
それを見逃さず、さらに体を独楽のように捻り、フェコルーの脇腹を蹴り飛ばす。
「ぐはっ!」
不意を突かれたフェコルーは、横に数メートル吹っ飛ばされ、
「チャンス!」
さらに平井は襲いかかる。
(くっ!)
倒れた状態、まだ起き上がってもいない体勢の自分に襲いかかってくる平井に、フェコルーは焦る。
咄嗟に、湾曲刀を斬り上げる形の斬撃を、起き上がりざまに繰り出し、
「ふっ!」
「な!?」
紙一重で、掻い潜られ、次の瞬間‥‥
「‥‥‥‥‥‥‥」
喉元に、短剣を突き付けられていた。
息が詰まるような数秒を経て、
「やたー! 初めて一本取ったー!」
フェコルーから短剣を引いた平井が、無邪気に跳ね回る。
「‥‥お見事でございます」
フェコルーは、元々強さを誇るタイプではない。
ミステスになってから半年も経っていないらしい少女の成長ぶりに、素直に感嘆と賞賛を示す。
「ふふん♪ 『マグネシア』にばっかり頼ってるから体術が鈍るのだよ、フェコルー君?」
「はあ、面目次第もありません」
何やら偉そうにしている平井。
その前の仕合いは全て勝っているのだから、もっと強気になってもいいはずだが、フェコルーは実に低姿勢である。
「んじゃ、私お風呂入ってきますから! 鍛練付き合ってくれてありがとうございます!」
そのままの勢いでさっさと立ち去る平井。
きちんとお礼は言って行く。
「‥‥‥半年程度」
一人取り残されたフェコルーが、ハンカチでおでこを拭きながら、ポツリと呟いた。
「ふぅう〜〜〜!」
やたらと広いヘカテー城の大浴場に、平井は思う存分浸かっていた。
やはり、体を動かした後に入る風呂は格別である。
「‥‥‥‥‥‥‥」
今日はまだ、悠二やヘカテーには会っていない。
昨日もあれから(と言っても寝るまでの僅かな時間だったが)、ヘカテーはずっとあの調子だった。
悠二の腕を掻い込んで、こちらを少し睨んでくる。
その仕草から、悠二に対する独占欲が溢れだしていた。
可愛らしいものだ。
「‥‥‥‥ふ」
掌の中にお湯を溜めて、ピュッと飛ばす。
あれだけ仲良くしていた自分の想いを知ったヘカテーが、あれだけはっきりした態度をとった。
ショックが無いと言えば嘘になるが、それは、それだけヘカテーが悠二を大好きだという事。
わかりきっていた事。
自分がずっと応援してきた事。
そう在るべき姿。
はじめから、受け入れていた事。
ざぶんっ!
頭から、湯船に浸かる。
そして、顔を上げる。
「‥‥‥‥よし」
元々、いつまでも隠しておくべき事ではなかったのだ。
ヘカテーに知られたからといって、何が変わるわけでもない。
また、言おう。
ヘカテーに出会った時、耳打ちした言葉と同じような言葉を、もう一度伝えるだけでいい。
『大丈夫。悠二をとったりしないから』
それだけで、また同じ鞘に納まる事が出来る。
悠二は、ヘカテーの恋人だ。
自分はただ、二人の親友として、傍にいられればそれでいい。
悠二に想いを伝えられた。
最後のわがままも遂げた。
あとは、ただ傍にいられれば、
(こんなの‥‥何でもない)
それさえ叶うなら、この胸の痛みも、寂しさも、寒さも‥‥
耐えられる。
湯船から顔を上げた少女の、髪に、顔に、頬に、温かい水が流れる。
「‥‥‥‥‥‥」
ひとまず、一度自室に戻るために、広い廊下を歩く平井。
外を見ても、こんな時間でも星空が広がっている。
綺麗だとは思うが、やはり太陽の光も欲しいな、とは思う。
「‥‥‥‥‥‥」
自室にたどり着く。その隣には、ヘカテーと‥‥悠二の部屋。
‥‥身支度を済ませたら、早速伝えよう。
それでまた、三人で進んでいける。
そんな風に思って、平井は自室の扉を開く。
そこに‥‥‥
「‥‥‥‥悠二?」
「ああ、来た。話って何?」
愛しい少年を、見つけた。
「‥‥‥‥‥‥」
所変わって、ここはベルペオルの自室。
ベルペオルが机で『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の構成員達の各編成の書類に目を通している後ろで。
やたらと不機嫌なオーラを出し続けている少女がいる。
ベルペオルのベッドの上でうつぶせになり、足をパタパタと動かしながら、平井の部屋にあった女性ファッション誌を読んでいる。
しかしその顔はむっすぅーと不機嫌にしかめられている。
仕事している後ろにそんなのがいると、はっきり言って、ちょっと迷惑である。
まあ、可愛いのだが。
「‥‥ヘカテー?」
「‥‥‥‥‥‥‥」
しかも、無視である。
「‥‥‥‥‥‥‥」
平井が悠二を好きだろうと、自分は譲る気など欠片もない。
恋人なのだから、何を遠慮する事がある。
口付けを交わし、誓いを結び。
永遠に共に寄り添う。
(悠二は私の恋人。私は悠二の恋人)
ヘカテーは、一般的な人間の恋愛が『一人の相手のみを愛する事』である事は知らない。
ただ、悠二に対する独占欲の命じるままに行動しているだけだ。
元々、そういうものなのかも知れない。
だが、独占欲だけでは、ダメなのだ。
相手を思いやる心が無ければいけない。
それもわかっている。
悠二の力に、支えに、なってみせる。
自分は悠二の恋人なのだから。
たとえ平井が、悠二に想いを寄せていても。
たとえ平井が、自分より悠二と長い付き合いだとしても。
たとえ平井が、自分には無い魅力をたくさん持っていても。
たとえ平井が、悠二と生きるためなら、自らの存在を変質させられても笑顔でいられる少女でも。
たとえ平井が、悠二のためならその狂おしい恋心を押さえ付けて、そんな痛みさえも耐えてみせる少女だとしても。
そして、たとえ平井が自分の無二の親友だとしても。
(‥‥悠二は、私の恋人)
あくまでも、悠二は自分の恋人なのだ。
だから‥‥
"貸して"あげるだけだ。
(‥‥‥‥ときどき)
親友の痛み、自分の想い、そして、これからも共に歩みたい望み。
悩み苦しんだ末に一つの答えを出した少女は、心中でポツリと付け足した。
嬉しかった。
あの少女の考えが、わかったから。
この少年は気づいていないらしい。
情けない。
自分は、ただ傍にいさせて貰えるだけでいい。
そう、覚悟していたはずなのに。
そう決めていたはずなのに。
少女の意図を受けて、少年を前にして、
全く容易く、足が前に出ていた。
出してはいけない足が、前に出ていた。
ダメだとわかっていても、一歩、また一歩、前に。
情けない。
抑えられなかった。
少年への想いを、抑えられなかった。
だから‥‥‥
少しだけ、少女の優しさに甘えた。
甘えたままじゃいけないと、頭の隅をよぎりながら。
その後、平井がベルペオルの部屋にヘカテーを迎えに行き、何やら耳打ちし、ヘカテーが大騒ぎするまでに、三十分もかからなかった。
とても大切な、三十分。
素敵な時間。