「参謀閣下! 『緋願花』の皆様がお戻りになられました! 『盟主』と『大巫女』はほぼ無傷でございますが、『姫』が左腕を失っておられます。ただいま、『存在の泉』の力と『盟主』を含めた数名の自在師の手を借り、傷を癒しておられます!」
‥‥やはり、三人では荷が重かったのか。
「全体の動揺に繋がりかねん。ゆか‥‥『姫』の状態を決して今知る以上の者達に気取られないようにしな」
『転移』は本来、高度で複雑な自在法な上、相当に存在の力を消費する。
「‥‥‥で」
例え使えたとしても、移動先で力不足などという事態に陥る事もある。
悠二のように、力の総量と自在法の技巧を兼ね備えた者。あるいは、リャナンシーのように極少量の力で『転移』を行えるほどに卓越した自在師でなければ、そうそう使えない。
急な情報だったため、現地の近場に足手まといにしかならない程度の構成員しかいなかった。
つまり、悠二達が『転移』で目的地に向かう時に同行を拒まれた時点で、悠二達には秘密にして増援を送る事も、監視を回す事も出来なかった。
「‥‥『天道宮』の方は、どうなったね?」
つまり、鬼謀の王として知られる"逆理の裁者"ベルペオルも、まだ今回の顛末を知らないのだ。
「‥‥『緋願花』の方々は『天道宮』上空にて『炎髪灼眼の討ち手』を含むフレイムヘイズ達に接触‥‥‥」
‥‥それは、平井が手傷を負ったという事からわかっていた。
接触していなければ、ケガなどするわけもない。
「交戦となり、結果として『炎髪灼眼の討ち手』達を凌ぎ、『天道宮』を破壊!」
(ふむ‥‥‥‥)
平井が手傷を負って帰って来たという事は、結局適わずに撤退してきたか、手傷は負ったが『天道宮』を破壊したかの二択だが、どうやら後者らしい。
正直、助かった。
感知不可能の『星黎殿』の『秘匿の聖室(クリュプタ)』は、『仮装舞踏会(バル・マスケ)』に欠かせない、強力な強みである。
それを崩せる要素など、看過出来るはずもない。
結果として平井と、そして“例のヨシダカズミ”とやらの起用が、予想を遥かに超える成果を上げたわけだ。
しかし、悠二は無傷‥‥‥‥か。
いや、それは後でいい。
「ゆかりの治療をしている所はどこだい?」
『本当に、まだ拘っているんですか?』
『それでも、自分を見失わず、"そこ"に在る』
『もう、あなたに"銀"は必要ない』
「‥‥‥‥‥‥‥」
「よお、気分はどうだ?」
「‥‥‥‥最悪」
未だに重い体を起こして周りを見渡す。
傷は、決して深くない。
‥‥死なない程度に、手加減された。
「無事?」
「遅いわよ、あんた」
上半身だけ起こした状態のマージョリーの横に、背中と両腕にヴィルヘルミナとシャナを抱えたフィレスが降り立つ。
ここに一緒に来ていた『傀儡』は消滅してしまい、目印は無くなってしまったはずだが、何とかたどり着いてくれたらしい。
「‥‥そこのチビジャリより全然マシよ。私は気にしなくていいわ」
ヴィルヘルミナの方は自分とそこまで大差ないが、シャナがひどい。
力の余力もほとんどなく、全身斬り傷と火傷だらけで血まみれだ。
「銀髪は?」
「今、ヨーハンが行ってる。多分、あいつも相当重症よ」
(死人は0‥‥か)
やはり、手加減されていた。フレイムヘイズや徒は、人間のようにあっさりと死ぬわけではないが、それでも殺すより、"殺さずに無力化"する方がずっと難しいはずだ。
自分も、フレイムヘイズ同士の"喧嘩"なら経験があるから、それはわかる。
「‥‥‥フィレス、下ろして。もう、大丈夫であります」
フィレスにおぶさっていたヴィルヘルミナが、消え入りそうな声で呟く。
どうやら、傷そのものよりも精神的なダメージが大きいらしい。
‥‥無理もないか。
自分とて、衝撃を受けなかったわけではない。
情に脆いこの討ち手が受けただろう衝撃は、想像するに難くない。
「‥‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥‥」
気絶しているシャナは当然として、長いような、短いような、沈黙が流れて、
「‥‥‥完敗、ね」
マージョリーが、一言呟いた。
(ふむ‥‥‥)
グーパーグーパー、と手を握り、開く。
左の。
(いや、ミステスも中々捨てたもんじゃないね)
それはそうか。元々、フレイムヘイズだって人間としての可能性を捨てた脱け殻のようなものだ。
中身が宝具か紅世の王か、といった程度の違いしかないのではなかろうか。
「痛くないですか?」
生えた左腕をさする小っさいのが可愛い。
「見ての通りバッチリ! いやぁ、自在師って便利だねえ♪」
普通、フレイムヘイズだって腕が無くなるほどの怪我をすれば、再生にそれなりの時間を要する。
これは、相当量の存在の力と自在師の力の賜物である。
「‥‥『存在の泉』、作っておいて正解だったね。今の僕じゃ余力が少ないから、零時を待たなきゃいけない所だった」
(う‥‥‥‥)
呟く悠二の声が、やけに冷淡に聞こえる。いや、実際冷淡なのだろう。
悠二は、怒れば怒るほど静かになる。これは、結構やばいと見た。
「ま、まあ零時まで待つくらい大した事じゃ‥‥」
「さっきまでう〜う〜と唸っていた人の言葉ではありません」
「う‥‥!」
今度はヘカテーである。
自分がこれだけ他人のペースに振り回されるのも珍しい。
「‥‥お風呂、入ってきます」
ヘカテーが、
「‥‥‥‥‥‥」
悠二が、立ち上がり、歩き去って行く。
「随分と素っ気ない態度だねえ。さっきまでおまえが大怪我してたって言うのに‥‥‥」
「‥‥いいんですよベルペオルさん、そっとしといたげましょう」
無茶をした事を怒っている。というのもあるだろうし、それ以外もあるだろう。
「覚悟は出来てた、って言っても、頭のどこかで"直接戦う事は無いんじゃないか"、くらいには思ってたはずですから‥‥」
そう、『天道宮』などという悠二達も知らなかった不確定要素が無ければ、『秘匿の聖室』に隠された自分達が、彼女達と直接戦う可能性は低かったはずなのだ。
「‥‥‥まさか、何とか『天道宮』破壊のみを完遂したんじゃなく、わざととどめを刺さなかったんじゃないだろうね?」
ベルペオルは、報告を受けた時から薄々感じていた疑問を指摘する。
相手が相手なだけに、平井の状態はわかる。
だが、悠二やヘカテーが無傷、という所が引っ掛かっていた。
「さあ? 少なくとも私は殺すつもりでやりましたよ。"手加減する"余裕なんてなかったし」
「‥‥‥なるほどね」
‥‥やはり、わざととどめを刺さなかったと見るべきだろう。
フレイムヘイズ屈指の使い手が三人。状況次第で敵になりかねない強大な紅世の王が二人。
倒しておけば後の憂いを除けただろう事を考えると、惜しい。
せめて、"『炎髪灼眼の討ち手』だけでも"仕留めておきたかった。
数百年前の『大戦』に参加して生き延びている者ならばわかる。破壊と暴威を撒き散らす、紅蓮の魔神の恐怖を。
破壊不可能な『完全一式』であるはずの『大命詩篇』を容易く砕いた炎の危険性を。
「‥‥‥やっぱり、おまえ達に未来を預けるのは危険かねえ」
「それも嫌いじゃない、でしょ?」
精一杯の嫌味に、嫌味で返され、しかもそれが的を得ているというのが何とも腹立たしく、そして可笑しい。
「あれ? ベルペオルさん、『ウロボロス』は?」
「さっき、悠二の後を追って行かれたさ。じゃあ、そろそろ私も退散するとしようかね」
ベルペオルも先ほどの悠二達のように、くるりと踵を返す。
「え〜〜、ベルペオルさんまで怪我人見捨てるんだー?」
「もう怪我人じゃないだろう? それに‥‥‥」
平井の軽口に返すベルペオルの声に、唐突な真剣味が混じる。
「そっとしといた方がいいんだろう?」
「‥‥‥‥‥‥‥」
先ほど平井が悠二とヘカテーに使った言葉を、そのまま平井に向ける。
そう、平井だって、同じ立場なはずなのだから。
「‥‥‥‥‥ふっ」
一人、誰もいない、やたら広い『星黎殿』の廊下を歩くベルペオルが、突然吹き出した。
「はははははっ!」
全く、面白い。
相手は『弔詞の詠み手』と『万条の仕手』、"虹の翼"に"彩飄"、極め付けが『炎髪灼眼の討ち手』である。
「あはははははっ!」
可笑しくてたまらない。
確かに、とどめは刺さなかった。
だからどうだというのか?
あの三人はこれほどの使い手を相手に、"手加減して無力化"出来るほどだという事だ。
「シュドナイを倒した時点でわかっていたつもりだったけどねえ‥‥‥っくく!」
そう、わかっていたつもりだったが、悠二の力をまだ見誤っていたらしい。
ヘカテーにしてもそうだ。元々、戦闘が彼女の役目ではない事もあり、戦いに関してはシュドナイが要だった。
いや、今でも要には違いないが、今のヘカテーなら、シュドナイにも劣らないのではないだろうか?
平井は足を引っ張ったのかも知れないし、まだ力を測るには不十分だが、それでも嬉しい誤算である。
(いける! 坂井悠二という存在は、確実に『大命』への鍵になる)
確信。
どちらかと言えば不安要素だと言えた悠二の存在が、必要不可欠なものになったという確信。
「叶いますぞ、『盟主』。我らの悲願が‥‥!」
自分より遥かに早く悠二を見いだしていた盟主に何を言っているのか、と自分の滑稽さを少し笑う。
(それに‥‥‥)
自分がこんなに楽しいのは、単なる大きな希望、というわけではない事くらい、わかっているつもりだ。
(『炎髪灼眼』‥‥『大命』を妨げかねん破壊神、神をも殺す神)
それが生きている。
それが、これほどに熱くさせるのだろう。
『挑むもの』、それがなければ‥‥"立ち向かう喜び"など味わえない。
「やはりこの世はままならぬ‥‥‥か、ふふ‥‥」
血沸き、肉踊る、と言っただろうか?
「そうでなくては、つまらないからねえ」