「ぐ‥‥‥うぅ!」
ギュッときつく、無くなった左腕に包帯を巻く。
死ぬほど痛かったが、今は麻痺しているのか、妙に鈍くなっている。
とはいえ、これ以上血を失うわけにもいかない。力いっぱい血止めしておかないといけない。
(悠二は‥‥心配ないか。ヘカテーは、今決着着いたかな?)
巻き添えを食らわない程度に離れた岩場で、平井は自身の傷に応急措置を施していた。
いくらなんでも、あのまま二人の援護に回る事など出来ない。
(‥‥正直、きついな)
というか、今でも余力など無い。
これで決着が着いたなら、願ったり叶ったりである。
(‥‥‥‥ん?)
一度は臨戦体制を解いていたヘカテーが、再び『トライゴン』を構えて海面を見据えている。
(‥‥あ〜〜、しんど)
まだ、勝負は着いていないらしい。
出来れば休んでいたいが、ヘカテーはさっきからかなり無茶苦茶に『星(アステル)』を撃ち続けている。
自分とは違って、ヘカテーには余力を残しておいてもらわないといけない。
(もう一頑張り、行きますか‥‥!)
(危なかった)
ギリギリでリボンを張って防御したが、それでも、このダメージだ。
(他の、二人は‥‥?)
メリヒムはともかく、シャナが気になる。
自分とマージョリーの二人を相手に互角に渡り合う、あの坂井悠二。
(‥‥‥いずれにせよ、あのまま"頂の座"を他の二人の援護に行かせるわけにはいかないのであります)
(浮上)
勢いをつけて海中から飛び出し、頭上にいるはずのヘカテーに目を向ける。
「っ!?」
そして、当たり前に浮かぶヘカテーとは違う、街の方から、"そこにいてはいけない"人影を、見つけてしまう。
(彼がここにいる‥‥という事は‥‥‥)
(正気維持!)
漆黒の竜尾と、緋色の凱甲を靡かせる、少年。
("シャナ"!)
(ゆかりと交代に来たつもりだったんだけど‥‥)
あの『星』の流星群を向けられて、よくまだ立っていられるものだ。
自分なら躱しきれない。いや、防御しても粘り負ける自信がある。
(そういえば、ゆかりとメリヒムは‥‥?)
実力的に、平井が一番危ないと思っていたのだが、見当たらない。
(どっちもいな‥‥いや、いた)
メリヒムは海中。平井は‥‥隠れているのか。
メリヒムがあんな所にいる理由、そして‥‥力の消耗具合。
(ゆかりが‥‥倒したのか?)
予想外‥‥いや、今は経緯などに気を払っている場合ではない。
「ヘカテー、怪我はない?」
ひとまず、まだ戦っているらしいヘカテーに近寄り、声を掛ける。
「はい」
海中に向けていた冷厳な表情が一変、花が咲いたような可憐な笑顔をこちらに向ける。
(‥‥変わったな)
いつからか、こんな風に自然で柔らかい笑顔を見せてくれるようになった。
その事の嬉しさと、目の前の笑顔の可憐さに目を細める事のも数秒、悠二もヘカテーも、戦いの表情に戻る。
ぎゅっ
「っ!!」
そっと手を握ると、せっかく引き締めた表情を破顔させて赤らめるヘカテー。
そんな仕草もたまらなく可愛らしいのだが、悠二は別にイチャついているつもりではなかった。
「さっき、『銀時計』でアテをつけておいた。"いける"?」
「‥‥‥‥はい」
湯気が出そうなほどに真っ赤になってふらふらと左右に揺れるヘカテーに、悠二はややの不安を隠せなかった。
「こっちは、任せて」
「あの子を、どうしたのでありますか!?」
激昂し、向かってくるヴィルヘルミナだが、明らかに動きが鈍い。
(さすがに、無傷とはいかなかったか)
悠二も、『大命詩篇』を稼働させ続け、歴戦の強者と連戦しているため、それほど余力があるわけではないが、怪我自体はほとんどしていない。
「どうかな。自分で確かめればいい」
焦るヴィルヘルミナを、さらに精神的に揺さぶり、隙を作ろうとする。
だが、そんな必要は無かった。
「っ!」
「な‥‥!?」
突然、悠二とヴィルヘルミナの間、そしてそのままヴィルヘルミナを広範囲に囲むように、翡翠の粒子の嵐が展開される。
「終わりですよ、カルメルさん。ヘカテーをフリーにした時点でね」
悠二に気を取られたヴィルヘルミナの斜め下方の砂浜。気配を極力殺して接近していた、平井によって。
「っ! ‥‥‥ゆかり、その腕‥‥‥!?」
「話は後! タイミング、間違えないでね!」
翡翠の嵐にヴィルヘルミナを閉じ込めた平井が、少し離れた位置で目を瞑るヘカテーに目を向け、身構える。
「‥‥‥‥‥‥‥」
悠二から伝えられた、『銀時計』が指した場所の斜め上空に浮かぶヘカテー。
この下に、『天道宮』が在る。
「‥‥‥‥‥‥‥」
本当に、不思議だ。
あれだけの『星(アステル)』を放ち、力も相当に消耗しているはずなのに、
(‥‥さっきと同じ)
胸の奥、体の芯、足の先まで、力が漲る。
「‥‥‥‥‥‥」
見開いた瞳、強い水色を湛える瞳を、海中深くに沈んでいるはずの『天道宮』へと向け、大杖・『トライゴン』を振るう。
(力が湧く‥‥)
周囲を舞う水色の光点が輝きを増し、錫杖の先に集まっていく。
そして、『天道宮』に向けて三点、光弾・『星(アステル)』を生み出す。
「星よ、紡げ‥‥」
その三つの点が、線で結ばれ、『面』を生み出す。
それは、人間大の大きさの、光り輝く水色の三角形。
(何でも、出来る!)
悠二と再び出会って、芽生えた力。
一緒に歩いていく想い。
それらが生み出す、絶大な力を‥‥‥
解き放つ。
(あれは‥‥‥)
粒子の嵐に霞む景色の先で輝く水色の光。
それ以上に、フレイムヘイズとしての感覚に、肌に痛いほどに感じる凄まじい力の集中と膨張。
それは、こちらに向けられているわけではない。
(まさか‥‥!)
海へ、向けられている。
彼らがここに現れた理由。
想像する事など、さして難しくない。
その想像が今、身震いするような確信となって襲い掛かる。
「やめ‥‥‥‥!!」
その叫びは、自分の故郷の一つ。
大切な場所への想いが、そうさせたのかも知れない。
「『冥三星(カトゥルス)』よ!!」
陽炎の世界全てが、呑み込まれるような水色に照らされ、一拍後に、大地を震わせる轟音が響き渡る。
海を砕いて、水色の爆発が見えて、それが治まった後に、爆発に吹き飛ばされた海水が、こちらに向かってくる。
比喩や類似現象ではない。
正真正銘の、"津波"だった。
(あ‥‥‥)
その輝きが、ヴィルヘルミナにあらゆる衝撃を一気に自覚させる。
坂井悠二、平井ゆかり、ヘカテーの望んだ道。
悠二がここにいる意味、シャナの安否。
平井がここにいる意味、メリヒムの安否。
眩しい光の爆発、それを受けたはずの『天道宮』。
全てが、ヴィルヘルミナを襲った。
光の爆発を境に"『マグネシア』が消えていた事に"すら気付かないほどの茫然自失。
「っ‥‥‥!!」
その瞬間をこそ、狙っていたのだろうか。
振り向いた背後に、拳を振り上げる、緋色の衣の坂井悠二。
ガァン!!
拳撃を受け、仮面の半分が壊れるほどの一撃が、ヴィルヘルミナを遥か下方の砂浜にまで落下させていく。
ドォオオン!
落下の衝撃で呻くヴィルヘルミナ。
意識が保てたのはそこまで。
迫り来る津波の猛威。
それを見たのを最後に、ヴィルヘルミナは意識を失った。
封絶が解け、街が、海が、砂浜が元の姿を取り戻した世界に、一人の少年と二人の少女の姿は、無かった。