「‥‥随分、無茶するね。下手したら中のシャナも危なかったよ?」
銀の牢獄は、その修復が追い付かずに捕らえた者を逃がし、そして、すでにその役割を失った殻は、術者の意思に従って崩壊していく。
「ふん、この程度、博打ですらない。強運を引き寄せる事も、『強者』たる資質の内だ」
そこから飛び出した紅蓮の光は、一直線に黒い炎を撒き散らす少年へと向かって飛んでいく。
「『強者』‥‥か。私が言うのも何だけど、シャナに悠二の相手が務まるとは思えないけど?」
「‥‥‥‥‥」
目の前の平井、戦いに関して、素人同然のミステスの言葉に不興を覚えるが、メリヒムも、それについて思う所がないわけではない。
事実、フィレスとマージョリーが、すでに悠二の手によって戦闘不能の事態に陥っている。
「どっちにしろ、これで三対三。押してるのはこっちの方だよ」
「‥‥ふん、大層な物言いだな」
確かに、平井の言う事も正しい。こちらは二人が倒され、向こうは一人として倒れていない。いや、まともな傷すら負っていない。
だが、
「すぐに、三対二になる」
「‥‥‥‥‥」
斬っても斬っても湧いてくる西洋鎧の群れ。紅蓮の巨腕で傷つけても修復してしまう殻。炎による大破壊が、海水によって使えない自分。
そんな不愉快な消耗戦が、突然吹き飛んだ。
(シロの、『虹天剣』‥‥‥)
殻に閉じ込められている間も、状況の把握には務めていた。
(『弔詞の詠み手』と、"彩飄"がやられた)
"敵"は、一人もやられていない。
誰か一人を野放しにするわけにはいかない。
自然、一対一が三つという構図になる。
(‥‥‥ヴィルヘルミナは、まだ大丈夫)
それは、正しい判断だ。
だが‥‥‥
「アラストール、行く!」
「うむ」
何故ヘカテーではなく悠二に向かって行ったのか、その理由はわからなかった。
自分が迷わずに坂井悠二に向かっていった、その事に、気付きもしなかった。
「くっ‥‥うぅ!」
黒炎の大蛇の攻撃を避け続ける事は何とか出来た。
だが、大蛇の至近での爆発までは躱しきれない。
何とかリボンの壁を作って防御する事が出来たのは、"これ"を元々知っていたという事が大きい。
だが、威力は殺しきれなかった。
(‥‥マージョリー・ドー)
上空で爆発的に放出された炎の波から、一つの影が放り出され、落ちていく。
「っふ!」
それが地面に落下する前に、リボンで編んだハンモックのような物で受けとめる。
「傷は?」
「容体報告」
と、訊きながら覗き込むが、訊くまでもなく見ればわかる。
「気ぃ失っちゃいるが、大した事ぁねえよ。それより‥‥上だ」
マルコシアスに促され、見上げれば、マージョリーを倒し、ついさっきまで自分とも戦っていた悠二。
そして、先ほどやられたフィレスの傀儡を追ってきた、ヘカテー。
確かに、マージョリーを気に掛けている場合ではない。
(‥‥傷はそれほど浅くないのでありますが‥‥)
(粉骨砕身)
構えた細剣、七色の翼を生み出す背中、そして、膨れ上がる『虹』。
(まずい!)
咄嗟に『マグネシア』を使い、その切っ先の方向に巨大な翡翠の立方体を展開させる。
だが‥‥
ボンッ!!
それは一瞬『虹天剣』を止めただけで、貫かれる。
その虹が向かう先は、平井ではない。
「悠二ぃーー!!」
大声で叫んで、その破壊の猛威が迫る少年に知らせる。
しかし、当の悠二は言わなくてもわかっていると言わんばかりに、軽く躱す。
(‥‥そっか、感知能力高いんだよね)
ほっ、と息をつくが、安心など出来る状況ではない。
(もう‥‥避けてばっかりも、いられないか)
メリヒムは、自分に『虹天剣』が当てにくいと悟って、向こうで戦う悠二やヘカテーにも狙いをつけたのだ。
「っはあ!」
「わっ!?」
悠二に気を取られた隙に、粒子の嵐を貫いて、またも『虹天剣』。
自分に隙を作らせるために、それに、それで悠二達を倒せれば言う事はないのだろう。
一石二鳥の戦略。とはいえ、メリヒムにも当然余裕などない。
未だに『マグネシア』の大圧力を受け続け、平井の攻撃を幾度も受けているのだ(特に、初撃の『獅子吼』が効いている)。
だが、この作戦は、予想以上の成果として、平井に"精神的に"追い詰めていた。
(これじゃ‥‥足止め役にもなってない)
相手は歴戦の、一騎当千の強者達。自分に出来るのは、この特異な力を駆使して、時間を稼ぐ事。
そう、"過不足なく"自身の力を自覚していた、そのつもりだった。
(メリーさんの攻撃から悠二達を遠ざけなきゃ、意味無い)
以前、悠二やヘカテーの身の上を知った。
自分に出来る事を考えて、外界宿(アウトロー)に足を踏み入れた。
それでも結局、肝心な所で、一緒に居られない存在だと、知らずわからされていた。
それでも、"そこ"に居ようとして、そして、結果として『人間』を失った。
『うわぁああああああああああああああああああああああああああああああぁ!!』
あるいは、最悪の形で。
(いつまでも、足手まといのままじゃない‥‥!)
人間という枠から外れた。その重さと、力も手に入れた。
それなのに、まだ力が足りない。
『守れなかった‥‥‥!』
悠二に、この道を選ばせた原因が自分にもあるのだとしたら、なおさら‥‥‥‥
(もう、傷つけさせない‥‥‥)
『パパゲーナ』を向け、力を目一杯溜めて、構える。
(泣かせない!)
思えば、初めて交わしたのも、剣だった。
ギィン!
大剣・『吸血鬼(ブルートザオガー)』の特性を知っている。だから、まともに剣を合わせず、受け流す。
先ほどの坂井悠二の決意も、あの牢獄の中から、フレイムヘイズの聴覚で聞いていた。
「っく!」
頬が一筋、斬り裂かれる。
「っだあ!」
ガッ!!
斬撃を大太刀で受け止め、斬り返した斬撃を、今度は逆に受け止められる。
そして、体中に幾筋もの斬り傷がつけられる。
(いなし、切れない!)
剣技や体術はほぼ互角。
だからこそ、『吸血鬼』やあの竜尾の力を持つ悠二に太刀打ち出来ない。
(接近戦は、不利‥‥!)
後ろに下がりながら、足裏に力を溜めて、爆発させ、一気に離れる。
「っ!?」
それを、"全く同じように足裏を爆発させた"悠二が、まるで離れず、追っていた。
「っだあ!」
「っ!!」
ガァン!!
思い切り勢いをつけた悠二の、重く、鋭い斬撃を、咄嗟に盾にした『贄殿遮那』で受け止めるが、体ごと、軽々と弾き飛ばされる。
ズバッ!
「く、ああ‥‥!」
先ほどとはまるで深さの違う傷が、肩に、腕に、足に、腹に刻まれる。
そんなシャナに一切構わず放たれた黒の炎弾を、
「くぅ‥‥ああああ!!」
懸命に振り上げた大太刀から奔った紅蓮の大本流が呑み込み、そのまま悠二に襲いかかる。
「喰らえ!」
その紅蓮の大本流に向け、悠二の左掌から『蛇紋(セルペンス)』が放たれ、紅蓮にぶつかり‥‥
「爆ぜろ」
黒炎の大蛇が弾けて、炎を溢れ返らせ、相殺する。
「っ‥‥‥‥‥‥」
黒い衣服に全身から流れる血が染み込み、さらに黒ずんでいく。
(あの時は‥‥‥)
戦いながら、剣をぶつけながら、『こいつは敵じゃない』、そんな事が、わかったのだ。
(それから、ヴィルヘルミナやシロの話を聞いて、同じ街で暮らすようになって‥‥‥)
少しずつ、色々な事を知った。
自分はフレイムヘイズ。それは揺らぐような事ではない。
だが、知らないものはたくさんあった。
"持たない事でわからなかった"事もあった。
持って、わかったものもあった。
それは、今も『炎』として、この手に在る。
「何で‥‥‥‥」
『君はシャナ。もう、ただのフレイムヘイズじゃない』
そう言ってくれたのに‥‥‥
『"討滅の道具でしかない"あなた達の運命も、変えてみせる』
「何で‥‥‥そんな事言うの‥‥‥‥」
「っはあああああ!!」
咆える平井の全身を、ざらついた質量の翡翠が包んでいく。
(無茶だってのは、わかってる)
それは、今までとは硬度がまるで違う、角錐のような形の翡翠の質量の塊。
(でも、"無謀"じゃない。もう、これ以上時間をかけて、悠二やヘカテーの邪魔をされるわけにもいかない!)
その穂先が、未だ翡翠の嵐の中に在るメリヒムに向けられ、そのまま凄まじい速度で飛んでいく。
(やはり、素人か‥‥)
平井の行動は、メリヒムによって誘導されたもの。
ずっと、真っ正面からぶつかる事を避け、メリヒムの破壊力を封じる戦法を取っていた平井。
だが‥‥‥
(こんなに簡単に、掛かって来てくれるとはな)
ちょっと揺さ振っただけでこれだ。
「寝ろ」
その背に虹の光背を展開し、向けた切っ先から、爆発的な光輝の『虹天剣』を放つ。
圧倒的な威力を誇るそれは、翡翠の嵐をまるで苦にせず突き進む。
その先には、平井を伴う翡翠の角錐。
ドッ!
(ぐ、うぅうう‥‥‥!)
『虹天剣』と『マグネシア』がぶつかり、鉄壁を誇る防御の力が、ジリジリと削り取られていく。
だが、そんな中でも構わず、平井の前進は続く。
それは、力を流すのに適した、『角錐』の形状にしたためである。
(痛‥‥‥い!)
虹の激流を流す左側面が削り取られ、平井の腕に痛みと熱を与え、終には消える。
「う‥‥うううう!!」
削り飛ばされるのは、当然『マグネシア』だけではない。
『盾』を失った平井の左腕や肩が、ズタズタにされていく。
(伊達に‥‥‥!)
それでも構わず、前進する。否、さらに加速する。
(一回死んでないっての‥‥‥!!)
「っ!?」
ここに来て、その表情に驚愕を表すメリヒム。
その眼前にまで迫り、『マグネシア』を維持出来なくなった平井の‥‥左腕は消滅していた。
「っああああああ!!」
失った左腕の代わりに、その歯で、メリヒムの、細剣を握る右手に噛み付く。
気を抜くと気絶してしまいかねない激痛を、歯を食い縛って耐える要領で力一杯噛む。
そうやって剣を封じ‥‥‥
「ぐあっ!」
残った右手、そこに握った鉾先舞鈴を、メリヒムの腹に突き立てる。
(こ、こいつ‥‥‥!?)
腹に灼くような痛みを感じながら、メリヒムは驚愕する。
ただの無謀な突撃ではなかった。
『虹天剣』の威力を削ぐ狙いと、片腕を失う激痛に耐える覚悟があった。
(舐めてたのは、俺の方か‥‥‥!)
剣を握る右手を抑えられ、そこを全力で噛み締められる痛みに、次の行動を迷ったメリヒム。
感じたのは、自在法発現の気配。
場所は、自分の腹。突き立てられた短剣。
(く‥‥そ‥‥!)
ドォオン!
ゼロ距離から傷口に炸裂した翡翠の炎弾に弾かれるように吹き飛んだメリヒムは、虹色の火の粉を撒いて、海に落ちていく。
「はあ!‥はあっ!‥‥どうだ‥‥」
傷口を押さえ、声を震わせてそれを見下ろす平井が‥‥
「残りカス舐めんな、コンニャロォーー!!」
勝利の雄叫びを上げた。