「あ‥‥‥‥」
左肩から袈裟斬りに斬撃を受けたフィレス。その体が、パラパラと琥珀の火の粉となって散っていく。
「これで、"本物のフィレス"がここを目指す『目印』も消えた。シャナが"あれ"から抜け出さない限り、これで三対三だ」
散っていくフィレスの火の粉を背に、悠二が淡々と告げる。
そう、フィレスとヨーハン、『約束の二人(エンゲージ・リンク)』は、『闘争の渦』の可能性を懸念され、事実として幾度も大きな戦いの起こっている御崎市の警護としてギリギリまで残り、ヴィルヘルミナ達に同行していた『傀儡』を目印にして突入直前に合流する手筈だった。
『天道宮』に突入する前に、こんな接触があるなど想像すらしていなかったのだから、仕方ないといえば仕方ない。
「タイマンなら勝てるみてーな言い草だなぁ、オイ」
「ミステスごときが、いい気になってんじゃないわよ!?」
凶暴に吠えるマージョリー。だが、悠二はそんなマージョリーの性質を知っている。
「そうやって暴れるフリをして冷徹にこっちの様子を観察してる。怖い人ですよ、マージョリーさんは」
そんな余裕とも見える態度が、またマージョリーを苛立たせる。
「"さっきの腕"‥‥」
そう、冷静になりきれない事情があった。
かつての仲間と戦う、それのみではない。
「‥‥どういう事よ。何で"それ"が、今ここにあるのよ‥‥」
自分の中で割り切ったはずのものが、またも不可思議な形で目の前に在る。
「何であんたの炎は"銀"だったの。あんたは‥‥一体何を隠し続けてきたの‥‥」
それをぶつける相手も、
『八つ当たりでも構わない。何度でも受けとめてやる』
目の前にいる。
「答えろ! ユージ!!」
「さっきも言ったけど、実力の違いはわかってるからね。しっかり"カスタマイズ"済み!」
指先でくるくると遊ばせていた金色の鍵を、メリヒムに向けてビシッと見せ付ける。
(‥‥‥何だ、あれは?)
先ほど、不可視の衝撃波の直撃を受けた事から、ことさら警戒に務めるメリヒム。
「教授の『デミゴールド』っていう自在法を定着させる金属を使った宝具・『非常手段(ゴルディアン・ノット)』って言うんだけど‥‥」
かつて、ヘカテーが御崎を去る際に使われたのもこの宝具。正確には、『我学の結晶』の一種とも言える。
あの時は、『星黎殿』への『転移』が込められていた。
「これと、私の『オルゴール』を合わせると‥‥」
その金色の鍵を、平井は自身の胸元へと向け、スゥ、と溶け込むように差し込み、回す。
それは胸元に点る灯り。彼女の宝具・『オルゴール』。
「こー‥‥なる!」
言ってかざした平井の両手から、さっきまで『非常手段』に込められていた自在法が放たれる。
それは、"翡翠色の粒子の濁流"。
「っ『マグネシア』だと!?」
「答えろ! ユージ!!」
「‥‥‥‥‥‥」
怒りをぶつけるような咆哮と、猛攻をかけるマージョリー。
だが、それは初めて戦った時のような暴走とは程遠い。炎弾や分身を無数に撒き散らす、巧みな攻撃。
それを、悠二は少しだけ驚いた、そして、安心したような顔で見る。
「喰らえ」
降り掛かる炎弾、襲いくる群青の獣達を無視して突き出した左腕に、複雑怪奇な自在式が巻き付き、次の瞬間には轟然と燃えて放たれる。
悠二の『蛇紋(セルペンス)』。黒炎の大蛇が。
「っ!?」
前方広範囲から迫っていたマージョリーの攻撃全てを、黒炎の大蛇が渦を巻くように奔り、一掃する。
そのまま、マージョリーに向けて襲いかかり‥‥
「え‥‥‥?」
素通りする。そして、そのまま下方へと、ヴィルヘルミナへと襲いかかる。
(最初から‥‥こっち狙いでありますか!)
(緊急回避!)
凄まじい炎の大蛇の猛勢に構えるヴィルヘルミナ。
ヴィルヘルミナのリボンを焼き払い、喰い千切り、それをヴィルヘルミナが紙一重で躱す。そんな激しい攻防の上空で、複雑な大蛇の動きを制御しているとは思えない涼しい顔で、悠二はマージョリーと対峙する。
大蛇の炎は、確かに少年の左手に繋がっている。
マージョリーは、そんな悠二へと、最大の疑問を投げ掛ける。
「あんたはあの時、『まだ教えない』、『いつか話す』。そう言った‥‥」
以前なら在った、抑えきれない熱さに浮かされたような殺意が湧き上がらない。
自分でも拍子抜けするような嘘寒い感覚だけがあった。
「話してもらうわよ。力づくでもね」
そして、まるで自身のその感覚こそが許せないような反発が、マージョリーの足を進める、戦う力となっていた。
その反発が、返る悠二の言葉で、弾ける。
「‥‥もう、話す必要が無くなった」
「っーーー!!」
ギリッ、と痛いほどに強く歯を食い縛り、猛然と飛び掛かる。
同様に、無数の分身を生み出して。
「答えろ! "銀"って一体何なの!? やっぱりあんたが"銀"だったの!?」
問いながら、今度は迂濶に近づかない。全ての『トーガ』が等しく悠二から距離を取り、包囲した陣形から‥‥
『バハァアアアーー!!』
一斉に、群青の炎を吐き出す。
「くっ!」
逃げ場などなく、悠二は溢れかえる猛火の津波に包まれる。
確かに、包まれた。
「本当に、まだ拘っているんですか?」
ドォオン!!
「っ!?」
強烈な破裂音を響かせて、群青の猛火が吹き飛び、中から飛び出した無数の炎弾が、周囲の『トーガ』それぞれに命中、爆砕する。
(さっきから、"こう"やって防いでるのか!?)
自分にも当然飛んできた炎弾を『トーガ』の豪腕で払いのけて、見極める。
攻撃が直撃する瞬間、自らの体からも同様に炎を噴出させて相手の攻撃を吹き散らす。
単純な理屈なようで、相手より遅く、かつ相手より強力な力を発現させなければならない、高等技術、そして『力』だ。
だが、その力量以上に、悠二の言葉、そちらに気持ちが揺れる。
「何‥‥言ってんのよ、あんた」
目の前の少年は、自分と"銀"の事など十分に知っている。
直接、過去を覗かれた事すらある。だからこそ、さっきの言葉の真意がわからない。
「あなたは、あの『革正団(レボルシオン)』との戦いで"銀"を討滅した。そう言った」
言葉を紡ぐ悠二の左手から黒炎が離れ、
(爆ぜろ!)
下方にて、海岸を埋め尽くすほどの爆炎を溢れさせて、黒炎の大蛇が弾け飛んだ。
「っ!」
その攻撃を受けていたはずのヴィルヘルミナの方に慌てて目を向けたマージョリーだが、
「それでも、自分を見失わず、"そこ"に在る」
構わずに続ける悠二の言葉に、すぐさま目の前の相手に向き直る。
「もう、"あなたに『銀』は必要ない"」
「っ‥‥‥あんたに、何がわかるってのよ!?」
言われ、一瞬言葉に詰まった、言い返せなかった事を自覚もせずに、ただ、"決め付けられた事"に対する怒りのまま、『トーガ』の"群れ"を放った。
(わかるよ‥‥)
無造作に垂れ下がっていた悠二の左手、その指先がパチンと弾かれ、そこから十重二十重に黒の自在式の波紋が広がる。
「"これ"は、もう何度も見たよ」
波紋は全ての『トーガ』に触れ、跳ね返り、その存在を術者たる悠二に伝える。
「そこか!」
"本物のマージョリー"を、真っ直ぐに睨んだ悠二が、そのまま"上に飛ぶ"。
「『星(アステル)』よ!」
「っ!?」
上に飛んだ悠二の背後から突如として飛んできた光弾の雨が、無数の『トーガ』の群れを、瞬く間に吹き散らす。
(っぅわ!?)
それを、何とか悠二同様に上昇して躱したマージョリー本人の、
「う‥‥‥‥!」
目の前に、緋色の衣と竜尾を靡かせる少年の、左手があった。
驚愕を感じる間すらなく、
視界も、意識も、全てが黒に呑み込まれた。
(わかるよ‥‥‥)
黒炎に燃えて、落ちて行く女傑に寂しげな瞳を、少年は向ける。
(それくらい‥‥‥)
「ぐ、あっ!」
全身にかかる大圧力。まるで鑢がけされるような打撃の濁流。
自在法・『マグネシア』。
本来は『星黎殿』の守護者・"嵐蹄"フェコルーの持つ鉄壁の自在法。それが今、透き通るような翡翠の色を帯びて、"虹の翼"メリヒムを嵐に巻き込んでいた。
(鬱陶しい!)
微細な粒子の嵐は、ただメリヒムに強烈な滝のような打撃を与えるだけではない。
見た目の数十、数百倍はあろうかという重さのそれが、メリヒムの服に体に細剣にこびりつき、枷となっていた。
さらに、粒子とは違う、巨大な立方体がメリヒムに向かって飛んでくる。
「舐めるな!」
吠えたメリヒムの体から七色の翼が展開され、こびりついた粒子の幾分かを消し飛ばし‥‥
「っはあ!」
一閃させた細剣の軌跡に沿って、強力無比な虹刃が飛び、巨大な立方体をスパッと斬り裂く。
「これで、俺の『虹天剣』を封じたつもりか!?」
「いいえ、でも、かなり邪魔は出来てるでしょ?」
平井の声と同時、一瞬、嵐が止んだかと思えば‥‥
「がっ!?」
鈍い痛みを頬に感じて、
「ぐっ!?」
すぐさま、嵐の濁流に叩き込まれる。
(くそっ! この嵐の外に‥‥‥)
「逃げられないよ」
また、嵐が一瞬止み‥‥‥
「ぐあっ!」
「私の方が速いんだから!」
サッカーのオーバーヘッドキックのような動きで繰り出された蹴り、平井のアサルトブーツの白鉄の脛当てが肩にめり込んで、焼けるような痛みが走る。
そして当然、また嵐に呑まれる。
「っおおおおお!!」
振り返り様に繰り出したメリヒムの『虹天剣』が、粒子の嵐をものともせずに奔る。
だが、こんな状態で、さっきから『虹天剣』を躱していた平井に当たるわけもない。
「さすがに、凄い威力だね」
それも当然、平井の狙いのうち。
「でも、当たらなきゃ意味が無い。だから、"当たらないように出来る"私が、メリーさんの相手をする事になった」
「‥‥‥‥‥‥‥」
平井の言葉と、さっきからの戦いで、この状況をメリヒムは正確に理解する。
元々、嗜好や考え方が非常に単純な男であるがゆえに錯覚しがちではあるが、馬鹿ではないのだ。
今も変わらず滝のような粒子の濁流を浴び続けるメリヒムは、しかし毅然とその場に止まり、細剣の切っ先を向ける。
「なるほどな」
そして再び、その背中に、七色に輝く光背を広げる。
(また、来るかな‥‥?)
翡翠の嵐の中、自身の周囲だけには平静を保つ平井が、メリヒムの動きに警戒を示す。
とはいえ、こびりつき、常に大圧力を与え続ける粒子を受け、集中力や反応が鈍くならざるを得ないメリヒムの『虹天剣』を躱す事は、先ほどまでより遥かに容易ではある。
(ま、それでも撃つしかないか)
と、判断する。
「だったら‥‥‥」
だから、メリヒムの次の狙いは、予想外だった。
「これなら‥‥どうだ!」
またも『虹天剣』、爆発的な光輝の力が、一気に放たれる。
ただ、"狙いは平井ではなかった"。
(っ何‥‥‥!?)
嵐を削り飛ばし、向かった閃虹の先で、
ドォオオオオン!!
直撃し、その一面を、粉々に吹き飛ばす。
当たったのは、悠二が構築した銀の牢獄。
そこから一つ、影が飛び出す。
色は、紅蓮。