「このっ!」
大太刀・『贄殿遮那』が、汚れた板金鎧の胴を、二つに両断する。
(キリがない‥‥!)
一体一体はただの徒程度の力しかないが、とにかく数が多すぎる。
斬っても、叩き潰しても、次から次に隙間なく腕を伸ばしてくる。
シャナはフレイムヘイズとしての戦歴が浅く、多数の相手との戦闘経験が少ない。
それだけではない。この牢獄を形成する際に悠二が取り込んだ海水によって、ここは“水中”なのだ。
(くっ!?)
足を掴んだ銀の腕を、また斬り飛ばす。
水中ではどうしても動きに精彩を欠き、そして何より、炎が使えない。
(っはああああ!!)
もう何度目か、紅蓮の巨腕、物質化の炎を形成して、横に払い、西洋鎧を十数体まとめて叩き割る。
だが、間髪入れずに銀の殻から這い出てくる。
通常の状況なら、火力に任せてこの鎧の群れごと、牢獄を突破できるというのに‥‥‥
(くそっ!)
「よりにもよって、おまえが相手か。俺も低く見られたものだな」
「‥‥そりゃどーも」
平井とメリヒム。互いに細剣と鉾先舞鈴を構え、並行するように一定の距離を取りつつ飛翔する。
「悪いが、おまえに構ってる暇はない。俺が殴りたいのは“あいつ”だ」
その距離を一気に詰め、メリヒムが斬りかかる。全く同時に後退した平井の前髪が、剣風に揺れる。
「こっちもね。それを邪魔する役割分担なんで、悪しからず」
そのメリヒムの斬撃を皮切りに、戦いの火蓋が切られ、平井がそのまま一気に後退、上昇して距離を取る。
その飛翔の余韻のように舞った無数の羽根が次々に爆発を起こし、メリヒムの追撃を阻む。
「実力差があるのはわかってたからね。それなりに“対策”はさせてもらってきたよ!」
言って平井は、“大きく息を吸い”、
「っだあ!!」
両手を上に上げて、大声で、叫んだ。
(来る‥‥)
その気迫と動作を、“攻撃の構えと勘違いした”メリヒムに、
(‥‥がっ!?)
“すでに放たれていた”平井の攻撃が直撃、全く無防備なメリヒムを軽々と吹き飛ばし、盛大な水柱を立てて海中に突き落とす。
「『獅子吼』‥‥だっけ。‥‥悪くない」
予想以上の威力に、撃った平井自身が驚く。
口から不可視の衝撃波を放つ。単純と言えば単純な自在法だが、威力は炎弾の比ではない。
(まともに入ったよね‥‥。さすがに‥‥‥)
そんな風に楽観して見下ろしていた平井。
ボンッ!!
「うわっと!?」
海面から凄まじい水蒸気爆発と共に立ち昇った七色の閃虹が、平井の鼻先よりわずか先を過ぎゆく。
そこから、その破壊の光を放った張本人が、虹の光背を背に、浮かび上がってくる。
「‥‥タフだね、メリーさん。イヤになる」
その虹の圧力に冷や汗を垂らしながす平井、空笑いにも余裕がない。
対するメリヒムは大真面目だ。先ほどよりも凄みを増した眼光を、今度はちゃんと目の前の敵に向けている。
異能を得てから半年も経たない“ミステス風情”にしてやられた怒りに燃えて。
「‥‥いいだろう。ここからは、よそ見無しでやってやる」
「‥‥それはまた、光栄至極」
「『星(アステル)』よ」
もう何度目か、無数に降り注ぐ、水色の光弾。
「くっ、はっ!」
海から離れ、正確には逃げ、広がる街で、フィレスは建物と建物の間を低く飛ぶ。
ドドドドドオォン!!
「っあ、ぐ‥‥‥!」
しかし、それもほとんど意味を為さず、フィレスは猛然と吹き荒れる爆発に巻き込まれ、圧倒的な破壊の渦に、全く無力に振り回される。
楯とされた建物も、その悉くが、まるで砂で作られているかのように砕け、崩れ、散っていく。
(ちょ、ちょっと‥‥!?)
冗談じゃない。
今まで、実戦でよく見る機会はあまり無かったが、少なくとも、鍛練の時とは全く違う。
(ヘカテーって、こんなに強かったっけ‥‥!?)
無茶苦茶だ。
反撃どころではない。逃げ切れるかどうかすら疑わしい。
元々、ヘカテーの『星』は手数、威力、速さ、攻撃範囲、全てのバランスが良く、非常に使い勝手が良い自在法だ。
要するに、練度がさらに上がれば、“こう”なる。
(どうする‥‥!?)
吹き飛ばされたまま、瓦礫に身を隠して、フィレスは思考を巡らせる。
水色の爆光、響く轟音、立ち上るキノコ雲、その後に広がる焼け野原。
それらを眼下に見下ろすのは、星の輝きを自身の周囲にちりばめた、白い装束の巫女。
“頂の座”ヘカテー。
「‥‥‥‥‥‥」
シャーン、とまた、『トライゴン』の遊環を鳴らすと、周囲に舞っていた光点が膨らみ、流星群となって街へと降り注ぎ、圧倒的な破壊を巻き起こす。
(‥‥不思議)
自分でも、驚いていた。
こんな感覚、今まで一度として味わった事がない。
『‥‥‥馬鹿』
一人ぼっちの孤独を、臆病な逃避を選んだ自分を、迎えに来てくれた。
『僕は消えない。“これ”は誰でもない。僕の願いなんだ』
そう、言ってくれた。
『君と一緒に歩いていく。そのためにも、望みを果たす』
そう、約束した。
(悠二がいる‥‥)
少し前の、『輝爍の撒き手』達との戦い。力を制限しての戦いでは、わからなかったが、今は違う。
(力が湧く‥‥)
体が軽い。力がみなぎる。相手の動きがよく見える。
(何でも出来る!)
以前の自分とは‥‥違う!
「『星』よ!!」
「はああっ!」
「っとお!」
黒い封絶の編まれた海上の空を、翡翠の姫と虹の剣士が飛びかう。
時折、殺那的にぶつかりはするものの、接近戦と呼ぶには程遠い。
「っふ!」
虹の軌跡が、大きく躱したはずの平井の肌にチリチリと痛い。
(っ怖あ〜〜‥‥!)
『虹天剣』を躱すために動き続ける平井の熱くなった体が、閃虹が過ぎる瞬間に一気に凍り付き、過ぎた後にまた熱さを取り戻す。
一気にかいた冷や汗で額に張りついた前髪を軽く指で払い、また集中する。
まともに食らえば、いや、擦っただけでも一発で終わりだ。
ダメージを受けて動きが鈍れば、次を躱せない。
「そぉ‥‥りゃ!!」
『虹天剣』を放ったメリヒムに、特大の炎弾を放り投げる。
その間も、高速飛行は止まらない。
「ふ、っ‥‥はあ!」
炎弾を躱すと同時に、メリヒムが赤と橙の光を放つも、平井はもうそこにはいない。
斜め前方から勢いよく突っ込み、
ギィンッ!
「む!」
その勢いのまま短剣を突き出し、その一合のみでまた離脱する。
「ちょろちょろと‥‥!」
そして、突き出した刺突と同時に舞った十数枚の翡翠の羽根が、メリヒムの周りに残る。
「っくそ!」
至近での連爆を、身を退いて、腕を固めて、ただのコートに存在の力を通して凌ぐ。
普通ならあり得ない反応と防御。
だが、そこで一息つく事も出来ない。
「っおぉ!?」
ギリギリで凌いだ翡翠の爆炎にいきなり穴が空き、反射的に身を反らせたメリヒムがこれを躱すも‥‥
(ぐ、あ‥‥っ!)
全身を万遍なく、鉄棒で強打されたような激痛に襲われる。
「く‥‥ああぁっ!」
その痛みを払いのけるように、緑と青の光線を、衝撃波の来た方向に放つ。
またも躱されるが、平井の動きは一瞬止まった。
だが、その隙を突く余裕は、ない。
(厄介な‥‥。一体、誰の自在法だ)
さっき直撃された一撃も、実は相当に効いている。しかも、余波だけでこの打撃力。
平井はさっきからずっと、常に『飛翔』で動き続けながら、通常の『炎弾』、軌道と爆発のタイミングの読みにくい『パパゲーナ』、そして不可視の衝撃波である『獅子吼』の三つの飛び道具を駆使して攻め続けている。
メリヒムの剣技と『虹天剣』、双方を封じる作戦だ。
もちろん‥‥
「痛たた‥‥‥」
完全に『虹天剣』を抑えられるわけもなく、何発も使われてはいる。
だが、まだ一度ももらってはいない。
(肝冷えるね、こりゃ)
とはいえ、こんな危ないのを向こうに行かせるわけにもいかない。
(よっし、もういっちょ!)
気を入れ直す平井。その耳に、異能者たる彼女の耳に‥‥‥
(ん‥‥‥?)
“押し殺した叫び”で互いに何やら言い合う悠二とヴィルヘルミナの声が届いた。
平井はそれに、ややの不興を覚える。
(何やってんだか‥‥こっちは常にデッド・オア・アライブの恐怖に晒されてるってのに)
平井とて、当然“事情”は痛いほど理解しているが、今はそれに思考を巡らせる余裕がない。
続く言葉が、はっきりと耳に届くまでは‥‥。
「守れなかった‥‥!」
(‥‥‥‥‥‥‥)
「たった一人の女の子さえ、守れなかった!」
(っ‥‥‥‥‥!?)
その言葉を聞き、一拍遅れて思考が追い付き、頭から冷水をかぶせられたような衝撃を受ける。
今まで、『大命』への覚悟や決意は悠二の口から幾度か聞かされていた。
だが、“これ”は初めて聞いた。
‥‥あの事が、そこまで悠二の心に重くのしかかっているとは、知らなかった。
「‥‥‥‥‥‥‥」
自分の存在が悠二に辛さを与えているという事に対する悲しみ、悠二にとって自分がそれだけ大きな存在となっているという事に対する嬉しさ。
ぐちゃぐちゃに混ざり合った感情が胸に溢れながらも、妙に頭がすっきりしている。
「‥‥‥‥‥‥‥」
「どうした、動きが止まったぞ」
細剣を構えて、メリヒムが警戒しながら訊く。
「いや‥‥‥」
自分の心が、今はどうも掴み辛いのだが、
「‥‥やる気出た」
それだけは、断言出来た。
左の手甲、その裏に軽く指を通して、ピンッと一本取り出して、指先でくるくると回す。
強気な笑みを浮かべた平井の掌には、光り輝く金色の鍵があった。