「同情されるような道を、選んだ覚えはない」
誰より早く、その一歩を踏み出したのは、自らの意思で討滅の剣となる道を選んだ少女。
あるいは、眼前の少年の願いを、真っ向から叩き潰すという志を持った唯一の存在。
だが‥‥‥
「っはあ!」
それは、全く不用意な跳び込み。
シャナの行動で茫然自失になっていたフレイムヘイズ達が、覚醒してまず案じたのは、少女の軽率な行動だった。
一撃、その事しか考えていない。
相手の反撃も、自分がその一撃から連なる連撃をかける事も、まるで考えていない。
転ぶ事を全く考えずに突っ込む‥‥子供の喧嘩のようだった。
当然‥‥‥
ブンッ!
その一撃は、坂井悠二には届かずに空を斬る。
だけではない。次の動きを考慮していない空振りは、当然隙を生む。
「‥‥‥うん」
その隙に、拳撃を繰り出す悠二が、寂しげに頬笑む。
「っく!」
風を裂いて突き出された拳を、シャナはとっさに首を逸らして躱す。
だが、これは単なる空振りではない。
(っ‥‥‥?)
頬を風が過ぎる感覚に一拍遅れて、自分の足首に違和感を覚える。
(何‥‥?)
その違和感に目を向ければ、足下から、鎧の破片や歯車、発条やクランク等をグシャグシャに混ぜた銀色の塊が湧き出て、足首を捕らえていた。
「“わかってたよ”」
呟くと同時に、ドンッ! と一気に真上に飛翔した悠二、それを追うように、今まで足場にしていた岩場が砕け、膨大な銀の濁流が、まるで洪水の溢れるように、まるで爆発の膨らむように、巻き上がる。
その内に、津波のような海水を巻き込み、内包して。
ヘカテーと平井は、もちろん悠二と同時に飛び上がっている。
「くそっ!」
「避けて!」
メリヒムとフィレスが焦って叫び。マージョリーとヴィルヘルミナも悠二達を追うように飛ぶ。
濁流は、広がりの頂点から急速に収束し、巨大な球状の、銀の牢獄と化す。
その中に、『炎髪灼眼の討ち手』を閉じ込めて。
「貴様‥‥!」
ギリギリで逃れたフレイムヘイズ達。その内の一人たるメリヒムに対して‥‥‥
「戦いしか、互いの間に道は無い」
悠二は、戦いの始まりを告げた。
(何っ‥‥!?)
全く、一瞬の出来事だった。
斬撃を躱され、足首に目を向け、次の瞬間には視界全てを銀色が埋め尽くし、今度は完全な暗闇に閉ざされた。
(水‥‥海水か‥‥?)
また、全身を刺すような冷たさが包み込んでいる。
(炎を封じて、我らを閉じ込めたつもりだろう。早々に脱出するのだ!)
『コキュートス』からのアラストールの声に頷き、通常の炎ではない、『物質化』された紅蓮の巨腕を生み出す。
その明かりを受けて見えた視界に‥‥‥
(次から、次へと‥‥!!)
群れがいた。
汚れて歪んだ、銀色の西洋鎧の、群れが。
「ヘカテー! ゆかり!」
「はい!」
「あいよ!」
悠二の呼び掛けを合図に、三人は散り散りに飛ぶ。
(くそ‥‥‥!)
私情とは別に、戦士としての思考で、メリヒムは心中で口汚く吐き捨てた。
こちらの意表を突いた出現に始まり、舌戦を制され、戦闘も相手の先制から始まった。
“戦闘以前の戦い”。行動一つ一つで先手を打たれ、常に相手にペースを握らせてしまっている。
自分のあまりの間抜けさ、そして今の状況自体に苛立ちを募らせる。
そんなメリヒムに向けて‥‥
「っふん!」
放たれてきた炎弾を、細剣の一閃で斬り払う。
炎の色は、翡翠。
「‥‥メリーさんが一番厄介だからね。悪いけど、止めさせてもらう」
「ガキが‥‥舐めるな!」
「ヘカテー!」
「‥‥‥‥‥‥」
後に光の線を引いて、水色と琥珀がぶつかり合い、離れ、またぶつかる。
「あんたも、悠二も、ゆかりも、正気なの?」
今さらな、しかし確信には至っていない問いを、フィレスは投げ掛ける。
「私は、元より『創造神』の眷属‥‥」
それに対し、ヘカテーは直接的ではない。しかしそれ以上に大切な言葉を紡ぐ。
「『大命』の成就こそが、私の使命でした‥‥」
そんな語らいの中でも、攻防は止まらない。
水色の無数の光弾を、琥珀の風が逸らし、いなし、吹き散らし、必死に防ぐ。
「今は‥‥違う!」
ボッ!!
「っく!」
光弾の一つがフィレスの肩を掠め、フィレスが顔を歪める。
「悠二と歩く。一緒に、どこまでも‥‥‥」
揺るがない想いから生み出す強さを瞳に宿して、ヘカテーは静かに、強く言い放つ。
「そのための、戦い」
「‥‥‥‥そう」
フィレスは元々、この世を自由に生きる“徒”だ。
悠二達の大願を阻む理由は、本来なら無い。
だが‥‥
「そういうの好きだけど‥‥‥」
我関せずとは、いかない理由がある。
「悪いけど‥‥‥あの子、放っておくわけにもいかないのよ!」
「何故、このような事を‥‥!」
「理由説明!」
黒炎を撒き散らし、緋色の衣を靡かせる少年の周りを、群青の獣と仮面の妖狐が巡る。
「あんたらしくもない、子供じみた理想じゃない」
「いつからそこまで調子づいたよ? 兄ちゃん」
仮面の内に悲痛を隠して訴えるヴィルヘルミナと、血気に逸ると見えて、言葉のうちから悠二に起こった異変を冷静に探ろうとするマージョリー。
正反対の姿だがしかし、胸の内は酷似していた。
悠二は、揺るがない。
静かに、だが強烈に、己の意志を貫く姿を、その面に、態度に見せていた。
「必要だったのさ。目的の実現のために、これくらいの調子の良さ、意気込みが」
言って悠二は、反対方向にそれぞれ向けた両手から、特大の炎弾をマージョリーとヴィルヘルミナに放つ。
「っ!」
「このっ!」
マージョリーが、同様に炎弾をぶつけて融爆させ、ヴィルヘルミナがリボンを斜に構えて炎弾を流す。
そして、
「っ!?」
悠二が、右手に炎を生み出し、それが消えた時には、一振りの大剣が握られていた。
そのまま、炎弾を凌いだヴィルヘルミナに斬りかかる。
「何故!? “頂の座”は、貴方を慕っていた! 今までも、貴方は自身の手で大切なものを守っていたはずであります!! なのに、何故‥‥‥!?」
リボンを無数に構えて悠二の斬撃をいなしながら、ヴィルヘルミナは遂に堪え切れなくなったかのように叫ぶ。
不可解だった。
今まで、フレイムヘイズである自分達と一緒に戦い、街を守ってきた少年が、こんな極端な答えを出した事が。
フレイムヘイズである自分達と、道を違える。剣を突き合わせる。
悠二がそんな選択をした事が悲しく、悔しく、納得出来なかった。
「‥‥‥ヘカテーに出会って、一緒に大事なものを守るために戦って、いつか旅立つ。目的は違っていたとしても‥‥フレイムヘイズみたいに。
僕も最初は、そんな道を漠然と思い描いてた」
以前とは、速さも重さも技巧も違う。凄まじい大剣の連撃を繰り出しながら、悠二はゆっくりと言葉を紡ぐ。
それが、こんな辛い戦いを強いてしまった仲間に出来る、精一杯の誠意。
「それでいい。そうやって生きていくのも、大切なものを守って生きていくのも、失ってしまった“日常”に決して劣らない。そう思ってた、でも‥‥‥」
それまで、静かに、穏やかに喋っていた悠二の声色に、強い悔恨、そして怒りが宿る。
『私‥‥楽しかった』
「守れなかった‥‥!」
押し殺した叫び、それに呼応するように大剣から湧き上がった炎が、黒の斬撃となって、無数のリボンを一閃、灼き斬る。
『‥‥もう、ちょっと‥‥だけ‥‥皆と‥‥一緒に、いたかった‥な‥‥』
「たった一人の女の子さえ、守れなかった!!」
全身から炎が湧き上がり、その熱さを増してゆく。
ヴィルヘルミナは、その、悠二の言葉と炎に込められた力に、思わず引き下がる。
「同じ街に、あんなに近くにいたのに‥‥!」
引き下がったヴィルヘルミナを追うように、また大剣で薙ぐ。
「あなた達の‥‥フレイムヘイズのやり方じゃあ、何も変わらない。僕は、『そういうものだ』なんて言葉で納得出来ない」
決意を表すように、大剣を真っ直ぐに、ヴィルヘルミナに向けて突き付ける。
ヴィルヘルミナも、後ろで隙を窺うマージョリーも、今だけは攻撃を仕掛ける気になれない。
『‥‥ホントはね、ずっと、皆一緒にいたいって、思ってたの。人間とか徒とか関係なく、皆でずっと‥‥‥‥』
「この手で『この世の本当の事』を変えてやる。不条理の可能性を、この世から消し去ってやる。好きな人を、好きな人達を守るために」
『‥‥馬鹿だよね。そんなの無理だって、わかってたはずなのに』
(無理じゃない。きっと‥‥‥‥)
「そのために、この道を選んだんだ」
激情の熱さから抜け出した悠二の声には、悲嘆に憤怒に悔恨、喜悦に愉楽に覇気、様々な想いが籠もっていた。
「邪魔は、させない」
(きっと、実現してみせる)