旅というのも久しぶり。一番近い記憶では、外界宿(アウトロー)の要請で中国に渡った時以来だ。
ほんの数ヶ月前の事とはいえ、あまり一つ所に逗留しない自分のようなフレイムヘイズにとっては、数ヶ月同じ街に滞在する事自体が珍しいので、そんな風に感じてしまう。
横目に、その中国に向かう中途で再会を果たした友達を見る。
新幹線の目まぐるしく変わる景色を眺める"彩飄"フィレス(ちなみに、メリヒムとシャナは前の席で相席。マージョリーは後ろの席でビールを食らっている)。
少し、彼女に関して気に掛かっている事があった。そんな思いが視線にこもっていたからか、
「ん?」
フィレスが怪訝そうにこちらに向き直っていた。
丁度いい機会だから、訊いてしまう事にする。
「フィレス、吉田一美嬢に『ヒラルダ』を渡そうとした件について。少々軽率であるように感じられたのでありますが‥‥」
「軽挙自重」
非難するつもりはなかったが、ややきつい言い方になってしまったかも知れない。
ヴィルヘルミナは、平井ゆかりを『こちら側』に巻き込んでしまったという引け目からか、少しそういう事に敏感である。
特に、御崎での事に関しては。
「ああ、その事?」
フィレスはそれに対して、特段悪気などなさそうに返す。
「いいのよ、あれで。どうせ巻き込まれた側の人間だし、あの子、手を取って道を定めてあげなきゃいけないほど子供じゃないわ。選択肢は、多く与えてやった方がいい」
この世を好きに渡り歩いてきた徒らしい言い分ではあるが、間違ってはいない。
「それに、結局受け取らなかったじゃない」
さも何でもなさそうに言うフィレス。間違ってはいないが、ヴィルヘルミナには少し釈然としない思いが残る。
それが、普通なら無表情としか判断できないヴィルヘルミナの顔に浮かんでいるのを見て、フィレスはまたおかしそうに笑う。
「大丈夫よ、念のために保険は掛けてるし。それに、今から私達の方が大一番よ?」
またも正論で返されて、ヴィルヘルミナは仏頂面で席に深く腰掛けた。
「あれで、良かったのかい?」
『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の客分たる"狩人"フリアグネが、『星黎殿』の酒保の一つ、ベルペオルが最近凝っている休憩場に現れ、訊ねる(ちなみに、マリアンヌは今は別行動)。
無論、相手はベルペオル。
「おや、おまえがこちらの方針に首を突っ込むとは、珍しいね」
笑い、手元のベリーパイを一口放り込む‥‥が、少々余裕に欠ける笑みだ。
「一応、君達の『大命』には協力させてもらうつもりだからね」
「"一応"か。全く、使い所の難しい男だよ」
「ふっ、使われてやるつもりはないからね」
フリアグネは、自分にとっても協力するに値する。と判断したからこそ、ここにいる。
だが、他の忠実な構成員のように命懸けで尽くすつもりもない。
彼にとって、ようやく手に入れた恋人との安寧以上に優先するものはないのだから。
そして、それはベルペオルも承知の上だ。
その上で、今回の事を気に掛けるフリアグネの態度に、ベルペオルは少しだけ眉をピクリと上げる。
どうやら、あの三人の事を思っていた以上に気に掛けていたらしい。
また一つ、判断材料を手に入れた。
「構わないさ。確かに危険な事ではあるが、主命だからね。是非もない」
ベルペオルも、やや不透明な溜め息をつく。
『‥‥僕たちだけで、やらせて欲しい』
彼らの"諸事情"などの要素を除いて、単純な戦力から考えても、危険すぎる。
そう、わかっていながら‥‥
(‥‥言い返せなかった)
気圧された、と言い換えてもいい。
シュドナイも、何も言わなかった。彼の場合は、直接手を合わせた者の信頼のような部分が大きいらしい。
「‥‥‥まったく、ままならないねえ」
部の悪い博打に見えるが、任せてみようと思った。
それは、逆境に挑む事に喜びを感じる自身の性質がそうさせるのか、はたまた、シュドナイのそれに近い感情なのか、それははっきりとはわからない。
だが、すでに塞は投げられた。
無用な心配など、するものじゃない。
「そういえば、聞いたかい、フリアグネ? 構成員達が呼んでるあだ名」
話題を、無理矢理に変える。
その意図を察してか、フリアグネも席に腰掛けてそれに応じる。
「まあ、わりとよく耳に入るからね。当人達は気に入っているらしいから、問題ないんだろうけどね」
そのまま、なし崩し的に雑談に入る。
話題はもっぱら、あの三人。
誰が言い出したのか、構成員達の間で言われるようになった三人のあだ名。
どうやら、三人の中心たる、盟主の衣を靡かせる姿と、その大きすぎる大望からきているものらしい。
名を、『緋願花(ひがんばな)』。
「ところで"逆理の裁者"。そのオモチャは何だい?」
ビクッ!
「‥‥シロ。本当にどの辺りか覚えてないの?」
「俺が起こされたのは陸に引き上げられた後だったからな」
「使えないわね」
いつか悠二達が宝具・『カイナ』を求めてやってきた、海に面した小さな街。
御崎市を旅立った異能者達は今、様々な巡り合わせの下、この地を訪れている。
元々、それほど栄えた街でもなく、この季節の海であるから、海に面したこの辺りの人通りは皆無に等しい。
「貴方が彼らと出会い、"愛染の兄妹"を討滅したのも、この街なのでありますな」
そう、メリヒムにすれば、悠二とヘカテーに初めて出会った地、そして、シャナとヴィルヘルミナにとっては、フレイムヘイズとしての旅立ちと、別れの地。
「まあ、『秘匿の聖室(クリュプタ)』が破壊されたままだというのなら、見つけだすのもそう困難な事ではあるまい」
シャナの胸元から、アラストールが言う言葉を、
「首からぶら下がってるだけの装飾品が。何もしない貴様が偉そうにほざくな」
メリヒムが一蹴する。
「ぐ、ぬぬ‥‥‥」
あながち間違ってもいないだけに、アラストールも反論出来ず、皆もフォロー出来ない(する気がない者もいる)。
「とりあえず、ちゃっちゃと引き上げてちょうだい。私は外見知んないからパスね」
マージョリーは、その辺りの壁を背もたれに腰掛けて、また酒を取り出す。
全く手伝うつもりはないらしい。
「‥‥結構。私が潜水し、『天道宮』を捜し当てましょう。ただし、引き上げは人目のない夜に行う。それで良いでありますか?」
ヴィルヘルミナの提案に、全員が首を縦に振る。
彼女が一番適任であるという判断からである。
ヴィルヘルミナの給仕服の結び目から、リボンが幾条か伸びる。
海中に万条を張り巡らせ、そのリボンで『天道宮』を見つけだす。
以前、悠二達が探した時とは、最初の"アテ"もまるで違い、捜索方法も違う。
まして今は日中。容易く見つけられる自信はあった。
「潜水」
「了解であります」
勇んで海中に向かおうとするヴィルヘルミナ。
それを見守る一同。
そんな彼女らの前方。
冷たい海上の空で、
『っ!?』
突如、太陽ではない強烈な閃光が輝いて、全員が驚愕し、
(何‥‥!?)
事態を把握する前に、
「封絶」
周囲一帯、街も、その辺りの海も含んだ空間が、陽炎の世界に包まれた。
「あ‥‥‥」
その炎の色は、燦然と輝く、"銀"。
その色と、輝きの中に見える懐かしい三つの影に、まず、全く単純に喜びを感じて、
「っ‥‥‥!」
僅か遅れて、その意味に気付く。
"ここは御崎市ではない"。
こんな所に、わざわざ『転移』を使って現れて、すぐさま封絶。
ただの、偶然の再会なはずがない。
そして、確信といっていいほどの嫌な予感が胸中に満ちていく。
「っ!!」
そんな思考を巡らせる中で、ヴィルヘルミナは一つの事実に気付く。
この街に現れた以上、彼らの狙いにはおよそ見当がつく。
そして、彼らに『天道宮』の秘密を話した覚えはない。
この事を知るのは、先日、御崎市の虹野邸で、自分の口から直接聞いた数名のみ。
(まさ、か‥‥‥)
「‥‥‥‥‥‥」
随分、大荷物になった。まあ、長旅になるだろうから、それも仕方ない。
丁度、今、家族は誰もいない。
机の上には置き手紙。そして、マージョリーに渡されていた栞は、引き出しにしまっておく。
「‥‥‥‥‥‥‥」
現在の外界宿(アウトロー)の、特に必要な情報を集めた書類やディスクをしまい込み。
勢いをつけて背負う。
座標の特定は、ある程度はついているらしい。
予定より早いが、もうすでに動ける段階になってはいる。
何より、彼女達も馬鹿ではない。気付かないはずもないだろう。
どちらにしろ、もうこの街にはいられまい。
(‥‥バトンタッチは、ここまでだな)
まあ、最後に大きな手土産が出来ただけ、良しとするか。
バタン
扉を出て、振り返って頭を下げる。
心配を、かけてしまうだろうから。
「‥‥本当にいいんだな?」
家の塀にもたれかかって待っていた少年に、最後の確認をする。
「もちろん。君となら、地獄の底にだって付き合うよ」
メガネを無駄にきらめかせる少年に、
「‥‥そんなクサいセリフで惚れると思うなよ。むしろ減点1だから」
自分の事が絡むと、どこまでも馬鹿になれる少年にそんな返事を返し、荷物を押しつけて歩きだす。
街を離れ、隣町の駅の前まできて、
(!‥‥‥‥)
視線の先に、外国の映画で見る神父のような、裾長の法衣を着た、痩身の男が、少女・吉田一美の視線に入る。
「‥‥‥地獄の底、か。あながち間違いじゃねえかもな」
「?」
首を傾げる少年・池速人の疑問をよそに‥‥
「お迎えに上がりました。吉田一美殿」
ヴィルヘルミナ達と全く違う所で、全く違うやり方で、
少女達の戦いが、始まる。