『鏡像転移』。
人間の発する強烈な感情を感知し、その周囲の人間の存在の力を吸収して顕現する『暴君2』の分身体が、感情を発した人間の望みを、まるで鏡に写したように『代行』する。
これらの一連の現象の呼称である。
以前、ヘカテーが悠二にこれを説明した時、こう言った。
『自然の天災のようなものです』
確かに、それも一つの事実ではある。だが、それはあくまでも機能としての話。
それは、決して自然の中で生まれたものではなく、『大命』の鍵の一つとして『仮装舞踏会(バル・マスケ)』がヘカテーの受け取った『大命詩篇』と"耽探求究"ダンタリオンの力によって作り出された『暴君』なのであった。
ヘカテーが当初これを悠二に伝えなかったのは、無意識に嫌われる事を回避した結果だ。
ともかく、そうやって収集した種々様々な人間の感情は、『盟主』"祭礼の蛇"が『代行体』として自在に活動するための『仮装意思総体』として機能する、はずだった。
結果として、『代行体』は当初の予定とは大きく異なる形で完成、否、『代行体』としては失敗した。
今はその仮装意思総体は、両界の狭間に在る盟主の感情を、『依り代』に伝える程度にしか機能していない。
しかし、採集した感情は悠二の『零時迷子』に秘められた『大命詩篇』、つまりは『暴君1』のみにしか備わっていないわけではない。
『星黎殿』の機関大底部にある、『吟詠炉(コンロクイム)』。
採集した感情を保存しておき、盟主帰還の際に、『暴君』の1と2を合一する時の坩堝のような物。
以前ならば盟主復活のための最重要機密の一つであったが、今では万が一のための感情のバックアップに過ぎない。
言い方を変えれば、そこには感情、つまりは『仮装意思総体』が在る。
悠二が目を付けたのは、まさにそこだった。
機械がメチャクチャに絡み合う大樹の中で、どろどろとした粘性の銀炎が全く規則性を持たずに揺らめき、だからこその一つの炎として在る。
その銀の炎に焙られるように架けられた歪んだ板金鎧。
本来なら『零時迷子』、『暴君1』と合一して『盟主』の体となるはずの『暴君2』であった。
そして、この不気味な炎の炉こそが、『吟詠炉』。
その炉が、突如として馬鹿のように白けた緑色の光を放ち、炎が暴れるように踊りながら、板金鎧を焼いてゆく。
「ッオオオオオオ!」
叫び声を上げて暴れる板金鎧が、少しずつ、少しずつ溶けていき、いつしか形を変え始める。
「教授ー! これ以上は『暴君』の耐久力が保たないのではーー!?」
「ドォオーミノォオー! 何を言っているのです!? 仮にも神の力を秘めた物がそう易々と壊れるはずがあぁーりません! これは破壊ではなく変化! すなわち、新たにして未知なる一歩への‥‥‥」
ゴォオオ!!
「ッノォオゥ!?」
長々と語る、興奮した教授の前で、爆発するように銀炎が燃え上がる。
「オ‥‥‥オォォ‥‥!」
もはや視認出来ない炎の中で、呻き声が小さく、か細くなっていき、いつしか炎が晴れたそこには‥‥
「ェエークセレントォー! これぞ我が"我学の結晶"サプライズ252516‥‥」
「ローリング・スペシャル・パパゲーナVer羽根つき!!」
「させるか!」
「ふっ!」
「っは!」
昨日は結局人の集まり具合が微妙だったから今日開催されている羽根つき大会。
今は二回戦。くじで引いた結果、悠二と平井が初戦で、その次の二回戦は、初戦を勝ち抜いたヘカテーが相手という少々片寄った図式になってしまった。
そして今、ヘカテーと対峙しているのは‥‥悠二。
平井は、一回戦に負けてしまったのだ。
「喰らえ!」
悠二の羽子板が羽根を捉えた瞬間、羽根が銀に燃え上がり、そのまま銀炎の大蛇となってヘカテーに襲い掛かる。
「『星(アステル)』よ!」
ヘカテーも負けてはいない。
周囲に生み出した数十にも及ぶ水色の光弾が、悠二の『蛇紋(セルペンス)』の頭部一点に集中する。
ドドドドォン!!
威力で『星』に勝る『蛇紋』も、一点集中には耐え切れず、砕けた頭部から羽根がポロリとこぼれる。
「っふ!」
それを逃さず、ヘカテーは打ち返す。
羽根は水色に光り、同時に、また無数の『星』が放たれる。
しかし、悠二もさるもの。これは以前のテニスで見た撹乱技である。
「甘い!」
ヘカテーの手元さえしっかり見ていれば、癖を見抜いている悠二にはどの光弾に羽根が隠されているかわかる。
手の込んだ反撃をする余裕は無かったが、難なく打ち返す。
ジャキン
(ん?)
何やら不吉な音に、悠二が視線をわずかに逸らす。
そこには、一回戦に敗れた平井ゆかり。
何か、変なのを抱えている。否、こちらに向けている。
「ってゆかり! 何やってんの!?」
「ん? あれだって。この羽根つき大会は負けた選手が外野から自在法で妨害を企てる『みそボン』形式だから。立て札に書いてたっしょ♪」
「聞いてないぞ!? そんな卑猥なもの拾ってくるな!」
「問・答・無用!」
平井の声に合わせて、担いだ物体(徒)の尾部が膨れ上がり、周囲の床や壁をもぎ取って飲み込んでいく。
次第に二回りも膨らんだその姿は、横倒しになった巨木とも、ガチガチに物を詰め込んだ長い袋とも見える。
その先端に、樺色の炎を燃やす、歪な大砲。
「ちょ、ストップ!」
「ゆかり、助太刀感謝します」
悠二の制止と、ヘカテーの無責任な呟き。
「ビフロンス・キャノン!!」
「その人敗者じゃないだろぉー!?」
悠二の叫びを余所に、大火力の、樺色の大爆発が巻き起こった。
「俺は、卑猥? 盟主、に、言われ‥‥俺、卑猥?」
そんな珍騒動の影で、密かにショックを受ける徒、"吼号呀"ビフロンスの悲哀を、知る者は少ない。
「‥‥ゆかり、一回戦負けたの根に持ってる?」
「べっつにー?」
白々しくとぼけて少し前方でくるりと回る平井をジト目で見る悠二。
ただし、不満を持つのは悠二のみではない。
「おまえもだ、坂井悠二。あまり激しく動くな。これ至極絶妙な力加減でくわえているのだぞ」
声の発生源は悠二の左手首にある腕輪。
銀色の蛇が己の尾をくわえる事によって輪を作っているというデザインだ。
いや、正確にはデザインというより"当事者"の趣味に近いか。
宝具・『ウロボロス(命名・ベルペオル)』(別名・"我学の結晶"サプライズ252516『蛇皮の財布』)である。
その効力はまあ、見ての通り、ただ、『創造神』の力を引き出す『暴君?』は悠二の中にあり、"これ"は余った仮装意思総体を利用して作った物であるため、せいぜい会話程度の芸しか出来ないのだが。
「‥‥別に四六時中僕の手首に巻き付いてなくてもいいんだけど」
「なっ!? 貴様、余が邪魔だと言うのか!?」
「いやー、パパさんも結構寂しがり屋だね♪」
たかが会話、されど会話である。以前なら悠二としか語らえず、その悠二との会話すらも『大命詩篇』を活性化させている間に限られていたのだから、ある意味では大きな進歩だ。
「‥‥なんとも、異なお召し物ですな。我らが盟主」
いつの間にやら悠二の横に並んでいたシュドナイ、実はスケジュールの都合で『ウロボロス』を見るのは初めてである。
感動の再会、であるはずなのだが、妙に気勢を削がれたような気分になる。
シュドナイの言葉に、『蛇』もまた応える。
「当世風、嫌いではあるまい?」
悠然たる笑いを込めて。
声から伝わる覇気や、仄か漂う諧謔の風韻は、懐かしさを駆り立てられる。
「‥‥確かに」
それに、シュドナイもおかしみの返事を返した。
(どこが当世風なんだか‥‥)
などという無粋なツッコミを、悠二は当然入れない。
ほどほどに空気は読める、と自負している。
ただ、再会の空気を破るのは、悠二ではなかったりする。
ガシッ!
突如として悠二の肩を掴み、止めた手である。
何やらソワソワとしている、妙齢の美女。そう、我らが参謀・ベルペオル。
彼女は真っ先に再会を果たしているから、感動の再会とは少し意味合いが違う。
「‥‥行ってきたら?」
「‥‥‥うむ」
するりとくわえていた尾を放して、悠二の手首から下りた蛇が、するすると滑ってベルペオルを率いて行く。
色々と、積もる話もあるのだろう。
時折、ベルペオルがポケットから小さな紙片を取り出して見て、また『盟主』を見てから、「‥‥えへ」と小さく笑う(バレてないつもりだろうか?)。
何ともシュールな光景ではあった。
(‥‥そういえば、どうなったかな?)
そんな二人の姿に、悠二も想う者が在った。
『星黎殿』で最も高い、豪壮巨大な碑、一壊の石塔だった。
天衝く矛とも見える大きな穂先からやや下がって、三方へと均等に、優美な踏み台が突き出ている。
その一角に立つ一人の少女。
水色の輝きを纏う巫女が、足先を軽く浮かせて、星天を見つめている。
それは、『秘匿の聖室(クリュプタ)』が見せる偽りの星空ではない。
とある目的、ヘカテーの力を阻害しないために天頂部の三分の一を解かれた事でその姿を見せた、真正の星空だった。
彼女にしか出来ないその役割を担う少女は、一心に星天を見つめる。
その表情に、ほんの微かな、憂いが混ざる。