「あ〜‥‥ままならないねえ」
世の空の何処か、というかとある島国の上空を行く『星黎殿』の中の一室で、三眼の片目に眼帯をした妙齢の美女が悩ましげな溜め息をつく。
『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の実質的な指導者たるベルペオルである。
(あ〜〜あ、だから嫌だったというのに‥‥)
机に突っ伏して、ぼーっと紅茶のカップを乗せている皿を眺める。
教授の捜索は、本来であれば"狩人"フリアグネが一番望ましかった。
生半可な実力ではあの教授を場合によっては無理矢理にでも連れてくる事は出来ないし、逆に実力のある構成員だと、その知名度から、フレイムヘイズ達に『仮装舞踏会』と関連づけられる恐れがあった。
『構成員ではない実力者』たる彼が一番望ましかった。
一昔前に雇っていた"塊刃"サブラクはどうやらヘカテー達に討滅されたそうだし。
(‥‥まったく)
何を考えているのか。あまりに数奇な巡り合わせで今の形に落ち着いてこそいるが、ヘカテーがしたのは一つ間違えば『反逆行為』である。
(いや‥‥)
何を考えているのか、はわかっているのだ。
要するに、ヘカテーはもし悠二に手を出すならば、例え『仮装舞踏会』だろうと『盟主』だろうと牙を剥く。
そういう事なのだろう。
つい今朝方に交わされた会話を思い出す。
「つまり、今からでも遅くない、と?」
『星黎殿』に迎えた教授に解析してもらった今の『坂井悠二』と『零時迷子』の状態。
「えぇ〜え。今から本来必要な『大命詩篇』全てを打ち込めば、おそらくこのミステスの形骸を残したまま『代行体』としての起動も可能だと思われまぁ〜〜すがねえ?」
それは、今のような本来の代行体から大きく外れた状態でも、『大命詩篇』をちゃんと解析して打ち込めば、坂井悠二を消さぬまま盟主の仮の復活が叶う可能性が高い、というもの。
つい素直に喜びを表して悠二に目をやれば、
「「‥‥‥‥‥」」
ヘカテーと平井が、立ちふさがる形で悠二の前に立って、こちらに強い意志の籠もった目を向けていた。
「『それ』やったら、悠二はどうなるの?」
平井の、不気味なほどに平静な問いには、教授ではなく同席していたリャナンシーが応えた。
「複雑に過ぎる式だから断言は出来ん‥‥が、おそらくは意思総体の混在、融合、最悪の場合、坂井悠二の意思総体は"祭礼の蛇"の意思総体に呑まれて消える、という可能性もある」
「‥‥‥つまり」
平井の言葉を継ぐように、ヘカテーが訊く。
「どちらにしても、悠二が‥‥悠二ではなくなるという事ですか」
「‥‥可能性の話ではあるがな」
ヘカテーの問いは、疑問の形で発せられてはいなかった。
それは、もはや『状況次第』という問題ではなく、断固許さない、という意思表示だったのかも知れない。
「‥‥ベルペオル」
「‥‥‥‥‥‥」
ヘカテーの呼び掛けには、何かを懇願するような色はなく、平井の目にも同じものが宿っていた。
『やめて欲しい』ではなく、『やったら許さない』、でもない。
『絶対にさせない』、である。
「‥‥‥‥‥‥‥」
話の間、ずっと黙って目を閉じていた悠二。
『盟主』との『対話』でもしていたのだろうか。その悠二が、ヘカテー達の威圧から続いていた沈黙を破るように、目を開き、
「ベルペオル」
少しだけ、申し訳なさそうに、
「ごめんね」
そう、言った。
「‥‥‥‥‥‥」
と、まあこんなやり取りがあったわけである。
もうこうなったら腹はくくった。
ヘカテーがああでは、もう悠二とも一蓮托生である。
とにかく、そんな危ない三人組絡みでちょっとした不安要素が教授の捕獲の際に生じてしまったわけだ。
まあ、過ぎてしまった事は仕方ない。
どんな逆境に在ろうとも今そこに在るものからそれに挑んでこその"逆理の裁者"。
それはそれとして‥‥
「‥‥私の部屋で何をしているのかね、『将軍』?」
ジロリと、女性の部屋に勝手に入ってきていた不届き者を睨み付ける。
視線の先たる窓際には、妙にやさぐれた雰囲気の、サングラスをかけたハツカネズミがタバコを吹かしていた。
「‥‥男にはな、黙ってこの紫煙に酔いたい瞬間ってやつがあるのさ」
知った事か。
大方、またヘカテー達の仲間に入ろうとして失敗したのだろう。
大体、自分だってタバコは嫌いなのだ。それを勝手に人の部屋で‥‥。
毎度毎度、ヘカテーはまだ許せるが、この男が道楽にかまけて組織を疎かに‥‥‥
(‥‥‥ん?)
道楽にかまけて‥‥組織を疎かに‥‥
「ぐはあ!? いきなり何するこのババぐほぉ!?」
「お前が! お前が行ってれば万事解決してたんじゃないかこの幽霊社員が!」
「ちょっ、待て! 何の話か知らんが謝るから! とりあえずやめろババぐぁ!?」
「誰がババロアだい!?」
「ババロアじゃなぐほっ!」
新聞紙をまるめたやつで無力なハツカネズミを追い回す美女、というシュールな空間に、
「やっほー!」
「‥‥またハツカネズミがいます」
「あ、ベルペオル、邪魔だった?」
最近、やたらと存在感の大きい三人組が来訪する。
「‥‥それはまた何のつもりだい」
ベルペオルの言う『それ』、まあ、ヘカテー達の格好の事だ。
ヘカテーは、彼女の髪や瞳よりも濃い青の着物。模様は派手ではなく、小さな花模様が全体に彩られている。
平井は真っ白な着物に草や葉の模様が施されている着物。二人共、よく似合っている。
ちなみに悠二も黒の着物を着てはいるが、この二人に比べるとやはり華がない。
まあ、ベルペオルからすれば似合うとか華がないとかが問題ではない。
何故着物を着ているのか、が疑問なのである。
無論、悠二達もそれをわかっているから即答する。
「「「大晦日」」」
「‥‥‥はい?」
そういえば、今夜で年が変わるんだったか。
それで、何故着物?
まさか‥‥‥
「そういうわけで、我々は神社に直行したいと思います♪」
「早く着替えて下さい」
「マリアンヌさんが、ベルペオルの着物も用意してくれてるんだ」
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
予想通りの流れである。
大体、この三人は自分達だけで出かける時にわざわざ報告になど来ない。紙切れ一枚残して勝手に遊びに行くのだ。
だからこんな時に自分を訪ねてくるのは大抵「一緒に遊ぼ」なのである。
「"逆理の裁者"、心配せずとも私も同行する」
「ふふ、『母君』も大変だね」
「フリアグネ様、着物姿も素敵です」
「ふん、結構な大所帯だな」
続々と現れる。
何だかんだ言って皆ノリノリである。
シュドナイも、いつの間にか紫の着物でスタンバイしている。
「‥‥‥やれやれ」
結局断らないのは、自分も万更ではないという事なのかも知れない。
「‥‥‥‥‥‥」
人混みに溢れ返るとある神社、田舎とはいえ、こういう行事ではやはり人は集まるものらしい。
白い恋人達と師・"螺旋の風琴"リャナンシーはあっちで甘酒を飲んでいるが、悠二はあまり甘酒は好きではない。
わざわざこういう所に出向いてみたところで、年が明けたという実感はバラエティー番組の生放送以上に無かったりする。
「おや、ブルー入ってる? 少年♪」
「っ!」
ぼーっとしていたため、いきなり目の前に飛び出してきた平井にひどく慌てる。
「?」
何やら、『星黎殿』から出かける前辺りから少し様子がおかしい悠二を訝しげに平井は見やる。
(う〜〜ん?)
悠二のこんな態度を見るのは、初めてではない。別に悠二が慌てるのがそこまで珍しいというわけではないが、この、妙な雰囲気に覚えがある。
(‥‥何だっけ?)
首をひねって考えてみるが、どうにも思い出せない。
「ゆかり、おみくじ引きに行こう」
そうこうしている間に、いつもの調子に戻ったように見えるヘカテーとベルペオル母子の方に歩みよりながら手招きしていた。
ちなみにベルペオルは、髪型を少しいじって額が完全に隠れるようにした上で額の瞳を瞑っている。
(ま、いっか♪)
平井は、それ以上深く考える事はしなかった。
新年最初のおみくじ。
彼ら『仮装舞踏会』にとってはたかがくじとはいえ、何となく重要な意味を持つような気がしてならない今日この頃である。
結果は‥‥‥
悠二・大吉
ヘカテー・大吉
平井・大吉
リャナンシー・小吉
シュドナイ・凶
フリアンヌ・吉
ベルペオル・末吉
「悠二、大吉」
「良かったね、僕もだ」
「あちゃー、旦那これ死亡フラグだね」
「不吉な事言うな!」
「ま、くじなんてこんなものさ」
「末吉‥‥‥吉、末?」
「ふむ、小吉か」
それぞれ、くじの結果を見せ合いっこしている(白い恋人達はこんな所もお揃いである)。
最近中心人物になりつつある三人が揃って大吉なのは、組織的には縁起が良い。
「‥‥‥‥‥‥」
ベルペオルが末吉のくじを値踏みするように眺める。
仕事運や健康運などは苦労が絶えないような事が書かれている。
わざわざくじに教えてもらうまでもない。すでにトラブルだらけである。
「‥‥‥‥‥あ」
その目が、一つの項目を捉えた瞬間、
シュパッ!
くじを、着物の帯の内側にねじ込む。
もう一度取り出して確認して、少し締まりのない笑みを浮かべる。
ベルペオルのくじは、全体運が低かったが、恋愛運だけ、少し高かった。
年が明け、彼らにも一つの区切りが訪れる。
そう、彼らがまずやらなければならない事‥‥
「もちつき、凧上げ、独楽回し! カルタにおせちに福笑い!」
たくさんあった。