「バラル、そろそろオレ達も全開で行くぜ?」
「‥‥向こうが本気、かどうかまだわからないけどね」
デパートの屋上に立つレベッカが、空に浮かぶ二人を睨んで狂暴に笑う。
バラルも、余計な一言を付け加えはしたが、反対はしていない。
彼も、手加減出来る相手ではない、と判断したのだろう。
心置きなく、右手の金色のブレスレット・『クルワッハ』の鎖に手を掛け、
外した。
「やっぱり、接近戦かな」
屋上に立つレベッカを見下ろしながら、平井がヘカテーに目をやりながらポツリと呟く。
それを見たヘカテーも、コクリと首肯する。
相手の戦闘スタイル、という問題のみならず、ヘカテーも炎の色を隠しながらでは戦い方は限られてくるからだ。
もっとも、接近戦をするためにはあの物騒な爆撃を掻い潜らなければならないわけだが。
「‥‥どうでありますか?」
先ほどからの動きで、ある程度は予測がついてはいたが、念のために確認するヘカテー。
「うん、バッチリ♪」
心配させないために、ではなく本当に自信満々に親指を立てる。
ここまで変わるものだとは思わなかった。
だからこそ、少々強気に攻める気にもなる。
(‥‥‥よし!)
鉾先舞鈴、宝具・『パパゲーナ』を携えた右手とは逆の左手に、翡翠の炎が取り巻く銀の珠玉が生まれ出る。
しかし、そのタイミングでレベッカにも異変が起こっていた。
右手にあった、おそらく神器であろうブレスレットの鎖が外れ、レベッカの胸の前に浮かび、彼女を恒星とした惑星のように、桃色の光球が十余個、楕円軌道に彼女の周囲を巡っていた。
「向こうも本気、かぁ〜〜」
冷や汗をかきながら空笑いを浮かべる平井。
(来る!)
と平井が感じた直後、レベッカの周囲を巡っていた光球が軌道から外れ、一斉に平井に向けて放たれる。
それらは、飛翔する中で分裂し、数百にも及ぶ小玉となって襲いくる。
(多すぎる)
自分の『飛翔』でも避けられない広範囲攻撃。
対応が早い‥‥が、
「ヘカテルミナ!」
「ヴィルヘルミナ・カルメルであります!」
呼び掛けに応じて、ヘカテーが素早く背後に回る。
「『銀沙鏡(ミラー・ボール)』!」
平井の左手から無造作に放られた珠玉がペシャリと潰れ、翡翠の炎が縁取る銀鏡となる。
(何だ?)
眼下のレベッカが、自らの攻撃の着弾を見定めようと見上げる中で、突如平井の眼前に広がる銀鏡。
それが、
「げ‥‥‥!」
直撃する瞬間に、レベッカの撃ちだした光球を片っ端から飲み込んでいく。
「さっきの‥‥お返しぃい!」
平井の声に合わせて、鏡から、先ほど飲み込んだ光球が、透き通るような翡翠へと色を変え、そのままレベッカに撃ち返される。
(やべ‥‥!)
思わぬ逆撃を向けられたレベッカの立つやたら広いデパートの屋上を、翡翠色の爆光が埋め尽くした。
昔、とある有名な恐竜映画の第2シリーズを見た。
そのワンシーンで、小さな、小犬くらいのサイズの恐竜が群れを成して一人の人間に襲い掛かる場面がある。
それを見た時、僕はティラノサウルスに食われるよりもこっちの方が怖いな、と思った。
その時の自分の心情を、これ以上ないほどに鮮明な現実感と共に、あの時よりも遥かに強烈に、胸の中で感じていた。
「よっ‥‥と!」
瓦礫の山に降り立ち、辺りを見回す。
あの距離で、直撃を避けられなかったとも考え辛い。
自分が跳ね返したのは『銀沙鏡』の周囲の十余個の光球に過ぎないのだから。
「こっちにも、いませんであります」
少し離れた所で瓦礫を踏むヘカテーも、辺りを見渡してレベッカを探している。
そのヘカテーの足を、
「ストップ!」
平井の一声が止める。
「?」
平井の制止の意味がわからず、しかし素直に言う事を聞いて一跳び、平井の横に降り立つ。
「‥‥‥‥‥」
平井は制止の理由を話しもせずに、足下からコンクリートの破片を拾い上げ、ヘカテーが踏み出そうとしていた辺りに放り投げる。
「っ!」
カツッと、コンクリートの破片が地についた瞬間、今までは何も無かったその地面に桃色の瞳の紋章が見開かれ、即座に収縮‥‥
ドォオオオン!!
「っわ!?」
「っ!!」
大爆発を巻き起こす。
警戒して十分に距離を取ったつもりだった平井とヘカテーが盛大に仰け反るほどの爆風と衝撃が広がっていく。
「‥‥『罠(トラップ)』ですね」
「‥‥このために、わざわざ下に降りて市街地戦にしたわけ、か」
その光景でレベッカの狙いを早々に看破した二人。
確かに、普通なら厄介極まりない自在法ではあるが、
「‥‥好都合、だね」
"今の平井"には、通じない。
「‥‥早くも一発、かかったな」
「仕留めたかな?」
「そりゃ、楽観しすぎじゃねえか?」
爆破されたデパートから少し離れた廃ビルの、非常用の外に面した階段で、レベッカは再度上がる爆発を眺めていた。
もっとも、彼女の残した自在法・『地雷』(彼女には洒落たネーミングセンスというものが全く無い)。
効果範囲に何者かが侵入する事で発動し、しかし探知機としても作用するので、わざわざ目で爆発を確認する必要はない。
先ほども、コンクリート片が当たっただけだというのはわかっていたが、近くにいるという理由で発動させてしまったが、あれで戦闘不能、とはいかないだろう。
「‥‥出てこねえな?」
今の一撃を受けて、即座に空に逃げるだろう、そこを狙い撃ちにしてまた居場所を変えて『地雷』地帯に誘きだそう、そんな風に考えていたのだが、一向に飛び出してこない。
「本当に、あれで決まったのかな?」
バラルの意見に頷きたいのはやまやまだが、そう上手くいくだろうか?
「市街地戦に乗ってくれる、って事じゃねえのか?」
それこそこちらにとって好都合。
だが‥‥
「‥‥‥いねえな」
『地雷』を仕掛けたのはあのデパートの屋上だけではない。
ここに来るまでの間に十数個、同様に『地雷』を仕掛けており、その探知能力を駆使してみるが、どうやらその近辺にはいないらしい。
「‥‥オレの居場所を全然掴めてない?」
「あるいは、さっきの『地雷』を警戒して様子を見ているか、かな」
予想外につまらない展開にレベッカはやや焦れる。
「いっそ、こっちから一発ぶちかま‥‥‥っ!」
短気にも痺れを切らしかけるレベッカだが、そんな必要はなかった。
「見つけた!」
階段の上空から、目の前にキツネのお面を着けたメイドが現れたからだ。
「っ!?」
あまりに突然の事に、驚愕で声も出ない。
自分達はあのデパートの上空を見張っていた。こんな現れ方は、建物より低く飛び、この廃ビルの、自分の反対側に回り込みでもしない限りありえない。
「っはあ!」
「っくそ!」
横薙ぎに払われた大杖の一撃が、階段の手すりと柵をまるで細い枯れ木のようにバキバキと砕き散らす。
レベッカも、それを後方に軽く跳んで躱し、その背中がその階の扉にバンッとぶつかり、
(何っ、だ。これ!?)
大杖から放たれたと思われる不可視の強烈な突風がレベッカは全身を襲い、バキッと音を立てて外れた扉と共に、レベッカは廃ビル内に叩き込まれる。
「こ‥‥んのやろ!!」
ゴロゴロと転がりながらも、すぐさま特大の光球をたった今まで立っていた扉の側に放り投げ、扉どころかその一画を粉々に吹き飛ばす。
しかし、当たってはいない、という確信があった。
「何だってんだ!?」
位置がわかっていないなどとんでもない。
気配どころか、ここまで正確に居場所を知られているとは。
しかも、"『地雷』の傍を通らずに"、だ。
こちらの手の内を全て見透かされたような居心地の悪さを感じながら、廃ビルを走るレベッカの目に、さらに信じがたいものが映る。
(‥‥‥?)
殺風景極まる廃ビルにまるで似合わない美しい翡翠の羽根が、辺りに無造作に散らばっていた。
(こりゃ‥‥‥)
戦士としての彼女の判断は、
(やばい!)
フレイムヘイズとしての彼女の感覚は、
(避け‥‥‥)
これらを危険だと、告げていた。
「『時限発火』」
レベッカが危機を感じる廃ビルの外で、少女が静かに呟いた。
「くっ‥‥そ!」
廃ビルを焼く翡翠の爆炎の中から、手負いのフレイムヘイズが飛び出す。
(戦り辛れな、くそ!)
受けた肉体的なダメージ以上に、取る戦略で悉く相手に上をいかれる、という精神的なダメージが大きかった。
ただ、それに苛立つのみではない。
この、単なる『洞察力』では説明出来ない敵の動きに対して疑問を覚え始める。
(『地雷』の位置を、どうやって‥‥)
が、思考をまとめる時間すらない。
(これは‥‥?)
レベッカの耳に、雅びやかな音色が届いて、
「っやあ!」
直下から、槍のような蹴りが、レベッカの腹に突き刺さった。
「っぐ!?」
蹴りを叩き込んだ平井が、反撃を警戒してすぐさま距離を取ろうとするのを、レベッカは痛みに耐えながらも許さない。
「っは!」
ほとんど距離の無い間合いから、平井に向けて光球を繰り出すも、
「っ危な!」
驚きながらも、躱される。
「お前‥‥何をしてんだ?」
その様で、レベッカは怒りよりも、疑念が上回る。
平井を睨みながら問い掛ける。
(ま、いいか)
平井としては、疑問を持たれた時点で、もう隠す意味はあまりない。
正直、バレてもデメリットは特にない。
そういう能力なのだから。
「"気配察知"、ですよ」
そう、今の平井の『オルゴール』に刻まれている自在式は"気配察知"。
戦闘経験の浅い坂井悠二がヴィルヘルミナやマージョリーといった強力なフレイムヘイズと曲がりなりにも戦う事が出来たのは、その異常に鋭敏な感知能力による所が大きかった。
その事から平井が思いついた、"気配察知の常時使用"。
戦いに際して実に有効な『新たな感覚』、レベッカの『地雷』の索敵。
全てはこの"気配察知"のおかげだ。
その力を、『オルゴール』は美しい音色として響かせる。
「‥‥綺麗でしょ?」
「あいにくだが、オレぁクソ新しいジャズ以外、耳に合ったことがねえんだよ!」
平井の『オルゴール』が旋律を奏で、
レベッカの周囲に楕円軌道に光球が巡りだし、
再びの激突。
二人が宙空でぶつかる中、ヘカテーは辺りを警戒していた。
先ほどの奇襲の前に、平井から伝えられていたからだ。
あと一人、いや、三人がこちらに向かっている、と。