(最悪のタイミングだ‥‥)
『転移』の自在法で目的地に着いた坂井悠二の脳裏にまず浮かんだ言葉がこれであった。
自在法・『銀時計』で教授の居場所を捕捉し、その場所に『転移』し、いざ蓋を開けてみれば"これ"である。
「ゆかり、この人は?」
やや小さな声で隣の少女に訊ねる。
「『輝爍の撒き手』レベッカ・リード。東京総本部に詰めてるフレイムヘイズ。通称『爆弾女』、相当強いはずだけど」
すらすらと答えた平井が「顔は写真で見たんだけどね」と肩を竦める。
流石、以前外界宿(アウトロー)で働いていただけの事はある。
いや、普通ここまでわからないんじゃなかろうか? 相変わらずのハイスペックぶりである。
「誰であろうと構わず、私達はおじさまを捕まえる事に専念しましょう」
トンチキな格好をしているもう一人の少女が、行動方針を短く示す。
「黙って見ててくれるとも思えないけ、ど‥‥」
目の前のフレイムヘイズ、その眼光から気性の荒さを感じ取る悠二が呟く最中で、その背後におかしなものを見つける。
「‥‥‥‥‥‥‥」
三人が三人、全く同じ動作で目を擦り、再び現実を直視する。
カサカサカサカサ
「「「(ゾクゥッ)」」」
‥‥あれだ。
明らかにサイズがおかしいが、紛れもなくあれである。
三人は、『あれ』が教授の仕業である事など脊髄反射で理解する。
「‥‥悠二、私達が『輝爍の撒き手』を引き付けるから、その間に目標の捕獲をおねがい」
「何、さも有効な作戦を提案するみたいに人に『あれ』押し付けようとしてるんだ!?」
見れば、平井はやや後ろに下がって悠二の背中を押しながら親指をグッと立てている。
坂井家には、夫の留守を預かる誇り高い専業主婦が守っているためか、『あれ』を家の中で見かけた事は無い。
悠二が今まで『あれ』を見た事があるのは小学校のトイレと、親友・池速人の家での計二回である。
平井はどうか知らないが、態度から見ても大丈夫なわけではないらしい(自分だって嫌だ)。
(ん? そうだ‥‥!)
もう一人の少女はどうだろうか?
世事に疎く、少々変わった感性を持つ彼女なら、案外『あれ』が平気かも知れな‥‥‥
「‥‥‥‥‥‥」
服の裾を、小さな力できゅっと引っ張られて見下ろせば、上目遣いに見つめてくる無垢な少女。
キツネのお面のせいで表情はわからないが、何が言いたいのかははっきりと伝わった。
(そうだよなぁ‥‥)
はあっ、と溜め息をつく。
『あれ』に対する恐怖は生理的、根源的なものなような気がするから、知る、知らないはあまり関係ないのだろう。
となれば、やはりこういう状況で頑張るのは、男の役目なのだろう。
「‥‥‥‥‥‥」
未練がましく視線を投げ掛けてみるが、
「ファイト♪」
「おじさまを頼みます」
二人して親指を立てられるというとどめをお見舞いされる。
「はあっ‥‥‥」
背筋を襲う怖気と戦いながら、前方の機械なんだか生物なんだかわからないものと向き合う。
しかし、一言告げるのだけは忘れない。
「気を付けて。強いフレイムヘイズだっていうなら、なおさら」
悠二の、少女達を気遣う言葉には、
「大丈夫です」
「心配無用♪」
少年の心配を吹き飛ばす、頼もしい返事が返ってきた。
(‥‥何だ?)
いきなり現れた数百年からの友達が、こちらの呼び掛けには応えずに両隣の二人と何やら話している。
「あの二人、『ミステス』だね」
「‥‥ああ、ヴィルヘルミナの奴、あんな知り合いがいたん‥‥‥ん?」
突然現れた三人に感想を漏らしていた『輝爍の撒き手』レベッカ・リードが、何かに思い至ったように言葉を止める。
『万条の仕手』ヴィルヘルミナ・カルメルが現在滞在しているミサキ市。
報告にあった『零時迷子』。
中国の『傀輪会』からの推薦があった新人構成員・平井ゆかり。
現在、その両方が‥‥『ミステス』。
「っ! ‥‥って事はあいつら‥‥」
「‥‥うん。僕もそう思う」
何となく思考が繋がったレベッカの言葉に、同じく思い至ったらしいバラルが同意する。
(そういやあの顔‥‥どっかで見覚えがある)
実際には、レベッカは『傀輪会』からの推薦状に付属していた顔写真を見たのだが、そこまでは思い出せなかった。
(って事は、あれが平井ゆかり、か?)
可能性は決して低くない。ミステス自体、滅多にお目にかかれるものではないし、ヴィルヘルミナ・カルメルとの関連からも推測出来る。
だとしても、疑問が残る。
報告では平井ゆかりも、『零時迷子のミステス(名前忘れた)』も行方不明になっているはずなのだ。
(それが何で、ヴィルヘルミナと一緒にいやがる?)
(さあ? 彼女に直接訊くっていうのは?)
(は、そりゃいいや)
短く契約者と意見を交したレベッカが口を開こうとしたまさにその時、
「って、おい!」
三人のうちの一人、ミステスの少年がレベッカに委細構わず大きく外回りに飛び、例の"耽探求究"の『作品』の方に回り込む。
まあ、今が緊急時なのは認めるが、友達の連れとはいえ、行動が読めない手合いに戦場で勝手に動いて欲しくない。
「ヴィルヘルミナ! どういう事か説明‥‥」
あまりに突然の行動の連続に怒鳴りかけたレベッカが、
「‥‥お前、少し縮んだな?」
少し、違和感に気付いた。
(っ!?)
ヴィルヘルミナ?
先ほどもそう呼んでいたからもしやとは思ったが、やはりこの討ち手、ヴィルヘルミナ・カルメルの知己。
自分は悠二や平井と違って容姿が知れると都合が悪いので変装してきたのだが、こういう事態は想定していなかった。
(‥‥ゆかり)
(‥‥わかってる)
小声で、隣の平井と確認し合う。
(ヘカテー、下手打たないようにね)
(‥‥わかりました)
作戦、というか方針もわざわざ話し合わずに決まる。
「『輝爍の撒き手』、おじ‥‥"耽探求究"の事は悠二に任せるので‥‥あります」
「‥‥‥はあ?」
レベッカからすれば意味がわからない。
こちらの疑問くらいわかっているはずのヴィルヘルミナ(ヘカテー)の、またしても突然の要求。
しかも‥‥
「『輝爍の‥‥』って、なんだその呼び方? 声も何か‥‥‥」
(ダメか‥‥!)
いち早く、平井が作戦を切り捨てる。
今の言葉からみて、予想以上にヴィルヘルミナと親しい。
そんな相手に成り済ますのは厳しいし、何より、これから訊かれるであろう質問に応えるわけにはいかない(っていうか、何で気付かない?)。
「っ!」
レベッカの言葉を切るように、平井がレベッカの頭上に舞い、
「っこの!?」
レベッカが、上から降ってきた靴の底を両腕で止めて、しかしそのまま下方に叩き落とされていく。
「っはあああ!!」
さらに、平井は落ちていくレベッカに向け、特大の翡翠の炎弾を放つ。
(やべ‥‥)
「避けろ!」
バラルの、珍しく少し焦った叫び、を受けるまでもなく、レベッカもこの追撃に気付いている。
落ちる勢いを殺さずに、その勢いを『飛翔』に上乗せして、自身を炎弾の軌道から僅かに外す。
「っ‥‥‥!」
真横を通り過ぎる特大の炎弾の熱に肌を灼かれて眉をしかめた、次の瞬間には、下方のビルが炎弾の直撃を受けて粉砕された。
「ふう‥‥」
平井としては、今の不意打ちで決めたかったというのが本音ではあるが、『成り済まし』はそもそもダメ元である(っていうか、何で気付かない?)。
当初の予定通り、悠二が教授を捕まえるまで時間を稼げばいい。
(まずったかなぁ‥‥)
外界宿東京総本部。
当然、御崎よりはマシだが、場合によっては自分の顔も知られているかも知れない。
(私も変装しとくんだったかな‥‥)
(‥‥思ったより、戦い始めが遅かったな?)
などと、平井の炎弾の爆音を耳にして思う悠二、だが本来、そんな余裕は彼にはない。
《こぉおーこで会ったが百年目ぇー!! 今度こそ『零時迷子』を手に入れるんでぇーすよぉおー!》
《はいでございますです教授!》
「‥‥‥‥‥‥」
戦況を見れば、こちらに目が向いていてくれるのは好都合ではあるのだが、やはり‥‥
カサカサカサカサ
怖いものは怖い。
(どうする?)
実際、さっきから自分は逃げ回ってばかりである。
見た目のおぞましさ、だけではない。
観察していてわかったが、『あれ』の速さや動き、小さな虫としてのそれをそのままあのサイズにしたような無茶苦茶なスペックだ。
本来、重力などの問題で、虫などをそのまま巨大化しても同じように動けるはずはないのだが、さすがは教授。まっとうなロボットではないのだろう。
というか、本当に『あれ』はロボットなのだろうか、生々しく黒光りするし、あの足や触角の動きときたら‥‥‥
カサカサカサカサ!
「来たあ!?」
遠距離にいた巨大な黒塊が、一瞬にして距離を詰めてくる。
今まで感じた事のない類の恐怖である。
(えーと、前に出た時、どうやって退治したっけ?)
小学校のトイレに出た時は、床の問題も都合が良かったし、ほうきで叩き潰して問題なかったが、今回のケースには適さない(でかすぎる)。
(池の家に出た時は‥‥)
確か、床が濡れるのも構わずに熱湯で退治したはずだ。
(熱?)
あれ? 実は凄く簡単な対処法が?
(問題は‥‥‥)
「はっ!!」
悠二の掌から放たれた銀の炎弾が、巨大虫の足に僅かに擦り、近場のビルに体を打ち付ける。
《ッノォオオオー!》
《あぁあーれぇえー!》
「‥‥‥‥‥‥」
間違いない、中にいる。
丸焼きにするわけにも、いかないだろう。
中にいるなら‥‥
「‥‥‥どうしよう」