「いつまで待たされるんだろうな‥‥」
「‥‥それ、六回目だぞ?」
到着早々、豪華なホテルのような一室に、吉田一美と佐藤啓作は招かれていた。
"たかがお使い"に対しては少々オーバーな待遇である。
案内してくれた男(無論、構成員だろう)の話によると、御崎市における詳細な質問をしたいというフレイムヘイズが、『野暮用』で遅れているらしい。
かれこれ二時間である。
(まあ、仕方ないか)
と、佐藤は思う。
遅刻の事ではなく、自分達に説明をしたい、という点についてだ。
マージョリーの話によれば、これまでに御崎市で起こった一連の騒ぎは、フレイムヘイズの常識から見ても、こんな短期間で、それも同じ場所で起こるようなものではないらしい。
(書類報告だけじゃ不満ってのも当然な話だ、うん)
と、心中で無駄に情報通を気取ってみる。
「‥‥ここ、本来は牢屋だな」
客人らしからぬ傍若無人さで部屋を歩き回っていた吉田が、唐突に言い放つ。
「牢、屋‥‥?」
あまりに突然な吉田の発言に、佐藤は理解が一拍遅れて‥‥‥
「って牢屋!? 一体どういう‥‥」
「さ・わ・ぐ・な。気付いてなかったのか?」
若干呆れ気味に言う吉田。どうやら無駄話程度のつもりで口にしただけらしい。
「窓にはやけに太い格子が填まってるし、扉は内側に鍵がない。見てくれがソフトなだけの"閉じ込めるための部屋"だよ」
ふ、と気付いたように瞬きをした吉田が、
「まあ、鍵が掛けられてないから閉じ込められたわけじゃないみたいだけど。
もしこれが『適性試験』とかだったらアウトだね」
扉を開け閉めしながら、口調を正し、にっこりと微笑んで続けた。
「あ、ああ‥‥そうなんだ?」
驚くべきなのか安堵すべきなのか今イチわからない微妙な相槌を打つ。
素直に部屋に入った、という事は吉田もすぐに気付いたわけではないようだが、自分よりは遥かに優秀な対応だ。
(平井ちゃんなら‥‥部屋に入る前に気付いた、かな?)
何となく、そう思った。
今の自分も、吉田も、結局は平井が踏み慣らした場所、その後釜のように用意された道を通っているようなものだ。
今回のお使いも、本来なら卒業後に東京総本部に推薦され、その話が決まりかけた直後に『ミステス』となり、さらに興味を持たれた平井ゆかりという少女だからこそわざわざこんな機会が設けられたのだ。
自分達は、その予定の軌道修正の流れに便乗したに過ぎない。
(‥‥と、だめだな。こんなんじゃ)
無意味な劣等感に苛まれそうになる自身の心を戒める。
(俺は俺に出来る事を、マージョリーさんのために‥‥‥)
と、今までの失敗や、受けた叱責からの教訓から、今は考えている。
『身の程知らずは足手まといだよ』
『先輩』からの忠告でもある。
自分に出来る事、出来ない事を見極めなければ、役には立てないのだ。
(うん、よし)
そんな風に自分を冷静に捉えられ、それでいてやる気は損わない自身の心にほんの僅かな優越感を覚えていると、
「‥‥‥いから離せ!」
「‥‥まりますよ!」
分厚い扉の向こうから、何やら声が聞こえてくる。
((怒鳴り声?))
扉の傍にいた吉田と、その吉田の近くに歩いてきた佐藤が、顔を見合わせて頭に?を浮かべる。
「ですから! フリーダーさんに頼まれて‥‥」
「何でわざわざ支部から来たフリーダーを待たなきゃなんねんだよ!? 元々オレが呼んだんだろーが!?」
「いや、しかし‥‥」
(‥‥何だ?)
何やら強烈な口調の女の声と、先ほど案内してくれた男の人の声(人間、だと思う)が言い合い、いや、男の方が必死に止めているような内容だが、『フリーダー』という名前は聞いた事がない。
吉田の方はピクリと眉が動いたから、もしかしたら知っているのかも知れない。
下調べの段階で吉田にも負けているらしい事実に僅か怯む。
が、今は好奇心の方が勝る。
(どーなってるんだ?)
自分達と無関係な可能性も十分にあるのに出ていって「何があったんですか?」と訊ねるほどでしゃばりではない。
ドアの下にある開け口(これも、よく見れば軟禁した者に食事を渡すための開け口だ)から、少し無様な体制で覗く。
残念ながら、足(しかも靴くらい)しか見えないが、やはりさっきの男の人と、もう一人。
(俺達を案内した人と揉めてるって事は、やっぱり俺達に関係ある‥‥)
と、少々短絡的な考えに行き着きそうになった佐藤に‥‥‥
「‥‥お、マージョリーのお使いの少年か?」
開け口から覗いていた視線に気付いたらしい女の声に打たれ、ビクッと離れ、立ち上がる。
結果的に、直接出ていくよりよほど恥ずかしい事になってしまった。
「いいぜ。"まずは下がれ"」
その、何処か楽しそうな声と、
「ああ、下がった方がいいよ?」
やけにのんびりした、さっきとは違う男の声を聞き、その意味を理解する、より早く。
「下がれ馬鹿!」
後ろから首根っこを引っ掴まれ、足を後ろから払われ、思い切り部屋の奥に引き倒される。
それが吉田の仕業だ、と気付いた、瞬間だった。
ドォオン!!
桃色の閃光を撒いて、扉が爆発した。
猛烈な衝撃と爆光が溢れ、その事に驚く最中、さらなる驚きに見舞われる。
かなり頑丈に作られているであろう扉、その、四分の一ほどの、ひしゃげた破片が、倒れ込む佐藤の前髪を掠め、ドッと冷や汗が湧き出る。
キーン、と、数秒、あるいは十数秒耳鳴りがして、肌がチリチリと灼かれるような感覚を感じながら、ようやく現実感が戻ってくる。
(‥‥生きてた)
呆けたようにそんな事を考えた後、ハッとなったように顔を上げれば、吉田も自分の足の辺りに伏せている。
自分を引き倒したと同時に彼女自身も伏せたらしい。
扉に近かったせいか、吉田の方が受けた熱波がきつかったのか、起き上がって足をさすっている。
意識が朦朧としてフラフラする。
「な、なんという事を! 無事ですか。お二方!」
「運を試しただけだろ、そうカッカするない」
やたら慌てる案内男の声を流し、笑いながら瓦礫をガシャガシャと踏んで、女が入ってくる。
女はこちらの姿を認めてニカッと笑う。
「よーし、五体満足で生きてるな。運のあるやつには、相応の対応をしてやるぜ」
ショートの髪とギラギラした目つき、悪戯っぽい笑みが印象的な女性である。
その女性は、威風堂々と部屋に入り、二人の前に立ちはだかり、
「オレは『輝爍の撒き手』レベッ‥‥‥」
スプリンクラーの水を被って、不機嫌になった。
「いやぁ、すまないね。レベッカはいつもこんな調子だから」
契約者と比べて随分とのんびりとしたこの声は、女性の手首の、閉じた瞳を意匠した金色のブレスレット型の『神器』・『クルワッハ』から発せられる、"麋砕の裂眥"バラルである。
「だーから、ただの運試しだろうがって」
そして、ショートの髪がよく似合う細身の美人。
しかしながら悪戯っぽい笑みと、少々過ぎた眼光のせいで無駄なくらいにドスが利いてしまっている。
だらしなく裾をはみ出させたシャツに半端な長さのホットパンツ。分厚い革のジャケットに大きな長靴というチグハグな出で立ちが、只者ではない、という印象を助長させている。
そう、『輝爍の撒き手』レベッカ・リードである。
「いえいえ、幸い私達も大した怪我もありませんでしたから」
あれからとりあえず移動した医務室で簡単な治療をしながら、吉田が見事な外面で応対している。
いきなり爆撃されたというのに、ここまで我慢強い吉田を、佐藤は初めて見る。
「こちらが預かっていた親書も無事でしたので、まずは目を通していただけますか?」
にっこりと微笑んで差し出された書類を、
「‥‥‥ああ」
何故か面白そうに受け取ろうと伸ばしたレベッカの手が、書類を、"通り過ぎて"‥‥
ヒュッ!
吉田の顔面に一直線の拳撃として繰り出される。
「っ!」
突然の一撃、しかしもはや"想定内"と判断していた吉田が、ヘッドスリップでこれを躱す。
さらに、
「ふっ!」
書類を持たない左手によるアッパーを、レベッカの顎に向けて繰り出す。
「っ!」
それを顎を引いて、レベッカは躱す。
その間にも、吉田は後ろの佐藤に親書を放り、右手を空ける。
レベッカと吉田の距離は、親書を渡そうとして吉田にパンチを繰り出した至近距離のままである。
「「はっ!」」
互いに、鼻で笑うような掛け声と同時に、
ガッ、と二人の右ストレートが交差する。
『‥‥‥‥‥‥‥』
その場の全員の間に沈黙が降りる。
互いの拳は、互いの顔のあった位置、今は顔の横で止まっている。
「とりあえず、その勘に障る猫かぶりをやめろや」
「吉田君。レベッカには遠回しな気遣いは要らない‥‥いや、通じないよ。
もっと素直に接した方が話が早いと思うけどなあ」
「‥‥よーくわかった」
「‥‥‥‥‥‥‥」
吉田を睨むレベッカ。この期に及んで相変わらずな調子のバラル。何考えてるのかわからない吉田。そして一連の流れに置いてきぼりを喰った佐藤である。
(‥‥ああ、なんだ)
佐藤は、このレベッカ・リードを見てから何となく感じていた、感じた事のある雰囲気に当たりをつけた。
(吉田さんに、似てるんだ)
そんな、呑気な感想を抱いている間に、二人はバッと距離を取り、再び構えを‥‥
「ちょっと!? 二人共落ち着い‥‥‥」
「「てめえは黙ってろ!」」
そっくりだ。
もちろん、レベッカとて本気で殴りかかったわけではない。
相手は人間、しかも少女、それくらいは承知の上では加減はしたが(というより、フレイムヘイズが本気で人間を殴れば確実に死ぬ)、
しのがれると何となく対抗心が湧き上がる。
そんな呑気だか剣呑だかわからない雰囲気は、一気に張り詰めたものへと変わる。
『っ!?』
吉田や佐藤の持つ、マージョリーの栞のボッと鳴った光と、レベッカやバラルの感じた、強烈な違和感によって。
「行こうか」
「東京総本部、確か、『輝爍の撒き手』がいるトコだね」
「準備は万全です」
誰の目も届かない高層ビルのだだっ広い屋上の真ん中に立つ、三人の少年少女。
「なるべく騒ぎを避けて、教授を捕まえる事だけに集中しよう」
「‥‥私達じゃなくて教授が騒ぎ起こしてそうなんだけど」
「おじさまはそういう方です」
真剣なのか軽いのかわからない雰囲気の三人。
その姿が、銀の光に包まれて、消えた。