自宅のベッドで天井を、田中栄太は見つめていた。
「‥‥‥‥‥‥」
つい先ほど、佐藤啓作と吉田一美が東京へと発った(はずの時間だ)。
ほんの小さなお使いのようなもの、しかし、フレイムヘイズまで詰めている東京総本部に足を運ぶのは、佐藤や吉田にとって重要な、"さらに足を踏み入れる"きっかけである事は容易に想像がついた。
「‥‥‥‥‥‥」
何をするでもなく、ぼんやりと、過ごす。
坂井悠二と平井ゆかりが御崎市を去ってから、こんな時間が増えた。
(‥‥‥くそ)
理由は、わかっているつもりだ。
憧れた女傑に付いて行くと息を撒いて、相棒の佐藤と一緒に頑張ってトレーニングなんかをしてきて、
『ある出来事』が、それら全てを根元からへし折った。
それから立て続けに平井ゆかりが『人間』を失い、ヘカテーが去り、悠二と平井が去った。
自分が逃げ出した非日常に、『自分の日常』が削り取られていく。
そんな中で、結局何一つ出来ない自分に、どうしようもない、憤りを感じる。
もう"あちら"に関わる事は出来ない。
自分はそう思った。
だが、平井は、吉田は、佐藤は違う。
その事が、少年として猛烈に悔しかった。
(だから、か‥‥)
ヘカテーが、友達がいなくなり、寂しかった。
また日常が壊された、と思った。
だが、脱け殻のようになった悠二を見て、どこか安心していたのだ。
(‥‥‥それは、)
だが、そんな気持ちは、悠二と平井が御崎を去ったら、途端に霧散した。
そして気付いた。
"自分だけが腑抜けじゃない"。
そんな、あまりにもかっこ悪い安心を、悠二を見て覚えていたという事に。
だが、悠二は別に燻っていたわけではなかった。何かを想い、何かを成そうと進んでいた、はずだ。
よりいっそう、惨めになる。
そして、佐藤や吉田も、自分がしっぽを巻いて逃げ出した場所に、より深く向かって行く。
自分には出来ない。
それが当たり前だ、とも思う。
だが、"それには意味がない"事もわかっている。
自分にとっての当たり前は、あの友人達なのだから。
それら全てをわかって、結局何一つ行動に移さずに、ずっと堂々巡りを続ける。
「‥‥俺に、どうしろってんだよ」
呟いた問いには、誰も答をくれはしない。
「佐藤君、もっと落ち着いたら? 田舎者丸出しみたいで恥ずかしいんですけど」
「‥‥吉田ちゃん。毒舌が変わらんなら、むしろ強気な口調の方がマシなんだけど」
「今から慣らしとかないと、向こうでボロが出たら不味いでしょ?」
「‥‥ああ、そう」
電車の人混みの中で、佐藤啓作と吉田一美は東京を目指す。
関東外界宿(アウトロー)第八支部に乗り込んだ時点で覚悟は決めたつもりだったが、それでもどこか日常の延長のような錯覚があった。
この、少年としての転換期に意気込み、出発前にマージョリーに会っておきたかったがために、マージョリーの(いつも通りの)起床を待っていたのだが‥‥
『はーいはい、お使いなんだからキチッとやんのよ』
という、全くいつも通りの調子で忠告を送られた。
ちなみに、あの『革正団(レボルシオン)』との戦いであんなマージョリーを目にした後も、別段自分への態度は変わっていない。
そんな見送りの言葉に、"自分が彼女に"何かを期待してしまっていた事に何となくゲンナリしつつ、
(よし、やるぞ)
気合いを入れ直す。
幸い、というか何というか、吉田一美も一緒である。
任された役目の使命感、というのもあるが、あの吉田とはいえ、『守る対象』がいる事は肚の決め方に違いがでる(情けないが、単に一人よりも緊張しないという事もある)。
(今から行く先にも、フレイムヘイズがいるんだよな)
佐藤啓作は、若干空回り気味な気迫に満ちていた。
(‥‥‥挙動不審)
隣にいる佐藤啓作を呆れ気味に見やる。
佐藤がわざわざマージョリーに会う、とか言ったおかげで自分までちょっと遅れ気味に出発である。
本当ならもっと早めに出て余裕を持ちたかったところだ。
(東京総本部‥‥)
もちろん、今までとは一線を画す事になるだろう事はわかるが、入れ込み過ぎである。
重要書類を入れた鞄を抱くように持ったままキョロキョロするのはやめて欲しい。
あれでは目をつけてくれと言わんばかりだし、何より怪しすぎる。
(さて、どうなるか)
少し前の出来事に、想いを馳せる。
『吉田一美さん、僕はあなたが好きです』
『ごめんなさい☆』
『‥‥(そこで即答する吉田さんもイイ)』
『‥‥お前さ、いい加減諦めろ。とっくにフられてるようなもんだろが』
『‥‥男を磨いて出なおしてきます』
「はぁ‥‥」
諦めるつもりはないらしかった。
状況次第でいくらでもストーカーになりうる奴である。
(阿呆が)
さっさと諦めればいいものを。
その気になれば別の相手などすぐに見つかりそうなものだ。
例えば、クラスの藤田晴美などどうだろうか?
お似合いのメガネカップルが誕生するだろうに。
(人の事、言えねえか‥‥)
「‥‥‥‥‥」
御崎市を去り、数ヶ月の間、あの"壊刃"サブラクに目を付けられる前のように自由気儘に世界を渡って、久しぶりに友人達に会いにこの島国に帰ってきた、のだが‥‥
「ここ百年程度、その噂を聞きはしなかったが、一体何を?」
「プライベート」
面倒なのに捕まっていた。
首都・東京。
そこに今、『約束の二人(エンゲージ・リンク)』の"彩飄"フィレスと『永遠の恋人』ヨーハンは"通り道"として滞在していた。
「君達は知らないかも知れないが、近年の東アジアは徒にとってはかなりの危険地帯になっている」
目の前、色白にして眉目秀麗、鳶色の瞳に短く刈り込まれた金髪。
その鋭い眼光から重厚な存在感を感じさせる長身の男である。
(‥‥『骸躯の換え手』、アーネスト・フリーダー)
「ごご、ごめんなさいね! フリーダーちゃんも悪気があるんじゃなくて、少しでも皆の安全を考えてこんな!」
フリーダーの胸元のポケットに刺さる小洒落た造花、『神器』・『アンブロシア』にその意識を表出させる"紅世の王"、"応化の伎芸"ブリギッドである。
どうも、過保護な性格らしい。
いちいち話し方や、思考回路が気に入らないこの男と、何やら毒気を抜かれるこの契約者。
‥‥ある意味、バランスの取れたいいコンビである。
「で、もう行っていいかい?」
「私達、フレイムヘイズってあんまり信用してないんだけど?」
「そそ、そこをなんとか!」
ヨーハンも焦れてきているが、長引きそうである。
馬鹿のように白けた緑の光が、薄暗く湿った地下の一室を埋め尽くす。
「教授〜〜、湿度、室温、材料共に完璧でございますでーす!」
それは、ガスタンクのような姿の燐子・『お助けドミノ』。
「ん〜〜〜ふふふ。材料が整い次第! このあぁーたらしい発明の成果を試す段階に入ります!」
それは、ひょろけた細長い姿に白いコートを羽織る『教授』。
「いぃーざ羽ばたけ! 美しい世界へぇー!!」
「まだ準備が完了していないんでございまふひはいひはい」
それは、実験。
「‥‥‥‥‥‥‥」
少年の足下に、時計を模した銀色の自在式が展開される。
その長針は目指すものの居場所を、短針はそれに行き着く距離を示す。
式の上に立つ少年、坂井悠二独自の自在法・『銀時計』だ。
「ヘカテー、地図ある?」
「はい」
傍にいたヘカテーが取り出した地図、それを、同じく傍にいた平井ゆかりがひったくる。
「‥‥まだ、日本にいたんだね」
その方角と距離から、目標の位置を割り出し、地図にて探る。
それは、
「‥‥東京、ですね」
平井の横(下?)から覗き込むヘカテーが呟く。
彼女にとっては、仲良しのおじさまと"まともに"会う久しぶりの機会である。
「東京、か」
呟いて、歩きだす悠二に、ヘカテーと平井も続く。
人目の無い所から抜け出し、街を歩く三人。
彼らもまた、日本にいた。
その目に、甘味処が映る。
「‥‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥‥」
無言の、訴えるような眼差し(*2)が、悠二の背中に突き刺さる。
あまりのんびりしてると、ベルペオルに心配をかけそうなのだ、が、どうにもこの視線には弱い。
「‥‥行こうか」
「! はい!」
「さっすが♪」
‥‥まあ、少し力の無駄遣いになるが、後で『転移』を使えばいいだろう。
「悠二」
柏餅を食べ、お茶をすする悠二に、平井が声を掛ける。
「ん?」
さっきまで、ヘカテーと顔を並べてお正月の雑誌を見ていたはずだが。
‥‥そういえば、明後日の夜は大晦日である。
「東京ってさ‥‥」
久しぶりに見る、真剣な平井の声に、悠二も、ちまきを口いっぱいに頬張っていたヘカテーも顔を上げる。
「一美と佐藤君が来てるって、情報が入ってる」
のんびりとした時間に、ほんの少しの沈黙が降りた。